この写真は今から30年近く前、画家の三岸節子さんがフランスのヴェロンという
小さな村にいた頃、私が撮ったものです。三岸さんは当時、84歳。
私は平成元年、彼女の半生を追ったテレビ番組を制作するため、ヴェロン村の
アトリエを訪れています。
このロケは必ずしも順調ではありませんでした。
もちろん、事前に先方の了解を得た上で行ったのですが、いざ撮影となった時、
ご家族かパリの画商から横槍が入ったのか、色よい返事をもらえませんでした。
仕方なく、最初の三日間位は一人で三岸さんの邪魔にならない程度にアトリエへ
通い、説得を続けました。
ある時、三岸さんが私に「出身校は」と聞かれ、「早大の美術で、坂崎という
先生に習いました。」と言うと、彼女は「坂崎担(さかざきしずか)のことですか。
坂崎さんは私の若い頃の恩人です。」とのこと。
坂崎担(1887ー1978)は、早大教授になる前、朝日新聞の美術記者、学芸部長を
していました。新聞紙面での美術批評の草分けでもあります。
女流画家がなかなか世間から認めてもらえなかった時代、三岸さんは大正期に
婦人洋画協会、戦後間もなくには女流画家協会の設立に貢献しましたが、
坂崎担は三岸さんたちの活動をずっと、支援してくれたと言うのです。
この事があってからは、アトリエでの制作場面の撮影やインタビューにも応じて
頂いたばかりではなく、毎朝、欠かしたことがないというお祈りなど日常生活まで
撮らしてもらうことができました。
波瀾万丈の生涯を送った三岸さんは晩年、郷里の愛知県中島郡小信中島村 (現在の
一宮市 )立ち寄った際、同級生が「お互い、百歳まで長生きしましよう」と言った
のに対し、三岸さんは、すかさず、「私は120歳まで生きてみせます」ときっぱり
言ってのけました。
平成元年、東京三越で開かれた三岸節子展の会場で三岸さんと会った作家の井上靖
さんは大病された後でしたが、「あなたの驚くべきエネルギーにあやかりたい」と
三岸さんに言った言葉が今でも心に残っています。
別のテレビ番組に出演してくださった作家の宇野千代さんも晩年でしたが、矢張り、
三岸さんと同じような発言をしていました。
波瀾万丈の生涯という点でも共通していお二人、「生きたい」ではなく「生きて
みせます」と言うあたりに女性の強さを感じます。
因みに、三岸節子さんは94歳、宇野千代さんは98歳で世を去っています。
もう今年もあと3日。一年、読んで下さってありがとうございました。