575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

水ってホントに変幻自在   鳥野

2006年06月30日 | Weblog
7月の兼題は「水」 これは困った。水は全く捉えどころがない。
科学的には酸素と水素の化合物で、無色、無味、無臭。地球の表面積の72%を覆い、動物と植物の体の70%~90%を占めているという身近な奴。だがこの親しい存在が、曲者ナノダ。

冷やせば氷、温めれば湯、煮えたぎれば火傷、ご機嫌を損じれば洪水、乾いた喉には甘露となる。

水青は馬の毛色、水馬はあめんぼう、水明かりは水の反射、水足は潮の差し引き、
殿方なら水着姿がお好み。水入り、水入らずもあるよ。

水音、水影、水皺は美しい・・・。

読みも「みず」「み」「みな」・・・あーあ、ややこし。

兼題に頂いて、どのように料理しましょうか。

 水色、水浅葱に染まった夢でも見て、ゆっくり苦しむことにします。

      吾が鎖骨しくしくと水を零しおり
夫の逝きしは紫陽花の季(とき)


                
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脳の番地   麗

2006年06月29日 | Weblog
昨日の句会は新しく女性メンバーが3名入られ、
華やかな会となりました。
童子さんの

「蛍狩り濡れ草を行く足白き」

の「足白き」がいいのか、「足白し」がいいのか、
「足白く」がいいのか、一文字をめぐってさまざまな感想がでました。

さて、静荷さんが「俳句をやっている人の脳は、脳の8番、9番
を使っている」とテレビで言っていたとおっしゃり、ぼけ防止になるとのこと。
確かに一文字をめぐる攻防は脳の刺激になりそうです。

ちなみにこの脳の数字はブロードマンの分類と言って
脳を表面から見たときの番地のようなもので47まであるそうです。
1,2,3が感覚野、4が運動野、そして8,9が前頭前野だそうです。
では来月また8,9番を使ってお題の「水」に取り組みましょう。



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6月例会の投句が揃いました

2006年06月28日 | Weblog
今回は題詠が「蛍」です。
力作が揃いました。


空白み葉裏よろばう蛍かな 
中年や光源氏の蛍の夜 
手をつなぐことの始まり蛍の夜 
幼虫の不気味さも見ゆ蛍かな 
絡み合う蛍火見えて彼は今 
瞬いてまた闇となる蛍かな 
螢飛ぶつくづく生命おもひけり 
手のひらの蛍きれいな法螺をふく 
この闇を放蕩せむと蛍舞う 
山国の遅き土筆に手を伸ばす 
落とし来しあこがれいくつ螢の夜 
ふるさとの声が呼んでる初蛍 
蛍狩り濡れ草を行く足白き 
蛍火や苔むす兵の墓の列 
蛍火を追うて泥んこ父の雷 
手のひらの蛍を放つ闇の中 
ほうたるの刹那灯りてそれっきり 
参道の石灯籠は梅雨の中 
夏椿清華のままで夕に落つ 
夕立のちゃんと止んでから猫帰る 
また夏か夜明けのスピードワゴン聴く 
水鏡風を映して風となる


    

  
番外

半夏雨(はんげあめ)やさしくされてちりぬるよ(童子)
底なしの闇より生まる海蛍(能登)
じじばばも美人も伝う片陰り(能登)
蚊帳辺りに蛍放って眠りたる(立雄)
父の日の笑顔揃いし十一人(立雄)
古希迎え次男に挑む腕相撲(立雄)

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五月雨の降り分けられし分水嶺  絵門

2006年06月27日 | Weblog

同じように降ってきた雨が、わずかな差で
太平洋と日本海に降り分けられる分水嶺。

人の運命もまた・・・

    (天邪鬼・五月号より)

 
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「 風土と漂白 」 だって       愚足

2006年06月26日 | Weblog
 飯田龍太の俳句上達の秘訣の第三番。

 句作は「他郷を故郷のごとく、また故郷にあっては他郷のごとく見直してみる
とよい。」でした。

 これについて、さらに「私は俳句を風土の詩とするが、風土と漂白はこれ表裏皮膜のものです、芭蕉晩年の旅の諸相はこの表裏皮膜の展開にあったのではないか」と言う。そして芭蕉の「秋深き隣は何をする人ぞ」の句をとりあげ、旅中にあって定住の思いを述べ、自然界に身をゆだねて人のいとしさからのがれ得ぬ凡俗の憂いを言い止めていると結んでいます。

 難しくて判らぬ面もあるのですが、そんなもんだよなあとも思いました。
       
         
 
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句との出会い  遅足

2006年06月25日 | Weblog

先日、八事福祉会館の俳句教室に行ってきました。
40人ほどの方の句が次々に紹介され、先生の講評がありました。
いくつかの句が心に残りました。

 窓開けて五月の風の中にゐる  臼井薫子

   窓を開けるという小さな動作をうまく捉えていますね。
   五月の風の中にゐる、と表現したことによって
   狭い部屋のなかにいた私が、広々とした青空の下に、
   すっとワープしていったように感じられます。

 どくだみの不器用に咲く白が好き 加藤年子

   不器用に咲く、この表現が個性的ですね。
   ドクダミは決して不器用に咲いているのではないでしょうが、
   そう詠むことによって、作者の心情が伝わってきます。

 相寄りし御魂の別れ絵燈籠 中嶋英子

   燈籠流し。一年に一度、魂が此の世に戻ってくる。
   そして帰っていく。
   魂をのせた燈籠のひとつが、別の燈籠にふと、
   寄り添い、また別れていく。
   たましい同士の恋なんでしょうか?
   この読みはちょっと違っているかも知れませんが・・・
   

私の句は

 とほくまで行く日傘なり妣の国

   妣は亡くなった母のこと。俳句の世界で母を殺してしまいました。
   ごめんなさい。

 とほくまで行く日傘なり母の国  遅足

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梅雨寒や二千六年六百年  朱露

2006年06月24日 | Weblog

高一の日本史で、酷い目に会った。
縄文時代の授業で質問はと言われ、
縄文人は何語ですか、と聞いたら、
「真面目にやれ」、と怒鳴られた。


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鬼さんこちら               鳥野

2006年06月23日 | Weblog
 牛のような角、鋭い牙、虎の皮の褌、目はらんらん、醜悪の塊のような鬼。
 そうはいうものの、どこかユーモラスで可愛ゆく、ときには悲哀さえ感じます。
 さて俳句界の鬼は季語に「追儺}がある程度で肩身の狭い存在。せめて、著名な俳人の俳号に見えるのが救いです。
 
 京都府大江町は酒呑童子の故郷、その町はずれに「日本の鬼交流館」があります。その仕立ては面白く、鬼と共棲みしてきた里人はみな暖かくいたるところ鬼だらけ。

   大江の里は人みな温かし千年を鬼の悲愛と共に棲み来て

   酒呑童子の旨酒に酔う大江の夜鬼よ訪ひ来よ連れ立ち行かな

        
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テレビ塔  麗

2006年06月22日 | Weblog
新聞に
「名古屋のランドマーク、テレビ塔の4階にレストランがオープン。
公共施設のリノベーションを目指す店作り。民間とのコラボレーション。。。」
との記事。新聞にも外来語が増えました。
ちなみにリノベーションとは「改革、修理」という意味です。
氾濫する外来語。新しさはあるけれどわかりにくいのが難ですね。

新しくなったテレビ塔。行ってみようかな?
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夏至

2006年06月21日 | Weblog

今日は夏至。
一年で一番、昼の長い日。
逆にいうと夜の短い日。

北回帰線という言葉を思い出しました。
北緯23度27分、ここまで来た太陽が回帰していく。
気温より太陽の光を重視しているヨ-ロッパのほうが
夏至に関心が高いそうです。


夏至の句をいくつか。

 夏至今日と思ひつつ書を閉ぢにけり 高浜虚子

今日夏至と・・・では、俳句にならない。
ひっくり返すことで一句に。さすが虚子ですね。


 飯食ひに出て肩濡るる夏至の雨 草間時彦

サラリーマンが昼食に出て夏至の雨に打たれる。
そんな体験もあったような気がします。


 地下鉄にかすかな峠ありて夏至 正木ゆう子

今日は夏至、昨日や明日とほとんど変らない。
でも、かすかに違う感じがする。
そんな感覚を地下鉄のかすかな峠に感じている。
いかにも現代人の実感でしょうか。


写真は京都・丹波の琴滝。
高さ40メートルの一枚岩にかかる滝です。
あちらでは有名らしく映画のロケなども行われるそうです。

                遅足



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芭蕉庵桔梗の花は喰われけり  遅足

2006年06月20日 | Weblog
先日、京都の北、一乗寺にある金福寺を訪ねました。
蕪村のお墓があるとのことでしたので。

最初に目に入ったのが芭蕉庵でした。
説明によると、芭蕉は、この寺の鉄舟和尚と親交があり、
しばしば訪れており、芭蕉庵という庵もあったそうです。
その後、荒廃していた庵を再興したのが与謝蕪村。
蕪村は、ここで一門の句会を開いていたそうです。
(写真は再興された芭蕉庵です。)

金福寺での芭蕉の句

  憂き我をさびしがらせよ閑古鳥

蕪村の句

  我も死して碑に辺(ほとり)せむ枯尾花

この句の通り、芭蕉庵の裏には蕪村のお墓がありました。

高浜虚子も訪れて一句

  徂(ゆ)く春や京を一目の墓どころ


さて私の句ですが、何者かが庭の桔梗の花を食べてしまったそうです。
犯人は?


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「選は創作なり」だって          愚足      

2006年06月19日 | Weblog
 俳句上達の極意について飯田龍太氏は、その第一に「365日休まず一日一句書き留めるべし」と述べていました。
 ところが それだけでは不十分で、作った句の中から誰にも相談せず一句を選び出すことこそ大切であり、余程の思い切りがないと出来ない事だといっています。
 そして「選は創作なり」という虚子の言葉を引用し、自選の是非がその人の句の将来を決定するとまで言い、そうした厳しい姿勢がなければ永久に自分自身の句とはなるまいと結んでいます。

 当方は一日一句も夢なので、遠い世界の話なのですが、句会に出す句には少しばかり悩みます。
              
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蛍クイズ               愚

2006年06月19日 | Weblog
 蛍で苦労しています。
 さて下の句は、誰の蛍籠の蛍でしょうか? それぞれ芭蕉・蕪村・一茶の籠から逃げました。(ヒント 蛍は三匹ずつです。)

  ① 又一つ川を越せやととぶ蛍   一茶
  ② よど舟の棹の雫もほたる哉   蕪村
  ③ 蛍火の昼は消えつつ柱かな  芭蕉
  ④ 蕗の葉に引つつんでも蛍哉  一茶
  ⑤ 蛍火に殊にうれしき家居哉    蕪村
  ⑥ 昼見れば首筋赤きほたる哉   芭蕉
  ⑦ 舟引きの足にからまる蛍哉  一茶
  ⑧ さし汐に雨の細江のほたる哉   蕪村
  ⑨ 愚にくらく棘をつかむ蛍哉    芭蕉
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俳句の分類  ②

2006年06月18日 | Weblog
残る2つの分類は次の通りです。

④ 暗喩主義的発展
個人の思想・感性を暗喩に託して凝縮的な表現を追及する。
新興俳句運動の中から生れる。フランスの詩などの影響を受けている。

 蝶堕ちて大音響の結氷期 富沢赤黄男

 銀行員朝から蛍光す烏賊のごとく 金子兜太

 死も恋もなしハードルの刃に冬蝶 大沼正明

⑤ コスモロジー的発展
個人や人間という枠を超え、宇宙のすべての存在に共通する
根源的なありかたを追求。
永田耕衣から始まる。

 夢の世に葱を作りて寂しさよ 永田耕衣

 一満月一韃靼の一楕円 加藤郁乎

 ひるすぎの小屋を壊せばみなすすき 安井浩司


夏石番矢氏が自らをこの系譜のなかに位置づけています。

 天ハ固体ナリ山頂ノ蟻ノ全滅 夏石番矢

俳句という世界も様々。
それに一人の作者が、こうした多様な傾向を持っているわけですから、
自分の好きな作者に出会うチャンスは高いのではないでしょうか。

                    遅足
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俳句発展の分類  ①

2006年06月17日 | Weblog
   
俳句といっても、実にさまざま。
全体像の俯瞰できる本はあまりないようです。
俳人の夏石番矢氏は「早わかり・現代俳句マニュアル」のなかで、
正岡子規の俳句革新のあと、20世紀に入って、
俳句の発展を、5つの方向に分類していましたので紹介します。

① 心理主義的発展
個人の自由な感性と心理を俳句の中心とするもの。
自由律の句が出発点になったとして、次のような句をあげています。

うすものを着てそなたの他人らしいこと 中塚一碧楼

たった一人になって夕立  尾崎放哉

恋ふたつレモンはうまく切れません 松本恭子

② 社会批評的発展
プロレタリア俳句の登場。

 君よそうや元日から税金がまだ払えない話は 橋本夢道

 浮浪児昼寝す「なんでもいいやい知らねえやい」 中村草田男

 では、後から前から三菱銀行あそび  江里昭彦
 
③ 自然諷詠的発展
19世紀からの伝統に立った高浜虚子を中心とした流れ。主流。

 流れ行く大根の葉の速さかな 高浜虚子

 天心の小さき月の錐を揉む 川端茅舎

 ふるさとの雪に我ある大炉かな 飯田蛇笏


(写真は梅花藻です。滋賀県の醒ヶ井で撮影したものです。)

                  遅足



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