『日米同盟と原発』 隠された核の戦後史 [単行本]
中日新聞社会部 (編集)
amazon 内容(「BOOK」データベースより)
世界唯一の被爆国がなぜ原発大国になったのか。米外交史料と百人以上の証言で解明したもう一つの昭和史。
amazon 登録情報
単行本(ソフトカバー): 264ページ
出版社: 東京新聞出版局 (2013/11/18)
言語: 日本語
発売日: 2013/11/18
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まだamazon カスタマーレビューが3件しかないのは意外だ。
タイトルがいまひとつ、ピンと来ず、サブタイトルが興味を引き目次へと進んだ。読後は妙に納得。
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「歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」
E.H.カー(『歴史とは何か』岩波新書)
「歴史を学ばなけれれば、歴史が教えにくる」 マンスフィールド元駐日大使
~~~~ ↑ 本書あとがき
きのうのニュース、「天安門事件から25年、重圧下の共産党批判押さえ込む」
TVやツイッターなどでは、「日本に対しては歴史を直視せと迫りながら、自らの歴史から目をそらす」などの中国政府批判の論調もいくつかみられた。
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「人間は歴史から学ばない、ということを、わたしたちは歴史から学ぶ」
(へーゲル)
原発について、エネルギーや経済、科学技術の分野からだけでなく歴史の視点からアプローチする。
「自分こそ正義」の声高の批判ではなく客観的な事実をつみあげる緻密な調査報道は、「原子力ムラ」の元官僚の態度をも一変させ、取材協力にも応じさせた。
時系列
戦時下の日本でも原爆開発計画はあった。
広島長崎につづいて三度目の原爆被害、第五福竜丸事件(1954年3月1日、アメリカ軍の水素爆弾実験によっていわゆる死の灰を浴びた、遠洋マグロ漁船)
このあたりから記憶が鮮明になる。
ここでも核のおそろしさは隠蔽、封印された。原因は「サンゴの粉塵」と。P81
「平和利用」の大儀がもちあがる。 第5章 毒をもって毒を制す1955~57 (P92)
アメリカによる日本人の核アレルギー緩和策に日本のマスコミが乗る。
第6章 アカシアの雨 核の傘1957~72
「平和利用でバラ色」
「日米安保闘争」と関連付けて語られることが多くある「アカシアの雨がやむとき」1960年4月(西田佐知子)
支持の背景には1960年1月の日米安全保障条約調印。安保闘争後、反対運動の成果ゼロという結果に疲れた若者たちが廃頽的な詞に共鳴したといわれる。
そして、
「デモは終わった就職だ」P123
このフレーズで検索するとwikipedia 「就職活動抗議デモ」がトップ表示された。
隔世の感があると同時に歴史は繰り返すのかの感もある。
首相岸信介(60)は1957年5/7日 自衛のための核保有なら「合憲」という考え方を示す。
1960年代、高度経済成長と共に日本の電力需要が高まり、エネルギーの活路を原子力発電に求めた。
東海発電所
日本初の商業用黒鉛炉かつ商業用原子力発電所。
1960年1月に着工し、1965年5月、日本初の商業用原子炉となった。
安全性や核廃棄物の問題は安保闘争当時から指摘されていたが、技術で克服できると考えられ、安保闘争とは結びつかなかった。
そして原発事故・・・。
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奄美には原発はないのだが、電力の歴史はやや複雑だ。
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日米同盟と原発 隠された核の戦後史 価格:¥ 1,728(税込) 発売日:2013-11-21 |