11月12日 橿原市で、大学の同窓会があった。
「あしびの会」と発足当時公募した同窓会は、回を重ねること今年は第19回目の集いである。
卒業当時のキャンバスは奈良公園のすぐ前で、公園に出ると春にはあしびの花が、どこでも見れるという、素晴らしい自然環境の中にあった。現在は高畑の方に学校が移転したが、奈良へ行くと元学び舎のあったところが、懐かしく青春の日々の甦る場所である。
橿原市での同窓会は、もう何度か会を重ねているが、地理的に交通の上でも県内外から集まるのに1番都合の良い場所であることと、ホテルのサービスが当番に当たった人にとって、なるべく負担にならないように配慮してくれる点でも好都合の会場になっている。
当日はもう1校の同窓会があって、集合時刻前からロビーは賑やかだった。
当番幹事さんの手抜かりのないお世話で、楽しく会が進行して、あちこちで旧制の飛び交うのは、毎年のことでこれも、1年の間隔があってもすぐに、親しく会話が弾んで楽しい。
貰ったレシピを見ていると、案内状を出したのが33名で、出席者は23名だった。卒業当時はもっと人数が多かったが、物故者も増え、住所を把握できない人もかなりある。返信がなかったり1度も出席できない人も除外しているうちに、現在の人数になっている。
欠席返信者からのメッセージ10人が載せてくれていたが、連れ合いの介護が5人で、本人の体調不良が1人、他の行事と重なっての欠席が4人だった。
長い介護の末に連れ合いとの別れがあった人など、傘寿の年ともなれば、ご夫婦そろってお元気な人は本当に少ない。
でも、このように今出席できることは、とてもありがたいことで、いつどうなるかわからない年齢に来ていることも、話し合いの中から伝わってくる。
話したり、歌ったり、いい時間を過ごしているうちに、ここに並んだ御馳走が、皆お腹の中に入ったのだ。
来年の幹事当番は、県南部、御所・五條出身者となっている。
それと共に20回目を一つの限として、来年で「あしびの会」も終回にしようと大体の意見としてまとまった。
私と友人は、最後のお務めを引き受けた。
1日1日を大切にして、来年元気に集まることができるようにと思っている。
昨夜から失敗続き。「同窓会」記事を作って、昨夜のうちに投稿したつもりだったのが、下書きの欄にチェックを入れたままだたのを、完成の欄にチェックを入れなおさず、お昼にpcを開けて初めて気が付いたことがまず一つ。
続いて今日の記事を作り始めて、うろうろと忙しいこと続きで、「下書きチェック」を入れないまま、pcを閉じてしまって「完成」になっていたので、何のことかわからない記事のまま投稿 「いよいよ来たか」と思われてしまいそうな失敗だ。
これから出かけて、帰ったらすぐ事態解明の記事作りに、今度は慎重に