昭和26年に中学校を卒業して以来、何回かこのクラス会が行われているが、前回は4年前だったので、丸3年ぶりのクラスメートの集まりであった。
部屋の名前が市内の地区名になっていて、私たちのクラス会は、阪合部という部屋で、もう1組大塔中学校の同窓会が同じ階でもたれるらしいと。
歓迎板を見てロビーに入ってくる人を見ながら、「少し若い年代だなぁ」などと思いながらクラスメートを待った。
上の画像は、アルバムの表紙で、校門と3年生の教室の2階部分が写っている。
たった8ページのアルバムだが、各クラス、修学旅行、運動会、部活などセピア色になった写真の中に、多感な頃の思い出がびっしり詰まっている。
1学年8クラスだったので、全体では約340余名の生徒で、大人数の学年だ。
修学旅行も全員を受け入れるような旅館がなかったのか、これだけの移動が大変だったのか分からないが、京都方面組と、淡路島方面組と2つに分かれたものだった。
それでも小学校の時は、戦後間もなくだったので修学旅行すらなかったので、ずいぶん楽しかった思い出がある。
このクラスメートの中ですでに故人になった人や、全く連絡の取れない人が12名で、前回に出席してその年に亡くなった人が2名いることに驚いた。
先生は私たちより10歳上とは思えないほどお元気で、この会をとても楽しみにしていてくださった。
「これからの坂は急で厳しいから、皆 体には十分気をつけて。」
「頑張れば何かが出来る。体を動かし(畑作りにせいをだしていらっしゃる)、頭を使う。そのため毎日毛筆をやっている。好きなことをやっていくことと、それを続けることで、元気が出てくる。」
先生のお話を聞きながら、お元気の秘訣と納得する。
体調不良や、行事、法事などで今回は出席者が少なかったが、皆が話し、皆が聞き、思い出話に花が咲き、予定の3時間があっという間に過ぎてしまった。これからは毎年、気楽な食事会という形でのクラス会にして、はがきの案内でなく電話連絡にしていくことを決めて、元気な間は顔を会わせようと約束して散会した。