町指定の文化財真田庵は、慶長5年(1600年)関ケ原の戦いで敗戦した真田昌幸・幸村親子が、信州上田から紀州九度山に配流され、、慶長19年(1614)大坂冬の陣に真田幸村が大阪城へ入城するまでの、14年間蟄居していた屋敷跡に建てられた寺院です。
善名称院 真田庵山門 扁額にも6文銭が見えます。
真田地主大権現
昌幸と幸村、そして幸村の息子・大助と3代の御霊を地主大権現とし、真田庵の守護神として祀っています。
ここにも6文銭が、結界の扉に彫ってあります。
与謝野蕪村の句碑
蕪村が真田庵を訪ねた時に詠んだ句です。
「炬燵して 語れ真田が 冬の陣」
雷封じの井
境内にある重い石の蓋で雷を封じ込めて、村人の難を救ったという伝説の井戸。
このように、境内や町中に真田に関した伝説が多く残っているのを訪ね歩きました。
真田の抜け穴伝説が境内に説明板として掲載されています。
その抜け穴は町中にあります。
真田の抜け穴伝説は、九度山から大阪城まで繋がる抜け穴であったと言い伝えられています。
境内の珍しいお地蔵さま
足の組み方がお地蔵様としては珍しい。片足を組み、片足は地におろしていらっしゃいます。
すぐに人を助けに出られるという体制のお地蔵様とのことを、ボランティアの方が話してくださいました。