きょうの名瀬
25.9 ~ 33.9 ℃
2日に梅雨明けが発表された奄美地方では、きょう3日も、
高気圧に覆われて夏らしい青空が広がり、
奄美市名瀬で33.9度を観測。きのうの今年一番の暑さをさらに0.2度上回った。
名瀬港から車で10分ほどの大浜海岸付近の東シナ海側には、
日中の引き潮で大きなさんご礁の美しいグラデーションがつづいているのが見られる。
リーフでは、平日とあってかウニを採る人の姿はあまりみられなかったが、一部でウニ採捕の有料化へ踏み切ったところもあって、これまでウニ漁にはあまり関心をしめさなかった釣り人たちの間にも関心がひろがっており、梅雨明け発表から初の週末となる今度の土日には、リーフの上には大勢の人たちの姿が見られることになりそうだ。
初めてリーフウォーキングをする人たちには、マナーとともに十分な暑さ対策をわすれないよう、おじさんはよびかけている。現場海岸のトイレなどの施設のチェックもお忘れなく。
↑ 去年のきょう 7/3 (月)
Coral reef walking ウニ採りのようす(ビデオ後半) 服装などの参考に
はじめて見ます。殻は、奄美の海岸で見つけましたが、内地のウニとはぜんぜん違いますね。
そのまま醤油で食べるのですか?
>そのまま醤油で食べるのですか?
しょうゆだと、あれですね、味がわからなくなりますね。
レモンとかもありますが、
やはり、あれですね
新鮮なうにはそのまま食べるのが一番です。
できれば現場の海岸でね。
あと、あつあつのご飯にのせて、ふ~ふ~っとかいいながら食べるのもいいです。調味料はいりません。豆腐とネギのみそ汁があれば、もう、じょうとうでございます。
玉子焼きにまぜたら、誰もウニの存在に気づかないので注意が必要です(笑)。
あと手のこんだ調理例は、このブログの翌日の記事のリンクを参考にしてください。
>>新鮮なうに >>できれば現場の海岸でね。
収穫を終え、アダンの木陰。涼しい風がふいております。
さんご礁の向こうには、♪水面(みなも)は走る白いふね。
走るのは水面ですね。
割り箸をパチンとわって、適量にもられたウニを
ひとつぶ、または、ふたつぶつまんで、ほおばります。
落語家のような大きな仕草で、ゆっくり、もぐもぐ。
磯のかおりを楽しみながらゴクンと飲み込み、
舌鼓を2度ほどうちます。
アダン木の下ではビールが
いいでしょうね。
一杯のみほしたところで、一言、おっしゃってください。
この場合は山口弁ですね。
ーーーーーーー
セミがないております。
アダン林のうしろの山では、
毎年、この時期になりますと
アカショウビンの巣立ちがみられるのでございます。
思い起こせば四十年前、一回きりのつもりで始まった
映画『男はつらいよ』は、最終48作目で、奄美大島に
やってきた満男の話で終わるのございます。
大人になった満男がある日、叔父さんの寅さんに、
こう聞きます。
「叔父さん、人間は何のために生きてるのかな」
この問いに即座にこたえられる大人は、現在なかなかいないのでございますが・・・。
遠くのほうからアカショウビンの声が聞こえております。
水面を走る白い船は、さんご礁に砕ける白い波のかなたへと
しだいに見えなくなってまいります。
満男に対し、寅さんは、こお、言うのです。
「何て言うかな、ほら、
あ-生まれて来てよかったなって、思うことが何べんかあるだろう?、そのために人間生きてんじゃねえのか」 第39作寅次郎物語
うーむ
アダンの木陰で採りたてのウニを食べるということは
そお、おもう瞬間のひとつでもございますね。
ま、しょうゆは、お好みによって。
そのとおりなんだすよお。
だから、僕ぁ、
音楽も映画を創ることも
ジコジツゲンだの
ユメノジツゲンだの
それで身を立てたいだの
そんなこたあ考えちゃござんせん。
「あー、生まれてきてよかったなあ」
って思えて、
うまい酒が飲めるためにやっているだけなんです。
最近、若い人が
「俺はもう駄目だ」
「就職が理想どおりに行かなかった」
「誰でもいいから殺して俺も死刑になって死んでやる」
なんて、通り魔をしたりしてる昨今でござんすが
どこの誰にそんなキュウクツな人生論、
教わったんですかねえ。
寅さん、観た事ないのかねえ。
一流企業に入ったって
夢を実現できてそれで飯を食えるようになったからって
不幸せな人は沢山いるんだぜ。
人生なんつーのは
もっと単純で
もっと細やかで
世間と比較するようなもんじゃないんだ。
人を殺す前に
そんなことを教えてあげる人が
彼らの周りにいたらなあ・・・。
以下のドラマは、フィクションであり、製作途上のものです。
>そんなことを教えてあげる人が
>彼らの周りにいたらなあ・・・。
そうなんだよなあ
いまでこそ、三茶もハイソでオサレな街と言われるようだが、
三茶フリークならずとも
三軒茶屋の釣堀は、有名よー。
奄美大島にも聞こえるほどなんだ(nhkラジオだがな)。
東急三軒茶屋駅からも首都高三茶出口からも3分ってえ便利なところにあるんだ。
ここはもう40年も営業やってるんだ。
そこは、ウニはとれないが、金魚を釣るんだ。奥が深いよ。
しろゆきは、土日ではなく、人様が学校や会社で働く平日の昼間に行くの好きだったんだ。
そのころはね、城雪君、いろんなおじさんたちがいてね。
「ぼうや、昼真っから、あそんでちゃあいけないよ、
一生懸命勉強して立派な公務員になるんだぞ。勉強しないとおじさんみたいになっちまうぜ」
あるいは、
「しろゆきぃ、勉強ばかりせば、いかんどお。」
というおじさん。しろゆき君は、そのおじさんを見て、すこしは勉強する気になったりしたものだった。
思いおこせば、あれから40年、あのおじさんがくれた
びんいりのオレンヂジユウスは、20円だったかなあ。おいしかったなあ。自由の味がした。
オレンヂジユウスをあけるには栓抜きが必要だったんだ。
あのおじさん、いつも栓抜きをつかわないであけるのだったねえ。ぼくは、紙のふたで牛乳瓶に入っていたヨーグルをくれればいいのになあ、と、それを見て、いっつも思っていたんだ。
いろんな、おじさんが、ただいるだけで、じんせいを教えてくれていたのになあ、あのころは。
つづく
すごすぎ。
これは都市論、地域社会論になるわけですが、
昔の町や村には
いろんな人が住んでたんですね。
僕の子供の頃も
今じゃ使っちゃいけない言葉らしいけど
乞食のような人や
知的障害のおじさんとかが
町を散歩してて
僕らも声を掛けて
一緒に遊んだりもしたもんです。
そして町の中には
ポルノ映画館があったり
いかがわしい飲み屋やキャバレーがあって。
神戸須磨区の
児童連続殺傷事件があった
あの地域というのは
新興住宅地で
区画整理がしっかりしてて
住んでいる人も均一化されていて
(たぶんサラリーマンが多いんじゃないかな)
すき間のない町だそうです。
ああ、こんな風に生きていってもいいんだ、
落ちこぼれても悪い事じゃないんだ、
と空想できない町なんですね。
僕は三軒茶屋の寅ですからね、
なるべく道端で酔っ払ってねっころがって、
子供にも身の丈以上の説教もたれる
そんな風天になりたいし
なりかけておりますよお。