6月28日午前1時40分から30分間。「この100年〜女性解放〜」
がCBCより再放送されました。
わざわざ録画してまで見る人も少ないと思いますが、私は録画して
後日、見ました。私がまだ30代の作品で冒頭、別人のような私が
インタビューしているシーンが出てきてビックリ。
若い頃、書いたナレーションの方が今より良いなぁー、編集も間延び
していないなぁーなどと自画自賛しながら見ていました。
それよりも、映像が50年以上たっても鮮明なのに驚きました。
ネガが残っているからです。私の年齢に近い2人の同僚が長年、膨大な
フィルムを整理。ネガフィルムを保存しておいてくれたお陰でです。
初期のビデオは大方、劣化していますが、それに比べて歴史の長い
フィルムは当時のままの映像で残っています。
当時はまだ映像と音声が同時録画できるカメラがなく、私はいつも
重いデンスケ(録音機)を担いで取材していました。
ところが、「女性解放」を見ていたら、愛知県一宮市の紡績工場で
働いていた女性があまりの辛さに、工場の塀を乗り越え春日井市の
実家に素足のまま逃げ帰ったとシーン、当時の若者へのインタビュー
は同時録画になっています。翌年(1968)に制作した「列車糞尿譚」では
国会へ初めて同時録画のカメラを持ち込んだのはよく覚えてますが。
当時、開発されたばかりの400巻き同時録画のカメラを初めて使ったの
です。まだ当時は100フィート( 36フィートが1分)が主流でした。
大抵、ニュースは100フィートつまり2分半位。それに比べ400フィート
10分余り同時録画できます。私はこのカメラを多用しました。
朝日新聞に辛口のテレビ時評というのがあって、これに取り上げてもらえ
ないかと常々、思っていました。「女性解放」が載っていました。
女工哀史や平塚雷鳥のシーンを高く評価していましたが、銃後の守りの
シーンなどに歌謡曲を流したあたりから平凡な作りになった。惜しい。
と、まあこんな批評でしたが、今、見て私もそう思いました。
最後どう締めくくって良いか分からず、若者が男性優位の風潮は変わら
ないという言葉で何とか締め括っています。
それよりも、この作品のことを知った女性史研究家の米田佐代子氏から
連絡があり、晩年の平塚らいてうさんが動く映像で残っているは他には
ない。平塚さんは晩年、庭作りに励まれ、自ら設計図を作った。
東京の住宅地とは思えない森のような庭は当時、評判だったこと。
その庭も歿後、人手に渡り、「幻の庭」になってしまったこと。
庭を散策するシーンはとても貴重なことが今になって分かりました。
作品の出来はともかく、まだ男尊女卑の風潮が強い時代、「女性解放」、
ジエンダー平等をテーマにしたテレビ番組は珍しかったことだけは確かです。
竹中敬一