この句、愚足さんの
薄氷触れる若さも無くしけり
とは対照的。
歳を取ると、人生は引き算に。
父が逝き、母も・・・
友人のなかから、一人一人とあちらへ・・・
カンタンに出来ていたことも、ダンダン出来なくなってきます。
愚足さんは、薄氷に触れる若さをなくした、と。
嘆きつつ、一種の諦観を詠んでいるのではないでしょうか?
引き算の人生後半ですが、確実に増えているものもあります。
記憶です。思い出といっても良いでしょうか。
思い出は、脳の押入れのなかに乱雑に収納されています。
能登さんは、薄氷を割って子にかえりました。
記憶は行為とつながっています。
氷を割った能登さんは、子供時代のあれこれを
思い出したのではないでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en1.gif)
私の母の実家は、足助の山の中。
早春といっても、田圃には氷が張っていました。
弟たちと3人で恐る恐る乗って遊んでいました。
突然、右足が田圃のドロのなかへ・・・
母の家までの道の遠かったこと。冷たかった!
遅足
薄氷触れる若さも無くしけり
とは対照的。
歳を取ると、人生は引き算に。
父が逝き、母も・・・
友人のなかから、一人一人とあちらへ・・・
カンタンに出来ていたことも、ダンダン出来なくなってきます。
愚足さんは、薄氷に触れる若さをなくした、と。
嘆きつつ、一種の諦観を詠んでいるのではないでしょうか?
引き算の人生後半ですが、確実に増えているものもあります。
記憶です。思い出といっても良いでしょうか。
思い出は、脳の押入れのなかに乱雑に収納されています。
能登さんは、薄氷を割って子にかえりました。
記憶は行為とつながっています。
氷を割った能登さんは、子供時代のあれこれを
思い出したのではないでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en1.gif)
私の母の実家は、足助の山の中。
早春といっても、田圃には氷が張っていました。
弟たちと3人で恐る恐る乗って遊んでいました。
突然、右足が田圃のドロのなかへ・・・
母の家までの道の遠かったこと。冷たかった!
遅足