575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

パソコンが故障・・・    遅足

2013年08月15日 | Weblog
これまで使っていたパソコンが壊れてしまいました。
データが皆、消えてしまいました。
頭のなかが空っぽになったような感じです。

奇しくも今日は8月15日。
68年前の今日、ほとんどの日本人は頭のなかが空っぽになったんでしょうね。

新しいウインドウズのソフトは、全く手に負えません。
しばらくは悪戦苦闘が続きそうです。
昨日までの教科書を捨てて、新しい教科書をもらった気分です。

   捩花や回しきれざる手の齢    

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新米のこの水加減は母のもの    遅足

2013年08月14日 | Weblog
8月句会が近づいてきました。今回の題詠は「新米」です。

母は三河の山育ち。ふるさとのお米が一番美味しい、と自慢していました。
朝と昼の気温の差が大きいほど、美味しいお米が出来るとのこと。
確かに母の里から頂いたお米はふっくらと美味しかった記憶です。

今年のお米の出来はどうでしょうか?
TPPの交渉で、日本の農業・漁業などは大打撃を蒙ると心配されています。
豊葦原の瑞穂の国は、どうなるのでしょう・・・
ちょっと心配な近頃です。いや、かなり心配です。

   新米を磨ぐふんだんの山の水    永方裕子
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ほうずきを標に   鳥野

2013年08月13日 | Weblog
盂蘭盆会の供花には欠かせない花。ほうずき。

そしてまたこれには、誰にも幼い日の思い出が重なり、
懐かしい花なのです。

珊瑚の珠に似た美しい果実を、慈しむように包む網状の
ガク。お供え花の中から、下の2つ3つを落として貰う
のが、楽しみでした。

実を離して、中の種が浮遊するまで、揉み続け、小さな
穴から、中身を出す。ここが腕の見せ所。ゲーム機もカ
ードも無いころの、真剣な遊び。
この後は「ほうずき」を鳴らすという段階に。不器用な
児には至難の業でした。

供花の「ほうずき」のあの赤は、黄泉からの道標だった
のかも。今はそう思います。

 ・ ほうずきの朱をしるべに帰り来よ迎え火もなき盆
   会なれども
                    鳥野
                     
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夕焼けや待ち人疾く来よ迎え酒   智恵

2013年08月12日 | Weblog
酒飲みの心情、分かります、と結宇さん。

二日酔いの朝に飲むのが、迎え酒。
でも、この句の迎え酒は、人を待つ間に飲む酒のことでしょうね。

お酒も用意して待っている。あたりは夕焼け。
そろそろあの人がやってくる時間・・・
待ち人が来る前に、顔が夕焼け色になってしまいませんか?

待つ人、待たれる人がいるのは幸せなことです。

ひょっとして待っているのは・・・・       遅足


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あかあかと荼毘の火もえし夕日かな   能登

2013年08月11日 | Weblog
切ない連想です。心底からの悲哀、と鳥野さん。

あかあかとした火。火葬が行われていた。夕日が落ちてゆく。

大震災を詠んだ句でしょうか?
夕日を巨大な荼毘の火と読むことも出来ます。
水の惑星、地球が終焉を迎えているかのようです。

あの大震災から3年。

福島の原発は、いまも核汚染の脅威が消えていません。
被災された人びとの救済も進展しないまま、着々と再稼動へ。
ちょっと絶望的な気持ち。
あの時の荼毘の火が生き残った我々に言いたかったこと。
それは何だったのでしょう?

                     遅足
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夕焼けや日常抜けて別世界   すみ

2013年08月10日 | Weblog
作者は、どんな別世界を見ているのでしょうか?、と立雄さん。

夕焼けとは?と問われたら。
日常の時間・空間を抜けて別な世界へ行く時間、という。
素晴らしい答えです。

別世界。この世とは別の世。
自分がいるのとは全くかけはなれた環境や社会。別天地。
というのが辞書の定義です。

日常とは違った時間が流れている世界。たとえば邯鄲の夢。
栄耀栄華を極めた世も、時至れば、一時の夢の如し。
浦島太郎の世界も同じ。また日常に戻って来るのが運命です。

いろいろなことを思わせてくれますが、
俳句としては、抽象度が高いようです。      遅足



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日本に米軍がゐる暑さかな   角川春樹

2013年08月09日 | Weblog
数年前の俳句雑誌を読んでいたら、この句に出会いました。
天下国家を論じないのが俳句と思ってきましたが、例外はあるものですね。

ところで、沖縄で、またまた米軍のヘリが墜落。
日本の消防車は門前払い。日本人は誰も近づけない。情報もない。
これが憲法のある独立国の姿なのか?

安倍政権は、アメリカにばかり気を使っているような発言。
沖縄の人たちは、ますます政府を見限っていくでしょう。
そして自分たちで解決の道を探し始めたようです。

今日は長崎に原子爆弾の投下された日。15日は終戦の詔勅のあった日。
そして9月2日が降伏文書に調印、正式な終戦日。
以後、70年ちかく米軍は日本に居続けています。

  米軍が日本にいる残暑かな  

ですね。               遅足

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夕焼けの向こうの明日とハイタッチ   郁子

2013年08月08日 | Weblog
夕焼けを寂しいモノと感ずる句が多い中、発想が逆。面白い句です。
発想のもとは、子供の歌だったそうです。

  夕焼け小焼けでまた明日

また明日、遊ぼうね、と、未来が一杯の子供ならではの精神ですね。

ハイタッチって?辞書によれば。
①現代の技術社会で必要とされる人間同士の心の触れ合い。
②スポーツで、うまくいったときなどに、チームメートと手をあげて行うタッチ。
ハイタッチは和製英語、英語圏ではハイファイブというそうです。

句のハイタッチは、②の意味でしょうね。
①の意味も含めると、この句には深い意味がありそうですね。

                            遅足



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鮎の香にほのかなる秋立ちにけり    堀本裕樹

2013年08月07日 | Weblog
7日は立秋です。また鼻の日でもあるそうです。
鼻の日にちなんで、というわけではないでしょうが、
この句、立秋を匂いで詠んでいます。
句集「熊野曼陀羅」のなかの一句。

  南海の果てよりつばめつばめかな

  紀の国の海は鳴るべし年守る

  補陀落のひかりとどきて返り花

これらの句に見るように、作者の故郷は和歌山県。
両親が熊野本宮出身で、熊野の自然にも触れて育った。
私のなかには熊野川と紀ノ川が流れていると、あとがきに記しています。
昭和47年生まれです。

  天皇が突っ立ってゐる秋の暮

中上健次の影響を受けた作者は、
俳人には珍しく天皇を素材にした句を詠んでいます。

私にとっては新鮮な句が一杯の句集です。

  八月の空へ無数の手が伸びる

  凍蝶の流されてゆく光かな

立秋とはいえ、これからが暑さの本番のようです。
名古屋は今日、37度に達するとか・・・
鮎の香の美味しい秋を想像して、しばし暑さを忘れさせてくれる句です。

                        遅足


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遅足さん、 首位    鳥野

2013年08月06日 | Weblog
心積もりしていたブログの種は急遽ボツ。
遅足さんの、短歌の紹介になりました。
これを後回しにするわけには、参りません。

中日歌壇、小島ゆかり選のなんと「首位」で
す。


・ 花火の夜人の流るる橋の上あかく泡立つ
  一所あり

小島ゆかりの「評」

 「あかく泡立つ」という斬新な表現に、花火
  に照らされた群衆のエネルギーとはかなさ
  とが感じられる。橋の上をゆく人々と橋の
  下を流れる川。「花火の夜の秀歌」

何時もどのような時も、独特な視点と感性とが
溢れるばかりの遅足さん。花火の夜も、見てい
るのは空ではなく、水と人の熱と光なのでしょ
う。教えられ、考えさせられる一首です。




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夕焼けを見しより人の無口なる   遅足

2013年08月05日 | Weblog
言葉を無くすような暑さか、赤さか・・・。状景が浮かびます、と結宇さん。

夕焼けをじっと見ていたことがあります。
落日直後の空。とても寂しい世界。でも、どこかに安心感がある。
自分より大きなもの。超越したものが確かに存在するのだ。
そんな気持ちになりました。

自己のなかの勝手なオシャベリが消えました。
無の一端に触れた、という気持ち。
人間としての私は無口になったのです。

すぐにオシャベリにもどります。
いろいろ悩んだり心配したり喜んだり・・・
でも時々は無口になることも。

この句、散文的に表現すれば

 夕焼けをみて私は無口になった。

です。これを韻文にしました。
もう一つ、「私」を「人」に変えました。
コトバを少しずらしました。出来るだけ共感を得るために。
レトリックの一つだそうです。
いつもは無意識にやっていることですが・・・
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夕焼けの中にムンクの叫び声    佐保子

2013年08月04日 | Weblog
逢いたいものと願って、未だに叶わぬあの景、と鳥野さん。

「叫び」というタイトル。人物の口をあけた表情。
人が何か叫んでいる様子を描いたと思っていました。
しかし叫んでいるのは人間ではないようです。
ムンクの日記には、こう書かれているそうです。

「私は二人の友人と歩いていた。太陽は沈みかけていた。
突然、空が血の赤色に変わった。
私は立ち止まり、疲れを感じて柵に寄り掛かった。
炎の舌と血とがフィヨルドと町並みに被さるようであった。
私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。
そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。」

ということは、絵の中の奥にいる二人は友人でしょうか。
夕焼けの舌と血が町並みに覆いかぶさる、という表現も斬新ですね。

しかし絵を見るかぎり、人が叫んでいます。
人間(ムンク)を貫いて、自然が叫んでいるんではないでしょうか?
ちょっと日本人的すぎる読み方かも・・・
                      遅足


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夕焼けの車窓も知らずスマホかな   亜子

2013年08月03日 | Weblog
電車か?バスか?美しい夕焼けにこころ奪われることもなく。
一心に手元を見つめる若者たち。
それぞれに素晴らしい世界に嵌っているのでしょう。

パソコンやスマホを長時間ぞき込むことで、
首の骨に異常をきたす「ストレートネック」が増えているそうです。
肩こりや頭痛、めまいなどの原因になることもあるとか。
とくに20、30代の女性は、首が細く筋力が弱いため、
頭の重さを支えられず、半数以上がストレートネックではないかとも。

テレビの登場で活字離れを起こし、一億の国民は総白痴化?と騒がれました。
その結果がいまの老人たちです。

今の若者たちは、どんな老人となって街を歩いているのでしょう?
残念ながら、見届ける時間はなさそうです。

奥さんが、この句は吉野弘の「夕焼け」という詩を
思い起こさせるね、と言っていました。

詩の最後の一連はこうです。
 
  やさしい心の持主はいつでもどこでも

  われにもあらず受難者となる。

  何故ってやさしい心の持主は

  他人のつらさを自分のつらさのように感じるから。

  やさしい心に責められながら娘はどこまでゆけるだろう。

  下唇を噛んでつらい気持ちで美しい夕焼けも見ないで。


                       遅足


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無色になって走る夕焼けの街   静荷

2013年08月02日 | Weblog
夕焼けの赤一色の世界。
他の色がない、ということは、色彩がないことになります。
それを無色と読んだ人もいました。

無色光覚というコトバがあるそうです。
白黒の系統だけの光覚、つまり、モノクロ写真の世界。
色彩豊かな昼から、赤一色の世界。そして闇の世界へ。
そんな無色光覚の不思議な時間を車で走っていく・・・

突然、違う世界に入ったようなランニング・ハイ。
その高揚感を無色になってと表現しましたと、作者。

私はランニングが苦手でハイになったことはありません。
一度体験したものです。

                       遅足


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白馬    麗

2013年08月01日 | Weblog
一泊で白馬へ行って来ました。
長野オリンピックのスキージャンプ競技場に登りました。
リフトもさることながら、ラージヒルのスタート地点までは下がスケスケの階段を数十段登らねばならず足がすくみました。
今は誰もいない観客席。15年前の長野オリンピックの熱狂ぶりを思い出しました。
あんな高いところから一人メダルをかけて飛ぶとは。。そのプレッシャーを思うと本当に選手を尊敬してしまいました。

確か575の句会で当時船木選手を「神となる」という俳句を詠んだ方がいたと思うのですが。。。(メイクの小木ちゃんです)

遅足さん覚えておられたら教えて下さい。

澄んだ空気と遠くに見える山並み。すばらしい景色でしたがもう怖くて行けません。


      闘いのあとの夏草ジャンプ場    麗
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