先日、湖東の百済寺へ行った。紅葉はまあまあだったが、駐車場には観光バスがズラリと並び境内には人が溢れている。平日の午後であったからか観光客の八割以上は熟年女性。またまた女性の持つパワーを再認識した。
粟田勇著「花を旅する」岩波新書には万葉集の歌が紹介されている。
露霜にあえる黄葉(もみじ)を手折来て妹とかざしつ後は散るとも
奈良山をにほはす黄葉手折来て今夜かざし散らば散るとも
もみじばの過ぎまく惜しみ思ふどち遊ぶ今夜は明けずもあらぬか
どの歌も紅葉の赤と弾けるような官能が重なって心地よい。現代人は紅葉の華やかさの中に侘びや寂を感じているようだが、万葉の人々は生命溢れる血潮の色を感じていたかも知れない。
「もみじ」は一般にカエデ科カエデ属を指すが、その仲間の見分けは大変難しい。日本には26種(学者によって数は異なる)が自生し、これを改良した数え切れない程の園芸種がある。百済寺、香嵐渓などもみじの名所の種類は大半がイロハモミジである。
さて紅葉の仕組みであるが、葉が老化し光合成に役立たなくなると木は葉を落とす準備を始める。葉の中にある養分がアミノ酸や糖に変えられ、植物体(幹や根)に戻される。その後、葉との間に離層という一種の隔壁を作り植物体との行き来を出来なくする。
すると、葉は残された力で光合成をするから葉の中に澱粉が蓄積され、糖から紅や黄色の色素が作られる。残っていた葉緑素も分解され色が薄くなるから、日を追って紅色や黄色が目立ってくる。
大半の樹木は同じようなシステムで落葉するのだが、カエデ科は紅葉して木に残っている時間が長いので、紅葉狩りを楽しめると言うわけである。
良寛さんが最後に口ずさんだと言う句を貞心尼が伝えている。
うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ
粟田勇著「花を旅する」岩波新書には万葉集の歌が紹介されている。
露霜にあえる黄葉(もみじ)を手折来て妹とかざしつ後は散るとも
奈良山をにほはす黄葉手折来て今夜かざし散らば散るとも
もみじばの過ぎまく惜しみ思ふどち遊ぶ今夜は明けずもあらぬか
どの歌も紅葉の赤と弾けるような官能が重なって心地よい。現代人は紅葉の華やかさの中に侘びや寂を感じているようだが、万葉の人々は生命溢れる血潮の色を感じていたかも知れない。
「もみじ」は一般にカエデ科カエデ属を指すが、その仲間の見分けは大変難しい。日本には26種(学者によって数は異なる)が自生し、これを改良した数え切れない程の園芸種がある。百済寺、香嵐渓などもみじの名所の種類は大半がイロハモミジである。
さて紅葉の仕組みであるが、葉が老化し光合成に役立たなくなると木は葉を落とす準備を始める。葉の中にある養分がアミノ酸や糖に変えられ、植物体(幹や根)に戻される。その後、葉との間に離層という一種の隔壁を作り植物体との行き来を出来なくする。
すると、葉は残された力で光合成をするから葉の中に澱粉が蓄積され、糖から紅や黄色の色素が作られる。残っていた葉緑素も分解され色が薄くなるから、日を追って紅色や黄色が目立ってくる。
大半の樹木は同じようなシステムで落葉するのだが、カエデ科は紅葉して木に残っている時間が長いので、紅葉狩りを楽しめると言うわけである。
良寛さんが最後に口ずさんだと言う句を貞心尼が伝えている。
うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ