575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

龍笑むや若葉の風の立ちにけり   遅足

2017年04月30日 | Weblog
京都の建仁寺は龍の寺として有名です。
その龍を描いたのは海北友松(かいほう・ゆうしょう)。
父は戦国大名の浅井家につかえて武士。
しかし浅井家は織田信長に滅ぼされ、父も兄も戦死。
友松は画家の道に進みました。
この海北友松の展覧会が京都国立博物館で開かれています。
会場には朝早くから多くの人が。
なかでも襖絵の二匹の巨大な龍に圧倒されました。

墨絵の線を引く時は息を止めて、と思っていましたが、
線を引く時は、息を吐くのだそうです。一筆一息。
息は生きるに通じ、絵を描くことは即、生きること。
戦国武士の魂を持った友松は、ある意味では龍そのもの。
龍よく龍を知る、といった感じがしました。
彼の名は朝鮮の人々にも知られていたとか。

展覧会を見て、京都から帰る日は午後から雷雨でした。

  龍天へ地に稲妻をこぼしけり  遅足



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肌きれいと言われたその日万愚節   晴代

2017年04月29日 | Weblog
正木ゆう子さんの、この句を思いだしました。

  蛍火や手首細しと掴まれし

晴代さんの句を、こんな風に読んでみました。
その人は「肌がきれですね」と言いました。
男の人でした。かなり至近距離です。
しかし・・・その日は万愚節でした。
その人とはなにもなかったようです。

あるいは、これがキッカケで相思相愛に。
それから?年後の気持ちを詠んだ句。
キレイと言ったのに、あれはウソだったの?

女性同士の会話とも詠めます。
肌がきれいですね、言ったのは女性。
美容師さんでした。
あなた、それは社交辞令でしょう。
万愚節ですよ。

皆さんはどんな文脈で読まれました? 遅足

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むすびの地   麗

2017年04月27日 | Weblog
先日、亜子さんに勧められて、大垣にある「奥の細道むすびの地記念館」を訪ねました。

今から328年前の元禄2年の春、江戸を出発し、東北、北陸の名所、旧跡を訪ね、その年の秋に旅を終えた地が大垣でした。芭蕉47歳の時です。大垣で旅を終えて「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」と詠んで桑名に向かったとのこと。


当時、大垣は川運と陸運が交わる交通の要衝で経済も発達していた水の都。
芭蕉は「野ざらし紀行」の折に大垣の俳人、谷木因を訪ねたのが最初で、なんと生涯4度も大垣を訪れたそうです。
大好きな大垣に記念館が出来たことをあの世で芭蕉も喜んでいることでしょう。

記念館は水門川の住吉灯台のほとりにあります。芭蕉と木因の銅像がありました。
館内は「奥の細道」を追体験出来る展示です。3Dシアターでは名誉館長の黛まどかさんの解説つきで、奥の細道の全行程をなぞることができます。映像がとても美しく、芭蕉が320年以上も前に徒歩で、この景色を見て俳句を詠み、後世に残る紀行文を書いたのだと思うとなんとも言えない慨深い気持ちになりました。。

川の景色が美しい大垣。アニメ映画「声の形」の舞台となったことで、今は若い人も多く訪れているようです。
このゴールデンウィークも、たらい船で川を渡る大垣祭りでにぎわうことでしょう。
ぜひ、お出かけ下さい。

         行く春や川辺で芭蕉しのびけり  麗

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「韓国船水難救護の記録」⑧ー萬世不忘之恩ー竹中敬一

2017年04月26日 | Weblog
韓国船水難救護に当たった内外海 (うちとみ) 村の村長、倉谷善右衛門の家は
私の生家と同じ阿納尻(あのじり)地区にあります。
私の同級生で、善右衛門のひ孫に当たる倉谷幹二君(故人)の話では、善右衛門は
庄屋の八代目に当たり、人望もあり、温厚な人柄だったといいます。

明治33年1月19日、韓国人との別れに際して、倉谷村長が贈った送別の辞が
当時の泊区長宅から見つかりました。

村長 送別の辞
「 告白
大韓国吉州明川にお住まいの皆様は海上で暴風に遭いこの地に流れ着きました。
我が村民はあなたがた全員の命を救うことができたことを誠に光栄に思います。
この地に七日間、滞在中、辺鄙の地ゆえ、待遇も思いのままになりませず、
遺憾とするところであります。
今日、我が国の官符令により皆様方に帰国して頂くことになりますが、お別れする
のは悲しゅうございます。
どうか行路ご無事で貴国へお帰りになられますようお祈り申し上げます。

    大日本明治三十三年一月十九日
    大日本福井縣若狭国遠敷郡
    内外海村長 倉谷善右衛門
大韓国咸鏡吉州学洞社
船長 許 希一
船主 鄭 在官
行客 崔 舜五 (「泊の歴史 資料集」参照 意訳) 」

「泊区長文書」には、韓国人との離別のときの模様を次のように記しています。

「舟小屋に区民一同、老若男女子供に至るまで全て集まり、韓人達に別れを告げたが、
その様子は実に親子の別れと同じであった。
韓人らが眼に涙すると、区民も共に涙を流し、袖を絞る程に泣きながら別れを告げた。
                        (「泊の歴史 資料集」参照 意訳) 」

泊地区の大谷藤蔵宅の蔵からは、別れに際して、内外海村長、倉谷善右衛門へ
差し出した韓国人からの礼状も見つかっています。

「……貴国の恩は山の如く、海の如くであります。私たちは国に帰り、それぞれの
故郷に戻ります。この忘れることの出来ない恩を萬世の世まで、お互いに語り伝えて
いくつもりです。河海の恩をこのように忘れずに、心より御礼 申し上げます。
                         (「泊の歴史 資料集」参照 意訳)」

この倉谷村長宛の礼状の最後には、韓国人を代表して、崔郷汝ら四人の署名が入っており、
「大韓光武12月19日」と別れの日を記し、「萬世不忘恩献書」とあります。(続く)


   写真は倉谷内外海村(うちとみむら)村長と自筆の「送別の辞」
                          (「倉谷善右衛門回顧録」より)






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違和感の広がりていく万愚節   郁子

2017年04月25日 | Weblog
雰囲気は伝わってきますが・・・
どこか胸におちるものがありません。

上五中七の違和感が感覚的です。が、抽象的。
万愚節という季語も具象的ではありません。
どちらかを具体の見えるようにすると、
それを手掛かりに読者の想像力が刺激されます。
そして自分の体験を呼び起こして読むことが出来ると思います。

万愚節を変える手もありますが、ここは題詠ですから。
上五中七を変えることになります。
なにに違和感を感じたのでしょうか?

私が思い出すのは「積極的平和主義」という言葉。
どこか事実と違う感じがし、違和感がありました。
この他、武器を「防衛整備品」と言ったり
武器輸出を「防衛装備移転」といったり。
トランプさんの言動も違和感のもとかも知れません。

どうして平気でウソをつくのか?
さらに不可解なのは、そのウソを許す空気があること。
こういった最近の空気を「ポスト真実」というそうです。
この句はポスト真実現象を詠んだものかも知れません。

           

庭のボタンが今年も咲きました。 遅足


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本心が見え隠れする万愚節   麗子

2017年04月24日 | Weblog
本心。うわべでない本当のこと、と辞書に。
ほんとのことを言うと角が立つので・・・
うわべを飾って無難に、というのが世渡りのコツ。
いつの間に身につけた智恵です。

時には嘘をつかねばならない時も。
しかしウソをつくのは案外難しいのかも知れません。
ついつい本心を見透かされてしまいそうです。
嘘と見抜れなくても、自分の気持ちが落ち着きません。
そんな微妙な空気感を捉えた句と読みました。

ウソとホンネの使い分けの名人は政治家なのか。
しかし安倍さんは本心丸出しです。
今朝の中日春秋に、最近の若者は本音と建て前を
使い分ける技が身についておらず、
波風を立てない話し方の本が売れているとか。
安倍さんだけじゃないのか・・・
                 遅足
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此処かしこ夢二の女や四月馬鹿   等

2017年04月23日 | Weblog
京都などの観光地でしょうか。
貸衣装の和服を着た若い女性の姿が目立ちます。
夢二の女?とも思われる姿・・・夢か?うつつか?
四月馬鹿か?ちょっと批判的な目でみている作者です。

竹久夢二は、大正ロマンを代表する画家であり詩人でした。
憂いを秘めた美人画、そして「宵待草」は一世を風靡しました。

この句は作者がふるさとの金沢を訪れた時のもの。

 金沢の兼六園や香林坊などでは、
 和服を着た若い人が群れをなし歩いていました。
 貸衣装で5000円ほどします。
 女性はとも角、男性もとあっては
 バカも程々にと思いました。

金沢には「金沢湯涌夢二館」があります。
彼の妻・岸たまきの故郷が金沢であったこと。
愛人の笠井彦乃と滞在したのが金沢の湯涌温泉だったこと。
こうした事実にもとづいて建てられた記念館だそうです。

京都でも二人連れが和服を着て散策する姿をよく見ます。
外国からの観光客も日本の着物を楽しんでいるようです。
北風のなか、薄っぺらな着物だけでは寒かったでしょうね。

                     遅足

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4月句会の最終結果です。  遅足

2017年04月22日 | Weblog
立雄さんの選句をいただきました。
最終的な結果です。

題詠「四月馬鹿」
①此処かしこ夢二の女や四月馬鹿(等)結宇
②本心が見え隠れする万愚節(麗子)静荷・晴代・すみ・立雄
③違和感の広がりていく万愚節(郁子)
④肌きれいと言われたその日万愚節(晴代)能登・遅足・麗子・狗子・すみ・亜子・立雄
⑤毎日が四月馬鹿なり母老いて(佐保子)亜子・狗子
⑥エイプリルフールこの世へ覚めぬ夢(遅足)等
⑦店頭に風の缶詰四月馬鹿(亜子)結宇・能登・佐保子・等・遅足・静荷・晴代・郁子
⑧手をつなぎ逆向き歩行四月馬鹿(立雄)佐保子
⑨無駄飯を笑ひ飛ばして四月馬鹿(静荷)郁子
⑩四月馬鹿結婚記念日としました(すみ)能登・等・遅足・静荷・麗子・狗子・晴代・郁子
⑪孫の嘘騙されたふり4月馬鹿(能登)結宇・佐保子・すみ・亜子・立雄
⑫四月馬鹿沙翁のフールも赦されむ(ゆるされむ)(結宇)
⑬外人のハグ勘違い四月馬鹿(狗子)

自由題
①万緑を目指して登る駅階段(能登)等・狗子
②若画きの桜も毀る(こぼる)智積院(ちしゃくいん)(結宇)
③ふるふると揺れる夜桜白く冴え(すみ)麗子・郁子
④春風に乗って改札友来る(麗子)結宇・能登・等・狗子・晴代・すみ・郁子・立雄
⑤散る桜鼻腔の奥に在る記憶(郁子)能登・遅足・静荷・麗子・晴代・立雄
⑥古九谷の皿に散りたる釉の花(等)佐保子・遅足・亜子
⑦父の死ののちの母の日柿の花(遅足)結宇・佐保子・静荷・亜子・立雄
⑧花の街いつもと違ふ道のぼる(佐保子)能登・麗子・狗子
⑨なほ縮む八十路の背丈山笑ふ(亜子)結宇
⑩花万朶日本に生れてよかったね(静荷)
⑪老残の髪刈る音ヒヤシンス(立雄)佐保子・等・亜子・郁子・晴代
⑫朝まだき花を散らすかこぬか雨(晴代)
⑬鴨引いて主の顔する川鵜かな(狗子)遅足・静荷・すみ

次回は5月17日(水)午後1時20分  
愛知芸文センター12階・催事室Ⅾ(アートスペースⅮ)です。

題詠は「若葉」です。樟若葉・柿若葉・若葉雨などでもOKです。
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「韓国船水難救護の記録」⑦ー倉谷村長の苦悩は続くー竹中敬一

2017年04月21日 | Weblog
韓国船漂着事件に対して、福井県や外務省など行政当局は終始、冷ややかでしたが、
韓国人が漂着してから村を離れるまでの七日間、倉谷村長指揮のもと、
泊村の人たちは総出で昼夜の別なく韓国人を手厚く保護しました。

「漂着の十二日から十五日迄は泊区の適当な処置により白米を一日に一升五合宛
食べさせたので韓人も満腹していたが、十五日からは福井県の役人の命令によって、
一日に七合五勺宛にしたところ、食料が足りず満腹しなかった。
村民は見るに見兼ねて気の毒に思い、飯餅や薩摩芋・大豆煮や朝鮮人の好物の
生大根・生カブラなどを与えたところ、大層嬉しそうで実にかわいそうに思った。
(「泊 区長文書」より意訳)」

内外海村役場が一時、立替えていた救護費、船舶の保管、運搬費問題は、
いっこうに、進展しませんでした。
例えば、事件から一年近く経った明治33年11月26日、倉谷村長が福井県知事
岩尾三郎宛に送った「水難韓船保管及び運搬費下附願」の中で

「 ……該費は国庫か地方費か判明しがたく、未だ下附の約束も数ヶ月経ったが、
何のご指導もありません。至急、御詮議の上、ご下附お願い申し上げます。」
とあります。          (「役場文書」より意訳)

また、明治33年12月12日、福井県庁から奉事官が遠敷 (おにゅう) 郡役所を訪れた
のを機会に、倉谷村長は次のような陳情書を提出しています。

「まだ、今だに何のご指導もありませんが、当役場では多額の費用を一時繰り替え
しております。しかし、目下、年度替えの時期で支払清算上、困っております。
何卒、至急、御下附願い申し上げます。  福井県奉事官 殿 」
                (「役場文書」より意訳)

再三にわたる倉谷村長の上申に対して、県庁からは相変わらず、「外務省に
照会中につき、追って回答する」という返事が来るばかりでした。

最終通告があったのは、事件から一年以上も経った明治34年4月22日のことでした。
その内容は
「漂着船の保管、運搬費については、支払に該当する種目がないので、承知すべし」
という非情なものでした。

結局、「船主より徴収する他に支出の道はないだろう」という県警部長の見解が
最終的に示されました。
つまり、船主に売却した百八十円に僅か五円上乗せされた額が福井県庁から内外海
村役場に支払れました。
しかし、韓国船漂着の1月12日から19日までの7日間だけでも、内外海村役場が支出
した救護に関する経費は、凡そ三百二十円にものぼっていたのです。

国や県庁の処置は、"腹が痛まない" という如何にも役人らしい仕方でした。
そこには、当時の日本と韓国との関係が緊迫していた状況も垣間見えます。(続く)

写真は倉谷内外海村村長 (「倉谷善右衛門回顧録」より )
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まんまとだまされた四月馬鹿句会    麗

2017年04月20日 | Weblog
4月1日はエイプリルフール。四月馬鹿。万愚節。
なかなかユニークな季語で、まんまとだまされた昨日の句会でした。3人の方が欠席でしたが楽しい一時でした。では一言講評です。

1,夢二の女はあちこちに。
2,嘘の中に本当に言いたいことが隠されているような。
3,違和感が本当になっていく。世相句か?
4,川柳らしい一句。ほめられて嬉しかったのに、今日はエイプリルフールだと気づく。明解な一句。
5,母親の老いを客観的に受けとめた一句。
6,ちょっとシュールな夢。
7,風を缶詰にするというその発想!。富山県のかぜの盆を訪れた際、実際に風の缶詰が売られていたそうです!嘘から出たまと?
8,デモ行進かと思いきや、なんと足のリハビリで奥様に手をつないでもらっての逆歩行でした。
9,非生産的な毎日だけど、それでいいのです。
10,結婚というものをどうとらえているかが問われる傑作の一句。でも実は、息子さんが忘れないように4月1日を選んで入籍されたというおめでたい日。忘れても許されますね。
11,嘘をつけるようになった孫の成長を喜ぶ余裕。
12,沙翁とはシェークスピアのこと。劇作家は嘘つきの名人ですよね。
13,トランプさんと安部さんのハグを思い出しました。同床異夢?

桜の季節から新緑の季節を迎えようとしています。来月のお題は「若葉」。エネルギーあふれる句会となることでしょう。
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4月句会の投句が集まりました。    遅足

2017年04月19日 | Weblog
個性的な句が多いですね。
どの句に今日の風が吹くのでしょうか?

題詠「四月馬鹿」
①此処かしこ夢二の女や四月馬鹿
②本心が見え隠れする万愚節
③違和感の広がりていく万愚節
④肌きれいと言われたその日万愚節
⑤毎日が四月馬鹿なり母老いて
⑥エイプリルフールこの世へ覚めぬ夢
⑦店頭に風の缶詰四月馬鹿
⑧手をつなぎ逆向き歩行四月馬鹿
⑨無駄飯を笑ひ飛ばして四月馬鹿
⑩四月馬鹿結婚記念日としました
⑪孫の嘘騙されたふり4月馬鹿
⑫四月馬鹿沙翁のフールも赦されむ(ゆるされむ)
⑬外人のハグ勘違い四月馬鹿

自由題
①万緑を目指して登る駅階段
②若画きの桜も毀る(こぼる)智積院(ちしゃくいん)
③ふるふると揺れる夜桜白く冴え
④春風に乗って改札友来る
⑤散る桜鼻腔の奥に在る記憶
⑥古九谷の皿に散りたる釉の花
⑦父の死ののちの母の日柿の花
⑧花の街いつもと違ふ道のぼる
⑨なほ縮む八十路の背丈山笑ふ
⑩花万朶日本に生れてよかったね
⑪老残の髪刈る音ヒヤシンス
⑫朝まだき花を散らすかこぬか雨
⑬鴨引いて主の顔する川鵜かな


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雪嶺や天守は黒をうつくしく  遅足

2017年04月18日 | Weblog
松本城の天守に登ってきました。
ここも台湾など外国からの観光客の姿が。
天守にのぼる通路には長い長い列。
各階は暗くて急な階段・・・
30分以上かかって最上階に。小さな窓が4つ。
吹き込んでくる風は春とはいえ、冷たかったです。
遠く北アルプスの雪の山々・・・素晴らしい眺望でした。

天守閣は白と思っていましたが、ここは黒。
関ヶ原の合戦以前にできた城は黒い天守だそうです。
国宝の松本城は関ヶ原より前につくられ、
400年余の風雪に耐えて来たことになります。

            

名古屋市長選では、本丸再建が争点の一つに。
完成すれば白い天守閣です。
何百億のお金をかけての再建が良いものか?
黒い天守を見上げながら考えてしまいました。


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たんぽぽの絮風にのり夢にのる  遅足

2017年04月17日 | Weblog
安易に「夢」を使わない、というアドバイス。
ありがとうございます。

  起き上がるタンポポ絮を飛ばしけり

タンポポは花が咲き終えると、一度倒れます。
再び起き上がった時には、前よりも背が高くなっています。
より遠くへ絮を飛ばすための智恵でしょうね。
絮は風をつかまえ、風に乗って・・・一歩でも遠くへ行きたい。
夢見たパラダイスはあるのでしょうか?

          

松本へ行ってきました。
国宝・松本城の天守にはじめて登ってみました。
まだ風は冷たくて・・・
桜はこれからといったところでした。




  
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桜の下で     麗

2017年04月13日 | Weblog
今朝も訪れた公園の桜のトンネル。昨日おとといの風雨にも負けずまだ間に合いました。
今年は桜が咲くのが遅かったので、今、当地では桃も満開。

浅田真央ちゃんの引退に、この時期はふさわしかったような気がします。
まだまだ長いこの先の人生でも満開の花を咲かせてくれそうです。
「一日一日目標を決めてやるだけ」という彼女の言葉に励まされました。

毎年、この桜のトンネルをくぐる時、いろんなことを思い出します。
今年の桜の一句。

          満開の桜の下で決めたこと   麗
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「韓国船水難救護の記録」⑥ー倉谷村長の苦悩ー竹中敬一

2017年04月12日 | Weblog
若狭湾のほぼ中央に位置する内外海(うちとみ)半島の先端、泊地区に韓国船が
漂着したのは、明治33年(1900) のことです。
この一年前に日本の水難救護関連法が制定されています。
内外海村の倉谷善右衛門村長はこの法令に基づき、漂着事件に対して、適切な
処置をとりました。

この事件に対して、福井県や外務省など行政当局は終始、冷ややかでした。
内外海役場文書には倉谷村長の苦悩の跡がうかがえます。
救護にかかった費用、事後に難破船の管理や運搬にかかった費用は、国や県に
替わって、内外海村役場が一時、立替えていました。
役場文書によりますと、倉谷村長が再三にわたって、請求書や上申書を福井県庁、
小浜警察署、遠敷 (おにゅう) 郡役所宛に提出していることがわかります。
これに対して、福井県庁などからは、「今、外務省に照会中」といった返事が
返ってくるのみでした。

「泊区長文書」によりますと、泊地区では韓国人93名を7日間、保護した後、
1月19日、泊地区の漁船に分乗させ、小浜町(当時) へ移送。
小浜警察署で一泊した一行は、20日には蒸気船・丹州丸で敦賀港へ。
更に、列車で大坂まで行き、汽船・恐鴻丸で釜山へ送られました。
漂着船は泊地区で二ヶ月間、保管。その後は阿納尻 (あのじり)地区の入江で、
倉谷村長が管理した、とあります。

その後、漂着船は解体され、韓国人からの要望で売却されることになりました。
早速、小浜町の船大工・永岡伊兵衛と呉服商・吉岡件蔵の二人を呼んで、鑑定
させた結果、船体、船具、積んでいた綿布など、合わせて、三百十一円と評価
されました。
しかし、警察官吏によって、落札された金額は百八十円でした。
結局、評価額より大幅な安値で、船体一式は、小浜の廻船業者・長井宗兵衛が
買い受けることになったのですが、この件について、倉谷村長は福井県知事に
次のように訴えています。

「泊地区では極寒の中、昼夜の別なく人夫その他、食糧を徴用するなどしたが、
その困苦の労も水泡に期すの感があります。また、船舶を鑑定見積より、ずっと
安く売却したのは、どういう理由があってのことでしようか。さぞ、韓人は不満
に感じているのではないでしようか。 (「内外海村役場文書」より意訳) 」

これからどんな展開が待っているのでしょうか?(遅足)

写真は、韓国船が繋留されていた阿納尻 (あのじり) 地区の入江。
そして内外海村村長・倉谷善右衛門(「倉谷善右衛門回顧録」より)



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