575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

一年ありがとうございました。  遅足

2017年12月31日 | Weblog
大晦日を迎えた平成29年。もうあと僅かです。
この一年で記憶に残った句です。

  菜の花や凶器に似たる昼の月  亜子

俳句は時事を詠むことは得意ではありません。
しかし、この句は見事に平成29年の空気を伝えています。
憲法の改定に前のめりの安倍さん。
瓢箪から駒のように生まれた立憲民主党。
いったん立ち止まって考えてみようという
国民の意思表示でしょうか。

この一年、いろいろな方のお世話になりました。
またブロクをのぞいて下さった皆さん。
ありがとうございました
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暮近し荷物持ちにと妻と行く   立雄

2017年12月30日 | Weblog
作者は目が不自由です。しかし体格はよく力持ち。
一方、奥さんは小柄な方。
年末はあれこれと買い物の多い時期。
荷物持ちとして付き添っていきます。
きっと年末だけではないでしょうね。
微笑ましい風景です。
もう今年もわずかとなりました。
季語を変えてみました。

  歳晩や荷物持ちにと妻と出る

お前はどうか?って想像にお任せします。遅足
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女性は強い~画家・三岸節子~竹中敬一

2017年12月29日 | Weblog
この写真は今から30年近く前、画家の三岸節子さんがフランスのヴェロンという
小さな村にいた頃、私が撮ったものです。三岸さんは当時、84歳。
私は平成元年、彼女の半生を追ったテレビ番組を制作するため、ヴェロン村の
アトリエを訪れています。
このロケは必ずしも順調ではありませんでした。
もちろん、事前に先方の了解を得た上で行ったのですが、いざ撮影となった時、
ご家族かパリの画商から横槍が入ったのか、色よい返事をもらえませんでした。
仕方なく、最初の三日間位は一人で三岸さんの邪魔にならない程度にアトリエへ
通い、説得を続けました。
ある時、三岸さんが私に「出身校は」と聞かれ、「早大の美術で、坂崎という
先生に習いました。」と言うと、彼女は「坂崎担(さかざきしずか)のことですか。
坂崎さんは私の若い頃の恩人です。」とのこと。

坂崎担(1887ー1978)は、早大教授になる前、朝日新聞の美術記者、学芸部長を
していました。新聞紙面での美術批評の草分けでもあります。
女流画家がなかなか世間から認めてもらえなかった時代、三岸さんは大正期に
婦人洋画協会、戦後間もなくには女流画家協会の設立に貢献しましたが、
坂崎担は三岸さんたちの活動をずっと、支援してくれたと言うのです。

この事があってからは、アトリエでの制作場面の撮影やインタビューにも応じて
頂いたばかりではなく、毎朝、欠かしたことがないというお祈りなど日常生活まで
撮らしてもらうことができました。
波瀾万丈の生涯を送った三岸さんは晩年、郷里の愛知県中島郡小信中島村 (現在の
一宮市 )立ち寄った際、同級生が「お互い、百歳まで長生きしましよう」と言った
のに対し、三岸さんは、すかさず、「私は120歳まで生きてみせます」ときっぱり
言ってのけました。
平成元年、東京三越で開かれた三岸節子展の会場で三岸さんと会った作家の井上靖
さんは大病された後でしたが、「あなたの驚くべきエネルギーにあやかりたい」と
三岸さんに言った言葉が今でも心に残っています。

別のテレビ番組に出演してくださった作家の宇野千代さんも晩年でしたが、矢張り、
三岸さんと同じような発言をしていました。
波瀾万丈の生涯という点でも共通していお二人、「生きたい」ではなく「生きて
みせます」と言うあたりに女性の強さを感じます。
因みに、三岸節子さんは94歳、宇野千代さんは98歳で世を去っています。

もう今年もあと3日。一年、読んで下さってありがとうございました。





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今年もお世話になりました。  麗

2017年12月28日 | Weblog
今年も残すところあと3日になりました。今年もお世話になりました。
ブログをご覧下さった方ありがとうございました。来年もネタに苦労しそうですがぼちぼち続けていけたらと思っています。

さて先日、おばが亡き祖母が作った短歌を教えてくれました。
生前祖母は、我流で短歌を作り「慕情」という短歌集にまとめて親戚に配ったそうです。

情熱家で恋の歌などもたくさん作り、残された祖父がやきもちを焼いたという逸話も。
そんな祖母が祖父と一緒に、遠くに嫁いだ娘たちの家を訪ねて来た時に書き残した一首です。

       孫も子も皆優しく老い二人尚長らえて甘えたく思う 

俳号は松條。愛情深い祖母でした。
地元で結婚相談員をやり多くのカップルの縁を取り持ちました。
私が俳句や短歌に興味があるのも祖母の遺伝子が入っているからだと思います。

何十年も前の短歌をブログで紹介されて天国の祖母も喜んでくれるかな?



          冬晴れや懐かしき声思い出す  麗

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雪が・・・   

2017年12月27日 | Weblog
寒い朝。カーテンを開くとどんよりとした雲。
しばらくすると奥さんの声。「雪が・・・」

小さな庭にも雪です。
牡丹雪のような大きな雪片も。
ゆっくりと、あるいは急きこむように。

この秋、知人の娘さんが金沢へお嫁入。
覚悟の雪とは思いますが、ビックリでしょうね。
でも「雪」は「幸」です。幸せいっぱい。

いまは霙に変ってきました。
庭には水仙が花をつけ始めています。

  水仙へ北國の雪降りかかる  遅足


  

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茶の花や国際結婚したと言う   麗子

2017年12月26日 | Weblog
今は亡き朱露さんの案内で「森の石松」の生家跡を尋ねたことがあります。
あたりは茶の垣根に囲まれた農家ばかりでした。
その中の一軒が生家でしたが、もう関係のない人の家となっていました。
農村には、こうした茶の垣根はどの家にもあったのでしょう。
森の石松さんのことを記憶している方はいませんでした。

 茶の花やそののちのこと伝わらず  遅足

麗子さんの句の舞台も、まだ茶の垣根の残っている近郊農村でしょうか。
或は茶の花の活けてある座敷か。
「あの娘さん、国際結婚したそうよ」と茶飲み話に花が。
私の周りにも国際結婚した子供さんをもつ人が増えています。

伝統的な茶の花に取り合わせることで時間軸が長くなり
グローバル化する今日の日本を上手く表現した句だと思います。遅足
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陽を溜めてまんまる蕾お茶の花   能登

2017年12月25日 | Weblog
茶の木は、気温が低くなり、日照時間が少なくなる
晩秋から初冬にかけて花を咲かせます。
どうやって咲く時期を知るのでしょうか。
日光と温度が関係していることは以前から知られていました。
最近の研究で、遺伝子が関わっていることがわかってきました。
条件が整うと、ある種の遺伝子が活発に動き出し、
開花にむけて準備が始まるそうです。
そんな茶の木の不思議を「陽を溜めて」と表現しました。

太陽の恵みを溜め込んだ蕾はまるく膨らんでいきます。
そしてある日、可愛らしい白い花が開く・・・

時間を詠み込んで、自然の不可思議に目をとめた一句です。遅足


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12月句会の最終結果です。    遅足

2017年12月24日 | Weblog
あたらしく会場となったYWCAの会議室はこじんまりした部屋。
お話も遠くなくて良い感じでした。
ちょっと高いのが難点ですが、私は気に入りました。
麗子さん、会場係ご苦労様です。  
今年最後の句会。こんな結果となりました。  


題詠「茶の花」

①陽を溜めてまんまる蕾お茶の花(能登)智恵・すみ・佐保子・麗子
②茶の花や国際結婚したと言う(麗子)遅足
③茶の花や母お出かけの薄化粧(亜子)等・能登・すみ・狗子・静荷・郁子
④茶の花や土に香りを残しけり(立雄)遅足
⑤人絶えて里の茶の垣花の咲く(静荷)智恵・等・結宇・佐保子・晴代・立雄
⑥茶の花はふるさとの花まるき花(佐保子)晴代・郁子
⑦茶の花や笑みにほのかな蜜の味(遅足)智恵・狗子・立雄
⑧茶の花や喪中の葉書二通あり(晴代)能登・狗子
⑨落しもの結ぶ垣根にお茶の花(郁子)等・能登・すみ・佐保子・亜子・晴代・麗子
⑩茶の花や静々進む綿帽子(すみ)結宇・亜子・静荷・郁子・立雄
⑪富士は雲に茶の花は飛ぶ車窓かな(等)結宇・亜子・静荷・麗子・遅足
⑫茶の花や美術館通り左右(そう)に揺れ(結宇)
⑬お茶の花周りは赤の他人かな(狗子)

自由題

①結い上げしうなじにあたる寒さかな(晴代)能登・すみ・狗子・亜子・静荷・立雄
②まな板をジングルベルに刻みおり(郁子)等・遅足・晴代・麗子・立雄
③湯たんぽが冷めて今日の日始まりぬ(すみ)智恵・能登・狗子・静荷・郁子・立雄
④ひとひらの風花の舞い母如何に(能登)結宇・亜子・麗子
⑤小春日や剪定の音途切れなく(麗子)智恵・すみ・佐保子・郁子
⑥婆が焼き爺売る栗を買いにけり(等)晴代
⑦暮近し荷物持ちにと妻と行く(立雄)能登・すみ・佐保子・遅足・亜子・静荷
⑧咲き残る川原なでしこ猫の墓(佐保子)結宇・麗子
⑨日記買う生きるつもりのあと五年(静荷)狗子
⑩叱られてひとの恋しき小六月(遅足)佐保子・晴代
⑪火の色と見紛(みまが)ふ京の紅葉かな(亜子)等
⑫湯豆腐や頑固おやじの箸使い(狗子)智恵・結宇・遅足
⑬石段に蝸牛身を干す濡れ落ち葉(結宇)等・郁子


次回は1月17日(水)午後1時20分 栄・YWCA3階会議室。
題詠は「初」。初日の出など様々な「初」を詠んで下さい。
新年の句なら、「最初」など、季語でなくてもOKです。

では皆さま、良いお年を。
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テレビ草創期のドラマ作り 竹中敬一

2017年12月23日 | Weblog
同じテレビ局 (CBC)に在職中、私より二つ年下でドラマの演出家だった友人から
最近、テレビドラマに関する論文を送って頂きました。筆者は村上正樹氏。
題して「愛知県における" テレビドラマ草創期 " の基礎的研究 」
(名古屋郷土文化会 発行「郷土文化」第72 巻第1号に掲載)
村上氏はテレビドラマの演出家にとどまらず、編成、総務などの責任者として、
会社の経営にも関わる多才な経歴の持ち主。
テレビドラマでは民間放送連盟賞を受賞するなどしているので、ご自身の仕事を
もとにした話と思いきや、先輩の業績を通じての話でした。
草分けのテレビドラマがこの地方の演劇史に与えた影響ついて述べています。

その先輩のお一人が大脇 明氏(1926〜2012)。私が制作部にいた時の上司でした。
大脇先輩はドラマだけでなく、一時期、TBSに出向して、朝の情報番組のプロデューサー
をしていたこともあります。晩年、独立してプロダクションを設立。私も退職後、
お世話になった恩人です。
ただ、テレビ草創期、演出家として活躍した大脇先輩の仕事については、何も聞いて
おらず、今回、初めて村上氏の論文で色々、教えてもらいました。

私はドラマの分野は全く疎いのですが、テレビ草創期のドラマ作りの一端を村上氏の
論文を通じて触れてみます。
ドラマが "生"放送だったことを知っている人は少ないと思います。
CBCの場合、第6スタジオ、第7スタジオにセットを組み、通常、ケーブル付きの重い
カメラ3台で撮影。
俳優もカメラマンも各セットの間の迷路のような狭い空間を移動して"生" 本番に
臨んでいました。
テレビドラマは当時、映画に比べて評価は低く、電気紙芝居と揶揄されていました。
こうした中で、TBSが昭和31年から始めた「東芝日曜劇場」は映画に負けない質の高い
作品を次々、世に送り出し、注目されていました。

CBCはこの「東芝日曜劇場」枠で昭和32年10月20日、系列局で初めて記念すべき作品を
制作、放送しました。
それが、大脇 明 演出の「古瀬戸」でした。文部省の芸術祭 参加 第1作。
物語は、鎌倉末期の戦乱の世の設定で、瀬戸を舞台に人妻が2人の男への愛情に揺れる、
という物語。勿論、録画もされておらず、大脇氏自身のコンテ台本や僅かに残る関係
スタッフの証言のみが頼りだったようです。
美術進行の担当者の証言では、大脇氏は「虚構の世界のリアル」にこだわり、すべてが
ホンモノ志向。その演出方針のもと、わざわざ、瀬戸の山中から赤松を切り出し、
土も草木もトラックでスタジオへ搬入したそうです。
そればかりか、陶芸家、加藤唐九郎氏の指導のもと、スタジオに"登り窯" まで作って
しまうという徹底ぶり。
最後 、陶工が熱中して壺を作るシーンでは、"手のアップ"のみ加藤唐九郎を出演
させています。

「東芝日曜劇場」の一社提供は平成14年で終わっていますが、CBCの社史(2000年 刊)
によれば、CBCは昭和31年間から平成5年まで 36年間、年に6本程度 制作しています。

しかし、以後、CBCだけではなく、どの民放ローカル局もドラマの制作は殆んど姿を
消してしまいました。
スポンサーだった東芝が今日のようになりとは 想像もしませんでした。
東芝は絶えず良質の番組を提供して日本のテレビ文化の向上に大きく寄与したと
思っているだけに、とても残念です。

村上正樹氏の論文が、今の地方局のドラマ作りを再生する上で何か、手がかりになる
事を希望してやみません。



写真は「愛知県における" テレビドラマ草創期 " の基礎的研究」(村上正樹 著
平成29年8月15日 名古屋郷土文化会 発行「郷土文化」より)


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今年を締めくくる茶の花句会    麗

2017年12月21日 | Weblog
一年の過ぎるのが早いこと。今年最後の忘年句会が昨日行われました。会場もYWCA変わりましたが皆さん迷うことなく到着。こじんまりとしたお部屋でなごやかな句会となりました。私のように茶の花を見たことがないという人もいてなかなか面白い句会でした。楚々としたお茶の花という季語をどう生かすかが鍵のようでした。

遅足さんから「俳句は言葉の発見」「言えそうで言えないことを言う」などという金言も飛び出しました。それでは今年ラストの一言講評です。


題詠「茶の花」

①陽を溜めてまんまる蕾お茶の花
「まんまる」がかわいらしい表現。上5も暖かい感じが伝わって来ます。

②茶の花や国際結婚したと言う
はとこがノルウェー人と国際結婚しました。その驚きと日本ならではのお茶の花を取り合わせましたが、写生句にはならず。。

③茶の花や母お出かけの薄化粧
さりげない茶の花と上品な薄化粧を施す母のおでかけ。和服姿でしょうか?お母様のことを思い出して作ったそうです。「おでかけ」がいいですね。どこへ行かれるのでしょう?

④茶の花や土に香りを残しけり
お目が不自由になった作者ですが、視覚を補う嗅覚の俳句。そんなに香りはしないお茶の花ですが散った花びらが香りを残します。

⑤人絶えて里の茶の垣花の咲く
わびしさが出ている俳句ですが住む人がなくても花は生き続けます。音読しづらいのがやや難

⑥茶の花はふるさとの花まるき花
花が三回出てきています。茶の花のまあるい感じもひらがなからも感じられます。

⑦茶の花や笑みにほのかな蜜の味
ほのかな甘い味がした?お礼の一句。

⑧茶の花や喪中の葉書二通あり
お茶の花咲くころは、喪中はがきが届き始めます。

⑨落しもがの結ぶ垣根にお茶の花
ハンカチか手袋か?落とし物を垣根に結ぶ人の優しさがお茶の花によく似合います。トップ賞です!

⑩茶の花や静々進む綿帽子
綿帽子をかぶる花嫁さんとお茶の花の楚々とした様子が響きあいます。お茶畑を進む農村の婚礼の様子を目に浮かべる人も。

⑪富士は雲に茶の花は飛ぶ車窓かな
新幹線からの一句。静岡を走る頃。富士山の頂上は雲に隠れ、でも裾野のお茶畑は飛ぶように過ぎて行く、その疾走感が大きな景色を演出してます。

⑫茶の花や美術館通り左右(そう)に揺れ
「美術館通り」を変えてみれば?という意見もありました。右に左に道が曲がってお茶の花も揺れているようです。

⑬お茶の花周りは赤の他人かな
ユニークな一句。茶の花はツバキ科だそうです。ツバキといえば赤が多い。そこから「周りは赤」と思いついたとか。気づかなくてすみません。

いかがでしたでしょうか?今年の句会も無事にお開きとなりました。
安藤さん、遅足さん。今年も投句をまとめて下さりありがとうございました。
郁子さんの自由句「まな板をジングルベルに刻みおり」という俳句に衝撃を受け「もう俳句やめる!」と脱帽した石田さん!そんなことおっしゃらずにまた新しい句風を目指して下さい。
的確なコメントに聞き惚れてしまう亜子さん。
いつも冷静に句を評価され季語を教えて下さる晴代さん。
源氏物語や家庭菜園に詳しい静荷さん。
そして楽しくスムーズな進行をして下さる郁子さん。
お母様の介護でお休みがちな優しいすみさん。
格調高い語彙の結さん。
なかなかお会いできないちえさん、能登さん、さほこさん。来年のご出席を一同心よりお待ちしています。
そして、来年の初句会のお題は「初」です。またがんばりましょうね。

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12月句会の投句が集まりました。  遅足

2017年12月20日 | Weblog
なかなか力作ぞろいです。

題詠「茶の花」
①陽を溜めてまんまる蕾お茶の花
②茶の花や国際結婚したと言う
③茶の花や母お出かけの薄化粧
④茶の花や土に香りを残しけり
⑤人絶えて里の茶の垣花の咲く
⑥茶の花はふるさとの花まるき花
⑦茶の花や笑みにほのかな蜜の味
⑧茶の花や喪中の葉書二通あり
⑨落しもの結ぶ垣根にお茶の花
⑩茶の花や静々進む綿帽子
⑪富士は雲に茶の花は飛ぶ車窓かな
⑫茶の花や美術館通り左右(そう)に揺れ
⑬お茶の花周りは赤の他人かな

自由題
①結い上げしうなじにあたる寒さかな
②まな板をジングルベルに刻みおり
③湯たんぽが冷めて今日の日始まりぬ
④ひとひらの風花の舞い母如何に
⑤小春日や剪定の音途切れなく
⑥婆が焼き爺売る栗を買いにけり
⑦暮近し荷物持ちにと妻と行く
⑧咲き残る川原なでしこ猫の墓
⑨日記買う生きるつもりのあと五年
⑩叱られてひとの恋しき小六月
⑪火の色と見紛(みまが)ふ京の紅葉かな
⑫湯豆腐や頑固おやじの箸使い
⑬石段に蝸牛身を干す濡れ落ち葉


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選句の基準について  遅足

2017年12月19日 | Weblog
栴檀の主宰は辻恵美子先生。選句の基準のポイントについて、
①季語が生きているいるのか。
②写生はきちんと出来ているのか。
③実感が現れているのか。
の3つをあげてみえます。
さらに素朴、正直な句がよいと。

「上手い。上手すぎる」と評されたのがこの句。

  年の夜のしんしん白き母の髪

季語は、まあ生きている。
写生もまあまあ。「しんしん」はどうかな?
実感が現れているのか?これが問題です。
うつくしく作られすぎて実感が伴っていない。
この句の場合、なにかゴッツとしたものがない。
それゆえ絵空事に感じられるのでしょうか。

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ひとはみなこゑとなりゆくすすきはら   遅足

2017年12月18日 | Weblog
この句を栴檀句会に出してみました。
評価して下さる方もいらっしゃいましたが、
先生からは「写生」がないという評をいただきました。

「こゑとなりゆく」の「なりゆく」が問題とのこと。
ではどうするのか?
先生の答えは「こゑばかり」にしたらと。
そこでこうしてみました。

  みなひとはこゑばかりなるすすきはら

これも良いですね。
なぜ「なりゆく」としたのか?
じつは深く考えてのことではありませんでした。
指摘をうけて初めて気がつきました。

五感で感じ取っている人が、聴覚の声のみになってゆく。
さらに五感では捉えられないが、確かにいるという、
そんな存在になってゆくのでは・・・
というニュアンスを込めたかったのかも。
そういう読みを可能にするため「なりゆく」に。
しかし、そのために曖昧な部分が出来たことも確か。
言葉の奥深さを勉強しました。
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ひとはみなこゑとなりゆくすすきはら   遅足

2017年12月17日 | Weblog
船団の星野ドクターの診断です。

郊外で過ごした秋の一日、出会って別れ、遠ざかる人たちの背中が
芒原に消えていく景を思い浮かべました。
姿は見えなくなっても、声は聞こえていたのですね。
或いは、会えなくなった人たちが声だけになって
棲む場所が芒原なのかもしれません。
幻想的な魅力のある作品だと思いました。

ありがとうございます。
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さざんかの咲きつぐ白や子規の庭   遅足

2017年12月16日 | Weblog


先月、東京へ行ってきました。写真は根岸の子規庵にある机です。
子規が晩年、読書をしたり原稿を書いたところ。
手前の切込みに立膝を入れていたそうです。
病に悩まされていた子規。その方が楽だったのでしょう。
目の前にあるささやかな庭が子規の全宇宙。

 いくたびも雪の深さを尋ねけり

 鶏頭の十四五本もありぬべし

その庭に立つと句のこころが実感できました。
子規が亡くなった夜、隣室に詰めていたのが高浜虚子。
すぐ近くに住んでいた河東碧梧桐の家に知らせに走ります。

 子規逝くや十七日の月明に  虚子

子規庵のガイドさん。とても熱心な方で外でした。
わざわざ「ここがその句を詠んだところ」と教えて下さいました。
そこだけは、昔のまま少し道が曲がっていました。

子規庵の近くには、碧悟桐の他、子規の勤めていた「日本新聞」
社長の陸羯南や洋画家・浅井忠なども住んでいたそうです。
100年以上経った今、ラブ・ホテルの街に変っていました。






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