
猛暑の町の駅に、私はその人を送った。
たまたま駅にはラッピングカー万葉号がが停車していた。
その人は現在東京にお住まいの方で、
定年退職後学校関係のお仕事についておられるので夏休み中の今、
亡き夫のお墓参りに来て下さった。

私がその人からのお手紙を頂いたのは5月11日だった。
中学校3年の担任だった夫に会いたいという思いで、
友人に連絡したところ、すでに亡き人になっていることを知って、
昨年の12月29日に分かった範囲で五條の町を訪ねてくれた。
しかしそこは元の実家の場所で、結果的に消息をつかめないままこの地を後にされた。

東京に戻られてからも、いろんな方法で何とか遺族(私)の消息を知る努力を続けられたそうである。
今年3月31日、再度五條市に来られ、私の実家へ辿り付く事ができ、
さらにこの家まで来てくださったが、母屋も離れも留守の時で、
お向かいさんから、後でそれを聞いて、私にとっては、
全く面識のないその人の、夫の墓前に今の報告をしたいと言う熱い心が伝わって
、読み進める手紙が涙でくもって見えなくなった。
私は、泣きながら仏前でその手紙を読み夫が聴いていてくれることを信じながら・・・。

その手紙には、夫の中学3年生担任としての進路指導が、
今の自分の原点であると言う風に思ってくださっていることが、
夫への何より嬉しい手向けの言葉であるがよく分かった。
手紙の終わりに、この夏8月17日午前中に、
夫の墓前に報告方お礼のお参りをさせていただきたいと記されていた。

その8月17日。
凄く暑い日だったので、駅までお迎えに行くつもりでいたが、汗をいっぱいかきながら我が家を訪ねてくださった。
お仏壇におまいりしてくださった後、お墓参りもしてくださった。
私がお経を上げっている間、夫に心のうちを話してくださっただろうか、夫は
「ようきてくれたなぁ K君 ええ人生を歩んできたなぁ」
今日一日夫は千の風になって実直で、ひたむきなその人の中に中学3年生の少年を描き、
嬉しく思っていたのだろうと、私は今もずっとそう思っている。
栄山寺の下を流れる音無川に沿って建つ、レストラン吉野川で昼食をしながら、
窓から見える空や木々の美しさや、川面の深い緑を味わって、
少年時代をすごしたこの町の思い出をたくさん語ってくれた。
夫も会話の中にいただろうな。
無口な人だったから、静かに優しい笑みを浮かべて・・・