ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

ブタナの花の輝きがさわやかさをもたらしてくれた

2020-06-10 20:57:27 | 草木花
東日本を中心に、今日は各地で気温が高くなり、真夏日を記録した。
当地から高速で2時間くらいもあれば行ける会津若松市が36.4℃で全国最高を記録したのだと聞き、驚いた。

さて、気温の高い中ではあるが、運動の習慣化を図るために、今日また先週と同様に娘の2kmのジョギングに付き添った。

今日も日陰を選んで走った。


娘とのジョギングを終わるときに道路わきの気温標示を見たら、なんと34℃となっていた。
まあ、日当りがいい場所での標示だから、正確さには欠けているのだろうけれど。

娘とのジョギングが終わった後、せっかくだからと、続けて自分だけ10kmを走った。
それにしても、今日も青空のいい天気だった。
暑さのせいで、だんだん走りが苦しくなっていった。

そういうなかで、気持ちをさわやかにしてくれたのは、青空と、満開のブタナの花だった。



青空の下、緑の草原に、黄色いブタナの花々がきれいに映えていた。



1周1km余りのコースをぐるぐると回ったのだが、ブタナの花々が明るく輝くのを見るたびに、清々しい気分になってがんばって走ることができた。

1時間前には34℃だった気温標示が、今度は36℃になっていた。



走り終わって、汗がなかなか止まらなかった。
でも、心の中では、ブタナの花の輝きがいつまでも残っていて、さわやかな気分が続いた。
あ~、きもちイイ~!!


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「いのちの歌」(竹内まりや)

2020-06-09 22:34:17 | うた
今から6年前の2月のことだった。
「これ、今度の六送会で歌いますから、覚えてきてください。」
と、一番若い職員から言われ、受け取ったのがこのCD-ROMだった。

「いのちの歌」と書かれたそれは、そのひと月ほど前に、竹内まりやが改めてシングルとして出した曲だった。
竹内まりやの歌は嫌いではなく、むしろ好きな方で、何枚かアルバムを買ったものだったが、その頃は、ちょっとご無沙汰となっていた。
それは、東日本大震災から1年近くがたとうとしていたときだった。
その歌が出されたのは、未曽有の災害を受けた人々を励まそうというねらいがあったと聞いた。

聴きなれない歌を、車を運転しながら何度も聴いた。
職場への行き帰りの車中で、歌えるように何度も何度も声を出して歌った。

生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに」で始まる歌。
歌えるようになると、詩をいろいろと考えるようになった。
卒業する6年生たちに、職員が合唱して歌ううたにふさわしい。
その歌を選んでくれた若い女性職員に感謝したい気持ちになった。


泣きたい日もある 絶望に嘆く日も
…本当にそうだと思う。
いい日ばかりではない。

本当にだいじなものは 隠れて見えない
ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある

…この部分の詩などは、COVID-19 の感染流行で苦しむ私たちが日々感じるようになっていることだろう。

いつかは誰でも この星にさよならをする時が来るけれど 命は継がれてゆく
生まれてきたこと 育ててもらえたこと 出会ったこと 笑ったこと
そのすべてにありがとう この命にありがとう


歌詞には、「この星」という表現がある。
世界的な感染流行で、誰もが命の危険にさらされている。
まさに、「この星」全体だ。

昨年末の紅白歌合戦で竹内まりやがこの「いのちの歌」を歌った時には、まさか新たな年が、世界中でこんなに命の危険が迫ることになるとは、誰も思っていなかった。

ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある

かけがえのない喜びを感じられるのも、生きていてこそ。
生きている。
そのことを、本当に貴重なことだと考え、日々を大切に過ごしていきたいものだ。


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桑の実を見かけて…

2020-06-08 21:11:22 | 草木花
子どものころに多く見たのに、いつの間にか見なくなったものが、いろいろとある。
身近にあったのに、いつの間にかなくなっている。
そんなものに、ふと出会うとやはり子どものころを思い出す。

先日、娘の散歩を兼ねた買い物に出たとき、川沿いの道を歩いた。
春から夏に移り変わろうとして、川沿いもいつの間にか草木が生い茂ってしまった。
ガードレールのすぐそばに、木が生えていたなんて気づかなかったのだが、川側から道路側に枝葉を張り出している木を見つけた。
葉の様子がなんだか懐かしいぞと思って、その葉の茂みをのぞいてみると、赤い実がなっていた。


おお、これは、桑の木ではないか。
赤いのは、もちろん桑の実。
このくらいの赤さでは、まだ酸っぱくて美味しくない。

もっと濃くなって、赤黒いくらいになると美味しくなる。

20年近く前に勤めていたところでは、桑の木があった。
休み時間になると小学校3,4年生のいやしい子どもたちが集まってきて、赤くなった実を次々に取って口にしていたのだった。
「まだ食べるのには早すぎるよ。もっと赤い色が濃くなってから取った方がおいしいよ。」
という私のアドバイスに、
「待っていたら、だれかに取られちゃうよ。」
「今のままでもおいしいよ。」
などの返事が返ってくるのだった。
街なかの校庭に食べられるものがある、ということが、彼らにとって何よりの魅力だったようだ。
だから、私が子どものころに味わった、おいしい桑の実の味を彼らが知ることはなかった。

私の家の目の前には、桑畑があった。
あのころ、桑畑は、わが家のそばだけでなくそこかしこにあった。
桑は、もちろん実を食用にするためではなく、葉を使うためだった。
葉は、蚕のえさとなった。
あのころは、養蚕をしている家が非常に多かった。
養蚕は、農作物以外で得られる貴重な収入源だった。
文字通り「おかいこさま」であったのだ。
桑畑はどこにでもあったから、桑の実の1つや2つをその辺の子どもが取って食おうと、畑の持ち主から怒られることはあまりなかったと記憶している。
たくさん取って食べていた連中は、指先と口の周りを赤黒く染めていたから、すぐにばれたものであった。

そんな桑畑が、わずか何年後かに急になくなっていった。
日本が高度経済成長社会に入ったあたりからだったのだろう。
わが家のまえの畑でも、桑の木は切り倒され、ほかの作物が育てられるようになった。
桑畑も口を染める子どもの姿も、すっかりなくなったのだった。

見かけなくなった桑の木が、こうした町を流れる川沿いに生えているなんて、きっと野生のものだろうと思う。

たくましいな。
そういえば、桑の木がたくさんあった時代の子どもも、もっとたくましかったな…。

見かけた桑の木から、20年前、そして50年以上前へと思いは駆け巡っていったのであった…。
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人間としてのつながりを断ち切るCOVID-19

2020-06-07 21:58:39 | 生き方
高校を終えて、大学に入ったばかりのころはまだ多感な時代だったから、読む本や聴く歌の影響をたくさん受けたものだった。
ただ、最も大きいのはやはり人との出会いではなかっただろうか?
人と会い、語り、自分の思いを出し合って同じ時間を過ごすうちに、ほっとする関係がしだいにできていく。
若い頃は、そうした関係ができるかできないかで、穏やかな気持ちになったり不安な気持ちになったりした時代でもあった。

ある日(6月の今ごろだったと思うが…)、授業に出る気がせず、さぼって一日中下宿で本を読んでいたら、孤独を感じてどんどんどんどん寂しくなった。
無性に人に会いたくて会いたくてたまらなくなってしまった。
それで、下宿を飛び出して大学まで走っていったことがあった。
着いたときは、もう午後6時近くで、講義もほとんど終わろうとしていたが、知っている(と言っても、まだ知ってから1,2か月しかたっていない)同級生の顔を2,3見つけて、無理やり話しかけ、ホッとした気分になったのを覚えている。

こうして感染症COVID-19 の蔓延で、ずっと授業がストップしたり、直接会うことができなかったりしているなかで、昔の私と同じような年齢の人たちは、今どうしているのだろうと思う。
もっとも、あのころと違って、今はSNSでつながれる時代だから、実際に会えない寂しさというのは感じないのかもしれない。
あのころは、電話は固定電話しかなかったし、学生でありながら自分で固定電話をもっているなんぞというのは、実家がよっぽどの金持ちでもなければ、まずなかった。
だからこそ、実際に会って、言葉を交わす、同じ時間を共有するということはとても大切な意味があったと、思っている。
SNSがあるといっても、今の学生など若い人たちは大丈夫なのだろうか、孤独感にさいなまれてはいないだろうか、と不安になってしまう。

大学に入学してどころか、卒業してから早くも40年が経過してしまった。
あのころのような感じやすく繊細な心は、その後の人生を経てだいぶ鈍く図太くなってしまったかもしれないが、やはり人と人との心の通じ合いを求めていることは変わらない。

心の通じ合いには、人間じかに会うということが欠かせないと思うのだが、このパンデミックは人と人のつながりを断ち切ってしまう。
なぜなら、密接や密集によってウイルス感染してしまうから、人と人は離れよ、というわけである。
離れてしまっても、人間が人間らしくいられるか、ということが、今私たちには突き付けられているような気がする。
そんな不安の中で、若い女子プロレスラーの自死の件とか、アメリカの黒人暴行死の件とかが起こっている。
COVID-19 というパンデミックが起こっている時代に、人間として生きていく中で大切なものは何なのかが問われているようにも思えるのである。
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ホワイトバランス変えて撮ってみると面白い

2020-06-06 20:58:41 | 生き方
先日読んだ「カメラはじめます!」(こいしゆうか著)で覚えることは3つだけ、とあった。
今日の夕刻、そのうちの1つを試してみた。
試してみたのは、「色を変える」ということ。

基本中の基本なのだろうけれど、「ホワイトバランス」のモードを変えるだけで赤っぽくなったり青っぽくなったりする、ということ。



最も左側の「オート」だとこんな写真になるのだけれど、

いろいろ試してみた。


基本の「太陽光」


「くもり」


「日陰」


「白色蛍光灯」


「白熱電球」


なかなか面白い。
やっぱり、初心者向けに分かりやすく書いてあると、試して撮ってみたくなる。
試してみて、実感すると、違いが分かるようになる。
今後もいろいろな場面で使って撮ってみよう。
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父と娘で2kmのジョギングを楽しむ~娘よ(93)~

2020-06-05 22:26:57 | 生き方
30年前、小学校低学年の娘と、平日の朝は走ることにしたのだった。
近くの運動公園まで。
距離にして1km余りだっただろうか。
天気の悪い日や休みの日、冬などはもちろん走らなかったのだが。
娘が高学年になると、2kmくらいを走るようになった。
そのかいがあって、小学校時代のマラソン大会は、6連覇だった。
全国60か所で行われるSBちびっこ健康マラソンでは、当地の大会で5年・6年と連覇した。
6年の3月に東京で行われた全国大会に出場した娘に付き添って、泊まりがけで応援に行ったのも懐かしい思い出だ。

走り始めたころから、30年。
あっという間の30年。
娘は娘の、父は父のまま、関係は変わらない。

小学生時代、走ることでは栄光の日々だった娘だが、7年前に急性の脳炎で倒れてからは、足腰も弱ってしまった。
退院してからも、よくよろけて倒れることがあった。
走ることについては、3年ほど前に一度ジョギングしてみたことがあった。
が、よほどつらかったせいか、その後は走ることはいやだと敬遠していた。
しかし、ここ数年、毎日スクワットをしたりステッパーをしたりすることによって、だいぶふらつくことはなくなった。

「そろそろ少しジョギングしてみるか?」
と聞いてみると、
「だって、私、走るための靴、ないんだもん。走るためのタイツみたいなのもなくて、ぶかぶかのジャージしかないから。」
「じゃあ、買えば、走ってみるか?」
「…そうだね。」
このような会話が交わされた。
先日、一緒に大型スポーツ店に行き、シューズ、ウエア、帽子などを買ってきた。

今日、さっそく私と娘とでわずかながらジョギングに出かけた。
昔走った運動公園の一角へ。
最初は、上下に飛び跳ねるような娘のジョギングだったが、少しずつ格好がよくなってきた。



1kmほど走ったところで、「休憩するか?」と聞くと、「休むとまた走るのがいやになるからこのまま行く」との返答。
帰る途中で気温標示を見に行くと、31℃。
そんななかではあったが、2kmの距離を休むことなく、走り切った。
要した時間は約18分。
1km9分の速さというわけだ。
速く歩くのと変わらないスピードではある。
でも、速さが問題ではない。
本人が結構やる気でやっていた、というのがいいのである。

今回は、走るのがきつい、やりたくないという声は一度も出なかった。
よかったなあ、と思う。
2kmのジョギングをした後でも、非常に清々しい表情をしていた。
夕方には、笑いながら尻の筋肉が筋肉痛だと言ったが、「もうしたくはない」とは言わなかった。
できれば、定期的に一緒に走れるようにしたいと思ったし、娘も口には出さないがそのつもりがあるのが見える。

父と娘で走り始めたのが30年前。
そして、今また一緒に走れる時間が持てた。
そのことがとても貴いと思えた今日であった。

コメント (2)
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ついに届いた、「アベノマスク」

2020-06-04 22:01:09 | 生き方


今朝の地元紙新潟日報の一面には、いわゆる「アベノマスク」が扱われていた。
新潟県内では、配布はまだ3割程度だという。
なかなか手元に届かない。
ただ、それ以前のこととして、すでに手作りマスクも普及している。
(新潟日報紙では、何度も何度も手作りマスク用の型紙を掲載したりしていた)
使い捨てマスクも、あちこちの店頭に普通に並んでいる。
そんなことから、アベノマスクの必要性には「?」がついてしまう。

わが家でも、それを使う緊急性はない。
まあ、そんなことを言っても、要請を受けて急ピッチで生産作業を行ったであろう会社や社員のことを考えると、「もう、いらないよ」とは簡単には言えない。

さて、今日の昼頃、いつもの時間よりも早く、郵便配達員のバイクが走ってきた。
1軒1軒配布している様子をうかがっていると、やはりわが家にも来た。
ストンと、郵便受けに放り込む音がした。
ひょっとすると、届いたのかな?
郵便物を取りに行くと、…やっぱり!
ついに届いたアベノマスク。





うわさ通り、やっぱり小さいね。
でかいツラしている(?)私には合わないな。

1軒1軒配布作業をしてくれた郵便配達員の方の苦労を考えても、いらないとは言えない。
捨てるなんてことは考えてもいない。
家族含め、それなりに有効な使い方を考えていきたいな、と思っている。
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正体は…ホタルブクロだったのか!!?

2020-06-03 19:22:08 | 草木花
去年の秋に、花の咲き終わったプランターに、きれいな葉が生えてきた。



もちろん最初から葉が出てきたわけではないのだが、気がつくといかにも葉っぱらしい葉っぱになっていたというわけだ。
その葉は、プランターの中で、寒い冬も枯れずに越すことができた。
冬をロゼットのような葉で越したというわけだ。
この植物、いったい正体は何なのだろう?

やがて分かることとを期待しながら、プランターから、鉢に植え替えてやった。
植え替えた後、暖かくなってきたら、どんどん上に伸びてきた。
葉も、最初に見かけたものとは違って、細長い形となって増えてきた。



背丈は、30cmものさし2本分を合わせた高さを超えても伸びていた。
どこまで大きくなるのだろう?
倒れてきたので、支柱を添えてやることにした。



植物はその後も成長を続け、先週あたりから、つぼみのようなものをつけ始めた。



つぼみは、実ったイチゴを絵に描いたような形で、それが開くのか、開くとどうなるのか、そんなことを考えるようになった。
頭に浮かんだのは、つぼみと形が似ているのでノボロギクだった。
しかし、ノボロギクとは全く違うし、葉を見ても背丈を見ても、こんな植物で花が咲いているのは見たことがないなあと思っていた。

すると、昨日、つぼみの部分が少し白っぽくなってきた。
ん?何だ?花を咲かせるのかな?



そう思っていたら、今日、そのつぼみを開かせ、白い花が咲いていた。



この花は、よく知っている。
ホタルブクロだ!
きれいな葉で始まった植物の正体は、ホタルブクロだったのだ。
今まで家の庭にはホタルブクロはなかった。
だから、見ることができて、うれしいなあ。
近所の家には咲いていたから、きっと種が飛んできて落ちたのだろう。



よそでは、40~50cmの背丈で花を咲かせているのに、うちのホタルブクロは、80cmくらいになっている。
つぼみもたくさんつけているから、これからまだまだ咲いてくれるだろう。
正体がわかっても、いや分かったからこそ、これからも花の楽しみが続く。
うれしいなっ、と(^○^)
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なぜカラスノエンドウ?

2020-06-02 17:49:43 | 草木花
カラスノエンドウ。



以前、カラスウリとスズメウリがあることを知ったとき、大きいと「カラス」、小さいと「スズメ」の名が付くということを知った。
その大小が命名にからんで、スズメとカラスの名が付くのだと思っていた。

野草の「エンドウ」にも「カラスノエンドウ」と「スズメノエンドウ」がある。
たしかに、花の大きさはカラスノエンドウの方が大きいことは大きい。
しかし、今回、命名には大きさだけでないことがよくわかった。

カラスノエンドウは、その名の通り、エンドウマメつまりキヌサヤによく似た豆の実をつける。
さすが、「エンドウ」。



ところが、実の部分は、それだけで終わらない。
しっかり黒くなるのだ。



こうしてカラスの羽のように黒くなるから、「カラス」がついて、「カラスノエンドウ」なのだ。
このことを、間近で見続けて初めて知った。



実のことだけに、「見」続けてわかったというわけですな。…(#^.^#)

しかも、この写真を撮っているとき、「攻撃」も受けた。
小さいから痛くはないけど、体や顔などにはじけた種がパチンパチンと当たった。



何かというと、黒くなったさやの部分から、実がはじけて種を飛ばしていたのだ。
タネツケバナも種を飛ばすが、同様にカラスノエンドウも種を飛ばすのだということも、実のことだけに、身をもって初めて知った。(オヤジの連続で申し訳ない…(^^;ゞ )

こんなに身近な雑草の植物なのに、初めて気付くことを発見できたことがあった。
そのことを、単純にうれしく感じるものだね。
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季節を感じた、6月のFIRST RUN

2020-06-01 21:43:20 | RUN
当地の今日の天気予報は、くもりのち雨。
たしかに午前中、雨がぱらついた時もあった。
予報のわりに、大して雨は降らない。
そんな状態なので、本当にくもりのち雨なら、後で降る前に4日ぶりに走りに出よう。
なにしろ、4日前にちょっとトレーニングの要素を入れただけなのに、翌日から太ももが筋肉痛になってしまった。
回復するのに、4日かかったというわけだ。
そう言いながら、4日前と同じトレーニング走をしたら、きっとすぐにでも肉離れを起こしたに違いない。
63歳の鍛錬不足の体は、デリケートなのだ!?

今日は、16km走をしよう。
ところが、今日の風は、いわゆる「だしの風」。
東から吹いてくる風。
これは、今日のコースだと向かい風。
しっかり走らないと、予定した速さでは走れない。
余計なことは考えないで、体を前に倒し気味にして走った。
ただし、体力はだいぶ消耗した。

8kmで折り返すと、今度は追い風になってだいぶ楽になった。
そこで見た光景。

道の両側の草刈りをしている。
機械とはいえ、道端の広さや傾斜を考えると、なかなか大変だろう。

作業、お疲れ様です。
そして、ありがとうございます!

その草刈りを追い越して1kmほどいくと、足元に花びら?

星のような形をした特徴的な花がぼてっと落ちている。

あ、これはひょっとすると…
エゴノキの花!?
上を見てみた。

当たり!

エゴノキの花は、白くて丸っぽくて素朴でかわいいので、好きだ。
それなのに、さっき通った時には向かい風がきつかったので気づかなかったのだ。
でも、今季初めて花を見られた。うれしかった。

後半は、追い風のはずなのに、意外とペースが上がらなかった。
向かい風で8km走って体力を消耗したようだ。
水を飲みたかったのに、いつも飲めるはずの水道から水が出ない。
WHY?
やっと12km地点に別な水道があるのを見つけ、飲んだ。
だが、体は疲労が激しく、14kmでスピードを維持するのをやめ、さらに15kmで歩き始めた。

気温標示を見ると、出発したときは27℃だったのに、帰ってくるときには29℃。
暑さも上がっていたのだ。
これでは、疲れるのも無理はない。
膝に手を当てて休んだら、指がざらりとしたものに触った。
なんと、塩!
汗が乾いて塩になったということ。

いよいよ6月になったのだなあ。
伸び放題だった雑草の刈り取り。
エゴノキの花。
汗が乾いて塩になる。

走りながら、また大きく季節が移り変わっていることを感じた今日のRUNであった。
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