575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「風呂上り つるん白玉 喉走る」 <すみ> 「白牡丹 はらりと落ちて 母の逝く」 <麗子>

2020年05月31日 | Weblog


「風呂上り つるん白玉 喉走る」 <すみ>

中七の「つるん」と下五の「走る」流れるような
調べが印象深く響きます。動きと音に惹きこまれ
るコミカルな佳句。ところで、私事となりますが、
小笠原家には白玉の家訓があります。江戸時代は
衛生状態が良くなかったのでしょう。白玉団子の
食中毒で亡くなった嫡子がいました。そのため、
小笠原家で白玉はご法度。しかし、食べてはいけ
ないというと食べたくなるのが人情。親族の集ま
りには判じ物のように団子が並びます。


「白牡丹 はらりと落ちて 母の逝く」<麗子>

牡丹の唐時代の別称は「花王」宮廷に招かれた詩
人たちが絹のような光沢から妃を花王に例えてい
ます。優雅な花姿から玄宗皇帝にも愛されたとい
われ、楊貴妃と花王を共に愛でることもあったか
もしれません。しかし、どんなに美しい花であっ
てもやがて散りゆきます。花が散りゆくのも人の
命が消えゆくのもこの世の必然。

「はらり」という擬音が達観したような作者の心
情を伝えます。達観とは物事の本質にたどり着く
という意。仏教用語で「観」は「悟り」を意味し
ます。例えば「観光」は観音菩薩の「光」を見る
こと。本当に正しいことを観るが「観光」の真意。
さて、作者は森羅万象の場に臨み光を見たのでし
ょうか。花も人も生死は同じ。ご母堂のご冥福を
お祈り申し上げます。

文と写真<殿>
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「雨に濡れ 卯の花白し 庭の隅」 <等> 「卯の花や パン売る驢馬の 遠ざかる」 <亜子>

2020年05月30日 | Weblog


実は、5月の題詠の選句は一句のみ。惜しみつつ
選べなかった句と意味がわからなかった二つの句
を考察してみます。

*「雨に濡れ 卯の花白し 庭の隅」 <等>

しっとり雨に濡れた卯の花の白さ。脳裏に情景が
精緻に描き出されます。作者は下五「庭の隅」で
ひっそり卯の花が咲いていると伝えたかったので
しょうか。また、庭の隅の暗闇で浮かび上がる卯
の花の白さを強調したかったのかもしれません。

「雨に濡れ 白鮮やかに 花空木」<殿>



*「卯の花や パン売る驢馬の 遠ざかる」<亜子>

「パンを売る驢馬」不思議な中七です。学生たちに
尋ねても知りません。ネットで調べ納得。昭和初期
に驢馬や荷車を牽かせたキッチンカーの元祖とのこ
と。特に、戦後「パン売りのロバさん」という曲が
レコード化され、パンの移動販売車が流したのでC
Mソングの元祖といえるかもしれません。しかしク
ルマ社会となり、驢馬に牽かせる荷車での移動販売
は困難となり終焉を迎えたようです。事情を理解し
あらためて詠んでみると、ノスタルジー溢れるいい
句ですね。きっと、街角に愛らしいメロディが流れ
たのでしょう。

「卯の花や パン牽く驢馬の 調べ絶え」<殿>

文と写真<殿>
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卯の花やパン売る驢馬の遠ざかる  亜子

2020年05月29日 | Weblog

卯の花という兼題を選びながら
私は「これが卯の花」と
指指せるほど詳しくなかったことに
気づきました。
殿様から「卯の花には匂いはありません」
と教えていただき、
「えっ?あの白い花なんだった?」くらいの認識。
私の中では
小さい頃、ゴム飛びやケンパをした小道に
咲いていた白い花。歌の花。お恥ずかしい限りです。

驢馬のパン屋さんも、子どもの頃
おぼろに見た光景です。
母にねだって買わせたことも。
ロバがひいていたか、馬か車だったか・・
辛うじて記憶にある歌も、先日ユーチューブで
聞いてみたら、歌いだしから違っていました。
「♪ロバのおじさんチンカラリン・・」
ロバのパン屋がキンコロリン!じゃない!
3番まであるなかなか良い歌でした。


思い出なんていつも曖昧。
ただ、
その時の心臓が飛び出すほど嬉しい気持ちは
今もくっきり刻まれています。郁子


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母との合作   麗

2020年05月28日 | Weblog
このブログで何回も書かせていただいていた母が87歳で天寿を全うしました。
コロナの中で面会禁止となり会えない日々が続いていました。容態が悪くなって面会が許され、最期の1週間、母を見舞うことが出来ました。大分県出身の母は空港近くのふるさとに17年前に小さな家を建て、晩年、父とそこで過ごすのを何よりの楽しみとしていました。亡くなって母の引き出しからその頃の思いをつづった歌が出て来ました。

    古里の庵に憩う幸せを 夫と分かちて過ごす嬉しさ

    老いて見つ万緑の山 野辺の花 星降る里は昔のままに

今回「卯の花」が兼題で葬儀のあとだったので母の短歌と合わせて作りました。
祖父母の眠る母のふるさとは今まさに万緑で美しい頃です。もう一度歩かせてあげたかったと思います。合掌。

          卯の花や星降る里の野辺に咲き  麗子


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卯の花の 降りくる香り また空へ  殿

2020年05月28日 | Weblog

自然を感じます。(泉さん)
降りくる香りまた空へが清々しく気持ち良い。(すみさん)




卯の花の白は、清楚という言葉がぴったりです。
かすかな香りも卯の花らしいとも。

この卯の花はどこに咲いているのでしょう?
香りは降りてくる。そして再び空へ。
これは天上に咲く花の香りを言っているのではないでしょうか?
天のものは天へ帰ってゆく。羽衣の天女のように。

  卯の花の降りくる香り空へまた(遅足)
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「 詩歌に見る望郷、若狭 」 ⑶ 蒼島   竹中敬一

2020年05月27日 | Weblog


明治時代、若狭小浜出身の薄幸の歌人 山川登美子が 「 若狭八景 」

と題して詠んだ短歌の中に 「 青しま漁火( いさりび )」があります 。


  漁火の三つ四つ五つ ほの見えて 青しま守の夢静かなり


小浜湾の沖に浮かぶ蒼島はナタオレノキなど暖かい地方にしか生育し

ない植物が自生していて、昭和26年 暖地性植物群落として国の天然

記念物に指定されています 。




向かって右側が蒼島 ( 福井県小浜市加斗 ) 昨年 夏 、孫娘が撮ってくれました 。


今は無人島ですが、蒼島神社が鎮座しており、毎年夏のお祭りには

近くの加斗( かと ) の浜から神主と氏子を乗せた舟が出ています 。


私の高校時代の友人が書いた「 若狭余録 」によりますと「 若狭八景 」

は、すでに江戸時代に様々な文人が取り上げています 。

八景の選び方もそれぞれ多少は異なりますが、その中には「 青しま漁火 」

「久須夜夜雨 」を選んでいる人もいます 。

「 越前若狭地誌叢書 」にある江戸初期の「 若狭八景」の中の「青しま

漁火 」を紹介した箇所です 。

「 蒼島は海に浮かぶ蓬莱の島かと思われるくらいで、海には海士の漁火

多く、波をいろどる 。ときにはそれが星か川辺の蛍のようにも見え、鵜舟

のかがり火のようにも見える 。

その水面に写る島影は涼しげというか風情があるといおうか、

なんとも言いようのない情景である 。( 古文を意訳 。「 若狭余録 」より )


昨年の夏、85歳になる私はこれで車を運転するのも最後かなぁと思い

ながら、久しぶりに故郷へ 。

小浜湾を見下ろせる海岸沿いのホテルから「 青しま漁火 」の情景を

待ちました 。


やがて、日本海に太陽が沈み、久須夜岳と海の輪郭がわからなるほど

暗くなった頃、沖合はるか 正に星が燦めくように漁火があちこちに

ほの見えて夢心地 。

幼い頃の思い出が走馬灯のように浮かんできました 。
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卯の花や星降る里の野辺に咲き  麗子

2020年05月25日 | Weblog
素朴さを感じます。(泉さん)

詩情あふれる美しい句ですが、星降る里とか、野辺に咲くは、
聞きなれた言葉で何となく俳句としてどうなのかと、思いました。
しかし何か引っかかるものがあり、何かと考えたら、
この句の七五は、歌のメドレーになっていると気づきました。
 「星降る里」は合唱曲。
  赤く染まる夕焼けの空、木立をわたる優しい風 暮れゆく世界包むように……
  「恋はやさし野辺の花よ」
  「野辺に咲く花」
  さらに 「野に咲く花」の歌も聞こえてきませんか。(千香子さん)

             

たしかに、千香子さんの指摘される通りですね。
わたしも七五の言葉が美しいと感じました。
すっと心に溶け込んでくるのです。

ひょっとして、この句は亡くなった方と唄った歌。
卯の花から始まって・・・野辺の咲く花まで。
思い出の歌の数々。
歌い終わって家路につく頃、卯の花が白く夜の闇に浮かぶ。
挽歌だったのでは。(遅足)
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花卯木 かおりの中に 志村けん <狗子>

2020年05月24日 | Weblog


花卯木 かおりの中に 志村けん <狗子>

5月の句会では「夏は来ぬ」という唱歌を踏まえ多くの方
が句を詠んでいます。私の知らない唱歌。そして、ウツギ
の花は無臭です。では、なぜ「夏は来ぬ」は無臭のウツギ
を「匂う垣根に」としたのでしょうか。この曲は初めての
オリンピックがアテネで開催された明治29年に発表されて
います。当時の唱歌は和歌の流れを汲み古語をベースにし
ています。万葉集における「におう」は「美しい」という
意味。つまり「夏は来ぬ」の真意は「垣根のウツギは美し
く咲き乱れる」が正しい解釈のようです。かく言う私も大
失敗をしています。

「卯の花の 降りくる香り また空へ」<殿>


原句に視点を移します。作者は花の香りで亡き芸人を思い
出したのでしょうか。素顔の彼は寡黙な努力家だったと伺
っています。ここからはあくまで私感。この句の問題点は
彼が亡くなったことを記してないことではないでしょうか。
「香りきえゆき」「香り散り去る」とすれば暗に意は伝え
られます。ここでは、香りではなく彼の残像が消えゆくさ
まを詠み、追悼句とさせていただきます。合掌。

「卯の花や 霞<かすみ>ゆく笑み 志村けん」<殿>


文と構成<殿>
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卯の花の 白の透けゆく 獏の夢 <遅足>

2020年05月23日 | Weblog


卯の花の 白の透けゆく 獏の夢 <遅足>

ウツギの薄い花びら。白の透けゆくという
中七が美しい。そして下五の唐突ともいえ
る飛躍。夢を食べるという漠の夢とは…。
パウル・クレーの抽象画のような佳句。上
記は選句に添えた感想です。実はこの一句。
脳裏から離れなくなり投句はひとつだけ。

パウル・クレーはスイス出身の芸術家。父
はシュトゥッガルトの音大の教授で、母は
スイス人の歌手。幼少の頃から受けていた
音楽教育が絵画の原点になったと著書に記
しています。クレーは11歳でベルン音楽連
盟に特例会員として招かれプロの演奏家と
しても精力的に活動しています。

クレーは、1900年代初頭のキュビズム、シ
ュルレアリスムなど前衛芸術運動の渦中に
あり、絵画、ドローイング、版画などで頭
角を現しました。ドイツのバウハウス美術
学校での講義は「造形とデザイン理論」と
いう書籍でまとめられ、現代の私たちを取
り囲むさまざまなデザインのベースとなっ
ています。例えば、クルマのデザイン。箱
型のクルマのデザインを一新。フォルクス
ワーゲン社の流線型のビートルは、現在の
新幹線にみられるデザインのルーツといえ
るでしょう。

クレーは1914年にチュニジアを訪問します。
この旅行を境にして画風が一変。「私は色と
ひとつになった」という名言を残し色彩の画
家としての道を歩みはじめます。

斬新な作品を描きつつ、クレーはデュッセル
ドルフ大学で教授となりますが、前衛芸術を
否定したナチスの迫害によりスイスへの移住
を余儀なくされます。クレーは1940年の6月
に鬼籍の人となり、スイス政府は多大な功績
を称えスイス国籍を贈ります。

パウル・クレーの魂。21世紀の私たちの感性
にいまも生き続けている気がします。

話を戻します。やはり、夢を食べる獏の夢が
気になります。ぜひ、クレーに描いてほしい
テーマ。 文と構成 <殿>


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卯の花の白の透けゆく獏の夢  遅足

2020年05月22日 | Weblog
 
白の透け行く、の表現から夜の卯の花の妖艶さが感じられ、
獏の夢で、夢か現実かわからない世界へいざなってくれる感じが良いと思いました。(竹葉さん)

抽象的な世界観。悪夢を食べる獏という想像上の動物。
その獏はどんな夢を見るのでしょうか?
不謹慎ですが、奥様を亡くされた大和田獏さんの悲しみにも思えました。(麗子さん)

「白の透けゆく」という語句が秀麗。さらに下五の唐突ともいえる飛躍。
夢を食べるという漠の夢とは…。パウル・クレーの世界に遊ぶような佳句。(殿様)

卯の花のアップからさらに心のレンズで近寄っていくイメージ。
すると透けて、卯の花の形状、色さえもあいまいになる。
卯の花と自分の意識が混然として不思議な気持ちになる。(郁子さん)

この獏は中国の獏でしょうか、白い花の向こうに見える異世界。
その異世界の夢を獏が見たのか?それとも食べたのか?
いずれにしても幻想的な句だと思います。(結宇さん)

獏という動物は、さっと想像できないけど、夢追うものとして、よく言われましたよね。
実現できないのが夢なのかもしれません。(狗子さん)

           

みなさんの評にもあるように句のポイントは中七の「白の透けゆく」です。
この句のヒントになったのは、この句です。

  卯の花や彳む人の透き通り 麦 水

作者の堀麦水は、江戸時代中期の金沢の俳人。初期蕉風への復帰を提唱した人です。
卯の花に佇む女性を取り合わせた句。
その美しさを透き通り、と表現したところが秀逸。
なんとかマネしたいと考えた結果がこの句でした。
まず、女性ではなく卯の花そのものが透き通る、としました。
さて下五をどうするのか?
ここでのヒントは対馬康子さんからいただきました。
「5段飛び」理論。唐突とも思える飛躍です。

つくってみて「これは私の句なのかしら」と思っています。(遅足)
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空腹で歌った「 紺碧の空 」  竹中敬一

2020年05月21日 | Weblog


今、放送中のNHKの朝ドラ 「 エール 」に私の母校 早稲田大学

の応援歌「紺碧の空 」にまつわる話が出てきます 。

これを見ながら、他校出身者にとってはバカバカしいほど、

一人で盛り上がっています 。私のように このコロナ禍でずーと

家の中で過ごしている母校出身の高齢者も多分、テレビを見て

「紺碧の空 」と聞いた途端に元気になった人もいたに違いありません 。

私は昭和32年 ( 1957 )の卒業 。在学中、野球が好きだったわけでも

ありませんが、早慶戦だけは見に行っていました 。

私のように地方出身の貧乏学生が多く、神宮球場に集まる学生の姿も

帽子を被っていなくとも、慶応に比べてなんとなく野暮ったく、

直ぐ仲間だとわかってしまうほどでした 。

7回には、それぞれの校歌を立って歌うことになっていました 。

当時、私は下宿の食事だけでは満足できず、いつも空腹な状態にありました 。

スタンドで仲間と手を組んで立っていても、ふらつくことがあり、

出来るだけ、体力を消耗しないように校歌の時でも、歌うふりをして

歌詞に合わせて口をパクパクさせるだけにしていました 。

東京生まれで私よりずっと裕福な家庭で育った友人は神宮球場へ行っても

我々と別れて慶応側のスタンドに一人で入っていました 。

いつもと違って洒落た服装で慶応の応援です 。

校歌合唱の折、慶応側のスタンドから早稲田の校歌の替え歌がかすかに

聞こえてくることがあります 。

最後の ワセダ 、ワセダ … を7回 連呼する歌詞のところを、慶応側からは

痩セタ、痩セタ…

今から60年余り前の話です 。

            

今のドラマのなかで主人公は自分の才能を信じて、そこから出られません。
俳句も同じような落とし穴があるようです。
自分の句を客観的に評価できるようになるまで、かなり時間がかかりました。
さらに自分を壊すのはもっと難しいですもの。
わたしは壊れたまんまです。(遅足)









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卯の花句会の結果です。  麗

2020年05月20日 | Weblog
今月もメール句会となってしまいました。集計結果がまとまりましたのでご報告します。さまざまな卯の花が咲き乱れましたね。


兼題「卯の花」
1 卯の花や星降る里の野辺に咲き  (麗子)能登、千香子、泉、静荷、遅足
2 卯の花の 降りくる香り また空へ (殿)すみ、泉
3 雨に濡れ卯の花白し庭の隅    (等) 郁子、泉、佐保子
4 卯の花や 尺八の音 垣根ごし   (紅)竹葉、すみ、亜子、麗子
5 花空木亜炭の跡の竹林      (千香子)結宇、晴代
6 卯の花に問えば垣あり陶火色(トウヒイロ) (結宇)狗子
7 花束の匂うがごとき卯木あり    (竹葉)
8 卯の花やパン売る驢馬(ろば)の遠ざかる (亜子)結宇、等、郁子、千香子、晴代、麗子
9 生垣の卯の花やさしやはらかし    (佐保子)能登、すみ
10 「卯の花の」と思わず唄う野の小道  (静荷)
11 卯の花の白の透けゆく獏の夢      (遅足)竹葉、結宇、殿、郁子、狗子、晴代、麗子
12 卯の花や自粛開け待ちガーゼ干す    (晴代)亜子、遅足
13 雅なる卯の花纏う数寄屋かな    (能登)狗子
14 卯の花の揺れて少女の髪揺らす   (郁子)竹葉、能登、等、静荷
15 卯の花や嫁ぐ娘の晴れ姿      (すみ)千香子、亜子、佐保子
16 卯の花の歌懐かしく友の顔     (泉)静荷、佐保子
17 花卯木かおりの中に志村けん    (狗子)等、紅、遅足

自由題
1 コロナの禍春は過ぎゆき人はどこ   (泉)
2 風呂上りつるん白玉喉走る      (すみ)能登、殿、等、紅、晴代
3 口紅はマスクとる日にマザーズデー  (郁子)すみ、亜子、遅足
4 ひなげしのしたたかに咲く車道かな  (能登)等、狗子、泉、亜子、静荷、晴代
5 夏めくや白雲高く高くなり      (晴代)千香子、麗子
6 竹の皮脱ぎ散らかせり今年竹     (佐保子)竹葉、結宇、郁子、千香子
7 白牡丹はらりと落ちて母の逝く  (麗子)竹葉、殿、等、郁子、すみ、紅、亜子、静荷、佐保子、晴代
8 桜散りしのちの区の花「花水木」 (静荷)
9 ここからはだれも来ぬ道花空木   (遅足)竹葉、狗子、麗子
10 捨てられしマスクの悲鳴街薄暑   (亜子)泉
11 藤の房土に積み上ぐ2020(ニセンニジュウ)  (竹葉)
12 五斗米(ゴトベイ)を辞せば十年(トトセ)に夏落葉(オチバ) (結宇)遅足
13 払暁に 病葉<わくらば>散りて 心ゆれ  (殿)狗子、紅
14 卯の花やガラシャ行きたる山の路   (等)結宇、能登、千香子、佐保子、遅足、麗子
15 卯の花や ゆらぎ世代の 膳に添え   (紅)殿
16 会へぬ夫へ届けるお菜庭の蕗   (千香子)結宇、能登、郁子、すみ、佐保子
17 冷麦のつゆ店頭に勢揃い  (狗子)泉、静荷
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「 詩歌に見る望郷、若狭 」⑵ 久須夜岳 (くすやだけ )   竹中敬一

2020年05月19日 | Weblog

私の高校時代の友人が書いた「若狭余録 」の中に小浜出身の薄幸の
歌人 山川登美子が 「 若狭八景 」と題して詠んだ短歌が載って
います 。
その中の一首 題して 「久須夜 夜雨 ( よさめ ) 」

小夜ふけて とまりが浦の さびしきに 木の葉を込めて 時雨降るなり

山川登美子の生家は我が家から3キロ余り離れた小浜市内の竹原地区
にあり、私はいつもその生家の近くの道を徒歩で海岸沿いにある小浜
中学 ( 旧制 )に通っていました 。
そんなこんなで、山川登美子が明治の頃、明星派の歌人で与謝野鉄幹
をめぐって晶子とライバル関係にあり、悲恋の末、29 歳という若さで
亡くなったことくらいは知っていました 。
久須夜岳は標高619メートル、内外海( うちとみ )半島のシンボルです 。
登美子の歌に出てくる 「とまりが浦 」は、その半島の先端にあります 。
泊地区は戸数23戸 、内海に面して寄り添うように建っています 。
久須夜岳は我が家のある阿納尻 ( あのじり )など14ヶ村の何処からも望む
ことができますが、海越しに泊の集落と山全体が見えるのは、登美子の
生家のある小浜市内からになります 。


                      小浜 ( 福井県 )の市内から見た久須夜岳 ( 619 m )


しかし、いずれにせよ、若狭地方は晴れていても にわかに時雨る時が
多く、山頂まですっきり見える日は稀です 。
登美子は結核を患っていた夫と死別後、自身も結核に罹り、京都の姉の
所で療養中 、父の重態を知らされ 帰郷 。そのまま病床に伏し、父の葬儀
にも出られなかったそうです。
登美子が詠んだ 「 若狭八景 」は多分、彼女がまだ元気だった頃 、帰郷
前のものと思われます 。
傷心の日々を送るなかで、こころに浮かぶのは、うら寂しい故郷の風景だった
のでしょう 。
彼女の心境を象徴するような久須夜 夜雨 。
しかし、時として風が凪いで、ぱっと晴れ 久須夜岳がその秀麗な姿を海面に
映すことがあります。
夕暮れの時など風雲が湧きだすとさざ波が立ち、入江の面 ( おも)が微妙に色
を変えます 。
そんな穏やか風景を思い浮かべながら、薄幸の歌人の生涯を偲んでいます 。


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575のブログを読んで②  千香子

2020年05月18日 | Weblog

ブログには荻原先生のコメントも紹介されており、
いくつかこころに残ったことがあります。

一つが①俳句は1番言いたいことを隠すこと。
その結果、いくつもの解釈が生まれるが、それをよしとする。

  ここからはだれも来ぬみち花空木

なぜ誰も来ないのか、ここはどこなのか?
まったく言っていません。
季語である「空木の白い花」に解釈をゆだねています。

②その場合、句の中の謎は1つにする。
読み手をさまざまに迷わせては句として失敗です。

③また、それは「説明的」という批判があります。たとえば

  銀紙を星形に切り聖夜来る  

の句について「に切り」を

  銀紙を星の形に聖夜来る

とすると焦点が絞られる、先生のアドバイスが心に残っています。

この他に575ではなく5445というリズムの句

  まっすぐに春立ち仔犬は耳立てり

読んで気持ちの良くなる句です。それが良い句です。
仔犬が効いています。
という感想があり、中七というのは絶対ではないのだとも知りました。






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押しあうて 又卯の花の 咲きこぼれ <子規>

2020年05月17日 | Weblog


ウツギは幹が空洞なので空木という表記になったといわ
れています。学名は「ドイツ」しかし、国の花ではなく
オランダの植物学者 ”Deutz”「ドイツ氏」の命名という
ややこしい由来を持っています。

ところで、卯の花は、旧暦4月の卯月に白い花が咲くこと
から「雪見草」という美称を持ち、万葉の時代から愛され
る花だったようです。

「卯の花も いまだ咲かねば ほととぎす 佐保の山辺に 来鳴
きとよもす」万葉集 大伴家持

子規は、卯の花が溢れるように咲くさまを詠んでいます。

「押しあうて 又卯の花の 咲きこぼれ」

5月の題詠「卯の花」子規の句のごとく、さまざまな句が
咲きこぼれるように出揃ったようです。

写真と構成<殿>
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