この句、愚足さんの
薄氷触れる若さも無くしけり
とは対照的。
歳を取ると、人生は引き算に。
父が逝き、母も・・・
友人のなかから、一人一人とあちらへ・・・
カンタンに出来ていたことも、ダンダン出来なくなってきます。
愚足さんは、薄氷に触れる若さをなくした、と。
嘆きつつ、一種の諦観を詠んでいるのではないでしょうか?
引き算の人生後半ですが、確実に増えているものもあります。
記憶です。思い出といっても良いでしょうか。
思い出は、脳の押入れのなかに乱雑に収納されています。
能登さんは、薄氷を割って子にかえりました。
記憶は行為とつながっています。
氷を割った能登さんは、子供時代のあれこれを
思い出したのではないでしょうか。
私の母の実家は、足助の山の中。
早春といっても、田圃には氷が張っていました。
弟たちと3人で恐る恐る乗って遊んでいました。
突然、右足が田圃のドロのなかへ・・・
母の家までの道の遠かったこと。冷たかった!
遅足
薄氷触れる若さも無くしけり
とは対照的。
歳を取ると、人生は引き算に。
父が逝き、母も・・・
友人のなかから、一人一人とあちらへ・・・
カンタンに出来ていたことも、ダンダン出来なくなってきます。
愚足さんは、薄氷に触れる若さをなくした、と。
嘆きつつ、一種の諦観を詠んでいるのではないでしょうか?
引き算の人生後半ですが、確実に増えているものもあります。
記憶です。思い出といっても良いでしょうか。
思い出は、脳の押入れのなかに乱雑に収納されています。
能登さんは、薄氷を割って子にかえりました。
記憶は行為とつながっています。
氷を割った能登さんは、子供時代のあれこれを
思い出したのではないでしょうか。
私の母の実家は、足助の山の中。
早春といっても、田圃には氷が張っていました。
弟たちと3人で恐る恐る乗って遊んでいました。
突然、右足が田圃のドロのなかへ・・・
母の家までの道の遠かったこと。冷たかった!
遅足