575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

故郷の鐘の音聞こゆ晦日蕎麦   立雄

2016年12月31日 | Weblog
時の流れは、時に早く、時にはゆったり・・・
しかし後戻りは決してありません。もう2016年の大晦日です。

家族一同、一年の無事を感謝。
蕎麦でテーブルを囲めば除夜の鐘の音が・・・
映画のような場面です。

立雄さんのふるさとは瀬戸内に面した尾道。
小津監督の「東京物語」の舞台。
笠智衆と原節子が尾道水道を眺めながら
語り合うシーンが浄土寺です。
立雄さんに聞こえている鐘の音は浄土寺のものでしょうか。

大晦日に蕎麦を食べる風習は江戸時代からとされています。
除夜の鐘の音がうるさいという苦情が寄せられる昨今、
晦日蕎麦を食べる家はどの位あるのでしょうか?

          

冷え込みましたが晴天の大晦日。
まっしろな御嶽山が遠くにみえます。
じっと目をくらすと微かに噴煙も。

今年一年、ブログをご覧いただき、ありがとうございました。

                  遅足


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テレビ神話時代の思い出 ~60年前は~   竹中敬一

2016年12月30日 | Weblog
先日、私がいた中部日本放送のテレビ開局60年を記念する式典がありました。
名古屋地区では、、民放としては一番早く、昭和31年(1956)12月に開局しています。
私が入社したのが翌年のことで、テレビ草創期とあって色々、混乱もありました。
テレビが本当に普及するか、疑問視されていた時代の話です。
もう神話になってしまったような事柄の一端を書きとどめておきます。

その前に一言。先日の式典では放送無事故600日を達成した関係者一同が表彰されました。
これは粋な計らいだったと思います。デジタル時代、いくら自動化されたとはいえ、
最後のチエックは人間です。
番組制作者は国の芸術祭や民放祭などでよく表彰されますが、毎日、無事に放送して当たり前、
放送を影で支える人たちにこそ、表彰されるべきだと在職中、思ったものです。

アナログ時代、それも草創期には放送事故は日常茶飯事でした。
放送素材が持ち込まれる投射室、その素材をモニターで見ながら送出するマスター室。
この送出部門を統括していた司令官のお一人にこの間の記念式典でお会いしました。
出席者の中で最長老ですが、83歳の私よりカクシャクとしておられ、記憶も確かです。
その元司令官が「卓( ディレクター席 ) でニュースを送出できたのは、君と僅かだったなぁ」
とおっしゃいました。この言葉で私の記憶もよみがえってきました。

当時、テレビニュース課は課長も入れて8人、ニュース担当は5人、毎日夕方には
ニュースの送出のために、交代でディレクター席につきました。
当時のニュースは六項目位。原稿、フィルムの編集を先に終えた者がディレクター席に。

ところが、このディレクター席には、誰も進んで座ろうとはしませんでした。
この席に座るとろくなことがないのです。
フィルムのスタート、アナウンサーへの合図の遅れ程度はまだましで、
フィルムの切断や放送中にスタンバイしていたテロップやスライドが投射機の不具合で
突然、送出できなかったりすることはよくありました。
沢山あるモニターのひとつには「しばらくお待ちください」というテロップが常時、
用意されていました。

フィルムは厄介もので、カメラマンが撮ってきたフィルムを現像しなければいけません。
その時間に少なくとも30分くらいはかかります。
これを編集するのですが、ちゃんとした指導者もおらず、映画館で上映されるニュースや
戦艦ポチョムキンなどを見て、我流で編集していました。
私はこの作業が好きでした。フィルムとフィルムをアセトンという溶剤で接着します。
急ぐ場合は「ネガ編」といつて、被写体と逆になった画像を編集するため、特に注意が
必要だった上、よく放送中に剥がれました。

私も「長良川の鵜飼い開き」を、夜のニュースで何とかネガ編集して全国放送に。
間に合わせたまではよかったのですが、鵜飼いのクライマックス" 総がらみ"のシーンに
入った途端、フィルムが切断するなど、苦い経験はいっぱいあります。

放送事故が多かったせいか、考察課という部署があって、番組をチエックしていました。
何か仕出かそうものなら、事故報告書の入った古びた皮のショルダーバックを肩に
ニコニコ顔のおじさんが鬼の首でもとったかのように現れ、事情聴取を受けることになります。
こんなわけで、誰もディレクター席に座りたくなかったのです。

             

私の報道勤務のころもまだニュースはフィルムでした。
火事と事故の二つのニュースを送出しました。
初めが火事でしたが、事故のフィルムのスタートボタンを押してしまいました。
悪いことに全く気付かず、そのまま第二項目へ。
残っているのは火事のフィルム。どうしたものか?と迷っているうちにニュースの
時間は終わっていました。それでもお咎めナシでした。(遅足)

写真の絵は竹中健さんの作品です。



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冬晴れや嬉しき今日は誕生日    麗

2016年12月29日 | Weblog
年末の慌ただしい中、本日52歳となりました。
元気に誕生日を迎えられ、それなりに年用意もできることに心から感謝しています。

私が生まれたのは昭和39年の12月29日。予定日より2週間も早く、明け方5時ごろだったそうです。
今朝目覚めた時、布団の中で「お母さんは、こんな明け方、私を産んでくれたんだな~。ありがとう。」と思い手をあわせました。

2730グラムのやせっぽちの赤ちゃんだったそうですが、泣き声が大きかったので保育器に入らずにすんだそうです。
母は31歳。当時としては高齢出産だったとか。

先ほど両親から電話がありました。母から「この年になっても娘にお誕生日おめでとうと言えて嬉しい」と言ってくれました。

新年より前に新しい年齢になる私の慌ただしい誕生日。生まれながらの慌て者ですが、これからも宜しくお願いいたします。
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12月パールハーバー波静か  狗子

2016年12月28日 | Weblog
ハワイを訪問している安倍さん。今日、日本軍の攻撃によって亡くなった人々へ慰霊の献花。
オバマ大統領と会談。日米同盟の重要性を再確認することに。
今なぜ真珠湾訪問なのか今一つ良く分かりませんが・・・

日本が真珠湾を奇襲攻撃したのは1941年12月8日。
太平洋を挟んで戦争が始まった日です。

  十二月八日還らぬ子の帽子

亜子さんの句は、両軍の戦死した少年たちを追悼して詠まれたものです。

日本は、広島・長崎への原爆投下という悲劇を経て敗れました。
静荷さんはこう詠んでいます。

  開戦日神国神風神頼  静荷

アメリカと戦っても日本は勝てない。当時の指導者も熟知していました。
それでも戦争を始めました。一撃を加えて講和に持ち込む戦術だったとか。
しかし和平交渉もないまま、敗色濃厚に・・・最後は神頼み。
静荷さんは、日本は神国だから負けるはずがないと信じていたそうです。
当時、熟年だった父が神風を信じていたとは考えられませんが。

敗戦から70年、多くの問題が未解決のままです。
アメリカへの従属から未だに沖縄に基地を残したままです。
海を挟んだ韓国とは歴史認識の問題や慰安婦問題、北朝鮮とは国交もありません。
近年は中国との関係が悪くなっており、東シナ海は波高しです。

日米などの歴史学者が、安倍さんへ「公開質問状」を。
真珠湾攻撃で亡くなった米国人を慰霊するのであれば、
中国や朝鮮半島、アジア諸国の戦争犠牲者も慰霊する
必要があるのではないかと。

真珠湾だけでなく、四海波静かであってほしいと願わずにはいられません。

                         (遅足)
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家族増え心込めたり年用意    すみ

2016年12月27日 | Weblog
さみしい句が目立つ中、明るい句です。
息子さんが結婚、家族が増えました。
お母さんとして料理の腕を振るいます。
お孫さんの誕生を待つ家族。
良い年が待っていますね。

       のち

今降っている雨もまもなくあがり、晴れてくるそうです。
この後、寒気団が日本列島をおおい寒い北風が・・・
年末・年始は晴れる予報ですが気温は低いとか。
風邪が流行しています。
外出から帰ったら忘れずに手洗い、うがいを。

                   遅足

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レジ前でぽち袋買う年用意   麗子

2016年12月26日 | Weblog
静荷さんは、レジ前という上五が的確でよいと評価。
お買い物を終わってレジへ。ぽち袋が目に。
甥や姪へのお年玉のことを思い出して買いました。
ちょっとしたことですが、俳句になると「あるある」と共感します。

ぽち袋の「ぽち」とは関西弁の「ぼちぼち」からか。
旅館や料亭で心付けとしてお金を渡す時に入れる袋として、
明治時代ごろに始まったとか。
私の子供のころには、見た記憶がありません。

懐かしいお年玉。楽しみでした。
子どもとしてもらう方から、親や祖父として与える側へ。
私の場合、孫も成人。ポチ袋を用意する必要もなくなりました。
ちょっとサミシイ気もします。

今はお年玉の相場はいくらなんでしょうね。遅足


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12月句会の最終結果です。   遅足

2016年12月25日 | Weblog
皆さん年用意は順調に進んでいますか。
昨日はお風呂掃除に挑戦。半分くらいしか終わりませんでした。
立雄さんの選句をいただきました。最終結果です。

題詠「年用意」
①草とりや除草剤まき年用意(等)遅足
②レジ前でぽち袋買う年用意(麗子)狗子・等・静荷・すみ・郁子・立雄
③まず薬缶磨いて老いの年用意(亜子)智恵・遅足・静荷
④姑の習いに染まる年用意(静荷)佐保子・能登・結宇・亜子・郁子
⑤一枚の写真えらぶも年用意(遅足)
⑥年用意磨く遺影の父母の笑み(立雄)結宇・亜子
⑦年用意忙しき母や昭和過ぐ(佐保子)結宇・すみ・麗子
⑧年用意軽少短になりゆけり(晴代)智恵・佐保子・等
⑨目をつむる不義理懸案年用意(郁子)智恵・能登・静荷・晴代
⑩家族増え心込めたり年用意(すみ)佐保子・遅足・等・晴代・郁子・麗子・立雄
⑪断捨離のできぬままはや年用意(能登)狗子・すみ
⑫年用意少し暗いか流行語(狗子)
⑬去年のメモひとつづつ消す年用意(結宇)能登・狗子・晴代・亜子・麗子・立雄
⑭年用意良くも悪くも酉主役(智恵)

自由題
①開戦日神国神風神頼(静荷)亜子
②黒鳥や我が投げしパン食べしこと(佐保子)静荷
③故郷の鐘の音聞こゆ晦日蕎麦(立雄)能登・晴代・郁子
④少年の息の力の白さかな(遅足)佐保子・狗子・等・静荷・すみ・立雄
⑤十二月八日還らぬ子の帽子(亜子)能登・晴代
⑥カレンダーにらめっこして年の暮れ(麗子)郁子
⑦木枯や大病院の時空間(等)結宇
⑧閑けさや所作の合い間に炭の音(能登)智恵・佐保子・結宇・遅足・狗子・等・すみ・亜子・麗子・立雄
⑨床飾り己が輪郭整えつ(郁子)遅足・晴代
⑩寒風やきりきり舞いのシャツ一枚(すみ)佐保子・遅足・郁子・麗子・立雄
⑪日の差して寺門の高さ枇杷の花(晴代)智恵・結宇・等・静荷・すみ
⑫12月パールハーバー波静か(狗子)智恵
⑬故郷や笛見つけ吹く年の暮れ(結宇)能登・狗子・亜子・麗子

番外  年用意変換したら年容易 麗子


次回は1月18日(水)午後1時20分  
愛知芸文センター12階・催事室Ⅾ(アートスペースⅮ)です。

課題詠は、酉年にちなんで「酉」とします。
酉は「酒をつくることの出来る実りの秋」を表すそうです。
酉ヘンの漢字一字を句の中に詠み込んで下さい。
たとえば「酒」「酌」「酢」などです。
季語ではありませんので、冬の句にして下さい。    遅足


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世につれて変わるものかは年用意   遅足

2016年12月24日 | Weblog
毎年必ずやってくるお正月。
年用意にも時代の変化がはっきりと見て取れます。
投句の中から新旧、対照的な2つの句です。

  まず薬缶磨いて老いの年用意   亜子

台所掃除、おせち料理などは女性たちの仕事でした。
しかし齢を重ねるたびに腰が重くなります。
老いの年用意は、一番汚れが目につく薬缶を磨くことから。
一歩を踏み出せば、あとは身体が自然に動いていきます。

これと対極にあるのが、等さんの句です。

  草とりや除草剤まき年用意   等

男の年用意でしょうか。新年を迎えるため雑草退治をしました。
ブロックの目地から顔をだす雑草。なかなか手では抜けません。
そこで除草剤の登場。手間をはぶく省エネタイプ。
でも、あまり聞いたことがありませんね。
これを年用意と、一句によみました。

みなさんは何から始めましたか?

  髪染むることより始む年用意   石川和子

         

晴れてお掃除日和。お風呂場の掃除をしましょう。
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「余白」をどう埋めるのか?~ナレーションの役割~   竹中敬一

2016年12月23日 | Weblog
江戸時代前期の画家、土佐光起が秘伝として門人に与えたという「本朝画法大伝」に
「白紙も模様のうちなれば、心にてふさぐべし」とあります(「日本画の精神」坂崎担・著) 。
日本画の本質を述べた言葉として、知られています。
この「 余白の美 」は、日本の伝統的な俳句や短歌の世界にも通じると思います。
遅足さんの云う「説明ではなく詩に」と云うことでしょう。

私は長年、テレビのナレーションを書いてきましたが、それは「 余白」を埋める
作業だったということになります。
ナレーションは基本的に映像の説明、補助的な役割を担っていると思います。
"分かりやすい言葉で、簡潔に、映像の流れを邪魔しないように"をモットーにしてきましたが、
どうしても、見てもらいたいシーンにはわざと、もたもたした表現を使ったりすることもあります。

ナレーションは、語り手が声にすることによって、初めて評価されるものだと思います。
語り手を想定して、その人の語り方、スピードなどを考えながら、書く必要があります。

「余白」を埋める作業。それは真実に迫ること。常に疑問を持つことにこだわることだと思います。
想像力で「余白」を埋めればよいものを、行き過ぎも出てきます。
若い頃、高村光太郎の詩が好きだった私は「智恵子抄」の舞台になった智恵子の故郷、
福島県二本松市へ行ったことがあります。初夏の頃だったと思います。

  あれが阿多多羅山(あたたらやま) あの光るのが阿武隈川 (あぶくまがわ)…

光太郎と智恵子がよく散歩に出かけたという小高い丘に登って、見渡してみると、
北側に安達太良山 (あだたらさん・阿多多羅山のこと) はバッチリ望むことができましたが、
南側の阿武隈川はいくら目を凝らしても確認できませんでした。
緑の多いシーズンで天候の具合もあったのかもしれません。

  芭蕉「古池や 蛙飛びこむ 水のおと」

子供の頃、我が家のハス田の周辺にカエルが沢山いて、近ずくと、田んぼへ急いで
移動しましたが、その際、水へポチャンと飛び込む姿は見なかったように記憶しています。
カエルも色々 種類があって、一概に言えないと思いますが…。

現実の情景を見て、如何にその情景を頭の中で昇華させるか、デフォルメさせるか、
その際、川の位置やカエルの飛び方を正確に伝える必要などなく、
文芸はフィクションの方がよいと思いつゝも、ついつい気になってしまいます。

            

強風のため糸魚川では思わぬ大火となってしまいました。
一夜明けて今朝は晴れ。これから寒くなるとのこと。
被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

この投稿は、事実を追求するドキュメンタリーを制作してきた竹中さんならでは、ですね。
現役のころ、ドラマのロケに行った場所に霧が出て、素晴らしい農村風景が目の前に。
現場にいた竹中さんが指摘しても、演出家は見向きもしなかったというエピソード。
ドキュメンタリーとドラマの違いを物語っているようでした。

写真は竹中さんの息子さんの絵です。 (遅足)


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年用意もほったらかして忘年句会    麗

2016年12月22日 | Weblog
昨日は今年最後の句会。一年の過ぎるのが早いこと。お題は「年用意」でした。
まだ、年賀状も年末の買い物も全くしておらず、気になることは多々あるのですが、全てほっぽり出して栄にランチ&句会に出かけました。
皆様の年用意の様子を俳句で知れた楽しい忘年句会となりました。
では、恒例の寸評です。

1,道路の目地に除草剤を撒いてすっきりと。男性ならではの新しい年用意。でも他の庭木が枯れないようにお気をつけください。
2,スーパーやドラッグストアのレジ前に置かれているお年玉用のぽち袋。一応買っておきます。
3,「老いの年用意」。まずは、やかんを磨くことからと。日頃のつけが一年たまっています。私も早速やります。
4,お姑さんのやり方に知らず知らず染まっていく年用意。嫁としては本意か不本意か??俳句らしい一句。
5,年賀状用の写真です。決して遺影ではありません!!
6.亡きご両親が年用意を見守っているかのよう。日頃磨いてなくてせめて年末には。
7,昭和の母は本当に忙しく立ち働いたものでした。
8,年とともに省エネに。「軽省短」に少しずつ省いて省いて。
9,こちらも懸案事項に目をつむり。見なかったことにしよう。不義理もお許しください。共感の句。
10,明るい新年を迎える唯一希望に満ちた年用意。息子さんが結婚されてお嫁さんが来て家族が増えました!!おめでとうございます。
11,断捨離。本当にストレスです。年とると益々できなくなるそうです。
12,なんと「流行語」の発表の前に作ったそうです。「保育園落ちた死ね」「マイナス金利」「ゲス不倫」確かに暗い!
13,去年のように今年もやるべきことをひとつずつチェックしているのでしょうか?ケータイのメモなどデジタル消去と読んだ方も。
14,気の毒な東山の鳥インフルエンザ。来年は酉年なのに。早くも主役になってしましました。

年齢相応の年用意の姿がありました。希望に満ちた年用意に得票が集まって来年もいい年になりそうな気がしてきました。
今年一年も大変お世話になりました。
いつも俳句をとりまとめて下さる安藤さん、遅足さん。司会の郁子さんには心から感謝しています。
来年も楽しくやりましょうね。
初句会を楽しみにしています。
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12月句会の投句が集まりました。   遅足

2016年12月21日 | Weblog
今日は冬至。いよいよ2016年も押し迫り、残り10日ほどに。
新年を迎える準備にお忙しい日々と推察します。
先日、キッチンの換気扇の掃除を終えました。一仕事でした。
「年用意」がひとつ済みました。
句会では、どの年用意が共感をよぶのでしょうね。

題詠「年用意」

①草とりや除草剤まき年用意
②レジ前でぽち袋買う年用意
③まず薬缶磨いて老いの年用意
④姑の習いに染まる年用意
⑤一枚の写真えらぶも年用意
⑥年用意磨く遺影の父母の笑み
⑦年用意忙しき母や昭和過ぐ
⑧年用意軽少短になりゆけり
⑨目をつむる不義理懸案年用意
⑩家族増え心込めたり年用意
⑪断捨離のできぬままはや年用意
⑫年用意少し暗いか流行語
⑬去年のメモひとつづつ消す年用意
⑭年用意良くも悪くも酉主役

自由題

①開戦日神国神風神頼
②黒鳥や我が投げしパン食べしこと
③故郷の鐘の音聞こゆ晦日蕎麦
④少年の息の力の白さかな
⑤十二月八日還らぬ子の帽子
⑥カレンダーにらめっこして年の暮れ
⑦木枯や大病院の時空間
⑧閑けさや所作の合い間に炭の音
⑨床飾り己が輪郭整えつ
⑩寒風やきりきり舞いのシャツ一枚
⑪日の差して寺門の高さ枇杷の花
⑫12月パールハーバー波静か
⑬故郷や笛見つけ吹く年の暮れ

番外  年用意変換したら年容易 麗子


 
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詩歌を「読む」ポイントは「共感」

2016年12月20日 | Weblog
俳句を読む時は、まず書いてある通りに読むべし、と教わりました。
好き嫌いをいわずに食べてみるということでしょうか。
意味を読み取ってから鑑賞にと移ります。
ここで、どうしてもスキ・キライが顔を出します。

心の花・名古屋歌会に顔を出すようになって
毎月50首余りの歌から3首の選歌をしています。
短歌は慣れないこともあって、なかなか選べません。
忘年会をかねた集まりで、代表の方に聞いてみました。

返ってきた言葉はひとこと。「共感」でした。

共感とは、相手に寄り添うこと。相手の立場にたってみること。
選歌にあたっては、まず共感をもって読むべし。
どんな句や歌でも、好きになって読め、という教えと理解しました。

                           遅足



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みかん剥く幼き嘘をつくように  遅足

2016年12月19日 | Weblog
庭の蜜柑が今年も実をつけてくれました。
色づいてもなかなか甘くなりませんでした。
ヒヨドリは美味しくなり頃をよく知っているようで、
今は穴の開いた蜜柑もあります。
今年はムシが悪戯をしてようで、
皮と実が、ところどころにくっ付いてしまう病に。

コタツに籠一杯のミカン。昭和の冬のイメージです。
兄弟や従弟たちと「ミカン釣り」をしました。
実をひとつづつに分けて、お皿の上に積みます。
糸の付いた針を勢いよく射す・・・
みごと釣り上げたら口へ。
一年、大きな病気をすることもなく過ごせそうです。

  子ら去って二人無言の蜜柑剥く  山口晃

         

名古屋は、今日も晴れてあたたかくなりそうです。
北陸など日本海側は雪でしょうか?

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熱砂の浜 あだんの写生 吾一人   田中一村

2016年12月18日 | Weblog
奄美空港のすぐ近くにある奄美パーク。
そのなかに田中一村・美術館がありました。
一村は、自らの絵に行き詰ったのでしょうか。
スケッチ旅行で訪れた奄美大島が気に入って、50歳の時、移住します。
大島紬の染色工として働き、60万円の郵便貯金を蓄えたあと、画業三昧の生活に。
1977年、69歳で亡くなっています。
一生、結婚もせず一人暮らしでした。

無名に近い存在でしたが、没後、日本のゴーギャンなどと呼ばれ、脚光をあびます。
私もNHKの『日曜美術館』で一村を知りました。
アダンの実を描いた絵が印象に残っていました。
冒頭の一句(?)は一村がスケッチ・ブックに残した575です。
他には、こんな575も。

  奄美流寓 二階に娼婦 下に吾

  恋文の代筆果たす 吾五十二

一村は、余白を大切にする伝統的な花鳥画に秀でていました。
それが亜熱帯という奄美の森や海との出会いによって、
余白を感じさせない濃密な絵画空間を生みだしました。
亜熱帯の森の植物や鳥、蝶は一村の創造力を刺激してやまなかったようです。

  十二月の温き雨降る空港を飛び立てば奄美の島は眼下に

写真は美術館に展示されていたアダンの絵です。どうも複製のようでした。

          

今日はあたたかくなりそうです。キッチンの掃除をしないと・・・




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アマミノクロウサギを襲うノネコ   遅足

2016年12月17日 | Weblog
奄美や沖縄は、早く大陸から切り離されました。
このため、独自の進化を遂げた動物が生息しています。
沖縄のヤンバルクイナ。奄美にはアマミノクロウサギがいます。

アマミノクロウサギの子育てはちょっと変っています。
子どもを別の穴で育てるそうです。
メスは、2日に一回、授乳に訪れます。
終わると穴の入り口を再びふさいでおきます。
この習性は、天敵のハブに狙われないようにという智恵だとか。。

アマミノクロウサギ、数が減ってきていました。
交通事故、ハブ退治に導入されたマングースに食べられるなど。
とくにマングースによる被害が大きいとのこと。
いずれも原因は人間がつくっています。

奄美野生生物保護センターなどが中心になって退治した結果、
マングースはかなり減ってきたということです。

新しく問題になっているのがネコです。
飼い猫がノラネコとなり、さらに森に入って野生のノネコに。
アマミノクロウサギを食べていることが明らかになりました。
1000匹以上のノネコがいると推測されています。
ノラネコを増やさないようにする活動も始まっており、
様々な対策の成果も着実にあがっているとのことです。

人口およそ4万人の名瀬の街。早朝、ホテルから外をみていたら・・・

  早朝の車道を渡った野良猫は古き自転車の臭いを嗅げり

猫の姿をよく見かけましたが、犬は少ないようです。

こぼれ話。
亜熱帯の奄美群島は、蛇にとっても棲みやすい土地。
陸だけでも9種類の蛇が。そのなかでもハブは屈指の毒蛇。
年間40人ほどの人が咬れる被害にあっているそうです。
そこで県では、一匹3000円で買い上げています。
このハブ獲り、定年退職をした人の小遣い稼ぎに。
年間100万円以上稼ぐ人もいるとのこと。
人間よりオソロシイ生きものはいないですね。
これこそ蛇足でしたね。(遅足)
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