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『明治維新150周年記念事業「明治維新と郷土の人々」』鹿児島県

2017年10月17日 | 本と雑誌

『明治維新150周年記念事業「明治維新と郷土の人々」』鹿児島県

発行 平成28年2月 鹿児島県知事公室政策調整課

教科書風で、味気ない気もするが、これだけの情報をコンパクトに一冊にまとめた本は
書店では、中々見つけられない。ネット上で読めます。

鹿児島県/明治維新150周年記念事業「明治維新と郷土の人々」について

→こちらの自動ページめくりが読みやすい→明治維新150周年記念事業 明治維新と郷土の人々

よく読むと味気なさもまた取り柄だと思えてくる力作だ(たぶん)。

鹿児島、明治維新と言えば、斉彬や西郷、大久保といった人たちの活躍ぶりが多く語られがちだが、本書はタイトルどおり、上級武士や、市井の人々、女性や子供についても語られ、藩の組織・機能上の特徴についても原資料の写真つき、大意・現代語訳で整理されている。

奄美関係についても、初耳の研究などもいくつか取りまとめられている。

p34
アメリカ南北戦争(1861~65)の勃発で、綿花の価格高騰の情報を得た五代友厚が国内の綿花を買い上げ長崎経由で外国商社に売却して多額の利益をあげたことが説明され、
「このように、幕末の薩摩藩の財政を支えたのは、調所の改革で強化された黒糖などの専売制のほか、海外貿易による利益もあった」と結ばれる。←両者の比率はわからなかった。

このブログ 奄美諸島の砂糖政策と倒幕資金』 [単行本(ソフトカバー)]
2013年02月27日 | 本と雑誌

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2015年12月20日 | 本と雑誌

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2013年02月07日 | 本と雑誌

バランスを取ったのでしょうが、奄美関連の記事は多くはないが、郷土史を客観的に見る機会にもなった。

==

幕府の天保の改革は失敗したが、薩摩藩ではうまくいったのは薩摩藩の士族の割合(26パーセント(全国5~6)の高さも・・・。

 

↑ こちらは、P50 <薩摩藩の人口推移>の図表を参考にウェブで調べたものです。


動画 琉球エキスプレス 2(阪神航路)の名瀬港での荷役作業を初めて見た。

2017年10月15日 | 船 

客室窓もデッキらしきものなく、やはり貨物船、RO-RO船だ。

wikipedia RO-RO船(ローローせん、英: roll-on/roll-off ship)は、フェリーのようにランプを備え、トレーラーなどの車両を収納する車両甲板を持つ貨物船のことである。 車両甲板のおかげで搭載される車両はクレーンなどに頼らず自走で搭載/揚陸できる。対義語はLO-LO船(英: lift-on/lift-off ship)。 一般的に判りやすく言うなら、旅客を乗せないカーフェリーと考えればよい。

琉球エキスプレス 2
竣工2014年12月
総トン 10,758t
全長  159.98m
全幅  24.00m
 
RO-RO船
★琉球エキスプレス 2(RO-RO船、東京航路→阪神航路)
石巻市の造船会社ヤマニシにより建造され、2014年8月28日に進水式を実施。
☆2014年12月13日 東京航路旅客フェリー『クルーズフェリー飛龍21』引退に伴い、代替船として東京発の便より就航。
☆2017年10月、阪神航路旅客フェリー『琉球エキスプレス』引退に伴い、代替船として阪神ー志布志ー奄美ー那覇航路へ転籍。
 
現在名瀬港は、桟橋の拡張修復工事中。旧桟橋の約半分弱を取り壊し(写真手前)市街地側の旧港埋め立て地の前線と合わせ拡張工事が進められている。工事の間は旧桟橋の半分強の部分で定期船フェリーの離着岸、荷役作業が行われる。
琉球エキスプレス2は、その、ぎりぎりいっぱいの長さだ。
 
今までは逆向きの接岸で、船首側のランプウエイ(船と岸壁に架橋して車両が自走できる折り畳み式架道橋)はあまり目にしなかった。エキスプレス2の船尾側のランプウエイは、長さ幅とも大型で、やはり現在の桟橋の幅では手狭感が否めない。

ランプウエイの長さが約2倍ほどになって、従来、港に備え付けの勾配調節用?の台座は不要のようだ。

 

 


にっぽん丸名瀬寄港/ススキ新穂花とバッタとソテツ

2017年10月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

↑ にっぽん丸 奄美大島名瀬 大型船用バース

奄美市名瀬赤崎気公園

ラジオで、東京では冬の花サザンカが2輪ほど咲いていた、と聞いたので

早咲きの木を見てみたのだが、まだ咲いていなかった。

 

 


『ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人』 (PHP新書) – 2017/8/9 ケント・ギルバート (著)

2017年10月13日 | 本と雑誌

『ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人』 (PHP新書) 新書 – 2017/8/9
ケント・ギルバート (著)
5つ星のうち 4.9
27件のカスタマーレビュー
 
名瀬の書店にあるとうことはそれだけ売れているのだろう。
アマゾンカスタマーレビューでも、26対1で高評価だ。
名瀬の書店で見たのは→「マスコミはなぜここまで反日なのか」 宝島社
本書と関連が深いと思われる→「まだGHQの洗脳に縛られている日本人」 (PHP文庫)
 
参考wikipedia ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program、略称:WGIP)とは、文芸評論家の江藤淳がその存在を主張した、太平洋戦争(大東亜戦争)終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、以下GHQと略記)による日本占領政策の一環として行われた「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画]」である。
 
ケントさんの英語と日本語のブログはときどき読んでいる。バランスをとるために他のブログも読むが。
 
関連記事 このブログ
 
2016年07月14日 | 本と雑誌
 
amazon 登録情報
新書: 205ページ
出版社: PHP研究所 (2017/8/9)
言語: 日本語

サシバ(差羽Butastur indicusタカ目タカ科秋の渡り 奄美市名瀬 大浜

2017年10月12日 | You Tube 動画

春の渡りのアカショウビンの声はもうさすがに聞かなくなりましたが、

いつの間にか秋の渡りのサシバが、ピッキーと二羽で鳴いていた。奄美市名瀬 大浜海浜公園

名瀬のきょうの最高気温(℃)31.3  13:55

あの荒々しい真夏の日差しは確実に弱まりましたが、秋とは言え、木陰に逃げ、まゆをひそめる暑さ。

ここ2,3年、夏の間のやかましい鳴き声をあまりきかないセミ(くろいわつくつく)の声も。


新編 ヤポネシア私行 単行本 – 2014/10/10 関根 賢司 (著)

2017年10月10日 | 本と雑誌

新編 ヤポネシア私行 単行本 – 2014/10/10
関根 賢司 (著)
 
日曜日に返却したのでもう返却してしまったの、もう手元にない。
 
旧「ヤポネシア私行」(1991年)を大幅に書きかえた本。
 
著者の名前は、奄美の南海日日新聞のエッセイなどで目にしていた。
埼玉生まれで、1975~1993沖縄(琉球大学法文学部)に住んいた著者は
奄美も好きなようで、奄美での交遊録では、名瀬でおなじみの人やお店等の名前もみえる。
 
 
タイトルから、なぜか勝手に『新編・琉球弧の視点から』 (朝日文庫) 文庫 – 1992/7
を連想してしまったが、文章の語彙の豊富さや、巧みな表現は、それに通じるものを感じた。
 
関連記事
 

amazonデータ
関根/賢司
1940~1975関東(埼玉)(浦和高校、國學院大學、同大学院。昭和学院短大)。1975~1993沖縄(琉球大学法文学部)。1993~2000関西(樟蔭女子短大)。2000~2006静岡(静岡大学人文学部)。2006~関東(埼玉)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
amazon 登録情報
単行本: 275ページ
出版社: おうふう (2014/10/10)

たい焼き★くりくりあん

2017年10月06日 | お知らせ

夏場の ”塩入 瀬戸内レモンあん” ”アップルパイ風あん”も好評でした。

海風荘一階のお店 http://kaifuso.sakura.ne.jp/shop_new.htm


中秋の名月と琉球エキスプレス 今年は名月と満月が2日ずれる。/阪神航路旅客休止

2017年10月05日 | 船 

これは昨夜10時過ぎに、名瀬港桟橋から対岸の小浜町あたりを写したものです三枚目の写真は、同じ場所から、その前日の撮影です。

コンデジで手持ちの撮影(三脚嫌い)なので、分かりにくいと思いますが
月は、肉眼でも、まだ完全な満月ではありませんでした。

いつも見る月齢カレンダーで確かめる。

今年は、10月4日が中秋の名月、その翌々日の10月6日が満月と、中秋の名月と満月の日付が2日ずれているなだとか。

中秋の名月(2017年10月)  国立天文台(NAOJ)


明日(6日)が満月なのですね。

wikipedia八月十五夜

 この夜の月を「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」と呼ぶ。

「仲秋の名月」という表現もあるが、これだと「旧暦8月の月」を指し、十五夜の月に限定されなくなる。「仲秋」とは、秋を初秋(旧暦7月)、仲秋(同8月)、晩秋(同9月)の3つに区分した場合、旧暦8月全体を指す。対して「中秋」とは「秋の中日」=旧暦8月15日のみを指す。

加えて、中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月(むげつ)」、中秋の晩に雨が降ることを「雨月(うげつ)」と呼び、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされる。「望(ぼう)」は満月を指す。また、俳諧では8月14日 - 15日、16日 - 17日の夜をそれぞれ「待宵(まつよい)」[注 1]、「十六夜(いざよい)」と称して名月の前後の月を愛でる。

旧暦8月15日は、日本の六曜で必ず仏滅になることから、俗に「仏滅名月」とも呼ばれる。

英語圏では同時期の満月を表す表現として「Harvest Moon」や「Hunter's moon」がある。

↑ 昨夜の琉球エキスプレス

↑↓ 撮影日不詳 名瀬港の琉球エキスプレス ↑今年9/02日?

10月10 日から阪神航路は旅客休止になりますが、阪神航路そのものはなくなるわけではありません。(亀徳 ~ 和泊 ~与論は寄港しない)

◇平成 29 年 10 月 10 日より 、現在阪神航路 (神戸 ~ 大阪~ 名瀬 ~亀徳 ~ 和泊 ~与論 ~那覇 )に就航している「琉球エキスプレス」は 運航を休止い たします 。
◇10 月 7日の阪神 発那覇行 が最終航海 最終航海 最終航海 になります。

なお 10 月 11 日以降の航路体制は次とおりです

阪神航路「琉球エキス プレ2」(神戸~ 大阪~志布志 ~名瀬~那覇  )
・貨 客 フェリーか らRORO RORO型貨物船に切り替え
・お客様 は乗船できません。

“一般旅客定期航路事業(阪神航路)の休止について” (プレスリリース), マルエーフェリー株式会社, ( 2017年9月1日閲覧。

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関連記事 このブログ

マルエーフェリー 阪神航路 旅客休止へ 琉球エキスプレス 

2017年09月02日 | 船 

 


『親友・西郷隆盛』―伝承の日本史 単行本 – 2014/12

2017年10月03日 | 本と雑誌
親友・西郷隆盛―伝承の日本史 単行本 – 2014/12
斎木 雲州 (著)
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出雲出身の富村雄は明治維新の始めから、西郷隆盛の死後にいたるまで親友として、かれの近くで活動した。
その富村雄は出雲大社の筆頭上官であったが、筆者(この本の著者)の曾祖父にあたる。その村雄から聞いた西郷隆盛のの話をここに紹介する。
 
この前書きを押さえないで読むと、すべってしまうだろう。
維新史のツボが歯切れのいい文章で手際よくコンパクトにまとめられている。
知識の整理にも良いが、初めて聞くような事実の提示と解釈が、いくつもあって熟読しないと、浅い知識では誤読してしまいそうだ。勝者の書かない歴史というのだろうか。
 
明治維新は市民革命に似たものととらえ、西郷のあの「敬天愛人」の
「敬天」は尊王思想で、「人」は人民で「愛人」は「人民尊重」と示すという。
 
ここにはいままで聞いたキリスト教の影響は直接的には感じられない。
 
島津久光と、民本主義の社会を目ざす西郷、大久保、富村雄の3人と、それぞれに思惑が独自の視点でまとめられ、説得的だ。
 
例えば、鹿児島の異人館(旧鹿児島紡績所技師館)のイギリス人から
斉彬は、科学技術の知識だけでなく、西洋の政治組織を学んだ、という重要な指摘。それは斉彬を通して西郷も学ぶことができたと推測される。
 
西郷が斉彬に抜擢される契機となったあの西郷の農政に関する意見上申の投書も、名誉革命のような社会構造の変革のための手始めだったという理解は、新鮮で、維新の見方や西郷の行動を理解する上でも刺激的だ。
 
このような新鮮で意外な見方は、ほかにもいくつかあるが、
 
第十二章 明六の政変と大久保専制P116
 
海外視察の大久保が、
ドイツのビスマルクの「不平等条約は話し合いでは、解決しない。強国になることが必要だ。
(略)」という演説に感銘をうけ、急いで帰国し、そこで西郷政府の朝鮮使節派遣(いわゆる征韓論)に出くわす。
 
民本主義の社会を目ざし、かつて西郷、大久保、富村雄の3人で誓った「敬天愛人」の考えを大久保は改める。
愛国のために「専制君主」を理想とするというのだった。
「人民を甘やかしては、ならなぬ。重税政策で軍事力を強化せにゃならぬ」と大久保。
以前の「敬天愛人」は破棄せねばならない。西郷政治は許されない。
西郷と大久保の対立(戦争)がここに始まる。
「重税は悪策です。貿易で富を増やすのが良策でごわす」という
西郷の主張は征韓ではなく、韓国貿易実現のための開国要求のためだったのだ。なるほど。
と、ここはまだ「明治6年の政変」の前の話。
 
そうすると「西南戦争」の呼称からして、考えなおさねばならない。
後ろ向きの士族の反乱と違うものだった。
 
西郷の新政府要求行進、つまり、武器を持っていたとはいえ、今でいうデモ行進のようなつもりだったのだ。西郷は、熊本も早く通り過ぎるつもりでいたが、熊本城天守閣炎上というハプニングが、運命を変えた...。
地元では「南九州の変」と言われたらしい。
 
ここのところは、論理一貫し、圧巻だが誤読の恐れもあり、も一度丁寧に読みたい。

 
amazon 内容(「BOOK」データベースより)
西郷隆盛は誤解されている。親友が語る話。
amazon 登録情報
単行本: 144ページ
出版社: 大元出版 (2014/12)

ここのところ、維新史の本がつづいている。
 
ペリー来航で、大慌ての江戸幕府をからかった"太平の眠りを覚ます上喜撰たった4杯で夜も眠れず"という狂歌は、確か橋の欄干だかの落書きで、いわば今のSNSといったところだっただろうか。
当時の江戸の社会と、そこに暮らす庶民の成熟ぶりと、ある意味、維新の本質も垣間見えてくる、見事な表現に恐れ入る。ご政道批判とお縄にしようにも、ぺりーのぺの字もない。
上喜撰とは上流階級が飲む上等の宇治茶のことらしいのだが、
昨今、解散総選挙に向け、首相は北のロケットマンを黒船に見立てTVでワレワレの危機感をあおっているかのようだが、ネットでは、庶民の手軽な食べ物インスタンカップ麺「緑のたぬき」の話題でざわついている。
これは、黒いたぬきを中継するTV番組から、ひょんなことで飛び出したらしい。
いっぽうでは「赤いきつね」もかかせない。
選挙後、何年かたって"太平の眠りを覚ます上喜撰”に匹敵するような狂歌に
はってんするのだろうか?。
今日は少し書きすぎだ。