575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

ああ食欲の秋~ワニのしゃぶしゃぶ~  竹中敬一

2016年09月30日 | Weblog
私は今年の9月より、病院の先生からの指導で腎臓食になりました。
運動を兼ねて、私は時々、デパートへ出かけるのを楽しみにしてますが、
食品売場へ行ってみますと、初物の栗きんとんを見かけました。
毎年、買っているのに、あゝ、これももう食べられないのかと思って
ため息をついていた途端、初めて、俳句とも川柳ともつかない迷句が浮かびました。

  初物の栗きんとんも禁じられ

戦後の食糧難を経験した私たちの世代は、総じて、食べることには貪欲です。
私も仕事で随分あちこち行きましたが、どこでも、何を食べても美味しく頂きました。
この写真は中国寧夏回族自治区の区都、銀川で撮ったものです。
ホテルのレストランも漢民族と回族と食べる場所がわかれています。
中華料理を食べれば無難ですが、思い切って回族の方へ入ってみました。
おそるおそる食べてみたのですが、これがなかなかどうして、とても美味でした。
銀川は宋時代、西夏の都だった所です。

30年ほど前、タイへ行った時のメモより。

バンコクから北部のチエンマイへ行く途中、村一番のホテルと言っても、木賃宿での事。
「夕方、ホテルのロビーには、パーティーでもあるのか、沢山の人でいっぱい。
村に一台しかないテレビを見に来ている人たちだということがわかった。」

「街道沿いの草ぶきの食堂で昼食。カエル、トカゲ、野菜スープなど。
強いスコール。雨漏りのする所で食べる。」
別の食堂では、ワニのしゃぶしゃぶを食べました。
硬い皮のまま、ぶつ切りを熱湯に通してから食べるのですが、
スルメを嚙むように、皮をしゃぶっていると、淡白なおいしい味が出てきます。
食べ物の思い出は尽きることがありません。

美味しい食べ物が出回るこの秋に、糖分、蛋白質、塩分など厳しく制限されて…
食べ物への恨み節は当分、続きそうです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりの    麗

2016年09月29日 | Weblog
昨日久しぶりに中日劇場でお芝居を観てきました。
井上ひさし作「頭痛肩こり樋口一葉」です。

明治時代、家を守るために戸主として懸命に生きた一葉。舞台は、地獄の釜の蓋が開くというお盆に繰り広げられる一葉の借家です。その部屋には仏壇があり、お参りに訪れる女たち。
6人の女優が時代や家庭の事情に翻弄されながら生きる明治の女たちを演じます。

一葉は永作博美。
頭痛とともになぜか幽霊が見えます。生前は遊女だったという「花蛍」(若村真由美)とのやりとりがおかしくて笑えます。
最後のシーンでは自分と先祖とのつながりを感じられて、若村さんいわく、死ぬのが怖くなくなる舞台です。

一葉家族の生き方を通してあの世とこの世が交錯します。
見終わってとても暖かい気持ちになって劇場をあとにする時、中日ビルの一階にテレビの取材クルーが来ていました。何かな?と思っていたら、18年の3月で中日劇場が営業を終了するとのことでした。
1966年にオープンしたということは50年です。確かに椅子も狭くて快適とは言えません。楽屋なども古くなっていることでしょう。
次は新しくなった劇場でまたお芝居をみたいです。

ちなみにこの「頭痛肩こり樋口一葉」は、明日金曜日までやっていますよ。もしお時間あればぜひ!!

       劇場を出て暖かき雨が降る  麗
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

折り合いをつけて9月の風の中   郁子

2016年09月28日 | Weblog
世の中、思うようにはコトが進んでくれません。
さまざまな折り合いをつけていく。それが大人への第一歩。
夏の間に起ったトラブルでしょうか。
時は最良の治療薬とか、わだかまりも次第に溶けてきます。

九月の声を聞くと、なんとか心の折り合いがつきました。
外出した作者は風の中に身を置いています。
空も青く、風も気持ちのよい九月。季語がよく機能しています。
9月ではなく九月と漢数字のほうが良いという意見も。

競馬でも「折り合い」という言い方があるそうです。
馬が騎手の指示に従って走っている場合は「折り合いがつく」
反対にスピードを上げたがることを「折り合いを欠く」と。
レースに慣れていない馬はスピードを出して走るたがるとか。
こうなるとゴールまでペースがもたないので、
騎手は手綱を引いて減速しようとしますが、
馬が言う事を聞かない場合が「折り合いがつかない」
結局、馬がへろへろになって最後には負けてしまうそうです。

同じ作者の自由題。

  天球を回し宇宙へ虫すだく

「宇宙へ」が必要かどうか?で意見が分かれました。
私は不要論。

  天球を回して虫のすだくなり

これで良いと思いますが・・・?  遅足

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風の色青みを帯びる九月かな   能登

2016年09月27日 | Weblog
季節や風には色が感じられるようです。
秋は白。北原白秋の名は、これにちなんでいます。
作者は、秋の風に「青み」を感じ取っています。
空が青みを増してゆき、風が青みを増すと感じたという方も。
感覚を色で捉えた句です。

作者の自由題の句。

  露草や珊瑚の海の滴かな

露草は、珊瑚の海の青から生まれた、という感性の鋭さ。
青とは書かれていませんが、露草は青。珊瑚の海も青。
作者の「青」へのこだわりが感じられます。

露草を海の青を結び付けてみました。

  露草の一滴珊瑚の海の青

17文字という容器では意図が通じにくいようです。
もう14文字必要なのかも・・・

写真は沖縄の海。外洋は深い青です。 遅足

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の風高層ビルを縫い駆ける   すみ

2016年09月26日 | Weblog
空の小さく狭い高層ビルの街にも秋はやってきます。
風が秋を知らせてくれます。私も風も足早に。
現代の景を詠んだこの句、下五の表現に物足りなさが。

では、どうしたら良いのか?
推敲の段階で行き詰まったら主客を転倒する。
夏井いつきさんは、こんな例をあげています。

  陽炎やピザの斜塔のゆらゆらと

「よく似た句がありそうです。ささやかなオリジナリティを
手に入れるために立場を逆転させる発想があります。
斜塔が陽炎に揺れているのではなく、斜塔が陽炎を
揺らしているかのようだと」

  陽炎を揺らしてピサの斜塔かな

風が走るのではなく、ビルが走ると・・・
ビルが走る、とは言えませんので動詞を変えてみました。

  高層のビルが集める秋の風

これでは無理がありそうです。

  高層のビルに集まる秋の風

あまり参考にならないかな?

       

  栗菓子を選びあぐねてコンコース   

同じく、すみさんの句。
どこかへ出かけるために駅へ。ちょっと時間をみつけて
お土産の栗菓子を物色・・・あの人はどれが好きかしら?
でも種類が多く、値段もさまざま。選ぶのに思わぬ時間がかかって・・・

すぐに忘れてしまようなささやかなコト。
でも句のすることで記憶に残ります。
俳句という小さな詩形だからこそ出来ることです。 遅足





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あと少し風よ一吹きうさぎ出せ   智恵

2016年09月25日 | Weblog
名月の夜、非情の雲が月を隠してしまいました。
風よ、もう一吹きして雲を吹き飛ばせ、
月の兎を見せてくれ!と。

俳句には季語が必須とすると、ちょっと問題が。
「兎」は歳時記では冬の季語になっています。
兎は、年中、野山にいますが、冬に「兎狩」が
行なわれたことから、冬の季語と分類されています。

  風よあと一吹き月のうさぎ出せ

月のうさぎ、とすれば良いわけですが、
それでは、この句の持っている謎解きの面白さが
失われてしまいます。
私は、このまま味わっています。   遅足


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月句会の最終結果です。  遅足

2016年09月24日 | Weblog
さまざまな風の吹いた句会。ごらんのような結果となりました。

題詠「風」
①あと少し風よ一吹きうさぎ出せ(智恵)佐保子・すみ
➁秋の風高層ビルを縫い駆ける(すみ)
③風の色青みを帯びる九月かな(能登)静荷・亜子・麗子・郁子・遅足
④折り合いをつけて9月の風の中(郁子)智恵・狗子・狗子・麗子・立雄
⑤金色の風と戯る夕花野(麗子)能登・等
⑥月見寺無月の風の吹くばかり(静荷)佐保子・能登・等・晴代・郁子・立雄
⑦紫の風ふきぬける花野かな(佐保子)晴代
⑧コスモスに風のかたちを見てをりぬ(亜子)佐保子・狗子・すみ・静荷・等
⑨放ちたる鈴虫の声風に乗る(立雄)智恵・遅足
⑩秋風やないしょ話は亡き人も(遅足)能登・晴代・麗子
⑪風やみ間ふるえかすかな稲の花(晴代)智恵・すみ
⑫木曽馬の瞳に誰ぞ秋の風(等)狗子・遅足・静荷・亜子・郁子・立雄
⑬また一人風のたよりの訃報かな(狗子)亜子

自由題
①栗菓子を選びあぐねてコンコース(すみ)狗子・遅足
➁名月や地球との距離計りかね(麗子)狗子
③秋の蝉たましひ風になりて海(等)
④了見の狭さでられず吾亦紅(晴代)郁子
⑤欠けある身躍動笑顔リオの秋(智恵)佐保子・亜子
⑥露草や珊瑚の海の滴かな(能登)佐保子・智恵
⑦天球を回し宇宙へ虫すだく(郁子)亜子・麗子
⑧かなかなや鳴いてその身を軽くする(遅足)能登・狗子・すみ・静荷・等・亜子・晴代・麗子・立雄
⑨手捻りを持参の茶会酔芙蓉(立雄)能登・静荷・等
⑩和服着る友と会ふ秋生花展(佐保子)郁子
⑪藤村は美男よ木曽の栗実る(静荷)佐保子・すみ・遅足・等
⑫ひと住まぬ七軒長屋稲光(亜子)智恵・静荷・晴代・立雄
⑬深層はそっとしておけ梨の芯(狗子)能登・智恵・すみ・遅足・晴代・麗子・郁子・立雄

次回は10月19日(水)午後1時20分  
愛知芸文センター12階・催事室Ⅾ(アートスペースⅮ)です。
題詠は「林檎」です。    遅足

高雄ドライブウェイの途中にあるコスモス園のなかで見つけた鳥です。
なんという名でしょうか?
またドライブウェイを走っていて2回ほど鹿の親子をみました。




  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴッホの青を追って   竹中敬一

2016年09月23日 | Weblog
私はテレビ局在職中、画家のゴッホに関する番組を数本、制作しています。
その都度、専門家の話を聞いたり書物を通じて、ゴッホのことは一通り学んだつもりです。

日本の浮世絵の影響を受けたゴッホはアルル時代、特に青色を好んで使ったようです。
ゴッホが収集していた歌川広重の浮世絵には青色「ヒロシゲブルー」が、使用されています。
広重や北斎が使った青色の顔料はべロ藍(紺青、プルシアン・ブルー)といって、
江戸時代後期にオランダ経由で輸入されたものだそうです。

18世紀、ヨーロッパでウルトラマリン(群青)、プルシアン・ブルーという
安価な合成顔料が開発されるまでは、ラピスラズリという天然顔料が使われていました。
アフガニスタン産のものが知られています。

古川美術館にある時祈書の細密画に使われている青はラピスラズリです。
高価な宝石を砕いて顔料にするため、ふんだんに使うわけにはいかず、
小さなの時祈書でもなければ、この青色を取り入れることはできなかったでしょう。


ゴッホの作風とその変遷については諸説があります。
ここからは私がかねがね推理してきた仮説を述べ、ご批判を仰ぎたいと思います。
それは、ゴッホは、時祈書、それも古川美術館にある「ブシコー派の画家の時祈書」と
同種のものを、生涯のどこかで見たことがあるのではないか、ということです。

「ブシコー派の画家の時祈書」は、今も35冊がフランスを中心に現存しています。
よく知られているように、オランダ生れのゴッホは若い頃、牧師をしていました。
ゴッホの父も牧師で、その父の持っていた聖書を描いたゴッホの油絵も残っています。

ゴッホは生涯、聖書を手にしていたと思われますが、時祈書はどうだったでしょうか。
「ゴッホの手紙」(岩波文庫) を読んでみましたが、時祈書に関する記述は見つかっていません。

時祈書は15世紀前半、特にフランスやフランドル( ベルギー・仏・オランダ地方) で、
盛んに使用されています。
ゴッホの時代にもまだ、教会関係者の中に時祈書を所有していた人がいたものと思はれます。
ゴッホがパリに出て来てからも、浮世絵に出会う前に、時祈書を見る機会があったのでは、
というのが私の仮説です。

「ブシコー派の画家の時祈書」に出てくる紺青の空に輝く星々。
ゴッホのアルル時代の作品「 ローヌ川の星月夜」が、私の中ではダブって見えてくるのです。

「ゴッホの手紙」によれば、彼は日本にあこがれてアルルに来たようですが、
若い頃に見た時祈書の青色がいつまでも潜在意識としてあり、その後、浮世絵に出会ったことで、
その青が一層、強烈によみがえったのではないかと思います。


写真はローヌ川に架かる「 アヴィニョンの橋」(正式名称はサン・べネゼ橋)
私が撮ったものです。

アヴィニョンの橋の上で
踊るよ 踊るよ…

15世紀頃 作られた歌だそうです。

(先週、先々週の金曜日の記事・参照して下さい)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の風句会     麗

2016年09月22日 | Weblog
前日は台風で強風が吹き荒れたましたが、一日違いで無事に句会が開催されました。
青、金、紫と彩りも豊かにさまざまな秋風が句会に吹きました。
では、恒例の寸評です。

①お月様に雲がかかりうさぎが見えない。もう一吹きの風をと願う。ただ「うさぎ」は冬の季語だそうです。
②「縫い駆ける」を違った表現にした方がいいとの声あり。
③九月の風には青がふさわしい。「青み」の「み」がいいですね。空の青が風に色をつけるのか?
④どんなことに折り合いをつけたのか、気になります。再出発の心意気が感じられます。9月ではなく九月とすべきとの指摘あり。
⑤「金風」という秋の季語があるので「夕花野」と季重なりとの指摘あり。
⑥中秋の名月に養老のお寺に出かけられたそうです。それなのに、雲がかかり無月とは!
⑦秋の花は紫が多いですね。ラベンダー畑を思い浮かべた方も。
⑧風にそよぐコスモスで風の形がわかる。実は戦後の焼け野原に植えたコスモスをじっと見ていた少女の亜子さんでした。
⑨素直な気持ちのいい句。「風に乗る」がいいですね。
⑩どんなないしょ話を誰としたのでしょう?想像が膨らみます。亡き人とのないしょ話??
⑪「風やみ間」の「間」を何か外の表現にできないかとの声あり。
⑫これぞ俳句という美しい俳句。木曽馬のやさしい瞳に映るのは誰でしょうか?秋の風に木曽馬はぴったり。
⑬季語がないのが残念ですが、実感あふれる一句。


盲人のピアニスト辻井伸行さんが、ある日、この世のすべての物には色があると知り、おかあさんに「じゃあ、風は何色なの?」と聞いたそうです。
お母さんは答えに困ったというエピソードを聞きました。

風には色がないけれど俳句の風には色がつく。色を見たことがなくても、感覚で風の色を表現する辻井さんのピアノの世界。
辻井さんが風の俳句を詠むとどんな句が生まれるのでしょうか?

来月のお題は林檎です。どんなりんごを味わえるでしょうか?食欲の秋、楽しみですね!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月句会の投句が集まりました。   遅足

2016年09月21日 | Weblog
台風一過の青空ではなく、曇り空です。
北の高気圧の力が弱いようです。
題詠は「風」です。句会ではどんな風が吹くのでしょう?

題詠「風」
①あと少し風よ一吹きうさぎ出せ
➁秋の風高層ビルを縫い駆ける
③風の色青みを帯びる九月かな
④折り合いをつけて9月の風の中
⑤金色の風と戯る夕花野
⑥月見寺無月の風の吹くばかり
⑦紫の風ふきぬける花野かな
⑧コスモスに風のかたちを見てをりぬ
⑨放ちたる鈴虫の声風に乗る
⑩秋風やないしょ話は亡き人も
⑪風やみ間ふるえかすかな稲の花
⑫木曽馬の瞳に誰ぞ秋の風
⑬また一人風のたよりの訃報かな

自由題
①栗菓子を選びあぐねてコンコース
➁名月や地球との距離計りかね
③秋の蝉たましひ風になりて海
④了見の狭さでられず吾亦紅
⑤欠けある身躍動笑顔リオの秋
⑥露草や珊瑚の海の滴かな
⑦天球を回し宇宙へ虫すだく
⑧かなかなや鳴いてその身を軽くする
⑨手捻りを持参の茶会酔芙蓉
⑩和服着る友と会ふ秋生花展
⑪藤村は美男よ木曽の栗実る
⑫ひと住まぬ七軒長屋稲光
⑬深層はそっとしておけ梨の芯

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石水院裏参道の青もみじ   遅足

2016年09月20日 | Weblog
京都の北・高雄ドライブウェイの終点に高山寺があります。
鎌倉時代の僧・明恵上人ゆかりの寺院。
国宝の鳥獣戯画や石水院で有名です。

明恵上人の座右の銘は「阿留辺幾夜宇わ」(あるべきやうわ)。
石水院に掲げられた「阿留辺幾夜宇和」には細々とした日課や生活規則が。
また、上人は宗教的な夢を記した日記を残しています。
睡眠中も修行を忘れなかったのでしょうか。

現在でいえば宇宙科学者であり、肉体をコントロールする術を会得した
オリンピックの金メダル保持者のようなスーパー・スターだったのかも。

遺訓には、「我は後世たすからんと云者に非ず。
ただ現世に先あるべきやうにてあらんと云者なり」とあります。
日々、厳しく己を律し、この世の生活を大切にという生き方ですね。
来世に救いを求める法然上人と激しい論争をしたと伝えられています。

そんな明恵上人。運慶作と伝えられる木像の仔犬を愛したとのこと。
可愛らし目をした仔犬。少年の心を忘れなかった人なんですね。

写真は石水院のひさしの間の蔀戸。昔はこの蔀戸を下ろしたら室内は真っ暗。
真の夜の闇は深い思索を促したのでしょうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋風や血筋絶えたる親王家  遅足

2016年09月19日 | Weblog
京都御所の西にある旧有栖川宮家の屋敷が特別公開されていました。
有栖川宮家は、天皇の血筋を絶やさぬようと設けられた「四親王家」の一つ。
なかでも第九代の熾仁親王は、婚約していた皇女・和宮が、将軍・家茂と政略結婚。
その和宮の住む江戸城を攻略するために官軍の総督となったという数奇な運命の人です。

有栖川宮家が東京へ引っ越した後、建物は、京都地方裁判所の所長宿舎に。
現在は、平安女学院大学の所有となり特別公開されたものです。

書院造りの主屋と青天門、長屋門は国の登録有形文化財です。
面白いのは、家の中に板敷の部屋があり、地下には甕が埋められて能舞台にもなるとか。
また、京都の宮家は夏の暑さ対策として床が高くなっています。
そこで日本庭園をつくるために盛り土をしたそうです。

この宮家は十代の威仁親王と続きましたが、大正2年、威仁親王が亡くなり
さらに10年後、妃の慰子さんも死去、有栖川宮は断絶してしまいます。

現在、この建物を所有しているのは平安女学院。明治に京都にやってきたキリスト教の学校。
この学校は、明治36年に全国に先駆けて生徒の服装を統一。
大正9年には、日本で初めて制服を洋装化し、セーラー服を採用したとのことです。

上五の「秋風や」は動きますね。もう少し具体的なイメージを喚起する季語を。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんにゃくのさしみもすこし梅の花   芭蕉

2016年09月18日 | Weblog
先日、京都へ遊びに行く時のこと。新名神が渋滞との情報。
そこで急遽、新しく完成した東海環状道の東員インターへ。
そこから国道365号へ、さらに421号で鈴鹿越えを。
石榑トンネルを抜ければ滋賀県。

  トンネルをぬけて湖国の秋に入る

廃校となった小学校を再利用した道の駅で昼食、永源寺へ。
このルートは走りやすく、ドライブの好きな方へのお薦めコース。

永源寺は室町時代の初めに佐々木氏が寂室禅師のために建立した禅寺。
紅葉の寺として有名です。半世紀前に訪れた時は素晴らしい紅葉でしたが、
今回は、紅葉には早すぎました。

境内には芭蕉句碑が。

  こんにゃくのさしみもすこし梅の花

この句は、芭蕉が亡くなった人への思いを込めして詠んだもの。
故人に、郷土料理のコンニャクのさしみと梅の花を手向けたという意味。
永源寺とは関係はありませんでした。
ある人が「こんにゃくと言えば、永源寺」と「梅の花」の咲く
境内に句碑を寄進したそうです。

句を読む文脈がまったく違いますね。
17文字しか情報がないから、こんなことも出来るわけでしょう。
芭蕉さんも苦笑してるのでは?

  晩秋の水を離れて亀眠る

永源寺のすぐ横を愛知川が琵琶湖へと流れています。
石の上に亀が甲羅を干していました。即興の一句です。  遅足

   (写真は芭蕉の句碑です)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蟋蟀は鳴き続けたり嵐の夜  桐生悠々

2016年09月17日 | Weblog
先日、中日新聞に「不安な平成二十八年」と題する社説が掲載され、
戦前に、新聞人として反戦を説いた桐生悠々さんを紹介していました。

悠々さんは、中日新聞の前身である「新愛知新聞」などの主筆を務め
戦争を推し進める軍部や政府を批判しつづけました。
しかし反発も強く、ついに新聞社(信濃毎日)を追われてしまいます。
それでも「他山の石」という小冊子を発行、反戦を説き続けます。
当局は、悠々さんを特高警察の監視のもとに置くとともに、
「他山の石」を度々、発禁処分としました。

郁子さんは悠々さんのお孫さん。悠々自伝をお借りして読みました。
そのなかから悠々さんが亡くなる最後の一年の簡単な年譜を紹介します。

1941年(昭和16年)
1月 7日  急性咽頭カタルで発熱、呼吸困難。
7月20日  特高警察との対立で「他山の石」の事前検閲を打ち切る。
8月 5日  「他山の石」第八年第十五号発禁。
9月 5日  病状急変。「他山の石廃刊の辞」を友人に郵送。
9月10日  咽頭癌のために死去。「他山の石廃刊の辞」の発禁命令書が霊前に。
9月12日  自宅で憲兵・私服警官の立ち合いのもとに葬儀。

この年の12月8日、日本軍は真珠湾を攻撃、太平洋戦争に突入していきます。
 
このところ報道に対する安倍政権の介入は強権的になってきました。
テレビの画面から、安倍政権の改憲は危険、と説く人たちが姿を消しました。
沖縄の新聞に対する不買運動を呼びかける声もあります。
悠々さんの志を継ぐ後輩の方が危機感を感じて書かれた社説でしょうね。

                            遅足

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名古屋のお宝   竹中敬一

2016年09月16日 | Weblog

平成7年、私がアヴィニョンへ行ったのは、名古屋の古川美術館の依頼で
この美術館に所蔵されている中世ヨーロッパの時祈書を紹介する番組のためでした。

時祈書とは、聞き慣れない言葉ですが、キリスト教で司祭が使う祈祷書に対して、
一般の信徒がお祈りの本として使ったものです。
古川美術館所蔵の時祈書は、「ブシコー派の画家の時祈書」と呼ばれ35冊が現存。
革の装丁など制作当時(15世紀) のままで残っているのは、ここのものだけ。

縦17セイチ、横12センチという小さな写本で、ラテン語の文字は手書き。
所々に、12枚の精緻な挿絵が入っています。
このうち、7枚にゴッホの「夜のカフェテラス」に見られるような
青い空と星々が描かれています。
星空が際立って多く見られるのは、他の同種の時祈書にはありません。

専門家に、時祈書に書かれた文字を調べてもらいました。
その結果、ラテン語で「ド二の聖マリヤ大聖堂に告ぐ」とあり、
この聖マリア大聖堂がアヴィニョンにあったことが分かりました。

時祈書の注文主は南フランスの人物に違いありません。
名前は不明ですが、アヴィニョンに住む裕福な王侯貴族の一人が
パリのブシコー派の工房へ注文したのではないか、と言うことです。
時祈書の注文主は、南フランス特有の青い空にきらめく星々のことが
頭に浮かんで、その情景を挿絵に入れるよう工房に伝えたのでしょう。

ブシコーは画家の名前ではなく、ブシコー元帥と呼ばれるフランスで
活躍した軍人の名前、彼が作らせた「ブシコー元帥の時祈書」にちなんで、
これと同じ作風のものを「ブシコー派の時祈書」と云います。

名古屋に、こんなお宝のあることは、あまり知られていません。
常設されていませんが、時々、公開されることがあります。
私が制作に関ったハイビジョン作品「祈りのかたちー華麗なる彩飾写本の世界ー」は
常時、開館日には見ることができます。
お時間があったら、一度、足を運んでみて下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする