575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

京都に行ってきました   郁

2017年09月30日 | Weblog
周りの主婦友に、今ご招待バスツアーがブームです。
本屋さんやドラッグストアで
レシートをつけて申し込むと「ご当選!」と
無料のバスツアーご招待の
ハガキがきます。
友人を誘って参加するとそのご一行も
割安となるしくみ。
ただ
旅行の途中に、かならずアクセサリーか毛皮などの
直売工場に寄ります。
ここがスポンサーとなっているのですね(笑)

先日それで京都に行けました。3人組でした。
行程中、90分もある貴金属売り場を
寝たふりをしてやりすごすと
そこからはこちらのもの、
勝手知ったるツアーの達人の先導で
嵐山、京都御所と回ってきました。昼食もついています。

平日で紅葉シーズンにも達していないのですが、
嵐山は観光客で歩きづらいほどでした。
外人さんも多いですし、日本の若い女性も何人か
コスプレ風の原色の着もので闊歩しています。

その日の京都の最高気温は31度
嵯峨野の竹林の森でほっとしました。
独特の雰囲気に、外人さんもカメラの自撮り棒を遠慮がちにしています。

たしか、電球のフィラメントに最適な素材として
エジソンのお眼鏡にかなったものが
ここの竹だったらしいよと、
かすかな記憶でウン蓄をかました私でしたが、
家に帰って確認したら、間違っていて、
もっと南のほうの八幡男山の竹であったということ、
とんだウンチク(竹)ですね。

疲れて帰った、
その夜も更けてから
友人に訂正をいれましたが
どっちでも良いと言われてしまいました。
世はLEDでしたね。

 
  観音の池にコインの天龍寺  郁



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父、竹中皆二の短歌から 〜生涯、牧水を慕いて〜竹中敬一

2017年09月29日 | Weblog
今年6月、歌人、若山牧水の生誕地、宮崎県の県立宮崎図書館に父が所有していた
牧水創刊の短歌誌「創作」878冊を寄贈しましたが、これに関連して朝日新聞の
宮崎総局の記者から電話取材を受けました。
その時、記者から「牧水と父との関係について、お父さんから何か聴いていたことが
ありますか。」と尋ねられました。

平成29年6月30日、朝日新聞宮崎版の記事より。
「敬一さんは、短歌をつくらないこともあって、牧水の話を聴いたことはないが、
牧水の命日には、仏壇に牧水の写真を置いて拝んでいた姿を見かけた。」

父から生前、牧水のことについて、聴いておけばよかったのにと、悔やまれます。
実のところ、私は父の短歌に関心を持つようになったのは、最近のことで、短歌を
つくったこともありませんでした。
子供心に、いつも母に負担をかけている父を時として恨んだこともあります。
父と同郷、同年輩の児童文学者、山本和夫氏が父が亡くなった時の追悼文の中で、
「中学(旧制)時代、秀才の誇りを専らにし」などということは、知りませんでした。
中学(旧制) が最高学府で、それ以上は勉強ができても進む者は少なかった時代、
旧制高校に入学できたのだから、ちゃんと卒業していれば、自ずと安定した生活が
約束されていたものを、と思ったものです。

 わが如きものに従き来て五十余年 わが古妻を死なしむな ゆめ

 この辺地 貧に耐へつつ不平なく われに従き来し五十余年ぞ

昭和60年、父が82歳の時の歌です。
母ミツは、この年に脳梗塞を患い、病院に入院。二年後に81歳で亡くなりました。
父のこの頃の歌に「人生の脱落者」とか「敗北」といった言葉がよく出てきますが、
ひょっとすると、それは母を幸せにできなかった父の後悔の念から来ているのかも
しれません。しかし、父はその後、牧水の生き方に救いを求めます。

 牧水のその生涯をわれ思ふ まこと清貧最後の人か

 牧水にわれ惹かれしは何よりも その清貧の境涯なりき

若山牧水と父との関係について、新聞記者に語ったように、父は牧水の命日に当たる
9月17日には 必ず毎年、仏壇に牧水の写真を置いてお経を唱えていたのだけはよく
今も覚えています。
生涯に六冊出した歌集には必ず牧水の命日に因んだ歌が載っています。

 牧水の霊前にわが供へしは 若き穂すすき つゆ草の花

 牧水忌に我等の諷誦する修証義第五章 山崎祖琳が導師となりて

牧水の外に師事せしことのなきを ひそかなるわが誇りとぞする

午前七時五十八分香をたく 我忘れざりき六十六年

 先生の晩年より我は出発し ひとり歩みつつ悔いあらなくに

このシリーズはひとまず、これで終わり、後日、再開します。
どうぞよろしくお願いいたします。

           

写真は、父が所有していた若山牧水直筆の色紙

 我が庭の竹の林の浅けれど ふる雨みれば春は来にけり


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梨の思い出   麗

2017年09月28日 | Weblog
郁子さんから、私の大好物の二十世紀梨を頂きました。
梨には「豊水」や「幸水」などの「赤梨」と、「二十世紀」などの「青梨」の二種類に分けられるそうですが、私は青梨が好きなのです。あの瑞々しい食感とさわやかな甘さがたまりません。

そして梨といえば運動会のお弁当の片隅に入っている定番の味でした。
梨をさくっと噛むといろんなことが思い出されます。

初めての小学1年生の運動会の時、母は病気で入院中でした。父も仕事を休むなんて言う時代でもなく、心細い思いをしていました。
すると、九州から祖父母が来てくれていたのです。叔母の出産にあわせての上京だったようですが、とても嬉しかったことを覚えています。その日のお弁当は祖父母と食べたのかあまり記憶にないのですが。。梨を食べるとなぜかこの運動会のことと今は亡き祖父母のことを思い出します。

優しかった祖父は、母のお見舞いに行く途中にポケットからキャラメルを出してくれました。手をつないで踏切を渡ったことも覚えています。
祖父は高校の書道の教師でした。「心がざわつく時は墨をすりなさい」と母によく言っていたそうです。
今回の句会で

   居住まいを正し墨する秋の声

はそんな祖父の背中を思い出して作りました。おじいちゃん、書家の孫なのに字がへたで本当にごめんなさい。
でもこれから先の人生で心がざわつく時は墨をすって心を落ち着かせるからね。
梨をいただきながらそんなことを思った秋の夜でした。
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野分吹きラインに集う家族かな  郁子

2017年09月27日 | Weblog
ライン(LINE)は、24時間、いつでも、どこでも、
通話やメールが楽しめる無料のアプリ。
友達や家族と同時におしゃべりが出来るそうです。
台風が接近。遠く離れている子供と情報交換。
日頃、疎遠になりがちな家族が絆を強く感じる時間です。

台風といえば、あの伊勢湾台風からもう58年。
高校2年生でした。男兄弟3人で雨戸が飛ばされないように奮闘。
ロウソク一本の灯りのなかで父の話に聞き入った記憶があります。
猛烈サラリーマンだった父。親子の対話などまったくありません。
台風の最中、父の話を聞いたことは、忘れられない出来事でした。

母はのちに「あの時は心強かった。男3人産んでよかった」とぽつり。
私は父からどんな話を聞いたのか?戦争中の話だったのか?・・
今となっては思い出せません。

ラインという生まれたてのカタカナ言葉を使う時、
「野分」と「台風」どちらの季語が良いでしょうね?  遅足



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児等の声くらげ連れ去り秋の声   能登

2017年09月26日 | Weblog
60年前の能登の海。毎日のように泳いでいた夏休み。
盆過ぎになると何故かくらげが押し寄せ、
泳ぐ子供の数が少しずつ減って行きます。
やがて、浜辺では今まで気づかなかった
静かな波音が聞こえて来ます、と作者。

まるで秋がこどもたちを攫っていったようですね。
一度だけですが、クラゲに刺されたことがあります。
我慢できないような激しい痛みではありませんでしたが
今でも肌はその時の痛みを記憶しています。

                   (遅足)
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ミサイルが通過したとは鰯雲  麗子

2017年09月24日 | Weblog
日本の秋。空には鰯雲が・・・平和な空をミサイルが飛んでいくとは!
ミサイルが来た、と聞いた時には、もう通過したあと。
なにかアッケない感じも残ります。
そんな気分も「通過したとは」の中七に込められているようです。

トランプさんと金さんの対立はエスカレート。
ついに日本列島の上をミサイルが飛んでいく事態に。
さらには水爆実験を行うという予告も。
核を積んだミサイルが日本上空を飛ぶなんて・・・
決して許されることではありません。

二人は、なぜ喧嘩をし、エスカレートしてゆくのか?
話し合えば、また解決の道も見つかるかも・・・。
ドイツのメルケルさんなどは対話を呼びかけています。
対照的なのが安倍さん。さらに強く制裁を、と主張。

紆余曲折はあってもイランのように話し合いで和解したケースも。
こちらも話し合いを。
これも空を見上げる作者の気持ちでしょうね。  遅足


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雑感     郁

2017年09月23日 | Weblog
句会出席のため久々に電車に乗りました。

静かな車中。
7割ほどの乗車率ですが、
ほとんど全員と言っていいほど
スマホの四角い画面を見ています。

私の前には
親子連れが座っていました。

幼稚園年中さんくらいの女の子は
ピンクのうさぎさんのショルダーバッグを大切に抱えて
おでかけが嬉しいのか、
目に見えるもの
聞こえてくるもの、
歌交じりで、ひとりおしゃべりをしています。

この年頃の子どもの面白い特徴ですね。

お母さんはといえば
けだるそうに窓の景色を眺めるばかり。

ちょっかいをかけたり、話しかける娘に
 「うるさい!」
 「しずかにしなさい!」
 「やめなさい!」

30分弱の乗車期間中、
そのお母さんが発した言葉はこれだけ、
あとは無視でした。

母親になんとか相手になってもらいたがっていた
女の子もそのうち黙り、無表情になっていきました。
そして相変わらずの静かな車中に・・

なんだかやりきれなくなりました。

対話より圧力を、どこかの国のトップは言います。

でも
親子に限っては、とにもかくにも
対話、会話ですよね。

いえ、国同士も対話だと思います。
外交のプロこそ、対話の達人でいて欲しいです。

言葉を発する機会が
どんどん少なくなっていきます。
だからヘタになっていきます。
気持ちや感動を伝える努力をしなければ
四角い箱に閉じこもったまま出られなくなりそうです。


小さな女の子のひとりごと。
ていねいに聞いていたら
ひょっとして
俳句が生まれていたかもしれませんね。






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秋の声句会の最終結果です。  遅足

2017年09月23日 | Weblog
9月句会の結果です。

題詠「秋の声」
①秋声や花を棺に孫曽孫(佐保子)静荷・智恵・等・亜子
②露天湯の星のまたたき秋の声(亜子)能登・立雄
③七草の青色冴えて秋の声(郁子)佐保子・麗子
④茜雲地上溢るる秋の声(立雄)静荷・すみ・遅足
⑤秋の声朝から弾むお代わりと(すみ)
⑥北風に変わる窓辺や秋の声(静荷)狗子・等・麗子・遅足
⑦箔を押す指の先より秋の声(遅足)能登・結宇・佐保子・智恵・晴代・立雄
⑧湯に入れば末尋ねたき秋の声(結宇)狗子・亜子・晴代・郁子・麗子
⑨秋声や暗渠に消える水の勢(晴代)結宇・佐保子・狗子・郁子・遅足
⑩児等の声くらげ連れ去り秋の声(能登)結宇・すみ
⑪居住まいを正し墨する秋の声(麗子)能登・静荷・智恵・等・亜子・晴代・立雄
⑫「また来て」と星のまたたき秋の声(等)すみ・郁子

自由題
①冬瓜を切れば純白綿の部屋(静荷)智恵・晴代・郁子
②手に力入らぬ夫や放屁虫(へひりむし)(佐保子)能登・静荷・遅足
③醤油色鍋に整列鰯かな(すみ)結宇・郁子
④医者帰り歯をいたわりて林檎食む(立雄)狗子
⑤蜩や明日は会へぬと今日を鳴く(亜子)能登・静荷・智恵・すみ・狗子・等・麗子・立雄
⑥白萩を揺らして時は通り過ぐ(能登)亜子
⑦野分吹きラインに集う家族かな(郁子)等・晴代
⑧ミサイルが通過したとは鰯雲(麗子)佐保子・智恵・遅足・亜子・郁子
⑨子の帽子浮きつ沈みつ大花野(等)能登・結宇・静荷・すみ・麗子・立雄
⑩一輪の黄菊へ零す一語かな(遅足)佐保子・亜子
⑪白萩のこぼれここより下り坂(晴代)結宇・すみ・遅足・狗子・等・麗子・立雄
⑫火落とせばコオロギ聞こゆ釜の傍(ハタ)(結宇)佐保子・晴代


次回は10月18日(水)午後1時半 芸文センター12階D
題詠は「秋収(あきおさめ)」です。

秋の農作業を終えた人々が集まって収穫を祝い合う行事のことですが、
最近はほとんど見られなくなりました。
「秋仕舞(あきじまい)」「田仕舞」などの傍題もあります。
また「豊年」も傍題としている歳時記もあります。
今回は「豊年」「豊の秋」もOKとします。


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父、竹中皆ニの短歌から 〜山川登美子〜 ②竹中敬一

2017年09月22日 | Weblog
薄幸の歌人、山川登美子の末弟で茨城県に住んでいた山川亨蔵は生活に困っていたようで、
持っていた登美子の遺品をすべて福井大学に売却しました。
三冊のノートなどの資料がもとになって、杉原丈夫の「山川登美子遺稿」、坂本政親の
「山川登美子全集」となって結実します。
これらのことを調べた私の同級生、四方吉郎君も福井大学の出身。四方君は「これらの
資料がもし散逸していたら、その後の杉原先生や坂本先生の登美子研究はなかっただろうし、
登美子の評価も恋に敗れた明星派の歌人にとどまっていたかもしれないのである。」
と述べています。

一番最初に触れたかった話が最後になってしまいました。
なぜ、土田数雄氏が父のところへ来たのか、ということです。それは、山川登美子の
歌碑を建設したいので、父にこれまでの登美子の歌から選んで欲しいというものでした。
そこで、父は土田氏の示された原稿から、二十首を妙出して、土田氏に提出しました。
ところが、土田氏は始めから

  「いくひろの波は帆を越す雲に笑み 北国人とうたはれにけり」

に決めていたようで、父の妙出した二十首には依らなかったのです。
「私は如何にも" いくひろの "の歌は、二十首中には採りかねたのである。" 雲に笑み "
などといふのが俗でいやであった。」
父は初期の作品だが、

  「漁火の三つ四つ五つほの見えて 青しま守の夢静なり」

を挙げ、暖地性植物群で有名な蒼島(あおしま)に歌碑を建ててはどうかと、進言しました。
しかし、土田氏は始めから決めていた"いくひろの"を採り、自ら揮毫して、昭和25年
小浜公園に登美子の歌碑を建てました。
父に云わせれば「失礼な言い様にもなるが、あのチャチな歌碑を造ってしまったのである。」
その後、平成12年に同じ小浜公園に
  
  「髪ながき少女とうまれ しろ百合に頬は伏せつつ君をこそ思へ」

の歌碑がもう一つ建てられました。

確かに、父は土田氏が選んだ登美子の"いくひろ"の歌碑には不満でしたが、登美子の
病床の下から発見されたという歌のノートを基に、土田氏の未刊の原稿をみせて
もらったことについては、「私はノートの歌を見るに及んで、登美子の歌に対する
関心を深めた。これは全く土田氏の御かげと言ってよい。」とも述べています。
敗戦間もない時期に登美子の歌碑の建設を思いつき、資金集めに奔走し、ついに、
それを実現させたこと。
焼き捨てられるところだった登美子の遺品を保管し、未発表の登美子の歌を基に彼女に
ついて書き留め、それが後の登美子研究の出発点となったこと。
これらのことに対する土田数雄氏の功績は讃えるべきだと思います。

父は晩年の登美子の歌を高く評価しています。
「病床の下から発見されたといふノート等の歌を読むに及んで、私は登美子の歌を
見直したと云ってよい。従来、明星派歌人として"恋ごろも"の歌人としての登美子の歌とは
ちがって来てゐるのだ。」として、数十首を妙出しています。

  うつつなのさかひを越えてここに来ぬおもひ静かに身はかろやかに 「ノートより」

  吾柩まもる人なくおくらるる野のさびしさをおもふけふかな 「ノートより」

登美子の父、山川貞蔵が74歳で亡くなった時、病床の登美子は父の柩を見送ることも
できなかったといいます。"父の喪にこもりて"と題する登美子の歌から

  わが胸も白木にひしと釘づけよ 御柩とづる真夜中の音

じっと、悲しみに耐える登美子の姿にシンの強い若狭の女を見る思いがします。


右下の写真が小浜公園(福井県小浜市)に土田数雄氏が建てた山川登美子の歌碑
(「若狭人物叢書」(昭和46年)より)


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秋の声句会    麗

2017年09月21日 | Weblog

昨日の句会、日中はまだ冷房が欲しい暑さでしたが、さまざまな秋の声が聞こえて来ました。
では恒例の一言講評です。原文の俳句もつけて欲しいというご要望にお応えしました。この方が見やすいですね。


①秋声や花を棺に孫曽孫
状況がよく目に浮かびます。目に見えない言葉と秋の声が響き合います。亡き人の心の声か?

②露天湯の星のまたたき秋の声
⑫の句と中7下5が全く同じでした。こんな偶然があるのですね。星のまたたきまでも秋の声に聞こえます。

③七草の青色冴えて秋の声
「七草」と「秋の声」は、季重なりという指摘がありました。「冴える」は冬の季語?
季語は難しいですね。青色の花は桔梗の花と詠んだ人が多かったです。
「百草(ももくさ)」としてはというどうでしょうか?というアドバイスあり。

④茜雲地上溢るる秋の声
地面全体から秋の声が聞こえてきそうです。

⑤秋の声朝から弾むお代わりと
食欲が出て元気な朝の様子と「秋の声」と少しニュアンスが合わなかったのでしょうか?「秋たけなわ」の方が似合うような。。

⑥北風に変わる窓辺や秋の声
「北風」は冬の季語との指摘あり。それでも風向きが変わった感じは共感を覚えます。

⑦箔を押す指の先より秋の声
名古屋城本丸御殿の障壁画を復元させる金箔を貼る丁寧な作業。息さえも止めて。。

⑧湯に入れば末尋ねたき秋の声
人生の行く末。物思う秋です。お風呂に入って一人の時間、ふとこの先のことが気になります。

⑨秋声や暗渠に消える水の勢
タモリさんが喜ぶ「暗渠が俳句に出てきました!暗渠に流れ込むさまざまなもの。静と動の対比がいいですね。」

⑩児等の声くらげ連れ去り秋の声
「くらげ」は夏の季語だという指摘あり。くらげが出てにぎやかだった海水浴場も静かになった秋の海。

⑪居住まいを正し墨する秋の声
久しぶりに硯で墨をすりました。背筋をのばして無心で感じる秋の声ととって下さいました。

⑫「また来て」と星のまたたき秋の声
露天風呂から見た夜空。「また来て」と星がささやいているかのよう。



いかがでしたでしょうか?暑さに耐えほっと一息ついた時に聞こえてくるさまざまな音や思い。そんなかそけき音を聞き逃さないように丁寧に過ごしていきたいですね。
でも我が夫は耳鳴りがうるさくて、ちっとも虫の声が聞こえないそうです(笑)

来月は秋も深まりそうです。「秋収め」というお題になりました。ちょっと難しい季語ですががんばりましょう!!
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9月句会の投句が集りました。

2017年09月20日 | Weblog
今回の題詠「秋の声」は難しかったという声も。
苦吟の結果をご覧ください。

題詠「秋の声」
①秋声や花を棺に孫曽孫
②露天湯の星のまたたき秋の声
③七草の青色冴えて秋の声
④茜雲地上溢るる秋の声
⑤秋の声朝から弾むお代わりと
⑥北風に変わる窓辺や秋の声
⑦箔を押す指の先より秋の声
⑧湯に入れば末尋ねたき秋の声
⑨秋声や暗渠に消える水の勢
⑩児等の声くらげ連れ去り秋の声
⑪居住まいを正し墨する秋の声
⑫「また来て」と星のまたたき秋の声

自由題
①冬瓜を切れば純白綿の部屋
②手に力入らぬ夫や放屁虫(へひりむし)
③醤油色鍋に整列鰯かな
④医者帰り歯をいたわりて林檎食む
⑤蜩や明日は会へぬと今日を鳴く
⑥白萩を揺らして時は通り過ぐ
⑦野分吹きラインに集う家族かな
⑧ミサイルが通過したとは鰯雲
⑨子の帽子浮きつ沈みつ大花野
⑩一輪の黄菊へ零す一語かな
⑪白萩のこぼれここより下り坂
⑫火落とせばコオロギ聞こゆ釜の傍(ハタ)

自由題も良い句が並んでいます。遅足

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青龍の眼すがしき秋の空  遅足

2017年09月19日 | Weblog


清水寺で「青龍会(せいりゅうえ)」があると聞き出かけてみました。
相変わらず沢山の観光客でにぎわう坂道。
聞こえてくるのは中国語というなかをのぼっていくと・・・
ほら貝の音が聞こえ、長さ18メートルという青龍が登場。
奥の院など境内を練り歩いていました。

このイベントは、平成12年の御開帳に際して、門前会が始めたもの。
青龍は、清水寺のある京都の東は四神の青龍の地であり、
古くから「観音様の化身である龍が夜な夜な音羽の瀧の水を飲む」という
言い伝えがあることにちなんだものだそうです。

歴史のある京都に新しく生まれたイベント。
この活力こそ京の魅力をつくりだしていると感じました。

          

  金龍の尾の逆立ちて天高し  片山由美子
 
この句はどこの龍でしょうね。

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よろしくお願いします  郁子

2017年09月18日 | Weblog
台風一過の今日、

ブログに初登場です。
旧式の携帯を握りしめているうちに
すっかりネットなるものに臆病になってしまいました。

このまま歳をとっていこうねと誓った
パートナーも、ついにスマホデビューをし、
娘に教えを乞うています。
少し横柄で生意気な生徒なので
ダメだしを受けていますが。


そこで私も、一歩踏み出します。
えっ?こんなことでと思われるかもしれませんが
IDとアドレスの違いも分からない私としては
自分で勇気をたたえてしまいます。

しばらくは初心者マークで
日々の雑感など、そろりそろり運転で
綴っていきたいと思っています。

よろしくお願いします。
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つくつくし小さな闇をうみおとす  遅足

2017年09月18日 | Weblog
先日、京都へ遊びに行く途中、滋賀県の甲賀市の大池寺に立ち寄りました。
昔、行基菩薩が4つの溜池をつくり、中央に建立したお寺とか。
この寺も、戦国の世に信長によって焼き払われてしまったそうです。
平和な世になって再興に尽力したのが、信長の甥にあたる織田正信。
多くの寄進をし、大池寺の開基となっています。
この様ないきさつより、寺紋は織田家と同じ「織田モッコウ」とのこと。
歴史の不思議なめぐりあわせを感じます。

この大池寺の庭園は小掘遠州作。
蓬莱の庭と呼ばれる庭園は、サツキの刈り込みによって宝船を。
七つの石と小さな刈り込みで七宝と七福神を表しています。
春夏秋冬、それぞれの美しさを鑑賞できるとのこと。
枯山水ですが、緑豊かな庭で面白い庭でした。
近江もなかなか奥深い国だと改めて感じました。

写真は蓬莱の庭です。
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ジャガイモにはしの立たない母の朝  すみ

2017年09月17日 | Weblog
朝の食卓に出たジャガイモ。箸で摘もうしますが、上手くいきません。
では、と、箸をたてようとしますが・・・立ちません。
ちょっと固かったのでしょうか?
私も最近、手の力が落ちて、ペットボトルの蓋などに手こずっています。

ジャガイモは男爵かメークインの2種類。
男爵は、ほくほくした食感。煮くずれしやすいので、
ポテトサラダ、マッシュポテトなどに。
一方、メークインは、煮くずれが少ないのが特徴で、
カレー・シチューなどの煮物の料理向き。
この句のジャガイモはメークインでしょうね。

ジャガイモ料理といえば、肉じゃが。わが母もつくってくれました。
イモの形が、ほとんど残っていなった様に記憶しています。
なつかしい味です。
じゃがいもの中にりんごを一個入れておくと、
りんごのエチレンガスが、じゃがいもの発芽を抑えてくれるそうです。

「はし」の表記は漢字で「箸」のほうが良いと思います。遅足

             

台風が九州に上陸しそうです。十分に気を付けて・・・安全に。

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