首長の暴走: あくね問題の政治学 [単行本]
平井 一臣 (著)
amamzon 内容説明
阿久根市と竹原市長の思想や言動を3つの視点で考察。日本の政治・社会の困難さ・危うさを解明する。
amazon 内容(「BOOK」データベースより)
「改革派」首長で暮らしは変わるか。政治的リーダーシップ、マスコミの危機、ジェラシーの政治、の3視点から現代日本の政治、社会の困難さ・危うさを考える。
録情報
単行本: 170ページ
出版社: 法律文化社 (2011/5/31)
言語 日本語
発売日: 2011/5/31
商品の寸法: 18 x 12.2 x 1.4 cm
竹原元阿久根市長は奄美名瀬にも講演に来ているはずだが、あまり詳しく知らないので、「ブログ市長」呼ばれる前のその人となりや、支持の背景など知りたくて読んでみたのですが、ネットで簡単に得られる情報以上の事実関係はほとんどなかった。
今は昔、80年代「奄美選挙」で全国的に注目を浴びた「保徳戦争」時代や政治的位相が異なるとは言え、日本政治史 地域政治が専攻の鹿児島の学者なら、なんかコメントが得られるのでは?との期待もあったが、「あとがき」でいわく「奄美と阿久根。偶然ではあるがローマ字表記にするといずれもAで始る。」これだけ。ギャグではない。本文でよく「喩え」が使われるが、市長の政治手法を145点の入らないサッカーが面白くないといって、ゴールに手でボールを投げ込むことに喩え、それにマスコミも好意的とみている。この喩えも竹原市長同様ランボウではないかと思った。点が中々入らないところがサッカーの面白さであることはやればすぐにわかると思うのだが。
全国の改革派首長との比較でも、田舎あつかい的な視点が見える。
「生もの」を扱うメディアに対し、メディアにとっては役立たずの、がらくた同然の学問である人文・社会科学の「干物」の知が必要とと説いた『姜尚中の政治学入門』(集英社新書)2006.2 のあとがきを思い出した。
本書でも、515事件やマックスウェバーなどの「干物」も出てくるが、唐突で噛んでもも味がなく異物感が。姜尚中がいう「干物」の知識を生かす「第六感」の働きがあれは、もう少し中立性客観性が感じられたかも知れない。
首長の暴走: あくね問題の政治学 価格:¥ 2,100(税込) 発売日:2011-05-31 |