奄美 海風blog

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九月の山、晴れ、September

2006年09月02日 | 山歩き

060902sato

暑かった8月は、台風もなくおわり、今日の山はとてもSeptember な感じになりました。

名瀬12時 31.2度 降水0.0 北北東 3m/s日照 0.8 湿度58 気圧1006.0

060902mountain1

ダイトカイ名瀬の市街地の喧騒を離れること、10分あまり。

幾重にも連なる山々の峰を見晴るかす林道で車をとめれば、
ふかぶかとした亜熱帯の森から、美しい珊瑚の海へと下り流れる川のせせらぐ音が聞えてきます。

060902mountain2 照葉樹が、陽射しをさえぎり、ひんやりとした森のなか。
リュウキュウ松の梢には、岩清水の流れる音にメジロたちが、心地よい伴奏を奏でに訪れます。

立ち止まり、天を振りあおげば、ひかげへごの葉のすきまから、あおあおとした快晴のそら。

ウラジロガシの大木から、ひらひらと落葉が一枚、途中、蜘蛛の糸にかかり、落下をやめてしまいました。
かわりに、木漏れ日の光と影を縫うようにリュウキュウアサギマダラのつがい?が、たわむれながら螺旋を描き、上空へと登っていきます。

森の奥からはリュウキュウアカショウビンの声も聞えてまいります。
トンボやそのほかの生き物たちも、それぞれの領域で太古の昔から久遠の未来へ続く、この島のたゆみない生命の営みを続けています。

清水を集めて流れる小川におり、もりを吹き渡るさわやかな風に身を休め、水のながれに心をひらけば、ケンムンの物語りも聞えてくる、豊かな命育む亜熱帯の島、森の小川のせせらぎのなんと饒舌なことでありましょうか。

お送りしておりますこの音楽(←ありません)とともに、この水がとけ込んでいく海が、いつまでも、美しい海でありますようにと、願わずにはいられません。

うーmm、mountain stream !September 練習編

060902mountain3


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5 コメント

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豊かな自然に囲まれ (鎌田浩宮)
2006-09-04 17:12:58
豊かな自然に囲まれ
生活しているおじさん。
素敵だなあ。
夕方、こんな自然のある所で
ビールと枝豆なんつったら
とっても幸せになれそう。
(と、すぐ酒の話になっちゃいますが)

家の外で飲むビールは
旨いもんです・・・。

こちらも、気温は変わんないんですけど
湿気がなくなって
心地いい気候ですよ。
夏の終わりです・・・。
返信する
鎌田さん、コメントありがとうございます。 (管理人)
2006-09-05 21:10:56
鎌田さん、コメントありがとうございます。

ジョー!うれしいこと言ってくれるじゃぁないか。
ありがとよ、グスン。

ジョー!おまえさん、寅さん好きだってえじゃねーか。
へへへ、そいつぁーいいさな。

なあに、昨日、渥美清・「知られざる役者人生」没後10年・名優が歩んだ波乱の人生を追う をみちまったのさ。へへへ。

お前さんの言ってた、スーパーマンの話よ、あれ、奄美でのインタビューなんだぜ。へへへ、なーに、おまえさんのBBS、みちまったのさ。

それにようおジョー!

山田洋次監督 東大相撲部で映画撮る

2006年9月4日(月) スポーツニッポン

 「男はつらいよ」シリーズなどで知られる映画監督で大相撲の横綱審議委員も務める山田洋次監督(74)が3日、母校・東大の相撲部名誉顧問に就任したことが発表された。さっそく東京・目黒区の東大駒場キャンパスで行われた「第29回東大京大定期戦」に足を運び、部員たちの試合を観戦。初めて触れた学生相撲に刺激を受け、相撲映画製作に意欲をのぞかせた。

全文を読む

http://movie.goo.ne.jp/contents/news/NFPkfuln20060904006002/index.html

なんてニュースもあるんだ。

どうだいジョー!

俺、いよいよカイセツ者なれっかな。

ホー、ソーかい?
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あ、BBS、読んでくださってるんですね! (鎌田浩宮)
2006-09-06 10:56:00
あ、BBS、読んでくださってるんですね!
あれ、奄美だったのか…。
より感慨深くなりました。
奄美は暖かくて、体の静養には素晴らしい場所です。
しかし渥美さんにはもう、死が近づいていて、静養の余裕もなかった…。

そんな中で、自分とスーパーマンを演じた役者をダブらせてて…。
返信する
鎌田さん、コメントありがとうございます。 (管理人)
2006-09-06 21:18:45
鎌田さん、コメントありがとうございます。

ストーリーやセリフでなくても、フレーズだけでも寅さんが演じると笑えました。

単語ひとつでも寅さんが言うと、おかしみや、かなしみがあります。

そういう意味でおじさんにとって寅さんは、「男はつらいよ」の作者でもあったのです。わかるかな、ジョー!。

演技をこえた役者魂、あ、いやそれをも越えた、うーん、うまくいえない。

ほくろひとつの動きで、時代の喜怒哀楽を表現してみせた渥美清は、いわゆる一人の、うーんうまくいえない。波瀾万丈の人生経験からにじみ出る演技は、ほかの人にはまねができません。その魅力に魅かれ、大勢の人々が毎年、劇場に足をはこんだのでした。おじさんもそのなかの一人なのです。そういう時代がわが国にもあったのですな。

もう二度とでない役者でしょうね。
これからも、作品とともに評価は高まるでしょう。
脇役の人たちの演技も見逃せません。

もう10年前になりますか、TVの追悼番組だったと思います。

監督はじめ、スタッフ、出演者とも私生活は一線を画し、ロケ地での宴席などにも顔出すこともなかったという渥美さん。その実人生は謎につつまれた部分もあるとか。

癌であることを悟られないように臨んだ奄美ロケ。楽屋に差し入れられた、地元の人からのたくさんのご馳走を前に座って食事をとる渥美清の映像がいまだに、強い印象として、おじさんの記憶に残っています。
見にいかなかったのが悔やまれます。

役に全霊を打ち込む神経質な寅さんの姿をTVで見て、いわゆるひとつの、衝撃を受けました。
奄美でのことだからなおさらです。慣れない気候のなか、唯でさえ厳しい体調管理を要求される自分の体のことを、渥美さは誰にも悟られてはならないのでした。あの衝撃は、寅さんを懐かしく思う気持ちを年々、大きくしているのです。

あれ以来、寅さんの映画をみるのがつらいよ、と思うことがあります。

唐突ですが、それは、田中一村の絵をみるのがつらいと思う時のあの感覚です。
こういう見方は、まっとうではないのかも知れませんが、有屋の終焉の家で描く一村の姿を思うと、あの細密な絵を見るのはつらい、と思うことがあるのです。
りっぱな美術館でみるとなおさらです。
つらいのよ、とおっしゃる人はおじさんだけではありませんよ。

まあ、寅さんと奄美の縁は不思議です。

まあ、このブログで、「トトラ山さん」が、ジョー!、ジョー!ジョー!と叫んでいるのも、なんで、こうなったのかなと思うとフシギなんですがね、ははは。

あの奄美でのインタビューも、ああして渥美さんが、受け入れてくれたのは、異例だそうです。
渥美さんがなくなったのは、その数ヶ月後だったと番組では言っていたと思います。どこの浜かは、忘れましたが、低い椅子に寅さんの衣装で座ってのインタビューだったかと思います。(その部分だけビデオが切れてしましましたがな、あーげー)

針金がなければ飛べない、かなしいスーパーマン。寅さんが引き合いに出したのは外国の映画でした。意味深長です。

映画のなかで手を振り過ぎた、愛嬌をふりまきすぎた寅さん。「かなしいねぇ」とインタビューで言ったのは、寅さんのことでしょうか、役者渥美清の人生のことだったのでしょうか、それとも人間、田所 康雄だったのでしょうか。
いえいえそれは、映画のなかの寅さんに熱中した「あなた」なのかもしれませんよ。ふふふふ。

ここんとこ、ムズカシイぜ。
わかるかなジョー!お前さんなら、わかるよなっ、ジョー!
言うているおじさんも、なにをいうているのだか、わからなくなってきちまったぜい。
返信する
素晴らしい文です。 (鎌田浩宮)
2006-09-07 17:20:02
素晴らしい文です。
寅さんと一村さんへの愛に満ちています。
1冊の寅さん本ほどの価値があります。

そしておじさんが、
僕と同じ寅さんを愛する人と知り、
嬉しい限りです。

渥美さんも、元気な頃は、
ファンに声を掛けられると、
気軽に笑顔を振りまいていたそうです。
元気な頃は、できるだけ
スーパーマン
であり続けたのです。

僕のような凡人は
時として
自己と
他者から見た自分
のギャップに戸惑うものです。
そして期待に応えようと
余計に演技もします。

元気な頃の渥美さんだって
ファンへの応対は
つらかったかもしれない。
しかし、彼の役者魂は
それで折れるものではなかったわけです。

僕は後年の渥美さんを見ていると
観音様か涅槃像か
仏に近いものに見えてきます。
僕は無宗教ですが
あんな人が仏だったら
なんと快いことか。
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