カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

橘の木の実

2017年09月08日 | ☆ ふるさと・大和

 

橘寺西門

ここにお詣りしますと、ある唱歌が声を出さずに、胸のうちで歌っている私です。

昔、小学校の唱歌の時間に習った覚えがあるのです.

たじまもりが天皇の勅命で、遠い国から橘の実を持ち帰ったら、天皇は既に亡くなっていたという。

昭和17年の初等科音楽で習った悲しいメロディーの歌です。

この唱歌を今も歌えるのは、きっとその頃に話してもらった、たじまもりのお話に深い感銘を受けた少女だったのでしょう。

作詞・作曲者は不詳となっています。

 かおりもたかい たちばなを

つんだおふねは いまかえる

きみのおおせを かしこみて

ばんりのうみを まっしぐら

いまかえる たじまもり たじまもり

おわさぬきみの みささぎに

ないてかえらぬ まごころを

とおいくにから つんできた

はなたちばなの かとともに

なはかおる たじまもり たじまもり

 

受付の方が、今実を持って来てあげますよと、走って境内にいかれて、これを頂きました。

橘寺にお詣りした時に、今年初めてこの橘の実がたわわになっている木を境内でみました。

西門前の駐車場の所に、左近の桜があります。

右近の橘は、何度か植え替えられたようで、桜に比べてあまり古木ではありません。

今この木には、橘の実を見ることはなくて、山門を入った境内に、ぶら下がるという表現のように橘の実がいっぱいなっていました。

橘寺の創建と変遷と言うパンフレットには「たじまもり」についてこのように書かれていました。 

 田道間守(たじまもり)

『日本書紀によると、11代垂仁天皇(すいにんてんのう)の時、勅命を受けて常世(とこよ)の国(中国雲南省か?)へ不老長寿の薬を求めに行った田道間守が、10年の長い間苦労してようやく秘薬を捜し求め、持ち帰ったところ、天皇は既にお亡くなりになっていた。


このとき彼が持ち帰ったものを「非時香果(トキジクノカグノコノミ)」といい、この実を当地(橘寺)に蒔くとやがて芽を出したのが橘(ミカンの原種)で、それからこの地を橘と呼ぶようになったと伝えられている。』

本堂正面

東門

ここからは遠くに岡寺の三重の塔が見えます。

橘寺から北の方を見下ろすと、明日香村の甍の美しい民家が見渡せるので、暫くこの景色を楽しむことにしています。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする