575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

女正月白玉団子の柔らかく  麗子

2019年01月31日 | Weblog
今日1月31日は「晦日正月」というそうです。
地方によってはお正月の最後の日として祝うところも。明日からは2月ですね。早い早い!

タイトルの句は今年の初句会に出したもの。
お正月が終わってなんだか脱力していたら、尊敬するパン教室の先生からランチのお招き。
手作りのパンとロールキャベツとホタテ入りマリネサラダ。

それだけでも感激なのに、最後にデザートとして白玉団子の入ったお汁粉を出して下さったのです。
それも白玉粉に水を混ぜたのではなく、なんと白玉粉にお豆腐を混ぜて作られたそうです。ほんのり香るお豆腐の味の白玉。ふわふわで本当にやさしいお団子でした。


そういえば、母がまだ元気な頃、お花見の時期によくお汁粉を作ってくれました。
母曰く、「白玉団子は最後の最後までボールにくっつかず、潔いところが好き」と言っていました。

孫たちも母のこの白玉入りお汁粉が大好きで「ばあばのお汁粉、また食べたいな~」と言っています。
もう、作ることは出来なくなってしまいましたが、今度は私がこのお豆腐入り白玉を両親に食べさせてあげたいです。栄養もあるし、なんといっても柔らかいのです。

白玉が夏の季語とは知りませんでしたが、白玉団子は母の味。ふくよかで柔らかい母の耳たぶを思い出します。麗
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日章旗ついに見かけぬお元日  静荷

2019年01月30日 | Weblog

たしかに日章旗を玄関先に掲げる家は見かけませんね。
注連飾りの方は、少なくなってきましたが、
まだまだ健在ですね、と佐保子さん。

明治以降に外国を意識して登場した日章旗。
いつ頃から家々の玄関に掲げられるようになったのでしょう?
その日章旗の掲揚が禁止されたのが昭和20年。
敗戦のためで、昭和24年まで続いたそうです。
解禁以後は、日本中に日章旗が復活。
お正月に日の丸を掲げるのは当然のこととされてきました。

それからおよそ70年。平成もまもなく終る今。
殆どの家からお正月の日章旗が消えてしまったのです。
いまや日の丸はサッカーの応援グッズのひとつ。
いったい日本人のなにが変わったのでしょう?

日章旗は、日本の伝統的な行事ではなく、
近代以降の国家意識と密接な関係があるようですね。遅足

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右往左往大吉求め初みくじ  すみ

2019年01月29日 | Weblog


初詣。凶のおみくじを引いてしまった息子さん。
縁起直しに、あちこち神社をはしご。
ついに大吉を引きました、と作者。

おみくじの7割は、山口県にある女子道社で作られているとか。
大凶が多い寺社もあれば、大吉が多い寺社もあるそうです。
凶が多いのが東京の浅草寺。
昔からの割合を守っているからといわれています。
凶の割合は3割だそうです。

  凶みくじ引くうそ寒の浅草寺  浅倉君子

凶をひいたこともありますね。大吉も。
でも特別、悪いコトやいいことがあった記憶はありません。
神様もあまりに願い事をする人が多くて、
全員には目が届かないんじゃないかな??    遅足




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火のなかにひらくヒナギク若草の山の眠りを覚ます北風  遅足

2019年01月28日 | Weblog
奈良・若草山の山焼きを初めて見に行きました。
何百年も続く山焼きです。
何度も禁止令が出たにもかかわらず、
絶えることなく続いてきたそうです。
山頂にある古墳の埋葬者の鎮魂が目的とされています。

日が暮れて暗くなると、花火があがり、いよいよ山焼き。
火の手があちこちから上がり・・・さあ、いよいよ山は火の海。

一旦消えたかに見えた火は、強い風に立ち上がり、大きく燃えひろがります。
山焼きを行うためには、鹿が火に巻かれないように追い払うなど
準備委から、山焼き、消火まで大変な苦労があります。

PR写真から与えられた全山火の山、というイメージを期待。
ホンネををいうと、火の山にはほど遠い燃え方でした。
ちょっとガッカリ。高見の見物をしての勝手な感想。ゴメンナサイ。

この日は大寒波。寒い寒い風のなか、皆さん、ご苦労様でした。
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山形一泊の旅 ~ 北前船 若狭ー酒田ー大阪 ~ 竹中敬一

2019年01月26日 | Weblog

前回に続いて、北前船の船頭 、川渡甚太夫の一代記を通じて、若狭と

酒田の関係についてお伝えします。

甚太夫は前回と同じ伊勢丸の船頭として、翌年の嘉永 3年 ( 1850 )

若狭の久々子 ( くぐし)から酒田へ航海した後、今度は酒田から出雲

など日本海沿岸を通って下関から瀬戸内海を経て大阪に至るいわゆる

西廻り航海を約3ヶ月かけて航海しています。


嘉永3年3月29日 伊勢丸は福井県三方上中郡若狭町の久々子の港を出帆 。

今回は割合、順調で、敦賀・三国・加賀・能登・佐渡を経て4月5日 酒田

港に入っています。

4月11日には出帆予定だったが海が荒れて出帆できないでいたら、庄内の

女郎衆が客引きに来た。

13日になっても天候が良くないので、酒田の氏神へ参り、お祈りをした。

酒田市立資料館の話では、「酒田の氏神 」は、港の入り口に近い

皇大神社のことだろうということでした。

14日は嵐だったが、酒田港を出帆しようとすると、「 問屋のかか ( 母 ) も

子も名残りおしげに見送りに来る 」


「 勤する身は 色里の花の嫁 なさけでつなぐ船のともづな 」


「 板子一枚 下 地獄 」の危ない世界で女性は乗せない職業ではあるけれど、

なじみの廻船問屋の母子が別れを惜しんで、こうやって見送りに来てくれると

船のともづなを引くように、つい情けにひかれることよ という程の意味でしょうか。

4月14日 「 飛嶋 に入船 」とあります。

飛島は酒田港の沖合いに浮かぶ小島。

「 ブラタモリ 」 でも島の東側は天然の港になっていると伝えていました。

江戸時代には北前船の潮待ち港になっていたようです。

甚太夫らは、3日 待っても出帆できないので、飛島の氏神様にお参りして

います。

飛島には延喜式 ( 967 施行 ) の神名帳に出てくる小物忌 ( おものみ ) 神社

があります。

願いが叶ったのか、18日 北風になり出帆。


「 神風の吹ばつづけと又祈る 我身ながらも浅間敷 者 」


この後は佐渡、能登半島から隠岐の島 、出雲 、下関を経て瀬戸内海を通り、

6月2日大阪に入っています。


川渡甚太夫はその後、若狭小浜藩の御用船の船頭を務めましたが、順風

満帆とはいかず、晩年には新造船が座礁して破船。

全財産を失い、失意のうちに明治5年 ( 1872 ) 66歳で亡くなっています。



写真は山形県酒田市にある日和山公園の池に浮かぶ北前船 ( 2分の1の復元 )
筆者 撮影 ( 昨年 10月28日 )

          

太平洋側は晴れでも日本海側は雪。風任せの航海は命がけですね。
現代人より神仏をたのむ気持ちは強かったでしょうね。
千石船の帆柱の下には、船神さまが安置されていたと聞いています。遅足




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新年句会の結果です。   遅足

2019年01月25日 | Weblog
2019年最初の句会。題詠は「新年」のさまざまな季語が登場。
ご覧のような結果となりました。

題詠
①右往左往大吉求め初みくじ(すみ)
②日章旗ついに見かけぬお元日(静荷)佐保子・幸泉・亜子・遅足
③新年にふるさとの味氷頭なます(幸泉)結宇・狗子
④鼻にのる眼鏡さがして初笑ひ(亜子)能登・晴代・千香子・静荷
⑤追羽根や加古のだるまの7冊目(千香子)佐保子・能登・狗子・遅足
⑥亡き母の黴こそげ居る小正月(能登)
⑦ふるさとの左義長の日や黒き餅(佐保子)結宇・千香子
⑧乗初やスマホはなさぬ晴れ衣(晴代)等・静荷
⑨初夢や回転木馬無音にて(結宇)能登・殿・遅足・麗子・等・郁子
⑩火の粉避けとん汁を待つどんど焼き(郁子)幸泉・すみ
⑪腰のばし結ぶ老爺の初御籤(等)結宇・すみ・亜子・郁子
⑫女正月白玉団子の柔らかく(麗子)幸泉・殿・千香子・郁子
⑬一人見る水平線の初日没(狗子)すみ・麗子・亜子
⑭初稽古父の淹れた茶柱立つ(殿)狗子・麗子
⑮化粧濃きひとのまず買ふ懸想文(遅足)佐保子・殿・晴代・等・静荷

自由題
①めでたいとやからにぎわう冬座敷(晴代)狗子・等・静荷
②A型の我が家訪問寒の入(能登)狗子・麗子・亜子・郁子
③タイ焼きのバリを剥がれて日向ぼこ(結宇)能登・すみ
④掛軸のやや暗くなり日脚伸ぶ(狗子)晴代・等・亜子
⑤適温に揺れて湯豆腐眠き味(郁子)佐保子・結宇・幸泉・殿・狗子
⑥大白鳥羽搏けるとき小鼓の音(等)幸泉・遅足・郁子
⑦子らの声朝を感じる新学期(幸泉)
⑧寒鯉のぬるりと動く水際を(麗子)能登・幸泉・殿・千香子・静荷
⑨咳く人を遠目に眺め明日思う(すみ)
⑩草紙洗(さうしあらひ)といふ名の椿まだ咲かず(佐保子)殿・遅足・千香子
⑪初あかり小さき古墳を抱く街に(亜子)すみ・遅足・麗子・晴代
⑫羚羊や搭乗待ちし自閉児ら(千香子)佐保子・麗子
⑬若き眉描くおとこの初鏡(遅足)結宇・すみ・晴代・等・千香子・亜子・郁子
⑭朝錬の声高らかに寒土用(静荷)佐保子
⑮冬の月ドビュッシー聴く無重力(殿)結宇・能登・静荷

次回は2月20日(水)午後1時20分。第3水曜日に戻ります。
場所は、愛知芸文センター12階C会議室。
題詠は「春寒」または「牡丹の芽」です。

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新年らしい初句会   麗

2019年01月24日 | Weblog

平成最後の初句会。お風邪で狗子さんはお休みでしたが、8名の参加でにぎやかに。晴代さんがお菓子を差し入れてくださりおいしいコーヒータイムとなりました。新年にふさわしい楽しい句会。さまざまな新年の様子がうかがえました。では今年最初の一言講評です。

題詠

①右往左往大吉求め初みくじ

おみくじで「凶」を引いてしまった作者の息子さん。なんとか大吉を求めていろんな神社へ。「凶」の日はさようなら♪です!

②日章旗ついに見かけぬお元日

「お元日」という懐かしい言葉。日の丸をかかげるお家も少なくなりました。発見の句。ドラマ「まんぷく」の昭和32年のお正月風景はどこの家も日の丸を掲げているセットでしたね。

③新年にふるさとの味氷頭なます

鮭の頭の軟骨を「氷頭」(ひず)というそうです。ご主人のふるさと新潟の味のようです。

④鼻にのる眼鏡さがして初笑ひ

頭の上に乗せた眼鏡を探すのはよくあること。まさか鼻の上にあっても探すとは!!お正月なら笑って許せますね。

⑤追羽根や加古のだるまの7冊目

去年亡くなった絵本作家の加古さとしさんの「だるまちゃん」シリーズ。お正月、お孫さんのために読み聞かせをしてあげたそうです。「加古のだるま」を地名と思った方も。


⑥亡き母の黴こそげ居る小正月

もったいない精神の昭和一桁世代。おもちの黴もへっちゃらでした。黴びないように水につける「水もち」の話も飛び出しました。

⑦ふるさとの左義長の日や黒き餅

こちらは黒こげのお餅。左義長の一場面ですね。

⑧乗初やスマホはなさぬ晴れ衣

晴れ着を着ても決して手離さないスマホ。電車の中でも一列皆スマホ。作者はこの風景を嘆かわしいと思い詠まれました。

⑨初夢や回転木馬無音にて

初夢に回転木馬。しかし、無音。サイレント映画のようとのコメントもあり。トップ賞おめでとうございます!!新境地開拓でしょうか?

⑩火の粉避けとん汁を待つどんど焼き

これも左義長の一場面。ダウンコートに火の粉が飛んできて危ない、危ない。

⑪腰のばし結ぶ老爺の初御籤

いくつになっても何かを期待して、おみくじを引きたいもの。腰は曲がっていてもその時だけはしゃんと伸びます。人生の一場面を具体的に写生されました。

⑫女正月白玉団子の柔らかく

忙しいお正月が終わってようやく女正月。白玉団子のおしるこを友人宅で頂きました。「白玉」が夏の季語とはつゆ知らず。

⑬一人見る水平線の初日没

にぎやかなお正月に一人、水平線に沈む夕日を見る。おめでたい中にも凛とした決意が感じられます。下五の読み方を「初日入る」か「初入り日」の方がいいのでは?という声がありました。

⑭初稽古父の淹れた茶柱立つ

どんなお稽古でしょうか?和物のような気がしました。「柱立つ」と分けて読んでいいのですね?

⑮化粧濃きひとのまず買ふ懸想文

絶滅季語に入れられる「懸想文」(けそうぶみ)。節分の頃、京都の須賀神社で売られるそうです。良縁を求む舞妓さんでしょうか? 使ったことのない季語に挑戦した作者はチャレンジャーです。

いかがでしたでしょうか?いろんなお正月、新年がありましたが、もうすぐ2月です。来月は「春寒」あるいは「牡丹の芽」がお題となりました。
2月20日水曜日です。来月もよろしくお願いいたします。麗子
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新年句会の投句が集まりました。   遅足

2019年01月23日 | Weblog
新しい方が一人加わり、題詠も15句です。
さまざまな「新年」が詠まれています。
どの新年に春風が集まるのでしょうか?


題詠

①右往左往大吉求め初みくじ
②日章旗ついに見かけぬお元日
③新年にふるさとの味氷頭なます
④鼻にのる眼鏡さがして初笑ひ
⑤追羽根や加古のだるまの7冊目
⑥亡き母の黴こそげ居る小正月
⑦ふるさとの左義長の日や黒き餅
⑧乗初やスマホはなさぬ晴れ衣
⑨初夢や回転木馬無音にて
⑩火の粉避けとん汁を待つどんど焼き
⑪腰のばし結ぶ老爺の初御籤
⑫女正月白玉団子の柔らかく
⑬一人見る水平線の初日没
⑭初稽古父の淹れた茶柱立つ
⑮化粧濃きひとのまず買ふ懸想文


自由題

①めでたいとやからにぎわう冬座敷
②A型の我が家訪問寒の入
③タイ焼きのバリを剥がれて日向ぼこ
④掛軸のやや暗くなり日脚伸ぶ
⑤適温に揺れて湯豆腐眠き味
⑥大白鳥羽搏けるとき小鼓の音
⑦子らの声朝を感じる新学期
⑧寒鯉のぬるりと動く水際を
⑨咳く人を遠目に眺め明日思う
⑩草紙洗(さうしあらひ)といふ名の椿まだ咲かず
⑪初あかり小さき古墳を抱く街に
⑫羚羊や搭乗待ちし自閉児ら
⑬若き眉描くおとこの初鏡
⑭朝錬の声高らかに寒土用
⑮冬の月ドビュッシー聴く無重力


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2019 中日歌壇

2019年01月22日 | Weblog
宗匠、新年第一弾の歌はこちらです!


裸木は全神経を枝先にあつめて斧の痛みに耐える



小島ゆかり選
 事情があって伐られるのだろうか。それとも枝を払われるのだろうか
 「全神経を枝先にあつめて」が心底、痛々しい。
 裸木の痛みをまるで自分の痛みのように感じる、その作者の現実にも
 思いが及ぶ。

宗匠のやさしさ、鋭敏な感性が集約されている素晴らしい歌です。
ゆかり先生の講評の的確さにも脱帽です。

ブログでご紹介するのが遅れてしまいました。
私の神経は散漫のキワミです。。。悲
郁子
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初謡子方(こかた)の声をまっすぐに  遅足

2019年01月22日 | Weblog

今年の初謡は「草子洗」(そうしあらい)。草子とは本のこと。
シテは小野小町。ワキは大伴黒主。舞台は宮中の歌合せの会場。
小町との歌合せに勝つため、黒主は小町の歌を盗み聞き、一計を案じます。

さて、当日、進行係の紀貫之が小町の歌を読み上げます。
天皇が「この歌にまさる歌はよもあらじ」と褒めます。
すかさず黒主は、万葉集にある古歌で盗作だと言います。

そして、証拠として出された草子を洗うと・・・。

私の謡ったのは天皇の役。能では子方といって子供が演じます。
なぜ、子方が演ずるのでしょうね?
大人では不都合なことがあったのでしょうか。
昔は子どもは神様に近い存在とされていたからでしょうか?

奥さんは紀貫之の役でした。

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大寒の身をしずめたる余命の湯  遅足

2019年01月20日 | Weblog

今日は大寒。
大寒は一日だけではありません。
今日から立春の2月4日の前日までのおよそ2週間をも指します。
暦の上だけでなく体感的にも一番寒い時です。

昨日今日と、センター試験の行われるのもこの大寒の頃。
今日は理科と数学。
名古屋大学の地下鉄の出入り口には応援の方たちの姿も。
受験生のみなさん頑張って下さい。

私の頃は一発勝負でした。名古屋城内に試験場がありました。
時間前に行ったのに、受験生の姿はなく少し慌てました。
もう皆、試験場に入って待っていたのですが・・・


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山形一泊の旅 ~ 北前船 酒田 - 若狭 ~ 竹中敬一

2019年01月19日 | Weblog

私の故郷、若狭と酒田など東北地方との関係は、福井県小浜市田烏

( たがらす )の秦家に伝わる文書に出てきます。

鎌倉時代、すでに廻船業で日本海交易に深く関わってたことが書かれ

ています。

しかし、その実体はとなると、わかっていませんでしたが、最近、

北前船の船頭が書き残した一代記と航海日記があることを知りました。

船頭の名前を川渡甚太夫 ( かわとうじんだゆう )といいます。

この一代記は現在、子孫の方が所有していますが、この原文を訳した師岡

佑行著「 北前船頭の幕末自叙伝 」(柏書房 1981 刊 )を愛知県図書館で

借りてきました。この本をもとに、甚太夫の履歴を紹介してみます。



川渡甚太夫は三方五湖のある福井県三方上中郡若狭町の久々子 ( くぐし )の

農家の生まれ。文化4年 ( 1807 )のことです。

商才に長けていたようで、三方五湖で獲れた鰻を生きたまま若狭街道を

利用して京都の料亭に運び、これが当たって大儲けします。

その資金をもとに、今度は廻船業に手を出し 、北前船 ( 若狭では千石船

という )の船頭として、弘化3年 ( 1846 ) 敦賀、酒田間を往復。

酒田で特産のベニ花を扱う仲間に入れてもらって以後 、若狭の久々子

から能登半島、佐渡、新潟を経て酒田との間を往復。

更には、出雲、下関から瀬戸内海を経て大阪に至るコースを何回も往復

しています。


一代記では寄港先で出会った女郎の話や、廻船業で財をなし京都の祇園で

どんちゃん騒ぎをしたこと、廻船業の仲間の親孝行話などが " 浮世噺 "

風に綴られいます。

それはそれで、面白いのですが、資料的価値を薄めているように私には

思えます。

「 海上日記 」 の方も随所に浮世噺や歌を載せていますが、航海の日付け

寄港地が記されていて、参考になります。

川渡甚太夫 所有の伊勢丸 (二百石 ) 「 海上日記 」 抜粋 意訳


嘉永2年 ( 1849 ) 4月3日 久々子の港を出帆 。風が強いため戻る。

それから15日間も 出港待ち。やっと19日 再出港。

4月21日 能登半島の輪島港 、24日 輪島港を出るも風で戻され、能登の

福浦 、25日 佐渡沖 26日 新潟港に入る

27日 酒田川湊に到着。その嬉しさを次のように記しています。

「下り風にて酒田湊え入津して下り荷物売上し うれしさに、

積下る荷物を引き上ゲて 問屋問屋の店のにぎわひ 」

5月12日 酒田を出帆 。16日 佐渡の小木港に入る。19日 小木港 出帆 。

能登の福浦沖から23日には加賀の本吉港に入る。6月2日 本吉港 出帆。

6月4日 敦賀港に入る。

この後 、郷里の久々子へ帰るが日付けは記されていない。

この場合、若狭と酒田の間 往復 約二ヶ月の航海ということになります。


今回は酒田滞在中のことは記されていませんでしたが、翌年の嘉永3年

の航海では、酒田での行動記録が出てきますので、次回 お伝えします。


写真は山形県酒田市の酒田市立資料館に展示されている北前船の模型と
若狭から酒田まで北前船が寄港したルート図 ( 手製 )

            

この時代、天気予報はあてにならず、航海は命がけでした。
太平洋側も江戸と大坂の間を多くの船が行き来していましたが、
遭難した船のなかには、太平洋を漂流する悲劇が待っていました。
それだけに天気に恵まれ、商売も上手くいった時の喜びは大きかったでしょうね。
                            (遅足)









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ケータイに寒中見舞いということも  遅足

2019年01月18日 | Weblog
夕方ちかくの電話。なんとIさん。一年振りかな。
今、玄関の由来を調べていて、遅足さんを思い出しました、とのこと。

玄関の語源は、中国『老子』の「玄の又玄なる衆の妙なる門」から。
日本では鎌倉時代に禅宗で用いられた言葉。
「玄」は奥が深い悟りの境地を意味し、「関」は入り口のことで、
玄関は玄妙な道に入る関門、つまり奥深い仏道への入り口の意味。

Iさんは名古屋市の市役所勤。最後は名古屋城の勤務。
本丸御殿の完成直前に退職。職人さんの世界に詳しい人です。
暖かくなったらお会いしましょう、と電話を切ってから気付きました。
この電話は「寒中見舞い」なんだと。

ひさしぶりの声。懐かしい顔が浮かんできました。
お元気そうでなによりです。ありがとうございました。


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あの日から24年   麗

2019年01月17日 | Weblog
阪神淡路大震災から今日で24年。今年も早朝に目を覚ましました。毎年震災の起きた5時46分に神戸に向かって手を合わせます。

24年前、私は夫とアメリカで暮らしていました。在米の日本人の友人から関西でものすごい地震が起きたみたいと電話がありました。
すぐに国際電話。しかし繋がらず。半日してようやく無事がわかりました。

兄の住む11階のマンションは真っ暗闇の中、全ての家具が倒れ、ピアノだけが、10㎝くらい何度もバウンドしていたそうです。マンションが折れると思ったそうです。
早朝、兄の教え子で新聞配達をしていた中学生は、大阪の茨木市で道路に青い光が走るのをみたそうです。
断層のずれが光りとなって道を横断したのです。

幸い大きなけがもなく安堵したのですが、あの経験を忘れることはないと言っていました。それから23年後、兄一家は大阪北部地震でまたしても被災しました。
人生で2回も大地震を経験したのです。

大切な人を亡くした人の悲しみが癒えることはないと思います。今後またいつ何時地震が起きるかわかりません。改めてあの震災で命がけで学んだことを私たちは無駄にせず、地震に備えて生活しなければならないと思いました。

       鎮魂の木蓮の花植えられし  麗
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新年句会が近づいてきました。  遅足

2019年01月16日 | Weblog

今回の題詠は「新年」です。
歳時記の「新年」にふくまれる季語はすべてOKです。
新年・初春・正月・初明り・初詣など・・・。
詠んだことのない季語に挑戦してみて下さい。

昨日に続いて選句の話を。
プレバトの夏井いつき先生は選句について。

選句作業は、集中力の持久走。
自分が俳句を作る10倍の忍耐力を要しますが、
自分の脳を悦ばせてくれる一句にめぐりあった瞬間の快感が、
この作業の原動力なのです。

私の脳を悦ばせてくれる句はどれも必ず、
「想定外のオリジナリティー」と
「想定外のリアリティー」を合わせ持っています。
大量の投句の山から、この二つの条件に見合ったものを探し出し、
その条件をクリアした作品の中の、さらなるベスト一句。
これが「最後の一句」の条件です。

「想定外」とは「類想」の正反対。
二つの条件を備えるには、高度な表現力が必要。

  凍蠅よ生産性の我にあるや

冬麗戦での東国原さんの句はまさに最後の一句と思います。



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