初午と建国記念日の祝日が重なった昨日の岡寺詣ででした。
岡寺に辿り着くまで、あちこちで道路の混雑があり、今までになく岡寺に着くまでに時間がかかりました。ことに橿原神宮付近の道路はずいぶん混んでいました。「建国記念日」が「紀元節」であったとき国民学校3年生までだったねとか、「雲にそびゆる高千穂の・・・♪」とか、友人のKちゃんと車の中で歌いながら、車の窓から入ってくる早春の陽差しに、気分をよくして道路の混雑など気にならなくて、お寺までのドライブを楽しみました。
駐車場に車を入れるまでの時間が1番かかりました。こんなことも初めてでした。でも山の上のお寺からマイクを通して聴こえてくるお経に、耳を澄ませて今どんな法事が行われているのかなど、想像して話し合っていると待つ退屈などこかへ飛んで行っていました。
本堂横の祈願受付がまた大変な混雑でした。厄年でないけれど、1年の安泰を願う初午のお詣りも、もう何年も続いています。駐車場からの急坂の上りができなくなった時が、岡寺詣での終わりの時になるでしょうね。と今年も昨年と同じようなことを言いながら、手すりを頼りにゆっくりゆっくり登りました。
祈願の受付をして貰って、本堂に入れるまでもずいぶん待ちました。見上げた天井の大きな釣り灯籠の細工が待つ長さを安らげてくれます。
目を下に下ろしますと、本堂のガラス越しに塑像の大きなご本尊の、お慈悲に満ちたお顔が、ガラスの光のいい状態で拝顔することができました。
いつもなら自分をはじめ待つ人の様子のみが、鏡のようにガラスに映るのですが、時間的に例年よりかなり遅れたから太陽光のお堂にさす光の不思議が、如意輪観世音菩薩様とのご縁を頂けたようでした。
人の波に押されるように、本堂の出入り口に次第に近づいてきました。
そこには賓頭盧(びんづる)尊者像通称「おびんづるさん」が「いらっしゃい」というようなお顔で座っていらっしゃいます。
自分の病んでいる部位を、 撫でると除病の功徳があると、よくお寺でお目にかかります。沢山の人の願いを体中で受け止めて、どこもつるつるに光っています。私も痛い膝をしっかり撫ぜ、お願いしたい頭を優しく撫ぜ手を合わせました。
御祈祷をして貰って、新しい今年の杉葉を購入したら、もうとっくに昼食の時刻が過ぎていました。
いつもは三重の塔の傍まで登って遠くの山並を眺めたり、眼下に広がる明日香の村をゆっくりと楽しみながら、しばらく時間を過ごすのですが、お昼を過ぎておなかも空いていましたので、山を下りることにしました。
三重の塔の風鐸の下に吊るされている、可愛いお琴だけは逆光でしたが撮ってきました。
門前には今日の法要のお務めをしていらした、僧侶3人の方が、車でも待っていらっしゃるのか、話していらっしゃるのが、長閑な風景の一コマのように拝見しながら、厳しい下り坂の石段を二人でゆっくり下りて行きました。スロープの方を靴音も元気よく下りて行く若い子たちを見ながら、「私たちにもあんな頃があったんやけどなぁ。」愚痴でもなく今年も自力で登れたこと、お参りできたことに自分を褒めてやりたく思い乍ら、ヨイショ・ヨイショと声を出して下りました。