『日本人の朝鮮観』 ―なぜ近くて遠い隣人なのか 単行本 – 2016/3/26
小倉 和夫 (著)
小倉 和夫 (著)
5つ星のうち 2.0
2件のカスタマーレビュー
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amazon 内容(「BOOK」データベースより)
韓国大使、フランス大使を歴任した元外交官が距離感の深層に迫る。日本書紀、古事記、源氏物語、平家物語、太平記、歌舞伎、「征韓論」、与謝野鉄幹、高浜虚子、平林たい子、小田実、中上健次―。古代から現代まで、日本人は朝鮮をどのようにとらえてきたのか。我々日本人の心の奥底にある朝鮮観のDNAに迫る。
戦後最悪と言われる日韓関係は悪化の一途をたどっているかに見える中、
きょうのながらラジオからは、河野太郎外相と、韓国の康京和(カン・ギョンファ)外相がバンコクで会談(日本の対韓輸出規制や元徴用工訴訟問題についての協議)というニュース。
読了から時間がたってしまった。
本書は2016年の本ですが、
いちおうこれも西郷関連本のつもり。
本書は2016年の本ですが、
いちおうこれも西郷関連本のつもり。
それはさておき、昼のワイドナショー(毎日20分ほど見ます
日韓間の問題を取り上げるチャンネルが主です。今日は参院選挙関連の話題だったかな)
日韓間の問題を取り上げるチャンネルが主です。今日は参院選挙関連の話題だったかな)
でも日韓関係の悪化はよく取り上げられている。
書店でも依然みかける嫌韓本。
TVを見るように、
このコメンテーターはどちらの肩をもつ意見か?
この局は?
といった、白黒、右左決着をつけたがる見方と同じような興味で本書を読んでも
結局は肩透かしをくらった感が残ってしまうだろう。
このコメンテーターはどちらの肩をもつ意見か?
この局は?
といった、白黒、右左決着をつけたがる見方と同じような興味で本書を読んでも
結局は肩透かしをくらった感が残ってしまうだろう。
本書のタイトルは「日本人の朝鮮観」だ。
それと、もう一つのみかた。
たとえば、wiki朝鮮の歴史
「停滞性論=朝鮮の歴史は、日本のような中世の封建制がなく、古代のまま停滞しており、日本の平安時代のレベルに止まっている」
とか
たとえば、wiki朝鮮の歴史
「停滞性論=朝鮮の歴史は、日本のような中世の封建制がなく、古代のまま停滞しており、日本の平安時代のレベルに止まっている」
とか
「他律性論=朝鮮の歴史は、常に外部の勢力によって他律的に動かされてきたという
李氏朝鮮王朝時代の官僚・支配機構に見られる両班(やんばん)とその他の庶民との関係と
いった身分制度についての詳しい知識を得ようとしとしても、本書は、肩透かしをくらうだろう。本書のタイトルは「日本人の朝鮮観」で、副題は、「―なぜ近くて遠い隣人なのか」だ。
隣国ではなく「隣人」ということも留意しなければならないかも知れない。
李氏朝鮮王朝時代の官僚・支配機構に見られる両班(やんばん)とその他の庶民との関係と
いった身分制度についての詳しい知識を得ようとしとしても、本書は、肩透かしをくらうだろう。本書のタイトルは「日本人の朝鮮観」で、副題は、「―なぜ近くて遠い隣人なのか」だ。
隣国ではなく「隣人」ということも留意しなければならないかも知れない。
これらの歴史についての知識は、当然の前提としているのかもしれない。
日本書紀、古事記、源氏物語、平家物語、太平記、歌舞伎、「征韓論」、与謝野鉄幹、高浜虚子、平林たい子、小田実、中上健次、などの観た朝鮮や朝鮮人についての感じかた、
よくこれだけの資料を読み込んだものだと思うほどの幅広さは、どうやってアウトプット
したのだろうかと驚くほどだ。しかも読みやすい。
日本書紀、古事記、源氏物語、平家物語、太平記、歌舞伎、「征韓論」、与謝野鉄幹、高浜虚子、平林たい子、小田実、中上健次、などの観た朝鮮や朝鮮人についての感じかた、
よくこれだけの資料を読み込んだものだと思うほどの幅広さは、どうやってアウトプット
したのだろうかと驚くほどだ。しかも読みやすい。
西郷隆盛については以下の結論だった。
p99もっとも、西郷の征韓論は、表面的な主張のうらに、当時の政治状況にたいする西郷一流の策略があったとする見方もあり、当時の政治家の朝鮮観は、各々の政治的立場によって粉飾されており、その深層の考え方を正確に把握することは難しいともいえる。P99
ここでいう「西郷一流の策略があったとする見方」とは、
毛利 敏彦『明治六年政変の研究』(有斐閣、1978年)
「(この政変は)征韓論を巡って政府が分裂した事件ではない。また西郷は公式の場で一度も朝鮮出兵を主張しておらず、むしろ砲艦外交を主張していた板垣退助を戒めるほどの道義外交(平和外交)論者であったwiki」という主張などが脚注にあった。
毛利 敏彦『明治六年政変の研究』(有斐閣、1978年)
「(この政変は)征韓論を巡って政府が分裂した事件ではない。また西郷は公式の場で一度も朝鮮出兵を主張しておらず、むしろ砲艦外交を主張していた板垣退助を戒めるほどの道義外交(平和外交)論者であったwiki」という主張などが脚注にあった。
著者は、主張、私見を控え、断定を避けようとしているようでもあり、深層へ深層へといざなっているようにも思えた。
近くて遠い隣人。ワイドショーの議論は、いつも平行線だ。
もしあの時、西郷が実際に朝鮮に行っていたら?
と考えても・・・。
と考えても・・・。