この記事は書きかけです。(2/24日の写真)
写真は拡大します(以下同じ)
↑ ここ 龍郷町嘉渡の地図
この得藤長の説明版は、県道81号線沿いにあって、↑ ストリートビューでも見ることができます。
大島紬の龍郷柄 集落名 嘉渡(かど)の由来などについて龍郷町のHPで知る。
===========嘉渡(かど)から北へ走る。
龍郷町久場(くば)
海音寺潮五郎の小説『西郷と大久保』には、西郷の乗った福徳丸は正月11日の払暁(夜明けがた)出帆して、「風が実によく」、翌日の昼ごろに、「アザン崎」に着いたとあります。
現在の定期船は、鹿児島を毎日夕方6時ごろに出て名瀬に着くのは早朝6時前です。「アザン崎」はバス停には阿丹崎とある。
「西郷潜居の地」龍郷村に西郷は三年余留まったということです。
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「阿丹崎」の英語・英訳 - 英和辞典・和英辞典 Weblio辞書
January 4, 1859, Saigo left Yamagawa port, then rode out to the Shichito-nada ocean area through Naze and arrived at the place of refuge called Atansaki, Tatsugo-mura, Amamioshima on January, 12.
↑バス停「阿丹崎」横の西郷松。県道81号
西郷隆盛が流刑の地、龍郷に着いたとき船のとも綱を結んだといわれるリュウキュウマツ(樹周約4M 推定樹齢250年)。
病気や塩害、白アリによる被害で平成23年6月に「立ち枯れ」と診断。
現在は、幹、枝が切り落とされ、写真赤○の部分のみ。
阿丹崎の地図 ストリートビューで枝を切り落とされた西郷松を見ることが出来ます。
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阿丹崎からさらに少し走り、西郷南洲流謫跡 (さいごうなんしゅうるたくあと)
つづく