575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

漢字検定超難問            愚足

2008年03月31日 | Weblog
★ネットサーフィンをしていて、「文字鏡研究会報」というHPにたどり着き、次々と読むうちに秦恒平氏の「漢字のある暮らし」なる一文に出会って事のほか面白く読ませていただいた。氏が教える東工大の学生に授業で課した問題についてのお話である。紹介したい。

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☆ 秦恒平「漢字のある暮らし」より転載

知っている人は、だれでも知っているが、若い学生、それも現代の理工系の学生だとほとんど知らない。鈴木六林男さんは経歴久しい立派な俳人である。その代表作の一つである句の、漢字一字を虫食いにして挙げてみた。

  ( )品あり岩波文庫『阿部一族』  鈴木六林男

はなから、これは原作どおりの正解の出てこない出題と、はらをくくっていた。第一に『阿部一族』を読んだ学生がすくないだろう。森鴎外の名作と知っていれば、それでよしとしなければならない。そう思っていた。
 びっくりするほど大勢が「気品あり」と入れてきた。「名品」「一品」「逸品」「上品」「佳品」などと続いた。「作品」もあった。いやいや「新品」「欠品」「備品」「返品」「残品」もあった。それどころか、「粗品」も「手品」もあった。書店のキャッチ・コピーとして一句を読んだ例がけっこうあった。鴎外作品と知らず、熊本の細川藩での殉死と反乱の事件とも知らずに、逆に大河ドラマ「炎立つ」奥州の安倍氏を描いた原作だという答えも、何人も混じっていた。
気品も名品も、じつは『阿部一族』だから出てきた言葉ではなかった。「岩波文庫」だから多分という推測が多かった。昨今のいわゆる「文庫本」の低調を知り、岩波文庫の選書にかけた厳格なものさしを、学生たちが、けっこう高く評価している事実が、はからずもこんなふうに現れていたのが面白かった。考えさせられた。
 それでも鈴木さんの原作の文字は、まるで別のものであった。原作は「遺品あり」なのである。戦地に赴いて武運つたなく異国の戦場に果てた若い戦友の「遺品」に、ただ一冊の岩波文庫『阿部一族』があった。ただそれだけのたった十二字。無季の俳句の代表作であり、戦記文学としても煮詰められた最高の作である。「殉死」という非道の道義を痛切に剔った鴎外の原作を読みかえして見れば、この句の哀切な批評の迫力魅力はさらに倍加するだろう。
 事実「虫食い」を埋めるのには、ま、惨敗した学生諸君の多くが、どの文庫本でかは知らないが『阿部一族』を読んでくれた。「胸が石のように固くなりました」とメッセージをくれた者もいた。気品ある名品は、実際に読んでもらえば講釈の手間の多くが省けるのである。『阿部一族』一冊を「遺品」に戦死した若者の無念は、きっと学生諸君の胸の深くに届いたことと思う。

 団子坂上り下りや鷗外忌        高浜虚子
 すぐ飽きる医書をひもとき鷗外忌     高橋泰城
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与謝蕪村展のご紹介            愚足

2008年03月30日 | Weblog
 湖北の道の駅で「蕪村展」のチラシを見つけました。紹介します。
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「 与謝蕪村・・翔けめぐる創意・・」

 日時・・3月15日から6月8日(開館10時から17時 月曜休館)

 場所・・MIHO MUSEUM (滋賀県信楽町 電話0748-82-3411)

入場料・・1000円

 問い合わせ・・http://miho.jp

内容・・俳諧と文人画と二つの異なる分野で類まれな才能を発揮した蕪村の足跡を「翔けめぐる創意」というテーマで展示してあり、「山水図屏風」「十宣帖」など国宝を含めて貴重な作品がみられる大型展覧会。。
 時間・空間をこえて自由に翔けめぐる蕪村芸術の世界をお楽しみください、とのこと。

★協賛の展覧会として「大津市歴史博物館」でも近江蕪村と呼ばれた画家展が開かれているそうです。

   蕪村忌や旅もわはりの濁り酒       原  裕
   美しき炭火蕪村の忌たりけり       岸風三楼 
   縁に出て京の灯見ゆれ春星忌       田中王城        
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言葉どけじくじくじくと春の雪   朱露

2008年03月29日 | Weblog


   言葉がないから勉強などしなくていい。
   恋愛と言って舌がもつれることもない。
   結婚して血だらけになることもないし。
   言葉がないから空々しい会話もないし。

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幽霊になってみる?   遅足

2008年03月28日 | Weblog
こんな時、あの人なら、どう言っただろうか?
そんな時は亡くなった人が、生き返っているのかも知れません。
ことに、中年は人生の曲り角。思わぬ危機が忍び寄ってきます。
最近観た「嫁も姑も皆幽霊(劇団NLT)」は、
そんなことをテーマにしたドラマでした。

東京下町の老舗菓子店の主人、圭輔(田村亮)は40代。
店は継がず小説家に。
ところが大黒柱だった母、そして妻が相次いで死亡。
さみしさから娘のような若い女性と結婚しましたが、
小説家として壁にぶつかったうえ、
舵取りを失っていた家業の菓子店の経営も危機に。
圭輔は新婚の妻との甘い生活に溺れています。

そんなある日、雷とともに、亡くなった妻と母らが出現。
びっくりする圭輔。妻たちは、しばらく家にいると・・・
鳳八千代が母で、老舗の女将役を手堅い演技で。
音無美紀子はマザコンの夫を持った嫁をコミカルに。
物語の展開は省略しますが、圭輔は自分を直視、
再出発する決心してハッピー・エンドに。
最後は、一家がそろって線香花火を楽しむ場面、
線香花火の光だけが残り、それも消えて・・・
幽霊はあの世に帰っていく。なかなか心憎い演出でした。

     

死んだ親が幽霊となって現れる物語といえば、
山田太一作・異人たちの夏を思い出します。
1980年代後半の作品、あの頃から日本の幽霊が様変わり。
それまでは、怪談などでお馴染みの幽霊。
怨念が、この世に幽霊となって現れるというものでした。
新しい幽霊の登場が、異人たちの夏で、
これも中年という人生の曲がり角に出てきました。

平井照敏の晩年に、こんな句があります。

 生くるとは死者を忘れぬ冬日かな
 気がつけば死んでゐたりき枇杷の花

死後の世界から、この世を見て句をつくる。
死者となって、この世を詠む。
幽霊の劇を見て、そんなことを思いました。



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毒芹             草女

2008年03月28日 | Weblog
 ドクゼリの根を食べて、二人の主婦が中毒を起こしたというニュースをテレビで見た。見知らぬ六十代の女の人に食べることができると教えられたという。
 死には至らなかったがその危険は十分にあった。
 セリ科ドクゼリ属の0.6~1mの多年草。全国の山地の湿地に生える。成長すれば芹と見間違えることはないが、若葉の頃はセリそっくりであり芹を摘む中に混じることがある。抜いて根が太かったり緑っぽかったら止めたほうがいい。
 全草有毒であるが根は猛毒でありトリカブトやドクウツギに並ぶほどである。根は芋状になり、筍状の節があり緑色でワサビに似る。
 昔ギリシャでは罪人の死刑に用いられ、ソクラテスが飲んだドクニンジンエキスと同じ毒性があり誤飲すると口の中が灼熱感にあう、そして嘔吐、全身麻痺などが起こり死にいたるとてう代物。
 これから山菜の季節。山菜と間違えられる有毒植物は多い。例えばドクゼリは若葉をセリと根をワサビと。トリカブトはニリンウやゲンノショウコウに、バイケイソウの仲間はギボウシに等、とても事故が多い。
 人間の祖先の猿は、苦味のある草を食べることができて、今日があるそうだ。山菜の良さはほろ苦さにあるそうだが、余りに苦いのは止めたほうが良い。大半の有毒植物は苦い。
 他人がどう言おうと、自信のないものは食べてはいけない。くれぐれもご用心を。

★写真は山形県衛生研究所のHPより転載しました。
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徒然草   麗

2008年03月27日 | Weblog
ドラマ「ちりとてちん」がもうすぐ終わってしまうので淋しい限り。
今日は常置小屋「ひぐらし亭」のお披露目のシーンでした。

吉田兼好の徒然草の冒頭部分。

「つれづれなるままに日暮らし硯に向かひて、心にうつりゆく由なしごとをそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそもの狂ほしけれ。」

有名なこの一節くらいは知っていてもその後は全く知りません。
ところがロシア語で徒然草を読んでいた人がいました。
先日見たドキュメンタリーで知ったのですが
スターリンの圧政のもと
1960年代、ロシアからフランスに亡命したピアニスト「アファナシェフ」です。
思想・芸術を制限されていた当時、日本文学は禁書ではなかったそうです。
今から700年前南北朝時代に書かれたこの作品がスターリン時代の
ロシア人の心に響く。
その心は無常観でしょうか?

徒然草を読んだことのない私は早速初心者向けの文庫本を購入しました。
これが結構おもしろいのです。人間観察力が今に通じるものがあります。
ロシア人に教えられた古典でした。

では最後に今日のニュースから一句。

     つれづれにゴジラ松井に春が来た  麗
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「液晶絵画」展を見ました。   遅足

2008年03月26日 | Weblog

三重県美術館で4月13日まで開かれている「液晶絵画」を見てきました。
最近の液晶技術の進歩は素晴らしい。液晶テレビは壁にかけた絵のようです。
その絵が動いている。それが液晶絵画といったら良いでしょうか。

15人の作家の作品が展示されていました。
日本画家・千住博の「水の森」は、羽田の第二ターミナルに設置された
「朝の湖畔」という絵をデジタル処理したもの。
湖面が波打ち、木々がそよぎ、小鳥が飛んでいきます。

面白かったのは、サム・テーラー=ウッドという女性の
「リトル・デス」という作品。
17世紀の静物画を思わせる構図のなかに、兎の死体と桃が置かれています。
そして、兎が腐敗していくプロセスを、時間を縮めてみせたものです。
美人が死んで白骨となっていくまでを、何枚かに分けて、
克明に描いた日本の古い絵を思い出しました。

絵は、時間を排除するというか、時間を止めて一瞬の永遠を
描こうとしてきたとも言えます。
それが液晶という技術によって時間を取り戻そうとして、
様々な試みをしているように感じました。
なかには20分もかかる作品もありますが、
それは、すでに映画やテレビが開拓してきた分野であり、
液晶絵画は、それとは違った、新しい世界を切り開いていけるのか?

展覧会では、作者の多くが「音」を余り重要とは考えていないこと。
どの作者も「コトバ」を一切拒否している点に興味をひかれました。

     

コトバを拒否した作品をコトバで伝えることは不可能です。
百聞は一見にしかず。一見をお勧めします。

なお、昼食は「青木屋」といううどん屋さんで。
津の市役所の南にあります。お勧めです。

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椿落つ    鳥野

2008年03月25日 | Weblog
歌人の青井史が急逝されて1年忌、遺歌集が届きました。まだまだこれからと、惜しまれる死でした。
70歳を過ぎて初心者というワタシめを、あきれもせずに指導してくださった先生。

その作風は厳しく、人間不信、孤独感、自己愛などをテーマにしたものが目立ちます。
心底の寂しさを、知性で克服して、弱音などは聞かせない人でした。

先生が、愛されていたのは、椿。花弁が散るのではなく、一花そのまま落ちるという潔さが先生のもの。
秀歌も数多くあります。

  ・ 運命(さだめ)などどこにもあらず自らが決めて椿の花落花する

  ・ 満開の椿の木よりいちはやく落花して一花の自己主張鋭し

  ・ 死ぬ日まで言わざることば一つもち椿は渾身の朱の色を燃す

  ・ くれないとは闇のことなり闇よりもさらに闇なす椿の森の

       ̄  ̄  ̄  ̄
    ・ 運命などあらずと告らせし師なりけり椿ひと花落ちてなお朱  鳥野
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レンガ カタカタ 沈丁花        愚足

2008年03月24日 | Weblog
庭を大改造した。金木犀が巨大化して狭い庭に陽がまったく差さなくなったのが原因で、チェーンそうまで借りてきて庭の木々を伐採した。
 久しぶりの日差しに虫も鳥もビックリ。
 そこで思い切って庭のイメチェンを敢行。洋風にしてやろうと飛び石を剝がしてレンガを敷き詰め郵便受けまでの通路を設計?
妻は旅行中なので心置きなく日没過ぎまで奮闘。150丁のレンガを二時間で敷き詰めた。7時近くにやっと終わって最後の力を振り絞って水を打ってレンガの汚れを落とし、白い沈丁花の鉢をレンガ道に置いた時には一歩も歩けない。
 しばし座り込んで闇にほの白く咲く花とレンガを眺めて息をついた。

 あくる日、五歳の孫がやってきて新しくなったレンガ道に興味しんしん。
 何度も往復してくれた。
 その度にレンガがカタカタと動くではないか。
 妻が帰ったら何と言うか?

敷き詰めしレンガ カタカタ沈丁花
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極楽の時間    遅足

2008年03月23日 | Weblog
極楽の日本語 足立紀尚 河出書房新社

ノンフィクション・ライターが句会に参加したノンフクション。
俳句はよく分からない日本語、と感じていた著者が、
日本語のプロという自負から、一年間にわたって俳句に挑戦。
当初は、散文と韻文の違いに戸惑いを感じていたが、
やがて、その面白さに気づき、のめりこんでいく。

なぜ俳句を作るのか?俳句の楽しさとはどこにあるのか?
そんな疑問に答えてくれる一節。

   

秋晴れの下、地面を見ながら歩いていると、ふと目にとまったミミズ。
一匹の大ミミズがアスファルトの路上を伸縮しながら横切ろうとしている。
「なんだ、ミミズか」と、ふと天を仰ぐと、抜けるような青空が広がっていた。
どんな事情があったのか知らないが、地上に出てしまった可哀想なミミズは
アスファルトに阻まれて地中に戻ることが出来なくなったらしい。
そんなミミズの様子を眺めているうちに、なんだか可笑しさがこみ上げてきた。
そして、ふっと句が浮かんだ。
 
  天高しみみずはいゆくアスファルト

この句が出来た瞬間、これは今の私にとって、作るべくして作った句であると
思うことが出来た。
作者の心象風景であると思えた。
俳句を取っ掛かりに、日本語の表現の奥深さを知ろうと恥をしのんで
内面をさらしてきた。
そんな私は、地から出てアスファルトを這うミミズと同じ境遇に思えた。
これは類句があるとか、技法がどうとか、上手い下手とかいうこととは
一切関係ない。オリジナルな句である。

   

著者が用いた技法は、散文でいえば「他者になりきる」というもの。
自分がミミズと同じだと、感じた瞬間に句が生まれたわけです。
言い換えれば、日頃とは違った視点からものを見ることによって
新しい世界を発見したことに。

この句を読者の立場から見れば、作者がミミズと同じ様な境遇にあるのだと
読めるかどうか?が、問われることになり、
作者、読者の読みが一致した時こそ句会は極楽の時間となる。

俳句という韻文の世界を散文のプロが体験して書かれた一書。
俳句を知るうえで興味深い本。



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木蓮ようき世の習い守るべく   朱露

2008年03月22日 | Weblog


  「浮き」も「憂き」もありでひらがな。
  ひとの金をたかる手合いは浮き世だし、
  後期高齢者は四月から憂き世になるか。
  木蓮「や」はこの際ひとごとチックだ。

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片栗               草女

2008年03月21日 | Weblog
 これからカタクリの季節。反り返った花の中に6弁の桜の花の模様があり美しい。
 その魅力的な花が咲くまでには8年もかかる。種子が発芽すると高さ6~8㎝の糸状の植物体となり、2年目に小さな楕円形の葉を一枚出す。その後毎年葉が少しずつ大きくなり8年後2枚の葉を出し花をつける。花は10日間ほどでおわり実
つける。この実にはエライオソームという蟻の好む物質があり蟻によって実が運ばれていく。
 落葉樹が葉をつけ地上に日光が届かなくなった頃、カタクリの地上部は枯れてしまう。このように春のほんの短い間のみ地上に姿を現す植物をスプリング・エフェメル・プランツ(春のはかない植物)という。しかしカタクリは決してはかない花ではない。8年目に花をつけた後は毎年咲きつづけ個体の寿命は少なくても15年、長いものだと20から30年のものもある。
 片栗粉で有名な鱗茎部分はラッキョのような形をしていて毎年出来る、球根に似ているがそれでで殖えるということはない。
 このユリ科カタクリ属の多年草は秘めた力を持つ。この本物のカタクリ粉は、擦り傷、おでき、湿疹などにふりかけると効き目があるという。葉も花も食用になるので、本音を言えば食べてみたいのだが、やはり保護が優先される。
 カタクリの花を見に行くならば暖かい日がいい。気温が10℃を超えて咲き始め、15℃で半開、17℃~20度で満開になるからである。

  片栗の一つの花の花盛り       高野素十
  時流れきてかたくりの一つ花     加藤楸邨
  片栗の花むらさきを秘め通す     井沢正江
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散歩の効用   麗

2008年03月20日 | Weblog
昨日の句会では思わぬ得票を頂いて嬉しかったです。
散歩の時に目に入った幼稚園の蛇口。
写真に撮りたくなるほどのかわいい低さ。
春の光を浴びて光って見えました。
荻原先生が以前散歩を勧めて下さったおかげです。

今日は春分の日。
あいにくの雨となりましたが
雨が上がったらこれを励みに怠けがちだったウォーキングにまた出かけようと思います。ありがとうございました。
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句会の結果です。   遅足

2008年03月20日 | Weblog
ひさしぶりの雨。春寒の宵でした。
さて、句会の結果です。

題詠「春風」

①ペタル踏む明日香小径や春の風(立雄)能
②芽をおこし苞をぬがせて春の風(晴代)能・狗・静・亜・立・愚
③春風や潮に運ばれ溶けてゆく(朱露)麗・静・郁
④歩をとめて春風をかぐ奈良路かな(能登)・郁
⑤春風が少女の髪を揺らしけり(麗子)鳥・朱
⑥浮世絵のかんざし揺らす春の風(亜子)遅・狗・晴・立
⑦女子マラソン名古屋城下の春の風(狗)朱・遅・静・亜
⑧春風にビタミンカラーのドレミかな(郁子)狗
⑨春風の栞はさんで眠りけり(遅足)鳥・能・朱・麗・晴・亜・郁・立・愚
⑩歳時記の言葉の蕾春の風(静荷)遅・晴・愚
⑪わが庭の虎刈りとなり春の風(愚足)鳥・麗


自由題

①彼岸会の一休禅師昼寝する(狗)遅
②辛口の評偲ばるる春の月(立雄)遅
③赤青黄遊具塗りたて風光る(愚足)朱・晴・静
④幼稚園低き蛇口に風光る(麗子)鳥・能・朱・遅・狗・晴・静・亜・郁・愚
⑤春の潮赤いペデキュア揺れている(能登)狗・晴
⑥鶯の初音に目覚む夢とかや(静荷)
⑦春光やトップランナー振り向かず(亜子)鳥・朱・麗・愚
⑧黒豆のゴリラの目玉芽吹きけり(遅足)郁・立
⑨余呉湖駅降りて余呉湖を巡る春(朱露)麗
⑩こそばいかほこりはらいてひな納め(郁子)鳥・能・麗・亜・立・愚
⑪春昼や脳内文法停止中(晴代)能・狗・静・亜・郁・立


幼稚園の句が10票という大量得点でした。麗子さんスゴイ!

   

次回は4月16日(水)午後6時
題詠は「風船」です。


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3月句会の投句がそろいました。

2008年03月19日 | Weblog
題詠「春風」

①ペタル踏む明日香小径や春の風
②芽をおこし苞をぬがせて春の風
③春風や潮に運ばれ溶けてゆく
④歩をとめて春風をかぐ奈良路かな
⑤春風が少女の髪を揺らしけり
⑥浮世絵のかんざし揺らす春の風
⑦女子マラソン名古屋城下の春の風
⑧春風にビタミンカラーのドレミかな
⑨春風の栞はさんで眠りけり
⑩歳時記の言葉の蕾春の風
⑪わが庭の虎刈りとなり春の風


自由題

①彼岸会の一休禅師昼寝する
②辛口の評偲ばるる春の月
③赤青黄遊具塗りたて風光る
④幼稚園低き蛇口に風光る
⑤春の潮赤いペデキュア揺れている
⑥鶯の初音に目覚む夢とかや
⑦春光やトップランナー振り向かず
⑧黒豆のゴリラの目玉芽吹きけり
⑨余呉湖駅降りて余呉湖を巡る春
⑩こそばいかほこりはらいてひな納め
⑪春昼や脳内文法停止中


写真は名古屋城内の桜。
オオカンザクラです。  遅足

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