笠利町節田(かさりちょう せった)にある奄美空港から名瀬市街地
まで車で50分程の道のりの中ほどでしょうか、龍郷町役場の手前に
この看板があります。
チェックイン前、どこ行こうか迷います。
西郷隆盛の謫居跡に行きました。
流謫,謫居、難しい漢字ですねぇ、お役人さんもこっそり辞書で調べるの
でしょうか。goo で調べようにも漢字が簡単にはでてきません。
[たっきょ]=とがめを受けて引きこもっていること、また、罰せられ遠方に
配流されること、だそうです。「また、その住まい」とはでてませんが、
写真下は住まいです。(あらかじめ、連絡すると家の中を見せてもらえる
と思います。)
案内板の流謫跡(るたくせき)は、この住まいの少し手前にある西郷松
(西郷が船のとも綱を結んだ松)も含んでいるのかも知れません。
「松だけ見て住まいは見なかった」という人もいます。
海音寺潮五郎の小説『西郷と大久保』には、西郷の乗った福徳丸は
正月11日の払暁(夜明けがた)出帆して、「風が実によく」、翌日の昼ごろに、
「アザン崎」に着いたとあります。
現在の定期船は、鹿児島を毎日夕方6時過ぎに出て名瀬に着くのは早朝
6時前です。
「アザン崎」はバス停には阿丹崎とある。
「西郷潜居の地」龍郷村に西郷は三年余留まったということです。