橘寺西門
ここにお詣りしますと、ある唱歌が声を出さずに、胸のうちで歌っている私です。
昔、小学校の唱歌の時間に習った覚えがあるのです.
たじまもりが天皇の勅命で、遠い国から橘の実を持ち帰ったら、天皇は既に亡くなっていたという。
昭和17年の初等科音楽で習った悲しいメロディーの歌です。
この唱歌を今も歌えるのは、きっとその頃に話してもらった、たじまもりのお話に深い感銘を受けた少女だったのでしょう。
作詞・作曲者は不詳となっています。
かおりもたかい たちばなを
つんだおふねは いまかえる
きみのおおせを かしこみて
ばんりのうみを まっしぐら
いまかえる たじまもり たじまもり
おわさぬきみの みささぎに
ないてかえらぬ まごころを
とおいくにから つんできた
はなたちばなの かとともに
なはかおる たじまもり たじまもり
受付の方が、今実を持って来てあげますよと、走って境内にいかれて、これを頂きました。
橘寺にお詣りした時に、今年初めてこの橘の実がたわわになっている木を境内でみました。
西門前の駐車場の所に、左近の桜があります。
右近の橘は、何度か植え替えられたようで、桜に比べてあまり古木ではありません。
今この木には、橘の実を見ることはなくて、山門を入った境内に、ぶら下がるという表現のように橘の実がいっぱいなっていました。
橘寺の創建と変遷と言うパンフレットには「たじまもり」についてこのように書かれていました。
田道間守(たじまもり)
『日本書紀によると、11代垂仁天皇(すいにんてんのう)の時、勅命を受けて常世(とこよ)の国(中国雲南省か?)へ不老長寿の薬を求めに行った田道間守が、10年の長い間苦労してようやく秘薬を捜し求め、持ち帰ったところ、天皇は既にお亡くなりになっていた。
このとき彼が持ち帰ったものを「非時香果(トキジクノカグノコノミ)」といい、この実を当地(橘寺)に蒔くとやがて芽を出したのが橘(ミカンの原種)で、それからこの地を橘と呼ぶようになったと伝えられている。』
本堂正面
東門
ここからは遠くに岡寺の三重の塔が見えます。
橘寺から北の方を見下ろすと、明日香村の甍の美しい民家が見渡せるので、暫くこの景色を楽しむことにしています。