『旅の一句』 : 奄美と大西郷に出会う
川井田健一 著
5月新着図書。
貸し出し中につき予約して借りた。
2014年5月29日 (木曜日)
『かごしま俳句紀行』 [単行本] につづいての俳句本。
新聞連載を本にまとめたもので、52句にそれぞれ写真と句の解説がついている。
著者は鹿児島県に生まれ育ち50歳を過ぎるまでほとんど奄美のことを知らずにいたが単身赴任の二年間で奄美の魅力にとりつかれて作った句。
著者が出版を決意した理由の一つ目がそれで、二つ目は、奄美群島日本復帰60年、
三つ目がサブタイトルの大西郷。
二度目の島流しの沖永良部から赦免され日が1864年3月29日で今年はそれから150年目。
それ以降京都へ出た西郷は禁門の変(1864年8月20日)で活躍し、維新への一直線を走り出す。本書には西郷隆盛のCDが付いていて、「さつまびと」でyoutube検索して聴くこともできる。
俳句好き、そしておそらく歴史好きの人にとっては、観光ガイドブックよりも深いだろう。
奄美にこれだけの史跡があるとは、改めて驚かされる。本書は史跡だけではないが、
喜界島の僧俊寛とその後の奄美の平家の落人伝説についてwikipediaで調べてみた。
俊寛(しゅんかん(1143年) - 1179年)平安時代後期の真言宗の僧
村上源氏の出身で後白河法皇の側近で法勝寺執行の地位にあった。安元3年(1177年)、藤原成親・西光らの平氏打倒の陰謀に加わって鹿ヶ谷の俊寛の山荘で密議が行われた(ただし、『愚管抄』によれば、信西の子・静賢の山荘で密談が行われたとされている)。だが、密告により陰謀は露見し、俊寛は藤原成経・平康頼と共に鬼界ヶ島(薩摩国)へ配流された。(鹿ケ谷の陰謀)
どこか、幕末のお由羅騒動に関係して奄美大島に流された名越左源太を思い出すような。
俊寛を知るためには、
鹿ケ谷の陰謀
鹿ケ谷の陰謀(ししがたにのいんぼう)は、平安時代の安元3年(1177年)6月に京都で起こった、平家打倒の陰謀事件。京都、東山鹿ヶ谷(現在の京都市左京区)の静賢法印(信西の子)の山荘で謀議が行われたとされ、このように呼ばれる。近年では、この陰謀が平清盛によってでっち上げられたものだとする説もあり、「鹿ヶ谷事件」と著す学者もいる。
俊寛が流された鬼界ヶ島の場所については、鹿児島県大島郡喜界町の喜界島、鹿児島県鹿児島郡三島村の硫黄島、長崎県長崎市の伊王島など諸説ありはっきりしていない。また、ひそかに島を脱出したという説も多く、鹿児島県阿久根市や出水市、佐賀県佐賀市などにも俊寛に関する言い伝えが残っている。
日本全国の平家の落人伝説
鹿児島県大島郡(奄美群島) 平家一門の平資盛が、壇ノ浦の戦いから落ち延びて約3年間喜界島に潜伏、弟の平有盛、いとこの平行盛と合流して、ともに奄美大島に来訪したという。
それぞれの場所に実際に行ってみて句を詠むのいいだろう。まだまだ歴史上重要なポイントとなった場所もあって興味は尽きない。