575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

冬立つや縦横無尽四畳半   朱露

2009年10月31日 | Weblog

      パソコン・本箱・机・碁盤と座布団。
      南面の団地はブラジル人家族が多い。
      北山裾には頼朝所縁の赤岩山赤岩寺。
      西の名古屋東の浜松へ行く必要なし。

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友の母の死         愚足

2009年10月31日 | Weblog
友達の母が九十二歳で逝った。
すごい人だったとメールしてきた。
生きることを簡単には諦めない人のようであった。
友も母親みつめて一緒に生きていたようだ。
まだ元気そうと聞いていたので、突然で驚いた。

早死にした母を想った。
もう何年になるのか、あまり思い出せない。
淋しいことだと思った。

 
 生き抜きし友の母逝く秋の暮

 秋深し友の母の死母おもふ
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キクイタダキ        草女

2009年10月30日 | Weblog
ウグイス科で日本最小の鳥の一つ。体長10㎝、体重5~6gというから、一円玉5,
6枚の重さである。オリーブ緑色で、翼の白い羽縁、目の周囲の白が目立つ。名前の由来は、雌雄とも頭央部の羽毛が黄色でに菊の花びら(舌状化)をのせているように見えるからだ。雄はこの黄色の中央に赤橙色の羽毛があるが、興奮しないと見せないので、かなか目にできない。春から夏、本州中部以北の高い山で繁殖し、冬は九州以北の低山の針葉樹林に多い。なかなか見かけないし、たとえ、見つけても常に動き回っているから、頭の黄色まで確認することができない。
 秋の舳倉島バードウオッチングに初めて参加し、一生分のキクイタダキを見た。図鑑では、水浴び以外地面に降りることはなく、周年樹上で生活するとある。しし、舳倉島はなんでも有りの場所、地面に降りるは、足元のノゲシ(ハルノノゲシ)に3,4羽がまるでなっているように止まって餌を食べているはという状態。この小さな体で海を渡ってきたのだ、ともかく食べて、食べて体力を戻さねばということだろう。この先また海を越えて行かなくては・・・でもどこまで行くの?
  
 仲間のなかにはそんな気の毒な鳥を見るのはいやだと舳倉島ツアーを断る人もい
る。しかし、人目を気にしないで餌を食べているので私でさえ、キクイタダキの黄色やオレンジの頭を観察できた。舳倉島はとってもありがたい島である。たぶん、それは島に渡って来る鳥にとってもそうだと思う。猫と何羽かのハヤブサに気をつければ、虫も植物も豊富、休む場所も水場もある。島が何時までもこの状態であることを願っているのはバードウオッチャーだけではなく、鳥もそうだと思っているに違いない。

 

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小説の力   麗

2009年10月29日 | Weblog
先日、作家の重松清の講演会を聞きました。
去年、「その日の前に」を読んで号泣した私にとって
重松さんのお話はとても面白く興味深く聞くことができました。

子供時代に「にんじん」を読んで小説に目覚めた重松さん。
なぜ小説を書くのか?それは自分にとっての正解を見つけるため。
人間に悩みや迷い、不安がなくなったら小説は存在しなくなるとおっしゃっていました。
小説の中の主人公は、皆何かしらの問題を抱え、困難に立ち向かっている。
時代や国を超えて一冊本の中に自分なりの解決の糸口が見つかることの不思議さ。
うつむき加減の口べたな子供にスポットライトを与えるのが僕の役割と話されました。

私も幾度か小説に励まされ涙してきました。
重松さんの作品ではないけれど
今話題の映画、山崎豊子の「沈まぬ太陽」も
私の人生にある意味影響をあたえてくれた作品です。
たくましい主人公に生きていくことの過酷さと強さを見せつけられました。
読書の秋。
これからもどんな小説に出会えるのか楽しみです。
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冷やかな指にちぎりしフランスパン   遅足

2009年10月28日 | Weblog
船団のえなみしんさドクターの診断です。

やせぎすのきれいな女性が、ちぎったフランスパンを
手にしている姿が浮かんできた。
考えてみると、「冷やか」は秋の季語。
季語的に解釈すると冷えている指だが、
「冷やかな指」には、理性的で、計算高い、
たとえば女性の1Tベンチャー社長の指のようなイメージがある。
となると、食事してるのはミッドタウンかもな~。

   (ありがとうございます。)


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落葉してピアノになったハイヒール   坪内稔典

2009年10月28日 | Weblog
え!?という句ですね。
秋、落葉の季節。そのなかをハイヒールが行く・・・・
すると、いつの間にかピアノに変わっていた!
そんなこと有り得ない。

無理に理屈をつけて読めば、ハイヒールの落葉を踏む音が
ピアノの曲に聞こえた・・・
これも余り有りそうもないこと。

    水中の河馬が燃えます牡丹雪   

これも坪内さんの句です。
これも実景としては有り得ない句です。

この句を読んだ、あるカメラマンがこう言ったそうです。
「ネンテンさんの句は言葉の風景なんですね。
現実にある風景ではなく、言葉がつくる風景ですね。」
これを聞いた稔典さんは、改めて自分の句に納得したそうです。

落葉して、の句も、言葉がつくる風景として
読むとどうでしょうかね?

 俳句と俳文「高三郎と出会った日」(坪内稔典)より

写真は白山スーパー林道の紅葉です。

                   遅足



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黄落の時   鳥野

2009年10月27日 | Weblog
行きつ戻りつ、の今年の秋。落ち着かないものの、確かに季節は移っています。

木々の落葉も目立ってきました。

朝、気がついてみると、嵩高に吹き溜まっているケヤキの枯葉。日暮れてから冷たい風が吹いたのでしょう。

傍目には風情ゆたかな落葉も、時や立場によれば迷惑なもの。

街路樹脇の店の主人が「これは仕方のないゴミの木」と嘆いていました。

ならば、せめて散り際は見せたくない、とケヤキは暗くなるのを待っていたのかも。

 ・ 人の気配なき風の夕ひそやかに黄落急ぐ槻の枝々

                    鳥野
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お神籤にまじる落葉の吹き溜まり 江本絵悶

2009年10月27日 | Weblog

葉をおとしきった森の中を歩くのは楽しい。
かさこそ、という乾いた音が心地よい。
「シーモン、お前は好きか、落葉踏む足音を・・」
グウルモンの詩の一節である。
落葉の吹き溜まりに、おみくじが混じっているのを発見した。
神社の杜である。

  (句集 天邪鬼より)

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日本の男の行儀秋さびし    朱露

2009年10月27日 | Weblog


    男の団体の一員になって一泊旅行。
    朝の畳部屋が布団寝間着で嵐の後。
    日本の男は何時からこうなったか。
    これが二十一世紀日本人の景色か。

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柿マヨで後期の老いを研ぎ澄ます    朱露

2009年10月26日 | Weblog
       年を取ることは気難しくなることだ。
       子供の頃からそのけがあって困った。 
       だから五つ上の姉にとても嫌われた。
       柿マヨのミスマッチに腹立てて食う。

    

   なお、立雄さんの選句が届きました。
   最終結果をご覧下さい。   遅





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こんなのが候補作品なんですね。   ぐ

2009年10月26日 | Weblog
2009角川俳句賞候補作興梠隆「雲の抜きゆく」を(ちょっと)読む ……上田信治

●興梠隆「雲の抜きゆく」50句

俳句のために、わざわざ「どこか」へ行ったりということが、少なそうな俳句と思った。

「どこか」というのは、自然の中だったり、歳時記の中だったり。ドラマチックでもないし、詩的な言語空間へも行かない。つまり「日常」から、どこへも出かけて行かずに、書くこと。その「日常」は、たとえばこんなふうだ。

「毎日遠くへ行く仕事」
「食卓は椅子に囲まれ」
「タクシーの自動ドア」
「仮設便所を積んで去る」
「出口なき教習コース」

これら「日常」のモチーフは、おもしろくもおかしくもない「日常意識」をはみださない、水のような空気のような言葉で書かれている。特段おもしろがってもいないし、秋刀魚がうまくて嬉しいとかもないわけです。

それが、こういう俳句になる。

冬青空毎日遠くへ行く仕事    興梠隆
食卓は椅子に囲まれ鳥の恋    
蟇穴を出てタクシーの自動ドア  
春風や仮設便所を積んで去る   
出口なき教習コースタ立来    

なんか、こう「日常」あるいは「日常意識」が、ほぼそのまま維持されつつ、そのまま、抽象度が上がっている感じ。日常を「異化」するのではなく、おもしろくもおかしくもない日常意識によりそうようにして、その底から「抒情」を浮かび上がらせる。

「自動ドア」は、それと関わりない低さの視点から見上げられた。人のいない「食卓」は、自分たち家族の生殖の時代の終わりを、遠く告げる声にとりかこまれている(泣ける)。

そうそう、この切ない感じは、この日常に、元からあったものですよね。

もう……この、ロマンチスト!(とても身近に感じている先輩なので、気安くなっています)

六月の碍子一個の光なり  興梠隆

「食卓」と並んで、今回の白眉と思った。「一個」を生かすために「六月」が選ばれている。




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百舌鳥が来て危機告知してすぐ消える   朱露

2009年10月25日 | Weblog

     鵯は来たが百舌鳥は来なかろうと思っていた。
     辛夷の葉があらかた落ちた十月末の朝現れた。
     いきなり頭の上で喚き散らしたので身構えた.
      グラマンと百舌鳥は突然頭の上から来るのだ。


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ハローウィン       愚足

2009年10月25日 | Weblog
 孫にせがまれて百円ショツプに出かけた。
 お目当てはハローウィンなるお祭りのグッズである。
 魔女の帽子やら、魔法のステッキやら、黒いマントやら、かぼちゃの提灯やら所狭しと並べてある。
 ちょつと見栄えのいいものは百円では買えない。
 姉弟で競争で籠に放り込む。
 姉は魔女に変身し。弟はかぼちゃのお面と骸骨のオモチャである。
 「何の祭りか知ってるのか」と聞くと「みんながやってる祭りだという」

 食堂でパンプキンケーキを食べさせて、「そもそもハローウィンとはケルトの・・・」と含蓄を語ろうとしたが、二人とももう魔女と骸骨君の気分で聞く耳はない。
 帰って歳時記を調べたがバレンタイン同様ハロウィンは載っていなかった。
 なぜかホッとした。

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秋刀魚食う腸があっての身なりけり   朱露

2009年10月24日 | Weblog


      佐藤春夫「秋刀魚の歌」みたいに複雑じゃない。
      秋刀魚は高級魚じゃないから気楽に食えばいい。
      但し腸の旨さを知ったら気楽な食い物じゃない。
      身だけ食って腸を残す不心得者を怒鳴り飛ばす。

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キジョラン(鬼女蘭)とアサギマダラ(浅葱斑)    草女

2009年10月23日 | Weblog
蘭ではなく、ガガイモ科キジョラン属の常緑つる性の植物。木か多年草か意見が分かれている。花は秋が深まる今から咲き、翌年の冬、実が熟しす。13~15cmもある。
 袋果は二つに割れて長い白毛をもつ種子を出す。この様子が鬼女が白髪を振り乱しているようだとこの名前がついた。なかなか会えないでいたが、牧ノ原市女神山の植ウオッチに参加して、鬼女蘭に出会うことができた。まだ緑であったが、実も見つけることができた。いつか割れた実に出会いたいものだ。

 キジョランは同族のイケマとともにアサギマダラの食草である。幼虫は葉の表面をまず円を描くよう傷つける。というのもガガイモ科の植物は傷つけられると有毒な白い汁を出す。汁を葉の外に出しておいてから、円の内側をムシャムシャ食べる。何という賢さだろう。だから、キジョランの葉には丸い穴があることが多い。
 渡りをする蝶として有名になり、大勢の人々がマーキングに参加するようになったアサギマダラの行動がだんだんわかってきたが、まだまだ謎が多い。暑くなると、高地へ移動し、秋になると平野部に降りてくる。そうした垂直移動についで、南への大移動が始まる。その飛行距離は最高で1600km、所要時間は17日から1カ月。八重山諸島を超え、台湾まで飛行した個体がいる。アサギマダラは蝶としてはたいへん寿命が長く4カ月もあるから渡りが可能になる。ただ鳥のように一つの個体が行って帰るというのではなく、世代を繋いで渡る。名前の由来である浅葱色が目立ち、ファーファーと優雅に飛ぶ姿には1000kmも飛ぶエネルギーは感じられない。しかし、八重山諸島では、10月になると、それまで見られなかったアサギマダラが目立つようになるという。南の島から本州に渡たる個体より、本州から南へいく個体の方が圧倒的に多い。彼らは終焉の地を求めて渡るのか?ただただ不思議。
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