575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

街道をゆく 太田宿編  麗子

2022年06月06日 | Weblog

中山道の51番目の宿場町。鵜沼から約2里はなれた太田宿。美濃加茂市にあります。和宮様が京を離れて7日目にこの太田宿本陣に宿泊しておられます。現在は門しか残っていませんが十分中山道の雰囲気は味わえます。幕末には井伊直弼も宿泊。坪内逍遥の生誕地でもあります。(逍遥の父は尾張藩太田代官所に勤めていたそうです。)

写真は林家の脇本陣。明治15年に地方遊説の際、板垣退助がここに宿泊。次の日岐阜に赴き暴漢に襲われてしまったそうです。

多くの歴史上の人物も通った中山道。今は当時の面影を残しながらも現代のお店も混在しており、そんなところを訪れるのがなんだか楽しくなっています。麗子

 

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紫えんどう  千香子

2022年06月04日 | Weblog

紫えんどうの種をいただき昨秋播きました。

1922年エジプトの王家の谷から発見されたツタンカーメンの墓の副葬品から出てきた豆の子孫ということです。

クレオパトラ豆ともいわれたりロマンあふれる豆です。

たくさん実をつけ豆ごはんにしました。

中は普通の青いえんどうですが、さやが紫で、ご飯も炊くと薄紫になり美味でした。

 

  柔らかに出来しと詫びて豆の飯  高野素十

  すき嫌ひなくて豆飯豆腐汁    高浜虚子

  ツタンカーメンうすむらさきの豆ごはん  千香子

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梅の実や焼酎風呂であらこらさ  等

2022年06月03日 | Weblog

(イヤー困りました。私の廻りには「梅の実」は全くありません。スーパーにも売っていません。もう昔に見た「梅の実」を思い出して句を作りました)

と投句をしてくださった等さんの句です。

千香子さん:毎年梅酒を漬けています。こんな視点があることに感心しました 

亜子さん:梅酒をつける時の様子をユニークに。「あらこらさ」は、ぽろっと出て来たことばではないでしょうか?いい気分でくつろいでほろ酔い気分の梅の実の様子ですね。

 私もいただきました。「あらこらさ」 はオノマトペになるのでしょうか。

まんが日本昔話風のおかしさがあってリズムよく、目鼻のついた梅の実くんたちが焼酎風呂で酔っ払って踊っている光景を想像しました。

写生に徹する作者としては珍しく、感性MAXでつくった秀作と私は思います。

  

オノマトペ 擬態音をつかった俳句を調べてみました。

春の海ひねもすのたりのたりかな  与謝蕪村

鳥わたるこきこきこきと缶切れば  秋元不死男

三月の甘納豆のうふふふ  坪内稔典

ばらりずんと泰山木の花崩る  日野草城

などなど・・

有名な先人の句をはじめ、記憶に残る句がたくさんあります。

オノマトペをいれるという句会も楽しそうですね。

 

お気に入りは、音符のように身に入ってきて響きあうこの句

ぐわんがらがら物干し竿が落ちて夏  上肥幸弘

                        郁子

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青梅をかじりて苦きわが疎開  亜子

2022年06月02日 | Weblog

作者の亜子さんは小学校3年生の時、大府の田舎に疎開したそうです。山を二つほど超えての長距離の通学路。疎開先の友人と歩いて帰る途中に梅の木があり、好奇心から青梅を食べてみたそうです。舌がしびれるくらい苦くて。。。と話してくださいました。お腹も空いていたし、都会っ子と思われないように友の誘惑に従ったのかも知れません。

「青梅と疎開」は私には想像もできない取り合わせでしたが、作者の苦く辛い思い出が伝わって来ました。

千香子さん:青梅の苦さと 疎開の苦さが重なって 苦労を連想しました。

須美さん:疎開時の青梅さえ口にしてしまう空腹の辛さがよく伝わる。

         ★★★

青梅の季節になると当時の記憶がよみがえるのでしょう。ちなみに、下校時にトマトもかじって食べてそうで、それは農家の方が怒って学校に通報。校長室に呼び出されたそうです。これまた、せつなく苦い思い出ですね。麗子

 

 

 

 

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別れの手振ってくれるかハンカチの花  竹葉

2022年06月01日 | Weblog

 

ハンカチの花は4月末位に大小の白い大きな苞をひらひらさせて大きな木いっぱいに咲かせます。初めて植物園で見た時はとても感動して本名は?どこから来たの?と尋ねたものです。

それから10数年して2019年末、友人から種を貰いました。地上で木化した黒いもので、梅干しの種の特大で、本物かと疑ったら、東大演習林で「ハンカチノキ」と看板があったとのことです。惚れた弱みで後先考えずに浮き浮きと鉢と庭に種を埋めました。

調べると発芽は難しいとありました。1950年代に中国の2000mの山地から日本に来たそうですが、千葉では植物園や県立公園位にしかなく、栽培が困難な事を物語っています。で、発芽を諦めかけてた半年後、鉢の1個から2本発芽して、地植えは今年1本発見しました。今、鉢植えの方は1本で20cm位、地植えは10cm位伸びました。次は花を待つばかりです。が、花は早くて10年後だそうで、22年して初めて咲いたという記事もあります。という事は私の寿命との競走です。この世のお別れに私に手を振ってくれるかどうか、その時はどれほど大きくなってしまっているやら。。

俳句では「ハンカチの木」として歳時記には見当たりませんが、「ハンカチ」が夏の季語なので夏に入っているようです。歴史が浅く名句は少ないようです。

  「揺れやすきハンカチの花夏は来ぬ」(清水真紀子)

    「ハンカチの花の別れもまた楽し」(佐藤禮子)

皆さんの句をいつか読ませて頂きたいと思います。竹葉

 

 

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