「征韓論政変」の真相 歴史家の史料批判を問う 単行本 – 2014/12/29
川道麟太郎 (著)
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西郷隆盛らは征韓論争に敗れて下野したのではない。歴史家が語る「征韓論政変」の虚構性と、その原因が史料の勝手な解釈や使い方、史料批判の欠如にあることを明らかにし、政変の真相を究明する。
amazon 登録情報
単行本: 320ページ
出版社: 勉誠出版 (2014/12/29)
言語: 日本語
発売日: 2014/12/29
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5月の新着図書だが
本書を手にする前には、重箱の隅をつつくような印象をもったが、副題の「歴史家の史料批判を問う」とあるのでぱらぱらめくって「征韓論政変」の虚構性と、その原因が彼らの史料批判の欠如にあることを明らかにする、という部分を読んで、借りることに決めた。
『「征韓論政変」の虚構性』より『彼ら(歴史家」の史料批判の欠如』の部分に興味があった。超スピードでつまみ読みするつもりだった。
著者は工学部教授の経歴。
前著に、西郷「征韓論」の真相―歴史家の虚構をただす2014/5/30 がある。
本書をかいつまんで説明するには、非力で気がひけるが
西郷の10月15日付「始末書」
大久保の「七ケ条意見書」
「木戸孝允文書」
「岩倉公実記」「明治天皇紀」
などの(二次)史料の信頼性の検証などが主だろうう。
読んでいくうちに
推理小説のような、当時にタイムスリップするような面白さを感じて、最後まで読んでしまった。
本書のさいごで著者は述べている。
前著でみたように西郷の朝鮮遣使論について歴史家が「征韓論」と「交渉説」をそれぞれに主張して、「戦争と平和」ほどに違う両説が今なお斯界に併存しているのも、まさしく史料がそれぞれに都合よく使われていることの証左であろう。
本書の主眼は「征韓論」と「交渉説」の問題ではなく、政変の本質問題(権力闘争)に迫っているように思えた。
西郷の主張は「征韓」と呼ばれても、他の歴史の出来事と比べても仕方ないことで、まあ目くじらを立てるほどのことではない(平和交渉や国交回復のための単なる遣使論ではない)にしても、この明治6年の政変は「征韓論政変」と読んではことの本質を見逃してしまう危険が大きいと、いうことだと私は理解した。
歴史の解釈に答えはひとつとは限らない。それぞれ多様な見方があってよいが、
しかしそれをいい事に、あまりにみずからに都合のよいかってな解釈は慎むべきということであろう。
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6月4日開かれた衆院憲法審査会で、自民党が推薦した学者を含む参考人全員が、安全保障関連法案を「憲法違反」と断じたことが波紋を広げている。
国の根幹法である憲法の条文解釈にしても、相反する解釈が存在する。
歴史と憲法の解釈は、違うと思うが、どこか共通する点があるように思えた読後感であった。
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以下は本書をよみながらネット検索などで私なりに整理した「明治6年の政変」の簡単な経過説明です。
岩倉使節団(政府首脳陣や留学生を含む総勢107名)の帰国は当初の予定から大幅に遅れ、出発から1年10か月後の
★明治6年(1873年)9月13日であった。
留守政府の内紛にたまりかねた三条実美は、大蔵卿の大久保と参議の木戸に早期帰国命令を発令。
★8月17日、閣議で西郷を朝鮮へ派遣することが決まる(岩倉帰国前)。
★翌18日 明治天皇は「岩倉具視の帰国を待ち、岩倉と熟議した上で再度上奏するようにと、西郷派遣案を却下。
★(岩倉の帰国は9月13日)
★10月14日 - 15日の閣議で、採決は同数になる。
西郷辞任を恐れ議長の三条が即時派遣を決定。
これに対し大久保、木戸、大隈、大木は辞表を提出、岩倉も辞意を表明。
★17日(18日早暁?)、どちらかといえば西郷派遣に反対の三条がに過度のストレスから倒れ、意識不明に陥る
☆大久保「一つの秘策」
★20日には岩倉が太政大臣代理に就任。
★22日、西郷・板垣・副島・江藤が岩倉私邸を訪れ派遣決定の上奏を要求する
★23日、岩倉は派遣決定と派遣延期の両論を上奏。明治天皇は岩倉の意見を採用し、西郷派遣は無期延期の幻となった。
大久保は事前に宮内卿徳大寺実則に対し、西郷らが明治天皇に直訴しに来ても会わせないようにと根回しを行っていた。
★23日西郷辞表提出
★24日板垣、後藤、江藤、副島辞表提出
★25日受理 西郷に近い征韓論支持の官僚・軍人が多数辞職。
★佐賀藩の江藤新平によって失脚に追い込まれていた長州閥の山縣有朋と井上馨は西郷、江藤らの辞任後しばらくしてから公職に復帰を果たす。佐賀の乱は「大久保利通の陰謀?
★この政変が士族反乱や自由民権運動の発端ともなった。
========================↑ この過程で知ったこと ↓
征韓論 policy of conquering Korea by military force
The Korean invasion
★鹿児島県の伊藤祐一郎知事が、教科書会社に西郷隆盛の征韓論を遣韓論にするよう要望し、一社がそれに従ったという報道(2007年)があったことを知った。
★佐賀の乱→佐賀の役 佐賀市議会で改称論議再燃
江藤と敵対していた大久保利通の陰謀説
佐賀新聞 2011年09月09日更新