575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

民間放送第一声の地・名古屋 (2)  竹中敬一

2016年10月14日 | Weblog
広小路通りに面したCBC会館前にピラミッド形の小さな碑があります。
これには「民放第一声の地」と刻んであります。
夕方のニュース番組のお天気キャスターは、すぐ横でしゃべっているのですが、
この碑のことについて触れたことを見たことがありません。
お天気情報を伝えるのに必要ないでしょうが、時にはここが、
民放第一声の地であることをPRした方が良いと思います。

CBCの生みの親である小嶋会長は生前、名古屋こそ民放第一声の地であると、
東京・キー局のトップにいうと、無視されるのが悔しかったと云つておられました。
キー局のトップは、地方局に先を越されたので、わざと無視したのだと思います。

昭和26年の開局当時、NHKの古垣会長が名古屋駅からタクシーに乗って、
"放送局まで" と言ったら、CBCの玄関に着けたという話が残っています。
名古屋には、まだ、放送局がニ局しかなかった時代の話ですが、
CBCが如何に親しまれていたかというエピソードですね。

先月3日の朝日新聞( デジタル)に、気になる記事がありました。
「民間放送誕生の地に記念銅板ー大阪の阪急百貨店屋上ー」と。

毎日放送の前身、新日本放送は65年前の9月1日、正午に本放送を始めています。
百貨店の屋上に社屋があったとは、知りませんでした。
アンテナを高い場所に設ける必要があったことなど、からだそうです。
記事は続けて 「"誕生"とうたうが、その5時間半前、名古屋の中部日本放送が
一足早く本放送を始めている。毎日放送は、"時間差はあっても、誕生日は同じです。"
と語っている。」と締めくくっていました。

毎日放送のおっしゃる通り。どちらが先か競い合うなど愚かなことだと思います。
でも、やっぱり、民放第一声は中部日本放送です。

しかし、今、冷静に考えてみると、放送業界は所詮は虚業、誰の責任というわけでもなく、
かっての東海銀行のように、時代の流れで、大きな波に呑み込まれないとも限りません。
民放第一声の碑だけ殘つたという時代が来ないよう祈るばかりです。

CBC会館の東面に画家、北川民次の大理石モザイル壁画があります。
北川民次は、渡米後、メキシコに移り、リベラやシケロイスらの画家と交流。
戦争中に瀬戸にアトリエを構えて制作に励みました。
壁画は昭和34年に完成しています。北川民次を代表する作品だと思います。
お近くへ行かれた際には、ちょっと立ち寄ってみて下さい。

在職中は、自称アウトサイダーだった私が今ではこんな心境になっています。

             

第一声は、「中部日本放送、JOAR、1090キロサイクルでお送りいたします。
皆さん、おはようございます。こちらは名古屋のCBC、中部日本放送で
ございます」でした。
時は、昭和26年9月1日午前6時30分。
この8日後に対日講和条約、日米安保条約が調印されています。(遅足)
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林檎の思い出    麗

2016年10月13日 | Weblog
子供の頃、風邪をひいたり、お腹を壊したりすると母が林檎をすってくれました。
林檎はそのまま食べるより、擦ると甘みが一層増すような気がしました。

今は立場が逆転し、実家に帰ると母のために林檎を擦ってあげます。
食が細くなり、歯も悪くなり固い林檎より擦ったものの方が食べやすいのです。

以前、母が甲状腺の手術をしたとき、術後あまりの痛みに何も食べられなかった時、同部屋の患者さんが林檎を擦ってガーゼでしぼり、冷たい氷を入れて飲ませてくれたそうです。ご自身も癌の闘病中にもかかわらず。地獄で仏を見たと母は言っていました。
あんなに美味しかった林檎ジュースはなかったと。

私も2年前にオペをしてやはり術後、夫が林檎を擦って食べさせてくれました。涙がでるほど、本当においしかった。
林檎は弱った人に優しい果物。
でも俳句にするにはなかなか難しいお題でした。
句会ではどんな甘酸っぱい林檎の思い出が披露されるでしょうか?楽しみです。

今日は庭の剪定。三人の若き庭師が来て、朝から電動のこぎりの音や、剪定はさみのぱちんぱちんといろんな音がします。
時折笑い声も。

           秋空に剪定の音響きおり   麗
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10月句会近づく  遅足

2016年10月12日 | Weblog
今回の題詠は「林檎」です。
果物のなかでも人気の衰えない林檎。
我が家でも、毎朝、二人で半個のリンゴを食べています。

四季を通じて俳句にも詠まれている林檎。
春は林檎の花。夏は青林檎。秋が林檎。冬は冬林檎。

  みな貧しかりし林檎の歌うたひ  大串章一

敗戦直後の日本人の心を癒してくれた歌。
♪林檎の気持ちはよく分かる、と唄われました。

  母の忌や林檎を擂りてくれし母  小林正史

病気になった我が子のために林檎をすって・・・
枕もとに母の声が聞こえてくるようです。

  殺すほど愛してをらず林檎むく  柴田佐知子

愛の小道具の林檎。
絵画の題材にもなりました。

  セザンヌの愛せし林檎買ひにけり  馬場順子

生活のさまざまな場に登場する林檎。
句会にはどんな林檎が姿で顔をみせてくれるのでしょうか。
楽しみです。

            

50年ほど前、アメリカのワシントン州へホームスティに。
滞在したのはウェナッチという小さな林檎の町でした。
巨大な林檎を冷蔵しておく倉庫があり、
いつでもリンゴガ食べられると聞いて驚いた記憶が。
この町にも一人の日本人が林檎をつくっていました。
人種差別はある、という話(日本語)をしたことを覚えています。

  外つ国や林檎にすこし苦き味  遅足





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木曽馬の瞳に誰ぞ秋の風   等

2016年10月11日 | Weblog
木曽馬は小柄なので、人間の目と馬の眼はほぼ同じ高さに。
近づいて見ると、その目に誰かが映っているようです。

深く澄んだ瞳のなかに見えるのは自分自身でしょうか?
そう読むと、自分とはいったい何者なのか?と
自問自答している句なのかも知れません。

あるいは他の誰かでしょうか?
目に映っているのは自分以外にいないはずです。
自分に似た面影でしょうか?

秋の風という季語が想像力を刺激してきます。

           

馬の目の瞳孔は横長。
目の位置もほぼ頭の横にあって視野が360度に近いとか。
近づいてくる敵をいち早く発見して逃げるためだそうです。
案外、遠くを見ているのかも・・・   
                    遅足

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風やみ間ふるえかすかな稲の花   晴代

2016年10月10日 | Weblog
風が止んでしまった直後も、かすかに震えている
稲の花の姿をとらえた句。繊細な感性です。

稲の花は、ほんとうに小さな地味な花です。
風に花粉を運んでもらう風媒花だから、
虫を呼び寄せるために花の色をあざやかにしたり
お土産の蜜を用意する必要はありません。
運命は風頼み、風に敏感な花です。

今年の稲の出来はどうでしょうか?
昔なら、今年の作柄は・・・と、新聞の一面を飾ったお米。
農業政策の転換で、コメに対する日本人の感覚も
すっかり鈍くなってしまいました。

        

  了見の狭さでられず吾亦紅

同じ作者の句。
稲の花といい、吾亦紅といい、渋い好みですね。遅足
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推敲のチエックポイント・3 ~表現は適切な言葉か~(等)

2016年10月09日 | Weblog
「累累と彼岸花咲く古戦場」

この句は先日のNHKの俳句講座で、清水青風先生の特選を頂いた大橋静荷さんの句です。
普通”累累”とあると、後には”屍”とかが続くのですが、静荷さんは”彼岸花”とし、終わりに”古戦場”で締めた・・・、この”累累”の見事な使い方・表現に感心しました。

8月の句会で私は「雷走る平然と立つガードマン」という句を出しました。
この句の元句は「ひるまず立てるガードマン」でしたが、遅足さんは”着眼点は面白い。「走る」と「立つ」の対比も良い。しかし「ひるまず」は常套的な表現だ”と指摘されました。しかしこれに代わる言葉が見つからず、結局「平然と立つガードマン」になってしまっつたのですが、例えば「大樹の如き」とか「電柱の如き」などはどうかなどと、今でも考えることがあります。皆さんも一度考えてみて教えて下さい。

そして私がもう一つ強調したいのが、人や動物の「哀れ」や「うれしい」などの感情を、”モノなど形のあるもの、見えるもので表現する”ということです。

「尾を振りて犬は先ゆく涼新た」

これもまたNHKの句会に私が出した句です。”涼しくなって散歩する犬も元気百倍、連れている人を引っ張って先をゆく”という句ですが、一応”尾を振って先ゆく”と見えるもので表現した積りですが如何でしょうか。

次は私がよく句集を読んで参考にしている井上弘美さんの添削ですが、或る人の「鳥雲に捨てるに惑ふ子の学書」という句を、次のようにしました。

「子の学書つみあげしまま鳥曇」

「鳥雲に」には、大きくなってゆく子供への思いが託されていて良い季語です。問題は「捨てるに惑ふ」で、説明的すぎること、具体的に「もの」で描写すると句が明瞭になります・・と。
    
「母の死のととのってゆく夜の雪」 (井上弘美)






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秋風やないしょ話は亡き人も  遅足

2016年10月08日 | Weblog
秋風といえば芭蕉のこの句。

  物言えば唇寒し秋の風
  
人の短所や欠点を言ったあとは、なんとなく後味が悪いもの。
余計なことを言うと、災いを招くという人生訓のように読まれていますが、
芭蕉の気持ちとは少しズレているのかも。

しかし他人の蔭口はなぜか楽しい・・・内緒話の種はつきません。
天国の一角で亡き人たちもナイショ話に花を咲かせているに違いありません。
涼しい風を天国の余り風と言います。
この余り風に乗って聞こえてきませんか?

掲句は理屈っぽいので

  亡きひとのないしょ話や秋の風

このほうが良いかな?とも思いますが、
こうすると内緒話をしているのが、この世の人とも読めます。
あるいは亡き人ではなく

  天使らのないしょ話や秋の風

の方が良いかな?

           

今日は、午後から自動車学校へ講習を受けにいきます。
高齢者講習で、これを受講しないと免許の更新ができないとか。
3時間の講習。落第はないそうですが・・・

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民間放送第一声の地・名古屋へ ( 1 ) 最初の仕事はリライト  竹中敬一

2016年10月07日 | Weblog
私が名古屋へ来たのは、昭和32年(1957)のことです。
就職難の時代で、東京の大学を出たものの、なかなか就職先が見つからず、
マスコミ関係の会社をあちこち受けて、やっと創業して間もない
中部日本放送に拾ってもらいました。

名古屋駅から、これまた開業したばかりの地下鉄に乗って終点・栄まで。
道行く人に「CBCはどの辺りですか」と聞くと、東の方向を指差して、
「ここから10分も歩けば、これと云つた目ぼしい建物はありませんから、
すぐわかります」とのことでした。

当時は、まだ平屋の多い街並みで、鉄筋六階建てガラス張りの建物がすぐ目に。
配属されたのはラジオニュース部。テレビよりラジオの方が幅を利かせていた時代です。

仕事は、主に中日新聞や共同通信からの原稿を放送用にリライトすること。
中日新聞本社からは、係員が専用電話で新聞原稿をそのまま読み上げてきます。
これを速記係りの二人の女性が受けていました。新米の私たちが電話を取ることも。
必死になって相手の声を聞き、書き取るのですが、遅い上、時々、立ち往生しました。

"アイチケンアマグン…" と言う声に、"アマグン"て、どういう字を書くのですか?"
と問い返そうものなら、" オマエさん、アマグンも知らないのか"と電話の向こうで怒鳴り声。

「共同からのヘル」(共同通信から送られくるファックスのようなもの)からもニュース。
縦書きの字が書かれた幅2センチくらいの細長い紙が機械から吐き出されてきます。
これを適当な長さに切り、原稿用紙に貼り付けるのはアルバイトの仕事。
それを放送用にリライトしてアナウンサーに渡すのですが、すべて手書きのため、
なかには癖のある字を書いて大変、読みにくい原稿があるのを、
NHK出身のアナウンサーが流暢に下読みするのを見てビックリ。

海外旅行など夢のまた夢だった時代、アナウンサーが「 パリ発AP共同」などと
外電を落ち着いた口調で語り始めれば、それだけで信頼性が出て来るから不思議です。

勤務はまず、夕方からの宿直、直明け翌日10時まで。休み、休み、ときて、日勤が三日。
放送現場では、このルールを守りたくとも、守れず時間外勤務をしていました。
ある同僚は新しい公団住宅に引っ越ししてしばらくたった時、近所の人の間で
"あの人、キャバレーに勤めているらしい" と噂さになったそうです。

CBCのある東新町界隈もすっかり様変わりしました。、
私たちがよく利用したトンカツの「石川」、うどん・そばの「とらや」、
和食の「安田屋」なども、姿を消してしまいました。
近くの雑居ビルの中の「あんかけスパ」の店「そーれ」にもよく行ったものです。
その後、枝分れして、その一つが栄の横井のスパになったと聞いています。
東京へ転勤になってあの味が忘れられず探したのですが、どこにもなく、
たまに帰って来ると、栄の横井に立ち寄りました。

(なお、リライトとは、新聞用の漢字の多い表現を、中学生でも分かるように書き直す作業。
これが、分かりやすいテレビのニュース原稿の基礎となっています)
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ちらちらとほらちらちらと雪が降る  麗

2016年10月06日 | Weblog
575の会の「晩餐句集」の中から、うちの母が好きだと言った私の俳句です。

母は私が小学校の一年生の時、重い病いで4ヶ月ほど入院しました。今朝の朝ドラ「べっぴんさん」を見て病床の母親を主役の女の子がお見舞いに行くシーンを見て昔のことを思い出しました。

病室のベッドサイドでくしゃくしゃになっていた私の髪をブラシでとかしてくれたこと。
母は「この子が高校生になるまで生かせてください」と毎晩祈ったそうです。
初めての運動会は母は入院中で見にこられなかったので、わざわざ祖父母が九州から来てくれました。
そして私の誕生日の前の日に退院できたこと。
退院後も寝たり起きたりの生活でしたがそれでも母が家にいてくれるだけで嬉しかった!

70代の友人が幼い頃、今は亡きお母様が「~ちゃん。ほらっ!みてごらん。雪が降ってきたよ!」と教えてくれたそうです。そんな一場面を映像として、この俳句を読んで思い出したと言ってくれました

子供はみんなおかあさんが大好きです。おかあさんの思い出はどんなに年をとっても鮮明に残るものなんですね。
今、乳ガンで闘病中の小林麻央さんがお子さんの運動会に行けることを心から祈っています。
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放ちたる鈴虫の声風に乗る  立雄

2016年10月05日 | Weblog
籠のなかで飼っていた鈴虫を庭に放してやりました。
やがて居場所を見つけた鈴虫が鳴きはじめます。
その声が風に乗って聞こえてきました・・・。
なんでもない景ですが、作者のやさしい心がうかがえます。

鈴虫といえば、文部省唱歌の「虫の声」

  あれ松虫が鳴いている。
   ちんちろちんちろ ちんちろりん。
  あれ鈴虫も鳴き出した。
   りんりんりんりん りいんりん。
  あきの夜長を鳴き通す
    あゝおもしろい虫のこえ。

鈴虫の鳴き声はメスの関心を呼ぶラブコール。
右の翅の裏にあるヤスリのような脈を
左の翅の表側にある突起部分でこすって音を出し、
翅と翅の間にできる空間で響き合って大きくなるそうです。

最近、耳が遠くなって、高い音は聞きにくく、
鈴虫など、ほとんどの虫の声は聞こえません・・・
補聴器のお世話になる齢でしょうか。
                   遅足
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コスモスに風のかたちを見てをりぬ   亜子

2016年10月04日 | Weblog
戦争が終わって、空襲に遭った名古屋の街は一面の焼け野原。
そんな街に帰ってきた少女はコスモスの種を焼け跡の蒔きました。
自然の摂理に従い、コスモスは秋に花を咲かせます。

焼け跡に少女は蒔きしコスモスの風のかたちを見つめておりぬ

きっと少女は未来を見ていたのでしょうね。

実景は、近くの公園のコスモス。近所のオジサンが種を蒔いたそうです。
この場合は風に過去を見ていたのかも・・・

       

  ひと住まぬ七軒長屋稲光

同じ作者の句。
あちこちに空家が目立つようになった昨今。
古い町並みのなかの七軒長屋も例外ではありません。
壊されずに残っていますが、普段は忘れていました。

稲光がその長屋を映し出しました。
昔の生活が一瞬の間、よみがえってきます。
住民の声も聞こえてくるような・・・
映画の一場面のように映像のしっかりした句です。
どこか不安な時代の空気も感じます。

                   遅足


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紫の風ふきぬける花野かな  佐保子

2016年10月03日 | Weblog
紫の風とは?どんな風をイメージされます?
北海道のラベンダーの花畑を連想した方も。

紫は、古代の日本では高い位を表す色とされ、
皇族やそれに連なる者にしか使用を許されなかったそうです。

  あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る

天皇(天智)の蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)したまひし時に額田王の作れる歌。
この紫野という歌にも、紫の高貴なイメージが隠し味になっているようです。
かっては紫色の染料を得るために大切にされていた紫草。
今では絶滅危惧種に指定されているとか。

私は紫というと、どこか不安定な印象が残るのですが、こんな説明も。
紫色は、動の赤と静の青、相反する色が共存しているため「高貴と下品」
「神秘と不安」など二面性をもっています。
場面によって色の性格が変わる複雑な色です、と。
神秘と不安な色と読むと、一句の印象が変わりますね。(遅足)


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月見寺無月の風の吹くばかり   静荷

2016年10月02日 | Weblog
無月とは、文字通り、曇ったり雨が降ったりして、月が見えないこと。
俳句独特の言い回りで、特に中秋の名月についていいます。
俳句初心者マークの頃はヘンな季語と思っていました。

作者が訪れたのは岐阜県・海津町の行基寺。
養老山地の中腹にあり、濃尾平野が一望に。
名月を待ちますが、空には雲が・・・
かろうじて月の位置が分かる位でした。
この夜、名古屋は雲が切れ、名月が顔を見せてくれました。

夏井先生風にいえば、「吹く」はいらないですね。

  月見寺無月の風を聞くばかり

でも良いかもしれません。賛否両論でした。

  藤村は美男よ木曽の栗実る

同じ作者の自由題の句。馬籠宿へ行った時に出来たもの。
藤村記念館の写真をみて藤村は美男だ!と改めて気付きました。
丁度、栗の実る季節・・・
木曽は、美男を生み、栗などの秋の味覚を生みだす土地
と、旅で訪れた土地を褒めたたえる句です。
旅の俳句はかくありたいものです。        遅足
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金色の風と戯る夕花野   麗子

2016年10月01日 | Weblog
花野とは、萩、薄、桔梗など秋の草花が咲き乱れる野のこと。
明るく華やいだ春の花野とは対照的に、美しさのなかに寂しさも。
そんな趣のある季語です。

花野に秋の日が落ちようとしています。
金色の風に束の間、花たちが戯れて華やぐ一瞬です。
美しい、淋しい景です。

ただ秋風を金風とも言いますから、ある意味で季重なり。
金色を別の言い方に変える方法もありますが・・・
景の空間を少しひろげてみましょう。
横へ・・・

  海からの風と戯る夕花野

上へ・・・

  天よりの風と戯る夕花野

いまいちですね。
つるべ落しの秋の日は落ちて・・・

  吹き消したやうに日暮るる花野かな   一茶

        

今朝は公園掃除の当番です。 遅足




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