今日の夕方、NHKローカルで「新潟ニュース610」というニュース番組の特集は、1つは「平昌五輪・県勢活躍まとめ」だった。
そして、もう1つが「白血病と闘うアルビ・早川選手に密着」だった。
今月2月15日、アルビレックス新潟は、早川史哉選手の病状報告等について、クラブ発表があった。
その内容は、彼が昨年6月に退院し、現在は食事制限や行動制限もない段階となり、今年になってからクラブハウスで、ランニングなど徐々に負荷を上げたリハビリに取り組んでいるというものだった。
2年前、筑波大を卒業して新潟に入団した彼は、2016開幕戦スターティングメンバーに名を連ねた。
洋々とした選手人生のはじまり…のはずだった。
その彼が、4月からぱったりと試合に出なくなった。
彼が急性白血病であると発表されたのは、ずっと後の6月に中旬になってからのことだった。
まだ若い彼がかかってしまったその深刻な病名に、サポーターだけでなく日本中のたくさんの人たちが衝撃を受けたものだった。
あれから2年近くたって、幸いにも彼は着実に寛解に向けて進んでいる。
今日の番組は、きっと彼の闘病のがんばりを報道し、ここまでこれてよかったという内容になるのだろうと思っていた。
それは、半分は当たっていた。
1年前の2017年2月、テレビの前で開幕戦を見る彼がいた。
そして、3月1日、近所で入院以降初めてボールを扱ってみた時、「ボールが重い」と何度も言う彼がいた。
サッカー選手でなければ、教員を目指すという理由で彼は筑波大に進学したのだった。
病気が分かったとき、サッカー選手をあきらめて教員を目指す、という道もあった。
しかし、まずは、サポーターたちが毎試合スタンドで「史哉、史哉。」と名前を呼んで激励している姿に、もう一度サッカー選手として復帰したいという思いになったと言う。
そして、より衝撃的だったのは、もう半分の話だった。
インタビュー中、彼がポケットから取り出したカラフルな色の輪ゴムで作られた飾りを取り出した。
そこから始まった話だった。
そのカラフルな飾りを作ってくれたのは、やはり急性白血病で入院していた中学生の女の子だった。
彼女は、飾りを作ったりあげたりして、明るく周囲の人たちを元気にしてくれていたのだという。
ところが、彼より若いその子は、亡くなってしまったのだ。
彼は、周囲の人たちを元気にしてくれたその中学生の子のように、自分も周りの人たちを元気にする存在になりたい、と言いながら、泣いていた。
そして、今、彼はできるところからトレーニングを開始している。
無理せずにできることから、努力を重ねている姿がテレビに映し出されていた。
…このような内容の特集を見せられ、じんとした。
命がかかった重病だったのだ。
豊かな未来のあるはずだった中学生が亡くなってしまっている。
同じ病気だった早川選手は、彼女のことを見てきて、どんな思いをしてきたことだろう。
彼女のことを思うと、どんな気持ちになっているのだろう。
番組キャスターのNHK新潟の飯島徹郎アナも、この番組を放送しながら、涙を流していた。
まだまだトレーニングが始まったばかりで、復帰への道はこれからもまだまだ長く続くだろう。
だけど人生は一度きり。
命の大切さを知った彼のこれからの完全復活と活躍を、心から期待したい。
そして、もう1つが「白血病と闘うアルビ・早川選手に密着」だった。
今月2月15日、アルビレックス新潟は、早川史哉選手の病状報告等について、クラブ発表があった。
その内容は、彼が昨年6月に退院し、現在は食事制限や行動制限もない段階となり、今年になってからクラブハウスで、ランニングなど徐々に負荷を上げたリハビリに取り組んでいるというものだった。
2年前、筑波大を卒業して新潟に入団した彼は、2016開幕戦スターティングメンバーに名を連ねた。
洋々とした選手人生のはじまり…のはずだった。
その彼が、4月からぱったりと試合に出なくなった。
彼が急性白血病であると発表されたのは、ずっと後の6月に中旬になってからのことだった。
まだ若い彼がかかってしまったその深刻な病名に、サポーターだけでなく日本中のたくさんの人たちが衝撃を受けたものだった。
あれから2年近くたって、幸いにも彼は着実に寛解に向けて進んでいる。
今日の番組は、きっと彼の闘病のがんばりを報道し、ここまでこれてよかったという内容になるのだろうと思っていた。
それは、半分は当たっていた。
1年前の2017年2月、テレビの前で開幕戦を見る彼がいた。
そして、3月1日、近所で入院以降初めてボールを扱ってみた時、「ボールが重い」と何度も言う彼がいた。
サッカー選手でなければ、教員を目指すという理由で彼は筑波大に進学したのだった。
病気が分かったとき、サッカー選手をあきらめて教員を目指す、という道もあった。
しかし、まずは、サポーターたちが毎試合スタンドで「史哉、史哉。」と名前を呼んで激励している姿に、もう一度サッカー選手として復帰したいという思いになったと言う。
そして、より衝撃的だったのは、もう半分の話だった。
インタビュー中、彼がポケットから取り出したカラフルな色の輪ゴムで作られた飾りを取り出した。
そこから始まった話だった。
そのカラフルな飾りを作ってくれたのは、やはり急性白血病で入院していた中学生の女の子だった。
彼女は、飾りを作ったりあげたりして、明るく周囲の人たちを元気にしてくれていたのだという。
ところが、彼より若いその子は、亡くなってしまったのだ。
彼は、周囲の人たちを元気にしてくれたその中学生の子のように、自分も周りの人たちを元気にする存在になりたい、と言いながら、泣いていた。
そして、今、彼はできるところからトレーニングを開始している。
無理せずにできることから、努力を重ねている姿がテレビに映し出されていた。
…このような内容の特集を見せられ、じんとした。
命がかかった重病だったのだ。
豊かな未来のあるはずだった中学生が亡くなってしまっている。
同じ病気だった早川選手は、彼女のことを見てきて、どんな思いをしてきたことだろう。
彼女のことを思うと、どんな気持ちになっているのだろう。
番組キャスターのNHK新潟の飯島徹郎アナも、この番組を放送しながら、涙を流していた。
まだまだトレーニングが始まったばかりで、復帰への道はこれからもまだまだ長く続くだろう。
だけど人生は一度きり。
命の大切さを知った彼のこれからの完全復活と活躍を、心から期待したい。