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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

レオナルド・ダ・ヴィンチ」の名言・格言

2025年04月26日 | SNS・既存メディアからの引用記事

「人が犯す最も大きな欺瞞は、自らの意見に固執することだ」

「人間には三つの階層がある。自らの目で見る者、他者に見せられて見る者、そして決して見ることのない者だ」

「私はずっと以前から、優れた人々が何もせずに待つことはほとんどないと気づいている。彼らは自ら行動し、物事を動かしているのだ」

引用元 人類史上最も多才な「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の名言・格言:らばQ

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3分で分かるレオナルド・ダ・ヴィンチの生涯

レオナルド・ダ・ヴィンチは1452年にイタリアのフィレンツェから西に40キロほど離れたヴィンチ村に生まれました。

幼いころのレオナルドは村に流れる小川のそばで遊ぶのが大好きで、それらの自然を観察して熱心にノートに書き留めていました。


やがてレオナルドは絵や音楽や算数などに素晴らしい才能を見せ始めました。村の人たちはレオナルドのことを天才に違いない」と思っていたようです。

レオナルドは14歳のとき、フィレンツェで最も有名な彫刻家のヴェロッキオのもとで美術の勉強をすることになりました。

20歳になった頃、ヴェロッキオが途中まで描いた「キリストの洗礼」をレオナルドが完成させることになりました。

その絵を見たヴェロッキオはあまりの素晴らしさに驚いてしまいました

「なんて美しい天使だろう。なんて柔らかい風景だろう。レオナルドは私より遥かに優れている」

ヴェロッキオはその後、絵を描くのを止めてしまったといいます。

26歳の時に独立したレオナルドですが、最初に受けた礼拝堂に飾る絵も、29歳のときに修道院から頼まれた絵も、約束の期間までに完成させることが出来ませんでした。

このレオナルドの完璧主義は世紀の傑作「モナ・リザ」の誕生にもつながります。モナ・リザについてはこちらの記事をご覧ください。

 

完成こそ出来ませんでしたが、レオナルドの絵にはそれまでの画家にはなかった新しい力が溢れていました。

それはレオナルドが生きた時代に盛んだったルネッサンスの運動と深い関係がありました。

1400年頃からイタリアを中心に起こったルネッサンスとはギリシャやローマで栄えていた人間中心の芸術を再生させようとした運動です。

レオナルドはルネッサンス運動の代表的な人物として目覚ましい活躍をしました。

修道院の食堂の壁に「最後の晩餐」を描いているときの様子をある作家が次のように語っています。

「毎朝、太陽が昇ると食堂に行き、辺りが暗くなるまで食事も摂らず、水も飲まず絵を描き続けた。

1時間か2時間ただ絵の前に立ってじっと見つめているだけの時もあった。」

レオナルドは土木、建築、数学、解剖学などあらゆることについても研究を重ねました。

何処へ行くにもノートを持って出かけ、自分の見たものや考えたことを書き留めていました。

オナルドが残した何十冊ものノートには機械、ロボット、建物、楽器、木や草花、雲、水の流れ、人や動物の体などのスケッチが詳しく描かれています。

パラシュートや飛行機のスケッチを何枚も描き、実際に空を飛ぶ実験をしたこともあります。

天才レオナルドを支えていたのはこの世界のあらゆるものに対する興味と途切れることのない努力だったのです。

レオナルドは67歳で亡くなるまで満足することなく絵を追求し続け、弟子たちのも教え続けたといいます。

引用元 3分で分かるレオナルド・ダ・ヴィンチの生涯 – おはなし名画

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東京都江戸川区内にあるJR中央・総武線が停車する【平井駅】を散歩しました。昔ながらの情緒あふれる商店街や大通り沿いを散歩してます。

2025年04月26日 | ゆうちゅーぶ

東京都江戸川区内にあるJR中央・総武線が停車する【平井駅】を散歩しました。昔ながらの情緒あふれる商店街や大通り沿いを散歩してます。

総武線の平井駅のご紹介、亀戸と新小岩に挟まれどちらかというと?な駅でした。荒川、中川、旧中川が流れており、今駅前にタワーマンション建設中、今日の寄道食堂は以前から行きたかった【志那そばやなか草】さんへ

【平井駅 / 夜の散歩 街と音】(東京都江戸川区)お隣の新小岩駅や亀戸駅に比べると知名度はないけど便利で住みやすそうな穴場感のある街(2024/3/23/土)

江戸川区 人口  2025年3月1日現在 693,421人 

 

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4月25日に目に留まったSNS・メディアの記事

2025年04月26日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれもクリックすると本文に飛びます。

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東日本大震災が起こった翌々年の [ 2013年03月04日(月)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2025年04月26日 | 東日本大震災ブログ
2013年03月04日(月)
 
バラマキやめ村再生 子育て支援に投資、人口増 長野・下條  東京新聞
2013年3月3日 07時07分

「児童会長は誰になった?」。村営住宅の小学生に笑顔で話しかける伊藤喜平村長=長野県下條村で

巨額な公共事業復活で、経済と国土の「強さ」を取り戻そうとしている日本。長野県下條村の伊藤喜平村長(78)は、それとは異なる道で過疎の村をよみがえらせた。十四歳以下の人口比率は16・4%と長野県内トップ、東京二十三区のどの区よりも上回る。「奇跡の村」と呼ばれている。 (飯田孝幸)

 山あいを抜ける国道151号沿いに古い民家が点在し、あとは畑が広がる山村。そのところどころに立つ、二~四階建てのきれいなマンション風の集合住宅が異彩を放つ。周辺では子供たちの声が響く。

 「今は二十歳になった長女が保育園にいたころ建ち始めましたねえ。あのころから運動会はにぎやかだった。子どもが減っている周りの村や町とは全然違う」。村で住宅設備工事業を営む男性(44)は、そう話す。

 かつて養蚕で栄えた村も、戦後は衰退の一途をたどった。若者は流出し、一九四五年に六千人を超えていた人口は、九〇年には三千九百人を切った。

 建設関係の仕事をしていた伊藤さんは「人がいなくなれば、仕事の需要もなくなる」と危機感を抱いた。村議三期を経て、九二年に村長初当選。

 当時、地域活性化と言えば「公共工事で地元に金を落とす」ことだったが、全く違う手法で改革を始めた。

 村道や農道の整備や補修など、本来は村が手掛ける事業でも、工事費が二百万円以下なら一切やらない。その代わり、村民が自分で整備するなら、コンクリートなど資材のみを提供することにした。

 「冗談じゃない。行政の仕事だろ」。村民に不満がうずまく。にらみ合いは三カ月続いた。しかし、根負けした地区の住民が資材供給を申し出ると、ほかの地区も続いた。

 また当時、村は国などから下水道整備を勧められていた。事業費の試算は四十五億円弱。国、県の補助を得ても半額は村負担だ。

 「山を削って谷を埋めてまで下水道が必要か。維持費もかかる」。伊藤さんは各戸ごとに設置する合併処理浄化槽での下水処理を決断した。総事業費は八億七千万円。補助金などを得て、村支出は二億五千万円。下水道の一割程度で済んだ。

 九〇年代のバブル経済崩壊後、国は赤字国債を積み上げながら、公共事業で景気浮揚を図った。それに乗った自治体の多くは借金まみれになった。

 逆のコースを歩んだ下條村は健全財政を維持し、予算を未来に投資した。村営集合住宅を十棟整備し、家賃を市価の半額程度に抑えた。子ども医療費は中学卒業まで無料に。保育料も値下げし、若い夫婦を呼び込んだ。

 人口は増加に転じ、二〇〇六年に四千二百人を突破。この十年間で小学校は二学級、中学校は一学級増えた。現在、村の貯金は約五十六億円。年間予算の倍以上ある。

 「行政は一円の無駄も許されない。国民はそれを感じたらノーと言う。バラマキじゃだめだ」。村長として六期目、未来を見据える七十八歳は「原子力の問題は考えれば考えるほど怖い」との理由で、脱原発をめざす首長会議の一員でもある。


☆空調の効いた立派な建物の中で、パソコン相手に仕事をしている中央省庁の役人をうまく使う主体は、地方の行政だというサンプルかも。


大震災2年目の今を見つめて    富山泰庸
【第1回】 2013年3月4日 

日本で唯一残った避難所
埼玉県旧騎西高校で暮らす139人の「今」
――東北三県被災地復興支援研究会代表 富山泰庸

一部引用・・

残された被災者の平均年齢は70歳以上 

2013年2月7日現在、1400名いた旧騎西高校避難所での避難者は139名。

 今もなお避難所でダンボールの仕切りしかない中、5階建ての1階~3階までのところで、教室暮らしを余儀なくされている。1階には要介護・要支援者が入り、階段を登り降りできる方々は2階~3階に住む。教室内はダンボール仕切りでプライバシーがないという問題が存在していたが、今では全員口を揃えて「みんなが見渡せた方が、亡くなっていないかどうか確認できる」と、危機的状況を公然と肯定的に話すまでになってしまっている。
定期的なレクリエーション。このレクリエーションがない時は教室で横になりがちで、運動不足からの健康悪化が懸念される 139名の構成は後期高齢者(75歳以上)がほとんどであるといっても過言ではない。ある役所の方に聞くと平均年齢は70歳を超えるという。双葉町の発表では震災による直接死は20人、震災関連死は74名、行方不明は1名となっているが、役所の報告によると200名以上の方が避難先で亡くなっているという事実がある。

 現在、旧騎西高校では介護用ベッドが搬入され、要介護者も居住している。要介護、要支援者は139名中34名で、被災後の1.5倍となっているそうだ。

 長期化する避難所暮らしで、栄養面で深刻な問題が発生している。キッチンはあるが、全員で使える大きさではないため、平等性の担保のために使用していない。そのため有償でお弁当を支給しているが、栄養不足に陥る方が出るなど、間違いなく健康状態は悪化している。

全文はこちら


汚染土、運び先なし4811カ所 福島の除染作業  共同通信
2013年3月2日

 福島市渡利の団地の敷地内に保管されている汚染土=2日


 東京電力福島第1原発事故で降り注いだ放射性物質の除染が進められている福島県内で、住宅や学校、公園など少なくとも4811カ所の汚染土を運び出す先がなく、現場に置いたままになっていることが2日、県のまとめで分かった。昨年12月末時点の集計のため、箇所数はさらに増えている可能性がある。

 一時保管する仮置き場が、近隣住民らの反対でなかなか確保できないことが原因。国や県は「専用の袋に入れたり土中に埋めたりしているので、放射線量は低く安全だ」としているが、放射性物質が生活空間のそばにある状態が続き、不安を抱えながら暮らす人も少なくない。


原発の再稼働、来年以降に 安全審査の年内終了困難かー共同通信
2013/03/03 18:53

 7月施行の新安全基準による原発の再稼働は、来年以降になる公算が大きいことが3日、原発を運転する電力10社へのアンケートなどで分かった。原子力規制委員会による原発の安全審査が年内に終わらないとみられるためだ。

唯一運転中の関西電力大飯3、4号機は9月に定期検査入りの予定で、再び全原発停止になる可能性が高い。10社の安全対策費は判明分だけで総額1兆1千億円規模に達した。

 最も対策が整っているとみられる四国電力伊方原発3号機も従来のような審査スピードならば「年内は無理」(同社幹部)とされ、福島原発事故から約2年を経ても再稼働の行方は見通せないままだ。


国の借金 来年1100兆円台に   NHK NEWSweb

3月2日 4時27分

国債と借り入れなどを合わせた国の債務残高、つまり借金は、厳しい財政状況を反映し来年3月末、平成25年度末には1100兆円を超える見通しで、国民一人当たりでは870万円の借金を抱える計算です。

財務省によりますと、国債に短期の借り入れなどを合わせた国の債務残高、つまり借金は来年3月末、平成25年度末の時点で、今年度末と比べて101兆円余り増え、1107兆1368億円に達する見込みです。

国の借金が1100兆円を超えるのは初めてで、日本のGDP=国内総生産の2倍以上に当たります。

また、国民1人当たりに換算すると、およそ870万円の借金を抱えることになります。

政府は、一般会計の総額で92兆6115億円と、過去最大の規模となる平成25年度予算案を国会に提出しましたが、歳入では財源不足を補うため42兆円余りの国債を発行する計画です。

安倍内閣としては、景気てこ入れのため積極的に財政出動を行う姿勢を鮮明にしていますが、その一方で、国の財政はいちだんと厳しい状況になっています。

政府は、夏ごろをめどに、新たな財政再建策をまとめる方針ですが、社会保障制度の効率化も合わせ、歳出の抑制など財政立て直しへの具体的な道筋を示すことができるかが、引き続き課題となっています。
2013年3月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
新聞・テレビ・雑誌から / 日本社会の仕組み改良 |
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TPP 大臣は大臣の言葉の重みを承知しているか
米 TPP年内の交渉妥結明示
3月2日 9時38分 NHK NEWSweb

アメリカの通商代表部は、1日、通商政策についての年次報告をまとめ、TPP=環太平洋パートナーシップ協定についてことし中の交渉妥結を目指し、交渉参加を検討している日本とは自動車や保険分野の市場開放などの対応に注目して2国間で事前の協議を続ける姿勢を示しました。

この年次報告は、アメリカのことしの通商政策の課題などをまとめたもので、1日、議会に提出されました。

この中で、TPP=環太平洋パートナーシップ協定について、急速に成長を続けるアジア・太平洋地域とアメリカを結びつける貿易協定として交渉を進めるとして、改めてアメリカの重要な通商戦略のひとつに位置づけています。

そのうえで、年次報告では、「ことし中の交渉妥結にむけて努力する」と目標を明記しました。

一方、交渉参加に向けた事前の協議が続く日本との間では、関税の撤廃など高いレベルの自由化を目指すTPPの水準を満たす準備ができているかどうかを中心に、引き続き2国間で協議するとしています。

また、アメリカがかねてから一段の市場開放を求めてきた自動車や保険分野での日本の対応に注目するなどとしており、日本の交渉参加を判断する際にアメリカが重視する点を改めて明示しています。

TPP 医療保険に影響及ばず
3月2日 22時7分 NHK NEWSweb

田村厚生労働大臣は三重県津市で講演し、TPP=環太平洋パートナーシップ協定について「アメリカはそれぞれの国の医療保険制度に注文をつけることはないとはっきり言っていた」と述べ、TPPに参加しても日本の公的医療保険の制度に影響が及ぶことはないという認識を示しました。

この中で田村厚生労働大臣は、TPP=環太平洋パートナーシップ協定を巡り、参加すれば日本の医療保険制度が壊されてしまうのではないかという懸念が出ていることについて、「アメリカ通商代表部のカトラー代表補は『それぞれの国の医療保険制度に注文をつけることはない』とはっきりと言っていた」と述べました。

そのうえで、田村大臣は「海外の保険会社から日本の国民皆保険によって商売が邪魔されたと訴えられたとしても、日本の保険会社も同じ条件にあり大丈夫だろうというのが厚生労働省の判断だ。

医療はそれほど大きな問題にはならない」と述べ、TPPに参加した場合でも日本の公的医療保険の制度に影響が及ぶことはないという認識を示しました。


写真家 福島菊次郎 現役92歳
92歳の現役フォトジャーナリストが命をかけた写真集「証言と遺言」のすごすぎる中身

一部引用・・

福島菊次郎、92歳、現役のフォトジャーナリストが3月4日、写真集『証言と遺言』を発行する。

原爆、東大闘争、あさま山荘事件、三里塚……。この写真集はまさに福島菊次郎が命をかけて撮ってきた“証言”集であり、日本人への“遺言”である。

本文はこちら


新聞の再販は誰のために  新聞業界の談合が許されている??業界が負う責務は!
 長らく空席だった公正取引委員会の委員長に内定した元財務次官の杉本和行氏は、2月15日、国会の所信聴取の場で新聞社の再販制度に触れ、「特に今の段階で見直す必要があるは考えていない」との考えを示した。「吠える番犬」を目指し新聞再販の見直しに意欲を燃やしてきた前任の竹島一彦氏との好対照ぶりが際だった。

 日本の新聞社が絶大な恩恵を受けている「新聞再販制度」だが、その存在は余り知られていない。

正確には再販価格維持制度と言うが、この制度のおかげで日本の新聞社は販売店に対して定価での販売を強制することができる。

自由主義経済体制を標榜する日本では本来、モノの値段は市場原理で決まることになっている。そのため商取引上優越的地位にあるメーカーが定価を決定し、販売店に対してその値段での販売を強いる行為は独占禁止法で禁止されている。

しかし、日本では新聞、書籍、雑誌、音楽CDの4品目のみが再販の対象として、例外的にメーカーによる定価販売の強制が許されている。

他の商品では独禁法違反となる行為が、この四品目については例外的にその適用を免除されているのだ。やや電力会社の総括原価方式にも似ているが、この制度のおかげで結果的に新聞社は、あらかじめ利益を折り込んだ価格に定価を設定することが可能となっている。

その意味では、他の商品ではあり得ないような大きな特権を得ていると言っていいだろう。

 新聞が再販によって特別に法の保護を受けている理由としては、真っ先に公共性があげられる。新聞のように公共性の高い商品を市場原理に晒せば、山間地や離島などで同一価格で新聞が買えなくなってしまったり、公共性の高いジャーナリズムの品質が維持できなくなる恐れがあるということだ。

実際、自由競争というものがいかにコストを抑えながら利益を最大化するかの競争であるとすれば、新聞のような一定の公共性を帯びた産業を単純な市場原理のみに隷属させることは、必ずしも合理的ではないと考えられるだろう。

 しかし、である。もし公共性を理由に新聞社に対して再販という他に例を見ないほど手厚い保護を提供するのであれば、当然新聞社の側もその公共性要求に応えなければならないはずだ。

少なくとも、再販で得た利益を使って、日本にクロスオーナーシップ(新聞社の放送局への出資)の規制が無いのをいいことに、日本中の放送局に出資をしてそこに自社の社員を天下らせるような行為が横行している現状では、その責任を果たしているとは言えないのではないか。


また、新聞社が自社の紙面を使って再販を擁護するキャンペーンを張り、本来再販に対しては中立的な立場にあるはずの放送局は、新聞社との資本関係などから再販には一切触れようとしない状態が続いている現状も、再販の正当性を著しく弱めている。

結果的に、再販の存在そのものがほとんど社会的に認識されず、特権だけが静かに維持されたまま一向に議論が深まっていないのが実情だ。

 公共的なジャーナリズムを護るためには再販は必要との立場を取るゲストの山田健太専修大教授も、特権を得ている新聞社自身の情報公開やその透明性が足りないと指摘する。新聞社は非上場であるため有価証券報告書の公開が求められていない。

そのため経営情報は原則非公開のままで自主的な公開に任されているのみだ。しかし、再販などによって特別な保護を受けている以上、そこで得られた内部留保の使い道については一定の公開義務があって然るべきだろう。

 山田氏は「再販問題は新聞メディアの特権のほんの一例に過ぎない」として、税制上の優遇策や記者クラブ制度などの他の特権も含め、かつて新聞社がメディアの中で支配的な地位を占めていた時代から続く数々の特権については、新たな社会的な合意形成の必要性を訴える。

 かつて「ジャーナリズム」と言えばそのまま新聞を意味する時代が長らく続いた。そしてテレビが登場し、新聞のテレビの2強時代というものも確かに存在した。

しかし、今日、インターネットの普及や社会の多様化によって、メディアも多種多様になりつつある。そうした中にあって、かつての古き良き時代の新聞の特権を無条件で延長し続けることは、市民社会のみならず新聞自身にとっても必ずしもプラスにはならないのではないか。

 山田氏は、メディアが細分化・多様化した今だからこそ、政治・経済・社会・事件・スポーツ・芸能を一つのパッケージにして手許に届けてくれる新聞のようなパッケージメディアの役割が重要になると、新聞の役割の重要性を説く。

しかし、その大前提として、これまで既存のメディアがどのような特権を享受してきたのか、そしてその責任を果たしているかの検証は避けて通れない。なぜならば、特権はいずれも消費者や納税者として市民が負担しているものであるからに他ならない。

その負担の対価として市民社会が何を得ているのか、そしてそれは特権を与え続けるに値するものなのかが議論されないまま、特権のみが静かに温存され続けている現状は、メディアによる権力の濫用の誹りは免れない。

 議論されない「再販」の問題点とメディアの今後についてジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、山田氏と議論した。

引用元
 

 


片山容疑者 誤認逮捕事件で再逮捕 日航機爆破予告容疑も 東京新聞
2013年3月4日

 パソコン(PC)の遠隔操作事件で、大阪府吹田市の男性のPCを操作して二件の犯罪予告をしたとして、警視庁などの合同捜査本部は三日、ハイジャック防止法違反(航空機の運航阻害)と偽計業務妨害の疑いで、IT関連会社社員片山祐輔容疑者(30)=威力業務妨害容疑で逮捕=を再逮捕した。

 吹田市の男性は大阪府警に誤認逮捕されており、一連の事件で、誤認逮捕された人の事件が立件されるのは初めて。片山容疑者は「身に覚えがありません」と容疑を否認している。

 逮捕容疑では、吹田市のアニメ演出家北村真咲さん(43)のPCを操作し、昨年七月二十九日、大阪市のホームページに大量殺人の予告メールを送信。八月一日には北村さんのPCを操作して日本航空に「我々の同志が爆弾を持ち込んだ」とメールを送り、飛行中の日航機を、成田空港に引き返させたとされる。

 捜査本部によると、北村さんは二件の事件前、ネット掲示板で紹介された無料ソフトをダウンロード。この中にウイルスが仕込まれていて、遠隔操作で犯行メールが送信されたとみている。日航へのメールは遠隔操作と分かり、北村さんは誤認逮捕されなかった。

 江の島(神奈川県藤沢市)の猫の首輪に取り付けられた記憶媒体のSDカードを捜査本部が解析したところ、北村さんがダウンロードしたソフトの設計情報が入っていた。一月三日の防犯カメラに、猫に近づく片山容疑者が写っていたことなどから、捜査本部は北村さんの事件も片山容疑者の犯行と判断した。

 片山容疑者は先月十日、名古屋市の会社のPCを操作して襲撃予告したとして、威力業務妨害容疑で逮捕された。東京地検は三日、同容疑について「一層の慎重な捜査が必要」として処分保留とした。


貧困の連鎖に懸念 生活保護減額 子供にしわ寄せ 東京新聞
2013年3月4日 朝刊

 八月からの生活保護引き下げに対し、専門家や関係者は親から子への「貧困の連鎖」拡大への懸念を強めている。引き下げは子育て世帯を直撃する。さらに、連動して生活支援の所得基準が下がり、経済的に苦しい家庭の子どもの多くに影響が及ぶ可能性が高いためだ。 (上坂修子)

 「学用品が買えないとか、体操着や水着を買い替えることができないといった理由で、子どもの引きこもりは確実に増える。成長期には一年前のものは着られないことがある」

 「生活保護とあたし」(あけび書房)の著者、和久井みちる氏は警鐘を鳴らす。地方公務員だった和久井氏は夫の家庭内暴力(DV)でうつ病になり失職。一時期、生活保護を受けていた。

 生活保護のうち生活費に充てる生活扶助費は八月から三年間かけて最大10%引き下げられる。都市部の四十代夫婦と小中学生二人の世帯の生活扶助費は三年で月額二万円減る。三十代、二十代の夫婦と四歳の子一人の世帯は一万六千円減る。

 東京二十三区で生活保護受給世帯が最も多い足立区では公立小中学校に通う子どもの約四割が給食費、学用品代などが補助される就学援助制度を利用している。足立区の就学援助の対象基準は、世帯所得が生活保護基準の一・一倍。生活保護基準が下がれば多くの子どもが対象から外れる事態も予想される。

 和久井氏は「例えば足立区の子どもの多くが給食費が払えなくなる。就学援助で何とか持ちこたえている世帯の多くが、生活保護世帯になることが考えられる」と指摘する。

 二〇一〇年の調査によると、生活保護受給者のうち十八歳未満は14・4%。そのうち二割はゼロ~五歳だ。

 子どもの貧困に詳しい湯沢直美立教大教授(社会福祉)は「受給者のうち六、七人に一人は子どもということはもっと強調されていい。本当に貧困の連鎖を抑止するなら、経済困窮にある世帯の子どもほど大学進学はじめ高卒後の教育の機会を手厚く保障すべきだ」と言う。

 その上で「子育て世帯という観点からみれば、生活保護、児童手当などの社会手当、保育料・学校授業料等の無償化など総合的に子育て政策を点検しなければならない。子どもの権利保障の議論になっていない」と指摘する。

 英国は一〇年に子どもの貧困率削減の数値目標を定めた法律が成立した。米国では一九六〇年代から、低所得層の就学前の子どもや家族に教育や健康、栄養などの就学支援プログラムを提供する「ヘッドスタート」がある。

 日本では民主党が子どもの貧困率の削減目標を盛り込む法案の検討を開始。自民党も議論を始めたばかりだ。

◆17歳以下貧困率15・7%
 日本の十七歳以下の相対的貧困率(国民一人当たりの所得を高い順に並べ、真ん中の人の所得額の半分に満たない人の割合)は二〇〇九年で15・7%。一九八五年の10・9%から大幅に増えた。中でも一人親世帯の貧困率は〇九年で50・8%と際立って高く、経済協力開発機構(OECD)加盟三十カ国で最高水準にある。


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家の昼食にも“シャンツアイ”は欠かせない。この頃の昼飯 

2025年04月25日 | ある日のランチ

☝ 好物のカレービーフンにシャンツアイ(コリアンダー、パクチー)たっぷり載せた

 

 

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2022年9月29日「ベトナム料理にパクチー(シャンツアイ)をたっぷり使ってもらって美味しく越南の味を楽しんだ。  両国の「ホイアン」にて」一部再掲載

 →この日はオーダーの時に相方が パクチー(シャンツアイ)をたっぷり使って下さい、と念を押した。日本人とみるとネギやほかの野菜を使うからだ。

 この日は一人客を入れて 我々と同じ時間帯に入れ替わり立ち替わり7組の客がいたが 日本人の客は二組だった。

ベトナム人のシェフ達にホール係もベトナム人のこの店は東京の東部地区に多く住むベトナム人の食事の拠り所なのかと思う。

 一椀や一皿のボリュームは中国料理と同じで基本 多人数で飲食する量なのがわかっているので オーダーは2品だけで十分だ。

まずは パパイヤサラダ。なんともおいしい! 現地の調味料をそのまま使っているからニョクマム(魚醬)の味もした。

頼んだ通りパクチー(コリアンダー)はベトナム人の客に出すのと同じように使われて出てきた。

もう一品のメインの麺はブンボーフェ

二品だけのボリュームたっぷりのオーダー品は 全く余すところなく きれいに二人の腹中に納まった(笑)。

最後に蓮茶を飲んでさっぱりした。蓮茶は常連になった日本人客へのオーナーの心遣いだった。

この場では腹いっぱいで食べられないのでテイクアウトでバイミーを頼んで持って帰って夜食にした。

ベトナムはフランスの植民地だった歴史からパンが旨い国でパンを使ったバイミーは定番の食物だ。

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阿智胡地亭便り #32 シャンツアイが茂った  2003.08.16記

*どこの国の空港も 飛行機から外に出るとその空港特有の匂いがします。シンガポール空港(旧空港)のシャンツアイ(香菜)の匂いのように。

(行った人はご存じのように、彼らはどんな料理にも最後に三つ葉かパセリのようにこのハッパをのせます。

シャンツアイは最初あぶらむしの臭いやと思いましたが、すぐに好きになり今も種を買って夏は家のプランターで栽培しています。

ボク以外家族の誰も食べませんが。
                     
 今年もベランダのプランターでシャンツアイ(香菜)が青々とした葉をつけている。最初のものは枯らしてしまい、

今のシャンツアイは神戸元町の「ブハラ」というインド料理屋か、六甲道の「上海外灘(バンド)」という中華料理店で食べた帰りに、

袋入りの種を貰ったのがうまく育って毎年開花し、種を取り、代々続いている2代目だ。

 先日、相方がプランターから摘み取って台所に持っていくのが、その香りというか匂いですぐわかった。

晩飯は確かニホンメシと言っていたのに何に使うのかと思っていたら、豆腐の澄まし汁に振り掛けて出てきた。

何の違和感もなく、澄まし汁に合う。和食系にも三つ葉の代用でなくそのまま使えるんだと思った。



シャンツアイは強烈な青臭い匂いがするので、中国、台湾、東南アジアへ行くと、半分冗談ながらこれを食べられるかどうかで、

土地に適応出来るかどうかのリトマス試験紙みたいに使われることがある。好きか嫌いかだけだから、

嫌なら「シャンツアイ プーヤオ」(香菜不要)と言えばいいのだが、シンガポールあたりでは何にでも乗せてくるので、慣れた方が早いような気がする。

ボクは一番始めは、ジャカルタのホテルの中華の店のヤキメシの一口で、この変わった葉っぱは何ですかと聞き、これはうまいと思った。

  貿易部員として、8年間アジアを担当したが、幸いなことにどこの街に行っても食べ物で手がでないものは一つもなかった。

というか中国人(韓国以外は東南アジアも基本は華人系食事)が食うものに不味いものはないという思いは強まったし、今でもそう思っている。

1cmの葉っぱ1枚でもいい匂い(ボクにとって)が台所中に漂うほど独特かつ強烈なので、最初は家族に総スカンを食ったが、

 一人でチキンラーメンや焼き飯、ヤキソバにも乗せて食べているうちに、家族も慣れてきて今や家族全員がおいしいと食べるようになった。

やはり独特のウマミがあるのだろう。そしてプランターの春の植え付けも相方がしてくれるようになった。

ある曲が流れてくると、子供の頃のある場面が浮かんでくるように、匂いも時々ある状況を思い出させる。

 家で匂いがするとスマトラ島のメダンからトバ湖へ向かう山中で、車が道に迷い、時分どきになってしまい、

路傍に一軒だけあった店で食べたホーコー鍋(火鍋)にたっぷり乗っていたシャンツアイを思い出したりする。

今では阪神間の殆どのスーパーで売っている香菜(シャンツアイ)、日本人の何でも試してみて良かったら取り入れる能力は全然変わっていない。

  今年も茂ったとさ。

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