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『真田太平記』 全18巻 読了 池波正太郎 朝日新聞 新装版

2016年10月02日 | 本と雑誌

真田信之(←信幸←源三郎)は、なんと93歳の長寿を得ている。
 
信州・松代に名ばかりの加増移封となって、そこの隠居所で生涯を閉じた。信之を疎んじた二代将軍秀忠は世を去り、三代家光に「天下の宝」と言わしめ、四代綱吉の代まで生きたことになる。その後真田家は、明治5年、陸軍少佐乃木希典が松代城を請け取りにくるまで松代10万石を守り通している。
 
 
この小説では信之は57歳で、父昌幸以来30余年にわたり善政をしいた上田の領民に別れを惜しまれなが城を出る場面で終わる。
 
滝川三九郎の生き方
 
大きく変わっていく時勢の中で、家康重臣の娘を嫁にして徳川方につき気苦労も多かったであろう信之や、父と共に豊臣方で己の純粋な意思を貫き通した幸村などと対照的ともいうべき滝川三九郎(妻は昌幸の5女)の生き方は、小説のなかでも何度か取り上げられているが、最後のあとがきの最後にもとうじょうする。己の運命に逆らわない生き方で「わしは、一代でわが家をつぶしてもかまぬ」と言っていた三九郎に立派な跡取りができる。40を超えた妻・於菊の初産だ。そのご後、三九郎は突然幕府によって罪を与えられる。幕府の敵であった幸村の娘の嫁ぎ先に立ち寄ったことに難癖をつけられたのだった。あまりのばかばかしさに「このような幕府に仕えたところで仕方がない、改易にされてよかったわい」と動じない三九郎。信之が三九郎に邸宅を新築すると「かたじけのうござる」と好意を淡々と受け入れる。川の流れるように、おのれの環境に逆らわず、それでいて自分を捨てたことがない。
 
三九郎歿後、長男豊之助に三九郎への無理やりの罪を憚ったのか幕府から「300石を与えるから家名を再興せよ」と言われ、いまさらと逆らう息子へ母は、運命に逆らってはならぬと諭し、豊之助「そうですね、ご公儀に逆らってもつまらぬ。逆らい甲斐もない相手ゆえ、な」と江戸へもどり幕臣となる。「母は京で一生を終えるゆえ、心にかけず、江戸へまいるがよい」と息子を送り出す。父子ともに川の水の流れるような生き方
 
幾多の戦国武将の浮き沈みの人生を描きながら、著者の念頭に老子の※「上善水の如し」の言葉があったのかもしれない。
 
goo辞書 ※上善水の如し 《「老子」8章から》最高の善は水のようなものである。万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置くという水の性質を、最高の善のたとえとしたことば。

 奄美海風荘 @amami_kaihu_so 9月29日

彦四郎は信之の家臣だが、前巻で領民の女を凌辱し、逮捕入獄されたが、お江によって幕府隠密の疑いを指摘された信之はお江と図り脱獄させ行先を突き止める。江戸で突き止めた先が、笹井丹之助という旗本屋敷。驚くべき事に笹井は清正お気に入りの料理人梅春だったのだ 

 

 

『真田太平記』全18巻 池波正太郎 朝日新聞社 読了

 1974年(昭和49年)~1982年にかけて『週刊朝日』に連載。単行本は、1974年からの全16巻の単行本が、1985年のドラマ化にあわせ出版された「新装版」全18巻を読んだ。ほかに新潮文庫版全12巻(1987年)。1999年の『完本 池波正太郎大成』(講談社)版全3巻がある。

名瀬の書店では新潮文庫版が4巻まであった。図書館の大活字本で読み始めたがそれも途中までしかなく、鹿児島本館から「新装版」を取り寄せた(一回につき5冊まで。一週間ほどかかる)が、途中の2巻は本館にもなく、大隅町公民館にあったものを曽於市の図書館から取り寄せてもらった。


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