575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

苺            ぐ

2010年05月31日 | Weblog
 私たちも孫たちも苺が大好きである。

 小学生のころ、60年近く前、苺を初めて食べた。

 あの赤い美しい姿に感動した。 当時は砂糖を少しかけ、牛乳を少し入れ

 スプーンで潰しながら食べる仕方も興味深く幸せに食べた。

 当時のイチゴは露地物で六・七月しか食べられなかったし、年に一度か二度の

 楽しみな一時であった。

 孫たちも苺が大好きで、とりわけ、ケーキに乗った苺はめがない。

 また、一年中食べられ、品種も多様でおいしく甘い苺に溢れている。

 苺は江戸時代末期にオランダから渡来したそうで当時はしる人も少なく

 食す人は数少ない特権階級の人だったのであろう。

 幸せすぎる時代である。

   つぶしたる苺流るる乳の中     高浜虚子

   兵稚く苺つぶせり霧はるる     沢木欣一

   青春のすぎにしこころ苺喰ふ    水原秋桜子

 
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田植見て姿勢正して走り去る    朱露

2010年05月31日 | Weblog

     多米平野が田植最中の五月末から六月。
     徐行する運転席から田植風景を眺める。
     見ているうちにどんどん腰が痛くなる。
     私には稲一束植えられないことが分る。

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かっこうの北より鳴けば南より  遅足

2010年05月30日 | Weblog
先日、霧が峰高原の近くにある湿原に行ってきました。
初夏の陽射しのなかを一歩一歩進んでいくと、
足元の土に足跡が・・・よく見ると鹿の足跡です。

民宿の人の話では、日本鹿。
天候不順から食べ物に困って、
ニッコウキスゲの若芽を食べているそうです。

遠くからはカッコウ。
近くではウグイス。
カエルの声。なかなか賑やかです。

写真の落葉松林にもカッコウがいました。

足の怪我が治っていないので、ノロノロと散歩。

  だしぬけに老鶯に顔のぞかるる

人間を怖がらないウグイス、5メートルほどの
距離で鳴いていました。

誰もいない初夏の高原を楽しみました。





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蚊や蠅が死語になる御代寿ぎて    朱露

2010年05月30日 | Weblog
     カヤハエをハヤカエと放送した奴がいた。
     大昔アナウンサーをやっていた頃の話だ。
     昨今めっきりハヤカエが減ったと思うが。
     天敵を失うとその種は活力をなくすかも。

夏嵐潜りぬけたり山法師    朱露

     二階から目の前に見える山法師の木。
     雪が積もっているような満開の花々。
     五月二十四日の昨日は大荒れだった。
     今朝見たら昨日はなかったような顔。
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揚雲雀コップに空の青を置く   遅足

2010年05月29日 | Weblog
船団の小西ドクターの診断です。

草の上にすわって水を飲む。
そのコップのなかの空と、
かけのぼっていく雲雀の声行く手の空。
ふたつの空を表現している上手い俳句です。
上手すぎるかもしれません。

(ありがとうございます。
さすがにドクター、パクッたと見破られてしまいました。)


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六月や腿に肉つく何もせず   朱露

2010年05月29日 | Weblog

       腿の肉が肥えたのを嘆く蜀の劉備。
       髀肉の嘆(ひにくのたん)の故事。
       劉備は馬に乗らなかったからだが、
       私は閉じ籠りだからもっとひどい。

   敗戦の真鶴泳ぐ鰹かな   朱露

       連夜鰹の刺身で酒を飲んでいる。
       飲めば真鶴岬のグラマンを思う。
       相模灘から襲いかかる二機編隊。
       グラマンを見る為に生まれたか?

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樹齢二千立山杉よ今朝の夏     朱露

2010年05月28日 | Weblog

    五月二十八日早朝の N H K テレビで見た。
    北アルプス北西端の連峰で三千米の山々。
    古木のアップで神々に立ち会った思いだ。
    画面は鳩山・福島になり現代に立ち会う。


   拉致されたまま七十年夏の朝   朱露

    蓮池薫さんのお話を一時間今朝聴いた。
    青年になっている或る日の無茶苦茶話。
    明日はその地獄から立ち上がって行く。
    私も生後すぐ拉致されたのではないか?



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コバンソウ         草女

2010年05月28日 | Weblog
 大判 小判という名は花咲じいさん以来馴染み深いが、この名は自然界ではなかなか出会わない。野鳥ではオオバンがいて、バンがいる。いわゆる雑草にはコバンソウがあり、ヒメコバンソウがある。どちらも大判小判とはいかない。

 今、庭には小判草が可愛い実をつけている。別名をタワラムギトというこの草はヨーロッパ原産で、明治時代に観賞用として渡来したイネ科コバンソウ属の1年草。
 我が家のコバンソウは湖北に生えていた種を持ち帰ったのは3年前の6月の中旬だったと記憶している。最初のころは種を採っておいて播いていたが、今ではなにもしなくても庭のあちこちに生えている。小判という命名に異論はないが、俵もいい表現だと思う。今の私の持ち合わせの知識ではどちらが先に渡来したか分からないがコバンソウにに似ているが、大きさではコバンソウの十分の一位の草がある。小判より小さい表現として考えられたのがヒメコバンソウだと思う。こちらがコバンソウに似ていると感じるには虫めがねがいるけれど・・・どちらも今が見頃、少し気を付ければヒメコバンソウは名古屋でも十分見つかるとおもう。
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忘れてた   麗

2010年05月27日 | Weblog
なんだか雑事に追われすっかりブログの当番を忘れていました。
申し訳ありませんでした。

日曜日、大雨の京都へ。龍馬ブームでにぎわう霊山記念館へ足をのばしました。
保身ではなく日本のために本当の改革をしてくれる
政治家はいないものか。。。そんな思いを抱いて帰宅しました。

       木下闇維新の道をぬれそぼる   麗
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核の傘ふれあう下の裸かな   関悦史

2010年05月26日 | Weblog
核の傘ふれあう下の裸かな   関悦史

作者は1967年生まれ。

アメリカとロシア、中国の3つの核保有国。
それに北朝鮮も・・・
日本列島は、まさに核の傘がふれあう場所。
そんな国に生まれて丸裸の日本人。

9条のこととも読めるが、そうではなく、
ホントウに裸であろう。
裸でなにをしているのか?
ノンビリ海水浴でもしているのか。

そんな日常の生活と核の時代を詠んだ面白い、
なかなか辛辣な句。

同じ作者の句

   目刺食って株価明滅する地球

大きな状況と日常のささやかなことの対比が面白い。

                     遅足


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小沢昭一的平和のこころ   鳥野

2010年05月25日 | Weblog
先日、しんぶん赤旗の文化面の囲みに、「俳人九条の会5周年」という記事が載っていました。
その記念の会での小沢昭一さんの講演の、その一部分が紹介されていましたが、心惹かれるものでした。

 ・ 若桜と呼ばれし恨み花見せず、 は自作の句。そして

「お花見というのは嫌いでございまして。若いころにさんざんっぱら若桜とおだてられたことが尾を引いております・・・」と話す。

当時の人々を軍国主義に染め上げた流行歌の力。
小沢さんは、言葉に携わる者の責任という問題を提起し、「人を戦争に駆り立てるのも言葉、
生きとし生けるものの命の尊さをうたうのも言葉」と訴えかけました。

この日は「九条の会」の呼びかけ人の一人、金子兜太さんも挨拶に立って

 ・ 水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る、 の句を披露。

「死ぬまで反戦の句をつくっていきたい。9条を守るために頑張りましょう」と呼びかけました。

こころの奥底で重く受け止めたい言葉です。

                            
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見た目でわからぬ美味な味       ぐ

2010年05月24日 | Weblog
 スーパーの海鮮売り場でめずらしくもオコゼを見つけた。
 オコゼ類でも食べられるのは鬼オコゼだというから、きっとそれに違いない。
 つくずく眺めると確かに鬼の貌である。 鬼の中でもブスそのもの怪奇な相貌である。
 
 しかしこのオコゼ高級魚で市場に出回ることも少なく姿の割にというか、味は淡白で
美味。刺身、唐揚げ、煮つけ、吸い物、はては関西では冬のフグ代わりにチリ鍋にするという。
 民間信仰では山の神の好物で猟師は其の干物を供えるという。

  鬼をこぜ石にあらずと動きけり   加藤楸邨

  胃の中に入りて虎魚のにらみゐる  宮坂静生
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どくだみの花が咲いたよ白い花    朱露

2010年05月24日 | Weblog

       「毒を矯める」の意味で大昔からの薬草。
       母が葉をすりつぶして傷に塗ろうとする。
       余りの悪臭に逃げ回った懐かしい思い出。
       花は花じゃなく中心の棒が花で別名十薬。

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五月晴れ喪主におおきな黒子かな   遅足

2010年05月23日 | Weblog
船団・小枝ドクターの診断です。

夏の初めの晴れた日のお葬式。
悲しみを述べていませんが、喪主の大きな黒子に焦点をあてることで、
じんわりと悲しみが漂う句となりました。
「喪主に」の「に」は説明的になりますので、
「の」とすると、黒子に焦点がいって、
さりげなく悲しみが表現されます。

(ありがとうございます)


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雨続く小庭の瓶の眼高二つ    朱露

2010年05月23日 | Weblog

     とても一匹ニ匹というシロモノではない。
     鳥どもの水飲み場なので危険は危険だが。
     と言ってオンバヒガサで育てる気はなし。
     私の影が射せば隠れるからまあいいのか。

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