アイスキャンデーがおいしい季節になりました。
毎年食べている人は、別になつかしくないのかも。
人によってはいろいろな思い出も。
現在は一本42円で売られています。
若い人でも「あげ、なつかしい~ら」と言って買っていきます。
取り寄せて食べますか?
それともこれを食べに奄美まで?
格安航空券、検索googleしてみますか?
田中一村が通っていた紬工場のある、名瀬市大熊(だいくま)です。
当時、もう一棟、紬工場が建っていたはずですが、この工場でも
きょうもおばさんたちが機(のの)を織っていました。
大熊町は現在、都市計画が進められ、当時とは、だいぶ変わりました。
工場から、すこし行った角に、一村が、よく訪ねたという
魚屋さんがありました。冷蔵庫から出した魚を売り物にならなくなる
ほど、丹念にスケッチしていった、というエピソードのある魚屋さんです。
このエピソードは、奄美パークの田中一村記念美術館の出入り口近くの、
一村の生涯を紹介するビデオで見た人もいるかもしれません。
そのビデオでエピソードを語るご主人も、他界され、もう会う事は
できなくなりました。
右上の写真は、夕方工場の仕事を終えた一村が、ステテコ姿で
散策していた裏山へ上る小道です。当時の面影が残っていました。
そこに咲いていたゆりのような花。もしかしてめずらしいのかも、と
思って撮りました。
4枚目は、小道を登った丘から。「金鉱丸」と「宝勢丸」というカツオ
漁船が停泊する大熊漁港の向こうに見える「山羊島」は、建物に
かくれてしまいました。
この丘で子供の頃、夏休みの宿題の絵を描いていたら、ステテコ
をはいたオジサンに絵をほめられた、という話は何人かの人に
話しましたが、信じてもらえたのでしょうか。(笑)
去年、美術館で、一村がこの丘から撮ったに「違いない」写真を
見ました。前景にはソテツがありました。構図は宿題の絵とソックリ
だったのですが。(笑)いまだに証拠がありません。
田中一村記念美術館はここにあります。奄美空港から車で5分。
空港から名瀬市内行きのバスもここを経由します。
食べられた鉄は、中で溶けてしまうんでしょうか.。
「わかりません。」
むかし、だれか、木の中に大判、小判とか
隠した人はいないのでしょうかね。
「???」
この木は、とても気持ちのいい木陰をつくるんです。