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夏休みの帰省が済んで、もうすぐ東京に戻っていく、孫が母親と一緒に所用を兼ねて、もう一度顔を見せてくれた。
お昼前に来客が帰ったので、昼食はリバーサイドホテルのレストラン花房ですることにした。
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ついた席からこの画像の上のほうだけが目に入る。
国道24号を通る時は全く意識しないが、こうしてゆっくりおしゃべりをしながらの食事中に、ふと目に入ってくるコンクリートのアーチは「幻の五新鉄道」の遺物である。
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「もし太平洋戦争がなかったら・・・」
「もしこの鉄道が紀伊半島を縦断していたならば・・・」
「もし五條と新宮がJRで結ばれていたならば・・・」
「もし・・・」
が沢山残って、消え去った夢だけが、このような形で、ここに姿を留めている。
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この画像は撮影地点が、リバーサイドホテルの屋上から写したものである。
右の端で陸上部分が切れているが、この先吉野川の中に橋脚となるコンクリートの柱が立っていた。
子供の頃のことである。
夏になると、ピーヤと呼ばれていたその柱の部分へ、川岸から泳いで行ったものだった。
この町で育って川で泳いだ記憶のある人は、きっとこのピーヤ近くでも泳いだことだろう。
「幻の五新鉄道」の上はどうなっているのだろうと、ふと思う。
人が歩けるのだろうか。
どこかで通行止めになっているのだろうか。
代官所跡近くへ行けば分かるのだろうかと、好奇心が湧いてくる。