575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

もみじ         草女

2007年11月30日 | Weblog
 先日、湖東の百済寺へ行った。紅葉はまあまあだったが、駐車場には観光バスがズラリと並び境内には人が溢れている。平日の午後であったからか観光客の八割以上は熟年女性。またまた女性の持つパワーを再認識した。
 粟田勇著「花を旅する」岩波新書には万葉集の歌が紹介されている。

 露霜にあえる黄葉(もみじ)を手折来て妹とかざしつ後は散るとも
 奈良山をにほはす黄葉手折来て今夜かざし散らば散るとも
 もみじばの過ぎまく惜しみ思ふどち遊ぶ今夜は明けずもあらぬか

 どの歌も紅葉の赤と弾けるような官能が重なって心地よい。現代人は紅葉の華やかさの中に侘びや寂を感じているようだが、万葉の人々は生命溢れる血潮の色を感じていたかも知れない。
 「もみじ」は一般にカエデ科カエデ属を指すが、その仲間の見分けは大変難しい。日本には26種(学者によって数は異なる)が自生し、これを改良した数え切れない程の園芸種がある。百済寺、香嵐渓などもみじの名所の種類は大半がイロハモミジである。
 さて紅葉の仕組みであるが、葉が老化し光合成に役立たなくなると木は葉を落とす準備を始める。葉の中にある養分がアミノ酸や糖に変えられ、植物体(幹や根)に戻される。その後、葉との間に離層という一種の隔壁を作り植物体との行き来を出来なくする。
 すると、葉は残された力で光合成をするから葉の中に澱粉が蓄積され、糖から紅や黄色の色素が作られる。残っていた葉緑素も分解され色が薄くなるから、日を追って紅色や黄色が目立ってくる。
 大半の樹木は同じようなシステムで落葉するのだが、カエデ科は紅葉して木に残っている時間が長いので、紅葉狩りを楽しめると言うわけである。
 良寛さんが最後に口ずさんだと言う句を貞心尼が伝えている。

  うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ
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謙称の検証   麗

2007年11月29日 | Weblog
日本語の難しさは敬語の遣い方に代表されると思います。

相手に対してへりくだった言い方の謙称の中に
「愚息」があります。(愚足さんもここから来ているのですか?)

ふと、娘のことは何て言うのだろうと思いました。

「愚娘」?

でも読み方がわかりません。ネットで調べてみると
自分の娘の謙称は「愚女」とありました。
愚かな女のこともこう呼ぶそうですが
これってあんまりな言葉ですね。「愚男」はあるのでしょうか?

相手側のことは高く、大きく、立派で
自分側のことは、小さく、拙く、愚かに表現する日本語。
これができないとマナーに疎いとなってしまう。
へりくだり過ぎるのもどうかと思いますが
ある意味な言葉なのでしょう。
拙文を読んで下さりありがとうございました。
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歌の鑑賞    遅足

2007年11月28日 | Weblog
荻原先生が書かれた興味深い文がありました。
それは短歌の鑑賞についてのもの。
俳句にも通ずる点がありますので、引用します。
例として挙げられたのが栗木京子さんの歌。

 観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)

先生は次ぎのように書いてみえます。

  
                         

この一首、「我」が恋愛感情を抱く相手と観覧車に
乗っているときの想いを描いたものだというのはすぐにわかる。
あえてそう言わずとも観覧車は回るわけなのだが、
わざわざ「回れよ回れ」と強調するのは、
「君」と過ごすきょう一日が、いつまでも「想ひ出」として
強く心に刻みこまれるようにという願いや祈りのきもちがある、
と読むのがいいと思われる。

そして「君には一日我には一生」は、この二人が永く結ばれることはなく、
いずれ別れるという「我」の側のいささか哀しい確信をあらわしている。
ここまではたぶんそれほどむずかしく考えなくても、
何度か読むうちに感じとることができるのではないかと思うのだが、
どうだろうか。


 短歌を読むときの問題は、ここから先にあらわれる。
この作品で定まった読み方をした方がいいのは、ここまで。
あとは自由に読んでもいいのだ。
自由に読むというのは、いささか抵抗があるかも知れないが、
短歌は、作品に記述された情報だけで確定的に読めない部分については
自由に読んで構わない。
観覧車と書いてある以上、そこが遊園地である可能性は高いが、
いつのことだとは書かれていない。
週末なのか平日なのかで、歌の背景の雰囲気はかなり変わることになる。
天候は、晴なのか雨なのか曇なのかあるいは雪なのか。
時間帯は、午前なのか午後なのか夕方なのか夜なのか。

そもそも「君」と「我」は具体的にはどんな関係なのか。
短歌を読むにあたってものすごく大切な部分ではあるが、
しかし、これらは、自由に読んで構わないのだ。
散文の表現であれば、当然これらの設定は克明に描かれているであろう。
短歌にはそれをするだけの文字のスペースがない。
なので、どうしても読み方を変えられては困る部分だけを仔細に描き、
その他の部分は読者の鑑賞にゆだねることが多いのである。

    

俳句の場合のほうが、より情報が少ないわけですから、
自由に読む範囲が広くなります。
読者の想像力を刺激し、自由に読める句が、きっと、
良い句の一つの条件ですね。

    







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落葉 その2   鳥野

2007年11月27日 | Weblog
落葉といえば、連想するのが源氏物語の「落葉の宮」

宮廷の蕩児たちの、相姦図のごとくに乱れた筋書きのなか、ひと際ややこしいのが、次世代の公達たち。
そのなかへ、ひっそりと登場します。

朱雀帝の娘で、光源氏の正妻の女三の宮に恋をして、不義の子までなす柏木。苦しむ柏木のために、その父が帝に降嫁を願ったのが、三の宮の姉君の二の宮。

妹に比べて見劣りが激しく、取り得もなく、つまらない女と蔑まれる二の宮。
 
  ・さねかずら落葉はなににひろいけん名はむずまじき挿頭(かざし)なれども

桂と葵、両方とも名前は睦ましい髪飾りなのに、どうしてその落葉なんかを拾ってしまったのか。

落葉とは、女の蔑称でした。男君たちの身勝手さ。紫式部どの、許されませんよ。

名城公園は美しい櫻落葉の盛りです。

                  
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長居すれば妻の声する厠かな            愚足

2007年11月26日 | Weblog
 今トイレで 「寒き日を書もてはひる厠かな」という子規の句を見つけました。
 解説によれば子規が二十八歳大病をする年の冬の句だといいます。
 読書好きの子規が読みかけの本が面白くてトイレまで持ち込んだという処でしょう。
 私の家のトイレにはマガジンラックがあって現在は私用に週刊誌一冊、山本健吉の文庫本「俳句鑑賞歳時記」、岩波新書「自分で選ぶ往生際」等が常備してあります。
 しかし、ラックを置くようにしても子規同様持込読書が五割以上。
 ところで、厠といえば子供の頃を思い出すとしゃがむと独特の臭気と隙間風に晒されおまけに薄暗く早く済ませて飛び出したかったものでした。
 あの環境で読書の続きとは、子規は余程の読書好きか、その本が面白かったのかのどちらかでしょう。
 きっと、手元に届けられた「猫」連載中の「ホトトギス」でも読んでいたのでしょうね。・・・・・・・・・・・
 
 「ねーあなた大丈夫?」
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11月句会の結果

2007年11月25日 | Weblog
最終結果です。   遅足


題詠「冬」

①煙突の刺の如くに冬の月(狗)遅・郁・朱・能
②今朝の冬月越しに浮く地球かな(朱露)静・亜・愚・能
③夫の名も忘れし母や冬日向(立雄)静・亜・晴・鳥・能
④冬晴れやささやかなこと感謝して(麗子)亜・郁・鳥・土
⑤蟹ゆでの匂う路地裏冬来たる(能登)愚・土
⑥あざやかにビルの装う冬の夜(晴代)狗
⑦残したる夢ちらほらと冬桜(愚足)晴・麗
⑧冬の蚊の妙に馴れ馴れしく寄りぬ(亜子)遅・郁・狗・朱・鳥・土・立
⑨赤絵具残るパレット冬景色(静荷)晴・麗
⑩一枚のガラス隔てて蝶の冬(遅足)静・狗・朱・立
⑪冬木立みじかき午後を愛おしむ(郁子)遅・麗・愚・立


自由題

①落葉掻ふりかえみればまた落葉(晴代)狗・麗・能
②時雨傘差すまでもなく薄明り(狗)土・能
③頭上より烏一声秋刀魚焼く(静荷)遅・朱・鳥・愚
④もう一人の己と語る夜長かな(立雄)静
⑤木曽晴れて炭焼く人の仕事唄(亜子)郁・狗・麗・鳥・土
⑥シクラメン窓辺に置いて冬に入る(麗子)遅・静・郁・鳥
⑦赤鬼の哀し色見ゆ初時雨(能登)晴・立
⑧イチョウの葉拍手喝采紙ふぶき(郁子)能
⑨耳ふたつひとつ空耳星月夜(遅足)静・狗・朱
⑩乱丁の俺冬空の逆上がり(朱露)遅・亜・晴・郁・愚・土・立
⑪穭田になほ青みあり余呉の湖(愚足)亜
⑫回復の兆し探して枇杷の花(童子)亜・晴・朱・麗・愚・立

   

次回は12月19日(水)午後6時 安田屋
題詠は、年の瀬、年末、クリスマスなど、年の瀬なら、なんでもOKです。

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伊賀越えは大渋滞の時雨かな   朱露

2007年11月25日 | Weblog
 
  奈良時代の官道伊賀越えを初めて経験。
  観光バスだから楽チンで、感動が薄い。
  だが帰りが大渋滞で二時間山道を這う。
  伊賀・柘植の忍者群が襲いかかる悪夢。

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うどん不味し正倉院で椎拾う   朱露

2007年11月24日 | Weblog
      奈良某寺某茶店のうどんはド不味い。
      汁ぬるく味薄くスーパーのうどん玉。
      外人が釣を請求するまでトボケてる。
      奈良朝が潰れたのは当たり前である。
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日本の柊(ヒイラギ)                 草女

2007年11月23日 | Weblog
 漢字からして冬の代表の木である。が、もともとは葉の刺が体にささるとヒリヒリと痛む(古語ひいらぐ)ので疼木と書いていたのが柊に変わった。中国で柊は芭蕉にに似た低木で、その葉はちまきを包むのに用いられる。
 11月から12月頃葉の基に白くて香りのいい花を沢山付ける。一つ一つの花は直径約5mmで四裂し、一つ一つ反り返る。
 実は写真のように、翌年の6・7月頃に紫黒に熟す。雌雄別株なのでどの木も実を付けるという訳ではない。
 クリスマスにはおなじみの緑の葉に赤い実を付けたヒイラギのリースが登場する。
 このヒイラギはセイヨウヒイラギかアメリカヒイラギで、これらは、モチノキ科モチノキ属の樹木で11~12月に赤い実をつける。葉の形は日本の柊にそっくりであるが、日本のモクセイ科モクセイ属のヒイラギとは縁もゆかりもない。
 西洋ではヒイラギが常緑であることからケルト民族が聖なる木として崇めたのを、キリスト教が取り込んだといわれている。
 日本ではその鋭い刺が邪悪なものを追い払うと考え、古事記では倭武が「ひいらぎの八尋矛」を武器として登場したり、節分の折、門に飾ったりした。
 しかし、刺のあるのは若木の頃で、老木になると角がとれて滑らかな切れ込みの無い葉になる。この性質は和洋のヒイラギとも同じである。老いると角が取れるのは何処も同じなのかもしれない。
 こんな訳で日本のヒイラギというのも変なのだが、そう言わないと最近では通じないような気がしている。 これも欧米化の一つかも知れない?

  鬼も蛇も来よと柊挿さでけり      後藤綾子
  古りし宿柊挿すをわすれざり      水原秋櫻子
  稚児行列柊の花こぼしゆく       甲斐ゆき子
  花柊野良着に小さき身八つ口      川島千枝
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文字感覚   麗

2007年11月22日 | Weblog
最近の大学生がメールの中で小文字のぁぃぅぇぉを多用する
ということを以前このブログで書いたことがあります。
「そっかぁ」など
語尾だけに使うのかと思いきや
「ぁりがとぅ」など一つの言葉の中に混ぜるそうです。
その心は?と聞いてみると
ケータイの画面をキャンパスにたとえ
「文字を書くというより小文字を使うことにより
文章を波打たせて絵を描く感じなんです」と答えてくれた女子学生がいました。

ケータイメールの若者文化は意外と奥が深く面白いと思い始めました。

ところで今はやりのKY。空気が読めない人のことを指す言葉ですが
これがSKYとなると
スーパー空気読めないということで、あの人「空だね」というそうです。
参りました。



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11月句会の投句が揃いました。    遅足

2007年11月21日 | Weblog
題詠「冬」

①煙突の刺(とげ)の如くに冬の月
②今朝の冬月越しに浮く地球かな
③夫の名も忘れし母や冬日向
④冬晴れやささやかなこと感謝して
⑤蟹ゆでの匂う路地裏冬来たる
⑥あざやかにビルの装う冬の夜
⑦残したる夢ちらほらと冬桜
⑧冬の蚊の妙に馴れ馴れしく寄りぬ
⑨赤絵具残るパレット冬景色
⑩一枚のガラス隔てて蝶の冬
⑪冬木立みじかき午後を愛おしむ


自由題

①落葉掻ふりかえみればまた落葉
②時雨傘差すまでもなく薄明り
③頭上より烏一声秋刀魚焼く
④もう一人の己と語る夜長かな
⑤木曽晴れて炭焼く人の仕事唄
⑥シクラメン窓辺に置いて冬に入る
⑦赤鬼の哀し色見ゆ初時雨
⑧イチョウの葉拍手喝采紙ふぶき
⑨耳ふたつひとつ空耳星月夜
⑩乱丁の俺冬空の逆上がり
⑪穭田になほ青みあり余呉の湖
⑫回復の兆し探して枇杷の花
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落葉の季節です    鳥野

2007年11月20日 | Weblog
紅葉が過ぎると、今度は落葉。詩情豊かな季節です。

 ♪ 落葉散る散る山間いの・・・と歌詞を聞いて、メロディーが浮かぶ人は、前世紀の遺物ですねぇー。

冬に向かって、ものみな枯死の準備。寂しさがつのります。

 ・ 母にのます粥を煮ながら思うなり山は今宵も落葉するらん

 ・ 宿なしの吾の眼玉に落ちてきてどきりと赤い一ひらの落葉

山崎方代の歌はなお更に悲しい。

それが、現代歌人になると

 ・ たとへば君 ガサッと落葉をすくふやうに私をさらって行ってはくれぬか                                 河野裕子

と、歯切れがいい。

さて、俳句。とりわけ現代の俳人はこうした落葉の情をどのように?。知りたいのです。








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妖しき野葡萄の実        愚足

2007年11月19日 | Weblog
 先日、晩秋の森を歩く会に参加しました。
 参加した方々は紅葉と美しい木の実を写真に撮ることに熱心でした。
 
 そんな中で、みんなが足を止め感嘆した木の実が「野葡萄の実」でした。
 添付の写真のように小さく青い野葡萄の実に混じってひと際大きく色も赤紫、青紫などなどいろんな色が混じり合って不思議な玉となっているものが数多く見受けられました。
 その美しさに一斉にカメラをむけていました。
 他の可憐な青い実と違って、艶やかに変色しビー玉のように巨大化しているのです。
 するとガイドの先生はおもむろに「木の実が癌化しているのです。」と驚きの説明。それによると木の実に良く見られるもので、「虫えい」といって木の実に虫が
産卵しそれが実の中で幼虫に成長していくもので、虫こぶとも呼ばれているといいます。
 またその過程では、木の実の細胞は異常な刺激を与えられて変色し巨大化するそうです。
「不思議な美しさですが、持ち帰って放置しておくと成虫になって大変ですよ」と言われました。
 その言葉に撮影をやめたり、映像を消去する人も居たり、中には解剖してみようと二三個持ち帰る人も居て人様々でした。

 家遠き思ひ野葡萄手に摘むは       有働 亨
 野葡萄のむらさきあはき思ひかな     島谷征良
 野葡萄に指染め女人高野かな       木内彰志

 野葡萄の妖しく病し月夜かな       愚足
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くっつき虫で果実酒を!!        愚足

2007年11月18日 | Weblog
 果実酒を造るシーズンだそうです。
 妻の書棚に「木の実、草の実事典・・200種の利用法」というのを見つけページを繰ると あるある、出来るは出来るは、木の実・草の実なんでもお酒が出来ます。

 アオギリ、アカザ、イチイ、ウド、オトギリソウ、カジイチゴ、カラハナソウ、ガマズミ、サンゴジュ、サルトリイバラ、シャリンバイ、トケイソウ、ナナカマド、ナンテン、ネズミモチ、ノイバラ、ハマナス、フナ、トチetc

 要は無精をしないで、縄文人のように実を採取してきて焼酎と砂糖に漬け込みじっと待つそれだけです。ただし飲み頃は経験しかないようですが。
 世の中、実のつかぬ植物は少ないので何でも果実酒に出来ることが分かりました。
 旨いか不味いかは別の話。 不味くても何かの薬にはなるようです?

 ところで、読んでいて極めつけは「オナモミの果実酒」
 オナモミはご存知のように、くっつき虫の代表選手。
 それが、何とお酒になるそうです。

 説明によると「ベニバナ同様のリノール酸を含んだ、ねっとりしたやや油っぽい苦味のあるなかなか面白い味のお酒が出来る。」そうです。また「乾燥した果実は蒼耳子という漢方薬にもなり頭痛・解熱に効く。」とも書いてありました。
 是非お試しを。

 オナモミを可愛いとおもふ雪催い    ぐ
 
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生きざらし噛むや海鼠の三杯酢   朱露

2007年11月17日 | Weblog

      太宰治は生まれてすいませんと言った。
      私は、しまった生まれちまったと叫ぶ。
      太宰は39才ですたこらさっさと自殺。
      三杯酢の海鼠をゆっくり噛んでは噛む。

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