私の好きな一句。
作者が、この句の誕生について、こんな風に書いていました。
ふるさとの九州に帰った時のことだそうです。

あ、月と地球がいま並んで太陽に照らされている、と気づいた。
郷里、熊本の江津湖の水神様の石段に座っていた時だった。
厳密にいえば、月と並んで夕日に照らされているのは、
地球ではなく私の顔なのだが、私はすなわち地球の一部である。
夕日は今しも金峰山の方に沈みかけて、赤光を増した太陽が
私の顔をあたたかく照らす。
気配を感じて振り向くと、東に月が上がっていた。
月も私も同じ様に太陽に顔をむけている。
もしも宇宙から眺めれば、地球と小さな月とが、
仲良く並んで太陽に照らされているのが見えるに違いない。
(十七音の履歴書・正木ゆう子)
私は頭でつくるんですが、この句は実体験から生まれている。
そこが句の力になっているんですね。
遅足
作者が、この句の誕生について、こんな風に書いていました。
ふるさとの九州に帰った時のことだそうです。

あ、月と地球がいま並んで太陽に照らされている、と気づいた。
郷里、熊本の江津湖の水神様の石段に座っていた時だった。
厳密にいえば、月と並んで夕日に照らされているのは、
地球ではなく私の顔なのだが、私はすなわち地球の一部である。
夕日は今しも金峰山の方に沈みかけて、赤光を増した太陽が
私の顔をあたたかく照らす。
気配を感じて振り向くと、東に月が上がっていた。
月も私も同じ様に太陽に顔をむけている。
もしも宇宙から眺めれば、地球と小さな月とが、
仲良く並んで太陽に照らされているのが見えるに違いない。
(十七音の履歴書・正木ゆう子)
私は頭でつくるんですが、この句は実体験から生まれている。
そこが句の力になっているんですね。
遅足
この記事に書いてあることは何を参考にしたものですか?
よければ教えてください
という本だったと思います。
あまり前のことなので・・・
記憶が定かではありません。
ごめんなさい。
まず、水の地球と言っていますから。
頭のなかに写真でよく見る青い地球がみえてきます。
そして少し離れた距離に月が見える。
これは頭のなかでの想像です。
今は春。春の月と青い地球が並んでいる。
そんな景を想像してください。
句を素直に読めば、こうなります。
この句をつくった作者は地球のうえ日本の熊本にいます。
そこで春の月をみている。
その小さな一点から春の月をみている。
そこからカメラ(作者の視点)はズームバック。
九州、日本列島、地球と視野はずんずん大きくなって
ついに地球と月が並んでいるところまで・・・
意味を知りたいというのは、どう鑑賞したら?
という意味でしょうか?
それは感じたままで良いのではないでしょうか?
水の地球の色、春の月の色とか大きさ。
背景の宇宙の色などなど、句が言っていない部分を
それぞれ自由に楽しんでください。
あるいは人工衛星が飛んでいるのかも・・・