575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

梅雨深し何の縁の夫婦かと  静荷

2017年06月30日 | Weblog
朝から強い雨。まさに梅雨の真ん中にいるようです。
この句、夫婦の深い歴史を詠んでいるようです。
季語の「梅雨深し」から来るイメージのせいでしょうか・・・

昔「夫婦善哉」、という番組がありました。
司会の漫才夫婦が、熟年夫婦にツッコミを入れて笑いをさそう。
喧嘩や浮気などの人生の荒波をくぐった夫婦の涙と笑い。
こってりした西洋料理ではなく、日本料理として楽しめました。
夫婦の縁の不思議さを感じたものです。

民族・国によって、夫婦の文化も様々。
フランスでは少子化対策もあって事実婚が制度として認められているとか。
また、夫が稼いだお金は夫のお金、妻が稼いだお金は妻のものと、
男女同権が徹底しているとか・・・自由と平等のお国柄?
一方、イスラーム圏では、複数の妻を持つことができるという。
男性にはうらやましいような制度が。
なぜそうなっているのか?は、よく分かりませんが、
お金がかかるうえ、妻の間の嫉妬や喧嘩にも気配りが必要。
それはそれで大変とか。

こうした国で夫婦善哉のような番組があったらオモシロイでしょうね。

            

立雄さんの奥さんは絵を描いていらっしゃいます。
案内をいただいて愛知県美術館に行ってきました。
至現会の会場に入った最初の部屋に展示されています。
「貨物駅にて」という作品です。
地味な素材ですが、しっかりした美しさがあります。
7月2日までです。
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ようやく    麗子

2017年06月29日 | Weblog
ようやく体調戻りましたが、先週はフリーアナウンサーの小林麻央さんの訃報とそれに伴う海老蔵さんの涙の会見に心乱れました。
息をひきとる最後の言葉が「愛してる」だなんて。なんて強く愛に溢れた人なんだろうと改めて思いました。
ちょうど麻央さんの発病と同じ年に私もある手術をしたので、本当に他人事とは思えず彼女のブログを心の支えにしているところがありました。いつも心にすとーんと響く言葉でした。

そして、麻央さんもがんばっているのだから私もがんばろうと。そんな人はきっとものすごく多かったと思います。だからこそBBCの世界中に影響力があり人の心を動かす100人の女性の一人に選ばれたのでしょう。
今、麻央さんのブログが更新されなくなってとても悲しく淋しい気持ちになっています。

でも最後まで人生は一度きりだからと、常に笑顔で最後までその闘病生活をつづってくれた麻央さんのことをいつまでも忘れずいたいと思います。
麻央さんに会ったこともないけど心からお礼を言いました。
麻央さん、本当にありがとうございました。

           紫陽花の季節に美しき人逝く   麗子  
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指力(ゆびぢから)なき夫のむく夏蜜柑   佐保子

2017年06月28日 | Weblog
高得点句でした。季語は夏蜜柑。
モデルは私です。若い頃は、なんなく剥けた皮も今や悪戦苦闘、
攻めあぐんでいる様子をじっと観察する妻の目。
おかしくもカナシイ一場面です。

静荷さんから、包丁で切れ込みを入れるのよ、
と智恵も授けられました。

  割る時の親指太し夏蜜柑  今瀬剛一

  眉に力あつめて剥けり夏蜜柑  八木林之介

みなさん夏蜜柑の皮には苦労しているんですね。 遅足

          

夏みかんといえば、この句を思い出します。

  夏みかん酸つぱしいまさら純潔など  鈴木しづ子

「酸っぱし」に思いが込められているようです。

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短夜の夫の抜き足厠かな  亜子

2017年06月27日 | Weblog
季語は短夜。一年で一番、夜の短いこのごろです。
それでも夜中に何回かはトイレに。
私も、作者の御主人と同じです。
睡眠中の奥さんを起こさぬように・・・そっと、抜き足で。
やさしい御主人の心づかいを詠んでいます。

西洋の映画をみると夫婦は同じベッドで。
日本では寝室を同じにするのか、別にするのか?
作者ご夫婦も我が家も同じ部屋に。友人は別々だそうです。
高齢になると、眠っているうちにあちらへ行ってしまわれる方も。
朝起きて、まずお隣が息をしているか?・・・確かめるという話も。
高齢社会の勉強もできる句会でした。
                     遅足
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くちなしや帰宅の夫の胸元に  立雄

2017年06月26日 | Weblog
帰宅した夫の胸元にくちなしの一輪が。
あるいは帰宅した夫に「ほら、くちなし!」と妻が。
このどちらに読むことが出来ます。
句会でも読みは分かれました。
みなさんはどちらに?

作者は後者のつもりだそうです。
目の見えない夫が帰宅。庭で咲いたくちなしを胸元に。
心優しい妻です。

  くちなしや帰宅の夫の胸元へ

とすれば、よりはっきりと意図は読者に伝わるでしょうか。


くちなしは梅雨の頃に白の花を咲かせます。
強い香りが特徴で、秋には橙赤色の実をつけます。
この実は古くから黄色の染料として利用され、
また漢方薬として用いられています。
熟しても口が開かないことから「クチナシ」の名が。

  梅雨晴れ間妻に手を貸す布団干し

こちらも同じ作者。やさしい妻にやさしい夫ですね。

                   遅足
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平和憲法のゆくえは…   竹中敬一

2017年06月25日 | Weblog
6月23日、 沖縄全戦没者追悼式の生中継をNHKテレビで見ました。
私を引きつけたのは、地元の女子高生が朗読した「平和の詩」でした。
自作とはいえ、かなり長い詩を、しっかり未来を見すえるような眼差しで
よどみなく朗読。平和を希求する沖縄県民の強い思いが伝わってきました。

しかし、現行憲法施行70年を迎え、改憲の動きが加速しているようです。

憲法九条の発案者をめぐって、改憲に熱心な安部政権は「アメリカの押し付け」と
云っています。これに対して、当時の首相、幣原(しではら) 喜重郎が発案者である
とする説があります。

幣原説の根拠の一つになっているのが、所謂「平野文書」である事はうっすらと
知っていましたが、元岐阜県知事の平野三郎氏だったとは、知りませんでした。
もう30年も前のことになりますが、私は晩年の平野三郎氏のご自宅(東京世田谷)
に取材のため訪れています。
何の取材だったか、どうしても、思い出せませんが、憲法の件でなかったことだけは
確かです。帰りぎわに、最近、出版したという自著を頂戴しました。
「昭和を支えた天皇物語」(すばる書房・昭和61年)。
今になって、この本を読んでいますが、私には意外な事ばかりです。
岐阜県郡上郡八幡町(現、郡上市)の大きな造り酒屋に生まれた平野氏は昭和初期、
慶応大学在学中に共産党に入党、治安維持法違反で投獄されています。
その彼がどうして、天皇について書こうとしたのか、動機を語っています。
「戦後、幣原喜重郎の秘書官となり、氏が憲法作りに精魂を傾けていた姿に直接触れ、
間接的に天皇の人となりを知るに及び、次第に畏敬の念を深くしていた。特に、憲法の
成立の過程で天皇の果たされた役割が、あずかって極めて大であったことを知った時、
私は天皇の大きさ強さ、そしてその純粋なお人柄にうたれた。」
平野三郎氏は、衆議院議員を五期、更に岐阜県知事を三期つとめ、天皇に何回か
お会いしている間に、その人となりに直接触れて、すっかり天皇の虜になったと書いて
います。
平野三郎氏は衆議院議員時代、幣原喜重郎から強い影響を受けたものと思われます。
彼は昭和39年、政府の憲法調査会に「幣原先生から聴取した戦争放棄条等の生まれた
事情について」という報告書を提出しています。
これが「平野文書」と云われるもので、公開されています。
憲法九条の発案者が幣原氏であるとしているのですが、平野氏が晩年に書いた
「昭和を支えた天皇物語」では、幣原説を補足して「源泉は天皇である」「日米合作」
とも云っています。

私にとっては、憲法九条の発案者が誰であってもよいのです。少年時代、今の憲法が
発布されて、「戦争放棄」という言葉にどれだけ希望をもらったことか。皆んな
食べるものにも事欠きなだら、これできっと、平和な時代になって、日々の暮らしも
良くなるものと信じて懸命に働いてきたのです。

この平和憲法が今、揺れています。恐ろしいことです。

写真の絵は、障害のある息子・健のラクガキ帳からです。
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6月句会の最終結果です。

2017年06月24日 | Weblog
雨模様のなか、7人の出席と少しさみしい会となりました。
結果はごらんの通りです。

題詠「妻または夫」
①くちなしや帰宅の夫の胸元に(立雄)佐保子・すみ
②短夜の夫の抜き足厠かな(亜子)狗子・晴代
③指力(ゆびぢから)なき夫のむく夏蜜柑(佐保子)結宇・能登・狗子・亜子・すみ・静荷・晴代・立雄
④梅雨深し何の縁の夫婦かと(静荷)結宇
⑤妻に逢うまえの私に会う夏野(遅足)能登・佐保子・亜子・静荷・等・郁子・立雄
⑥片陰に荷降ろす夫の肩寂し(郁子)智恵・能登・等
⑦新妻の帰り待ちわび鯵捌く(すみ)
⑧妻をぬぎ旅する空は青の夏(晴代)結宇・智恵・佐保子・麗子・狗子・遅足・亜子・すみ・静荷・立雄
⑨斎宮や二上に夫か夏木立(結宇)遅足
⑩六月の夫の背中に薬塗り(麗子)郁子
⑪飛び魚の遠く飛ぶさき妻の待つ(能登)遅足・等・晴代・郁子
⑫紫陽花坂歩き遅れし妻を待つ(等)麗子
⑬ゴキブリを仕留めるときの妻の目(狗子)智恵・麗子

自由題
①一山消え一村灯る夕立かな(等)結宇・能登・麗子・遅足・亜子・すみ・晴代・郁子
②蟻になり地を感じとるテント泊(能登)佐保子・すみ・静荷・等
③梅雨晴れ間やっと内定出たらしい(麗子)佐保子・狗子・晴代・郁子・立雄
④開墾碑夏の山田に塔婆かな(結宇)狗子
⑤六月の風六月の田をわたり(晴代)佐保子・麗子
⑥縄文の舟が銀河をさかのぼる(遅足)結宇・能登・等
⑦風鈴の鳴りやむたびに嬰泣けり(亜子)結宇・智恵・能登・狗子・遅足・すみ・等・晴代・郁子・立雄
⑧夏山登頂征服などほど遠し(静荷)
⑨十四歳将棋にかける夏の陣(立雄)智恵・亜子・静荷
⑩雨降りに似合ふ花なり夏椿(佐保子)
⑪十薬の黙す憂いの雫かな(郁子)智恵
⑫空梅雨や空の傘立て傘を待つ(すみ)麗子・遅足・亜子・静荷・立雄
⑬徘徊の車飛び込む梅雨晴れ間(狗子)

次回は7月19日(水)午後1時半 
芸文センター12階・催事室Ⅾ(アートスペースⅮ)です。

題詠は「晩夏」です。

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熱田神宮の昔を知ろう ⑵  竹中敬一

2017年06月23日 | Weblog
熱田神宮に伝わる「尾張国熱田太神宮縁起」に、稲種(いなだね)の公(きみ) が
ヤマトタケルに「この郡(こおり)の氷上(ひかみ)の里は私の故郷でございます。」
と云ったその場所は、今の名古屋市緑区大高町。稲種の公の妹ミヤスヒメを祀る
氷上姉子(ひかみあねご)神社が鎮座しています。

縁起の最後のところに「海部氏(あまし)を以って神主とするが、海部氏は尾張氏
の別性である。」という記述があります。尾張氏は海を生活の場とした氏族で、
伊勢湾に面した濃尾平野一帯を支配していたようです。

インターネットで「尾張古地図」を検索すると、様々の地図が出てきます。どの地図も
今より海が陸地に食い込んでいるということです。専門家によると、「海進現象」と
いって、古代には時々、このような現象があったようです。

縁起には、ヤマトタケルが伊吹山で荒ぶる神に敗れ、重い病を抱えてたまま「伊勢に
移り、尾津(おづ) の浜にお着きになった。」とあります。尾津は今の三重県桑名市
多度町戸津(たどちょうとず)。近くには、上げ馬神事で知られる多度大社がありますが、
多度山の近くまで海岸線が迫っていたことになります。

熱田神宮は熱田台地の南端に位置しています。熱田の地の東側は入り江になっていて、
対岸に氷上の里(大高町)があります。この入り江は「あゆち潟」といって、愛知県の
地名になったと云われています。熱田の地は伊勢湾と濃尾平野を治める要としては
最適の場所だったと云えるでしょう。

熱田神宮の近くには、断夫山(だんぶやま)古墳 があります。6世紀初頭とされる東海地方
最大の前方後円墳で、ミヤスヒメの墓とも伝えられています。
また、愛知県春日井市、庄内川近くには、ほぼ同じ頃、同じ前方後円墳の二子山古墳が
あります。春日井市発行のパンフレットには「尾張氏は二子山古墳をはじめとする味美
(あじよし)古墳群の勢力と連携し、実質的に尾張地域の統合を達成した」と出ています。
また「尾張連草香(おわりのむらじ くさか)の娘 目子媛(めのこひめ)が継体天皇の妃に」
とあり、二子山古墳は目子媛の墓ではないか、という説もあります。

古代史のある時期に、この尾張地方が重要な役割を果たしたことがうかがえます。
興味のある方は考古学者森浩一の蔵書を集めた「森浩一文庫」へ行かれてみては。
謎解きの楽しさが味わえるはずです。

写真は氷上姉子神社(名古屋市緑区大高町)。
鎮守の杜の背後は高速道路、周囲には住宅街が迫っています。


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咲いた!     麗子

2017年06月22日 | Weblog
昨日は句会に参加出来ず残念でした。
ひとこと講評はお休みです。

皆さんの妻・夫を詠み込んだ俳句を家で読んでおりました。
私が選句したのは次の三句。

   妻をぬぎ旅する空は青の夏

旅する妻は解放感でいっぱいです。夏の空の青さも一層まぶしく感じられます。

   紫陽花坂歩き遅れし妻を待つ

妻を振り返る優しい旦那様と紫陽花坂が絵のように目に浮かびました。

   ゴキブリを仕留めるときの妻の目

字足らずが気になりましたが、人が変わったような妻の目は確かに怖いですね!

きっと句会では楽しい夫婦のやりとりがあったと思います。

さて、先週このブログで紹介したサボテンのつぼみ。あれから急成長し、二日後の土曜日に見事に開花しました。
夕方から咲き始め夜には満開に。
やはり月下美人のようにたった一日のはかない花でした。十数年沈黙を続け一日で咲ききりました。
その時間の進み方や、サボテンのとげとげからは想像もつかないあまりに美しい白色の花びら。
中には100本くらいのおしべがありサボテンの花の不思議さに見とれた夜でした。
次の日には、哀れなほど、くたんとしおれましたが、大仕事をなし遂げた感がありました。

思えば私たち夫婦は今日が銀婚式。25年前の今日も梅雨の晴れ間のさわやかなお天気でした。
あれから25年!この間色々ありましたが、奇しくも2輪同時に咲いてくれたサボテンもお祝いしてくれたのかな?と思っています。


          サボテンの花咲く今日は銀婚式   麗子

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6月句会の投句が集まりました。  遅足

2017年06月21日 | Weblog
朝から雨。しかも時々はげしく。
気温も低く体調管理が難しい気候です。
私も一枚多く羽織っています。

題詠は「妻または夫」でした。様々な妻・夫の姿が。

①くちなしや帰宅の夫の胸元に
②短夜の夫の抜き足厠かな
③指力(ゆびぢから)なき夫のむく夏蜜柑
④梅雨深し何の縁の夫婦かと
⑤妻に逢うまえの私に会う夏野
⑥片陰に荷降ろす夫の肩寂し
⑦新妻の帰り待ちわび鯵捌く
⑧妻をぬぎ旅する空は青の夏
⑨斎宮や二上に夫(ツマ)か夏木立
⑩六月の夫の背中に薬塗り
⑪飛び魚の遠く飛ぶさき妻の待つ
⑫紫陽花坂歩き遅れし妻を待つ
⑬ゴキブリを仕留めるときの妻の目

自由題

①一山消へ一村灯る夕立かな
②蟻になり地を感じとるテント泊
③梅雨晴れ間やっと内定出たらしい
④開墾碑夏の山田に塔婆かな
⑤六月の風六月の田をわたり
⑥縄文の舟が銀河をさかのぼる
⑦風鈴の鳴りやむたびに嬰泣けり
⑧夏山登頂征服などほど遠し
⑨十四歳将棋にかける夏の陣
⑩雨降りに似合ふ花なり夏椿
⑪十薬の黙す憂いの雫かな
⑫空梅雨や空の傘立て傘を待つ
⑬徘徊の車飛び込む梅雨晴れ間

     

梅雨本番。風邪、熱中症に要注意です。





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空梅雨や訊き返すこと多くなり   遅足

2017年06月20日 | Weblog
最初は、お芝居のセリフが聞き取りにくくなったことが始まり。
次には、すぐ近くにいる奥さんのコトバが聞きにくくなりました。
最近は、訊き返す回数が一段とふえました。

補聴器を買ったのですが、耳に入れるのがうっとおしくて・・・
つい聞き返してしまいます。
聞かれるほうにすれば、もっとウットウシイでしょうね。

季語の「空梅雨」が生きているものか?直観的な判断なので・・・
読者には受け入れていただけるものでしょうか?

明日から本格的な雨だそうです。



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わかる句・わからない句   遅足

2017年06月19日 | Weblog
俳句を読んで「わかる」時は、そうか!その通り!という気持ちになります。
そうか!は発見であり、その通り!は共感です。
その一方、ひとつひとつの言葉は分かっても、わからない句もあります。
  
  たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ

坪内稔典さんのこの句も「わからない」句でした。
「ぽぽ?」のあたりが火事って?・・・意味が分かりません。

ポイントは「ぽぽのあたりが火事」です。
まさに分からないところに句の工夫があるようです。
ある人は次のように解説していました。

 コトバは意味と同時に音も伝えています。
 「ぽぽ」という音は火が燃える様子を感じさせます。
 たんぽぽという「言葉」のぽぽのあたりがボヤですよ。
 と、いうことを作者は言いたいようです。
 意味を追うのではなく、言葉遊びを楽しむ句でしょう。

また、先日読んだ『カラダの智恵』(三村芳和・著)には、
似顔絵を見る時の脳の働きについて、こんな風に解説しています。

  視覚脳は「もの」の本質を引っぱり出し、
  脳内に先住する「もの」の情報と照合する。
  そして最後に「もの」を同定し分類する。
  こうしてようやく外界の「もの」が見える。
  これらのプロセスを画家はキャンバスの上で行う。
  『見るということは、それ自体で既に創造的作業であり、
  努力を要するものである』~アンリ・マティス。

言語脳に関しても同じようなことが言えるのではないでしょうか。

  三月の甘納豆のうふふふふ

など、稔典さんの句に親しんでいくうちに、私の脳は「ああ、あれか」と認識。
拒否感が消えて、オモシロイ句として楽しむことが出来るようになりました。
習うより慣れよ、でした。

「読む」ということも、創造的な作業で、努力を必要とするものの様ですね。
努力すれば楽しみの世界も広がりそうです。



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わがままで自由な句   遅足

2017年06月18日 | Weblog
お昼の連続テレビ「やすらぎの郷」に、はまっています。
理想郷(?)のような老人ホームが舞台のドラマ。
現代のお年寄りたちが抱えている問題を、時には深刻に。
しかしユーモアをもって温かく描いています。

ひさしぶりに脚本を書いた倉本聰さん。
中日新聞のインタビュー記事でこんな話を。

 笑わせようとか、お客にこびるのは止めました。
 自分がおかしければ良いと考えるように。ある意味、わがままに。
 子どものわがままよりたちが悪いけれど。
 それを遠慮会釈なく吐露してゆく。それが老人の文学だと思う。
 年寄りは自由です。自由であるべきです。だって、すぐ死んじゃうんだから。

高齢社会。俳句や短歌の世界にもお年寄りらしい作品が次々に。
まもなく後期高齢者に。もっと自由に、遠慮会釈ない句が詠みたい。

  ごきぶりさんゴキブリ団子あげましょう  静荷

この境地に達することが目標です。
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「夫」を詠んだ句    遅足

2017年06月17日 | Weblog
句会の題詠は「妻または夫」です。
「夫」を詠んだ句を集めてみました。

婚約時代。

  夫となる人に編みをる毛糸かな  長沼 典子

結婚して。

  夫愛すはうれん草の紅愛す  岡本 眸

  ものの芽や雨の匂ひの夫帰る  藤木倶子

  牡蛎好きの夫誕生日牡蛎の飯  内田 愛子

そして・・・

  夫恋は恋にはあらずアマリリス  森田 桂子

  夫を子をすこし遠ざけサングラス  木内怜子

  棒のごとし石のごとし夫の阿波踊り  加藤知世子

やがて・・・

  夫に見すべく摘む蕗の薹夫癒えよ  川辺きぬ子

  早梅の一輪白し夫逝く日  織部 れつ子

  げんげ野を眺めて居れど夫はなし  桂 信子

戦争の時代もありました。

  征く夫と別れて妻は池普請   豊嶋 蕗水

         

現代ではどんな夫が詠まれているのでしょうか。
歌人の小島ゆかりさんは、こんな歌を詠んでいます。

  朝からの夫の放屁おどろかず秋の窓辺にコーヒーを飲む

女性はりアリストと、男性はロマンチストかな?


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熱田神宮の昔を知ろう ⑴  竹中敬一

2017年06月16日 | Weblog
6月5日、名古屋の熱田神宮の例祭「熱田祭り」を見に行ってきました。
天皇陛下のお使い (勅使) が参向される祭典とあって、とても厳かでした。
それにしても、アマチュア・カメラマンが多勢、詰め掛けていたのにはびっくり。
私は皆さんの後ろからかろうじて、神事の模様をiPadで撮らしてもらいました。

熱田神宮については三種の神器の一つ草薙剣 (くさなぎのつるぎ)をご神体とする
お宮であること位しか知りませんでした。
熱田神宮の歴史を知ろうと思って、宝物館で「尾張国熱田太神宮縁起」(890年
成立とされる)の現代語訳を買って、読んでみました。僅か25ページ位に纏められ、
漢字には振り仮名もついていて、わかりやすくなっています。
ヤマトタケルの東征のことが詳しく書かれていますが、それを更に要約すると、、、、

景行天皇の皇子ヤマトタケルは天皇の命を受け、東国の逆賊を征伐するため、吉備
(きび) の武彦、建稲種(たけいなだね)の公(きみ)らを伴って大和を出発。
伊勢神宮では倭姫命 (やまとひめのみこと) から神剣と小袋を授けられる。
途中、尾張 (愛知)の国・愛智郡(あゆちのこおり)に お着きになった時、稲種の公が
「この郡(こおり)の氷上(ひかみ) の里は私の故郷でございます。ここに、留まって
お休みなさいませ。」と云った。
ヤマトタケルはここで、稲種の公の妹、ミヤスヒメを見初められ、しばらく、留まら
れた。
この後、駿河で野火に囲まれたヤマトタケルは神剣で草をなぎ払い、持っていた小袋
を開けて、火打石で向い火を付け難を逃れた。神剣を草薙の剣と云う。
さらに、海路で相模から上総 (かずさ・千葉)へ向かう途中、妃 ・オトタチバナヒメの
入水によって海難を免れた。
こうして、陸奥(むつ・青森) の地まで平定したヤマトタケルは帰路、常陸(ひたち・茨城) 、
甲斐(かい・山梨)へと来た所で、尊は山道、稲種(いなだね)の公(きみ)は海道を辿り、
尾張 で合流することになった。

ヤマトタケルは信濃(しなの・長野)を経て、篠城(しのぎ)の里 (今の愛知県春日井市
篠木町)についた時、従者から稲種の公が駿河の海で遭難死されたという知らせを聞き
嘆き悲しむ。「現哉(うつつや) 、現哉(うつつや)」と仰せられた。そこで、この地を
内津(うつつ)と名付ける。
尾張に入って、ミヤスヒメと再会し結婚。草薙の剣を彼女に預け、伊吹山の荒ぶる神を
討とうとして病を得て、伊勢の能褒野(のぼの・三重県亀山市)で、没された。
御年(おんとし) 三十。

ミヤスヒメは草薙の剣を新しい社(やしろ)に遷し祀りたいと云はれ、その地を定める
ことになった。ここに楓の樹一本があって、自ら炎(も)え焼け、水田に倒れたが、
炎は消えず、水田はなほ熱かった。そこに社地を定め、熱田の社(やしろ)と名付けた。

ヤマトタケル東征については、古事記、日本書紀にも大筋、同じような内容の話が出て
いますが、ここでは、かって中部地方を支配していた尾張氏(おわりし)と熱田神宮との
関係に絞ったつもりですが、長くなりました。

次回、氷上(ひかみ) の里などミヤスヒメについて、もう少し調べてお伝えします。

  写真は、熱田神宮の例祭 (熱田祭り) 6月5日の祭典の模様です。




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