575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

渡り鳥みるみるわれの小さくなり  上田五千石

2009年09月30日 | Weblog

はじめて読んだ時は、よく分かりませんでした。
渡り鳥をみている。鳥は、みるみる北へ遠ざかっていく。
鳥から見たら、人間のわれも、みるみる小さくなっていく。
知的だけれど、アタリマエな、ヘンな句・・・といった印象でした。
でも、どこか気になっていました。

最近、渡り鳥と人間ではなく、人間同士の関係だったらどうだろうか?
たとえば恋の句だとしたら・・・と、ふっと思いました。
恋する人との別れ。
時とともに、私のなかの恋人はどんどん離れていく。
恋人も私を忘れる。私も小さな存在になっていく・・・

渡り鳥をみている句と読んだけれども、上五で、切れている。
としたら、恋の句という読み方もありうるのでは?

渡り鳥を見ていた句として読むと、
われと鳥との間に、恋人同士と同じものを感じたかも。
いのちとの一期一会を読んだ句かもしれない。
それなら鳥が小さくなると詠んでも良いが・・・
なぜ、われが小さくなると詠んだのか?
これは自我というものをどう考えるのか?
という哲学的な問題を提起しているのか?

自己はそれ自身としては器でしかない。
なかに入っている内容はみな他者である。
その他者が小さくなるということは、即ち、われが小さくなることか・・・

渡り鳥みるみるわれの小さくなり

やはり気になる句です。 (遅足)



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V字渓谷は後いくつ   鳥野

2009年09月29日 | Weblog
上州の名湯、川原湯温泉を訪れたのは、十数年も前のこと。
静かな山裾の湯と期待したとおりの、素朴な湯宿。窓の外は急な崖で、遥か下に吾妻川の流れが見えました。

宿の建物はかなり古びて、建具の立て付けも傷み、隙間もあちこちに。

「やがてダムの底に沈むと思えば、手を入れる気にもならなくって」と女将は済まなさそうです。

八ツ場ダムの計画が発表されたのは昭和27年。間もなく町議会は「絶対反対」の決議。こぞって猛烈な運動が始まりました。

その後、「東京の人たちの最後の水がめ」「利根川流域の安全のため」などと説得されて、住民はの苦渋の決断をしたのです。

そんな大きな役割があるのなら、なぜ半世紀以上も、未完成のままなのか。疑問ばかりの計画であっても、地元はもう疲れ果てています。

宿に泊まった翌日、歩いた吾妻渓谷のまだ手付かずだった自然のすばらしさ。

この地を愛した若山牧水は詠っています。

  ・ うずまける白渦見ゆれ落ちあへる 落葉の山の荒岩の蔭に
 
美しいV字渓谷を見れば、「ダムの適地」と群がる公共事業族。八ツ場ダムはようやく逃れそうですが、
「楽設ダムも助けてー」と、寒狭川のオシドリが叫んでいます。
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遥かなる木犀薫り自信持つ   朱露

2009年09月29日 | Weblog

       ここ数年匂いに鈍感になったのが分る。
       五体の機能が衰えて来た現れの一つだ。
       そこへこの秋の木犀の圧倒的な匂いだ。
       と書きながら秋が過ぎたらどうしよう。

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虫鳴かぬ夜明け怪しき東風   朱露

2009年09月28日 | Weblog

      九月二十八日の夜明け遂に虫黙る。
      今年は長く鳴き過ぎたと気がつく。
      私は朝の東風が嫌で何とか起きる。
      タイガー・ウッズも負けていたよ。

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シラタマホシクサ 草女

2009年09月28日 | Weblog
 海上の森の南にある浅間神社の近くにシラタマホシクサ咲く湿地がある。毎年観察しているが、少しずつ勢力を伸ばしているようでうれしく思っている。ホシクサ科ホシクサ属の一年草で、東海丘陵要素植物(東海地方の環境ー貧栄養な土壌に適応して生き残ったり、誕生したりした)を代表する一つであり、絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定されている。
 シラタマホシクサは湧水の絶えない酸性土壌にはえ、このような土地は開発されることが多く、今もある湿地はとても貴重である。
 直径1cmぐらいの白い球は金平糖のようでもあり、群生している様子は大変美
しい。ネットを見ると、その美しさ故か、世界中でここ東海4県にしかないめずらしさ故か、「シラタマホシクサの育て方」という記事の多いこと。清楚で可憐とくれば、手を出したくなるのはが、人情でしょうが、育つ条件をクリアーするのは、難しい。
 手軽なところでは、東山植物園にある。森林公園には大群落もある。花を愛でる
ときは花のあるところまで行ってほしい。
 浅間神社近くの湿地には、ウンヌケというススキに似た絶滅危惧Ⅱ類の草や、ヒナノカンザシなど、貴重な植物が多い。この湿地の所有者をしらないが、いつまでも存続することを願い、6年目にして初めて浅間神社に参拝した。100円のお賽銭の効き目がありますよう・・・ 
     
     
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俳句教室より    遅足

2009年09月27日 | Weblog
荻原先生の俳句教室。
自由題。


  石となり眠る目覚めて秋の砂  遅足

これは蓼科の雨池という山のなかの小さな池に行った時の句。
昼下りの暫しの時間、ゴロンと石の隣りに寝転んで・・・

動詞が3つもあって説明的で、すっきりしていない。
昏睡の石は目覚めて秋の石
とも考えてみましたが・・・


先生の添削は、

  石のまま眠る目覚めて秋の砂

さらに、下五の語順をかえて

  石のまま眠る目覚めて砂の秋

具体的なことを詠うのではなく
観念的な句としたほうが良いというお話でした。

ありがとうございます。

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名月や顔剃って斬る血の始末    朱露

2009年09月27日 | Weblog

   安全剃刀で血を見るとは何事であるか。
   安全剃刀で手が震えるのは何故なんだ。
   安全剃刀を信じないのかそれとも何だ。
   名月でも無月でも手の震えに関係ない。

    (今年は例年より遅く、10月3日が十五夜です。)

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日常の澱剥ぐ秋や寄席稽古   朱露

2009年09月26日 | Weblog

    豊橋落語天狗連三十回目の寄席迫る。
    私は開幕前に口上を少々述べるだけ。
    とは言えこれが白けるとどうなるか。
    三分の為に秋の日々は鬱々と流れる。

  
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ツチアケビ           草女

2009年09月25日 | Weblog
 この時季、森では、ツチアケビの赤いバナナのような実が目立つ。ウインナソーセージのようでもある実が1本の茎に10個ちかくぶらさがっている様は何度見ても異様である。知る限りで、海上の森では2か所に生えている。          ラン科ツチアケビ属の腐生植物で、全く葉緑素を持たない。腐生植物とは、種子植物の中で、植物体に光合成で自活する能力がなく、菌類と共生して、栄養素を得て生活するものを指して呼ぶ。ツチアケビの場合、ナラタケと共生しているというより、寄生している。地下茎は太く、よく分枝し、細胞内に食い入ったナラタケの菌糸はあとかたもなく消化吸収されるという。ナラタケがあるうちは翌年も同じところに芽生えるが、食べ尽くすと別の場所から芽をだす。
茎は太く、全体が黄褐色を帯び、高さは50cm~100cmぐらいでよく分枝する。葉は退化してない。5~6月、シンピジュウムを肉厚にしたような黄色で、3~6cmの花を多数つける。異様な美しさがあり、この時季花を探して歩き回る。近くに水流れている、薄暗い樹林の中にあることがおおい。
 秋になって実をつけているツチアケビをみたら、あまりの姿に一生忘れないだろ
う。赤いウインナソージの実がアケビに似ていて、地面に生えているからツチアケビといわれている。もし昔のひとが、バナナやソーセージを知っていたら、名前がちがったと思う。                              この実は生薬の土通草(どつうそう)で、強壮・強精剤になる。私達は決して採取することはなく、冬になりどす黒いままぶら下がっているのを、確認し来年の再会を願う。

 
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生活の哀感と言うな新秋刀魚   朱露

2009年09月24日 | Weblog


     角川文庫歳時記の「秋刀魚」を見る。
     秋刀魚には平凡な生活の哀感が云々。
     要らぬ世話を焼かずに秋刀魚を焼け。
     熱い腸をおろし大根で食ってからだ。

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彼岸ゴルフ    麗

2009年09月24日 | Weblog
昨日の秋分の日は久しぶりにゴルフをしました。
午後スルーで日没寸前にホールアウト。昼と夜の長さが同じ日に
太陽を意識しながらのプレーとなりました。
身体に余分な力が入っているからか
今日はあちこち筋肉痛に。。。

ティーショットがよくてもアプローチが悲惨。スコアメイクはできません。。
まだまだ練習しなければいけないと実感しました。それにしても5時間以上も
ひたすらスイングに集中し他事を考えないというのはすばらしいことですね。
仕事ではこうはいきません。
ボールがあったと思ったら白いきのこでした。来月の俳句に詠めるかな?

      煩悩の数ほど打てど秋ゴルフ   麗

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秋分の日    遅足

2009年09月23日 | Weblog
秋分

昼間の長い夏が終り、ちょうど昼夜の長さが同じになる秋分。
春分と比べると、日の長さは同じでも、気温は秋分のほうが
10度ほど高いそうです。

秋分も二十四節気のひとつ。
この節気をさらに3つに分けて初候・次侯・末侯とします。
秋分の初候は「雷すなわち声をおさむ」つまり、雷が鳴らなくなる。
次侯は「虫かくれて戸をふさぐ」、これは啓蟄に対応しています。
末侯は「水はじめて涸れる」田の水を抜いて乾かすこと。

春分と秋分の日、前後7日間が彼岸会。
俳句では、彼岸といえば春の彼岸。
秋は「秋彼岸」というそうです。

なぜ秋分の日が彼岸の中日なのか?
この日に西の海に沈む夕日を拝んで、
極楽浄土を願った仏教の影響という説が有力です。
四天王寺の西門からは大阪湾に沈む夕日が見えたそうです。
来世の幸せを念ずる祈り。

  おしゃべりな海が日を呑む秋彼岸   遅足

この日が国民の祝日になったのは昭和23年。
祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ日だそうです。
お墓参り。そういえば、まだだ・・・
今年は大型連休。
行楽は祖先の供養になっているかな?






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夜なべして「長いお別れ」読み果たす   朱露

2009年09月23日 | Weblog


          「夜なべ」は夜仕事で秋の季語。
          「読書」は夜なべかどうか問題。
          530頁読み疲労困憊血圧上昇。
          レイモンド・チャンドラー笑う。

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「鳩のあかちゃんが生まれたよ」 鳥野

2009年09月22日 | Weblog
 鳩の話です。ベランダの壁とエアコンの室外機の間の、隙間に巣材を運び始めたのは、一ヶ月くらい前のこと。
そんな様子を話したら、誰もが「今のうちに追い払わなければ、大変なことになるから」と真剣に助言してくれます。 なぜ? どんな被害があるの? わからないまま、しばらくして、白い卵が2つ。
 枝の切れ端や、草の枯れ葉を少し重ねた粗雑な巣、わがネコの威嚇、ワタシの出入り、酷暑・・悪条件揃いにもめげず、夫婦は律儀に交代しながら、抱卵を続けました。 待つ間の長さ、無精卵かもと心配し始めた時、アカゴがうごめいていたのです。うふふっ、9月16日はワタシと同じ誕生日。覗いてはだめ、ネコの声が届くのもだめ、と気を配る日々。いまのところは順調の様子。
 無事に巣立ちますように。

  待つ人を持たざる吾れに朝なさなククルクルクル鳩の来て啼く

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俳句教室より    遅足

2009年09月22日 | Weblog
荻原先生の俳句教室。
今回の宿題は「鰯雲」「鱗雲」です。 


  戦死者のながき戦後や鱗雲  遅足

先生のコメント
戦死者のながき戦後や、は、観念。
抽象的なものに具体的なものを取り合わせる。
私が取り合わせたのが、鱗雲。
いつもダメ出しが出ます。
今回もダメと。
これまでも先生から何回も指摘されています。
なぜダメなのか?
作者の思惑がすけて見える、ということなのですが・・・

先生の対案は

  戦死者のながき戦後や秋高し

戦死者のながき戦後や、という観念を
すっぽりと入れてしまう器のような季語良いとのこと。

みなさんは、どう思われますか?


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