田道間守(たじまもり)の歌 戦前の小学唱歌に納められているが、私はこの歌の歌詞を見ればメローディーが口をついてでてくる。国民学校で習ったのかもしれないし、母が歌っているのを聞き覚えたのかもしれない。
1.香りも高い橘を 積んだお船が今帰る
君の仰せをかしこみて 万里の海をまっしぐら
今帰る 田道間守 田道間守
2.おはさぬ君のみささぎに 泣いて帰らぬ真心よ
遠い国から積んで来た 花橘の香と共に
名は香る 田道間守 田道間守
午年にちなんで馬のあるお寺を訪ねてお参りをしたのが、明日香の橘寺である。
境内に入ると本堂の前にこの聖徳太子愛馬「黒駒像」が、迎えてくれる。橘寺の創建と変遷の栞を、拝観受付でいただいた中に「黒駒」について、太子の愛馬で空を駆け、達磨大師の化身といわれる。災難厄除のお守になっていると説明されてある。
馬のお腹には花橘の紋章が金色に光っている。
橘寺は聖徳太子のお生まれになった所で、当時ここには、橘の宮という欽明天皇の別宮があったそうである。
この記事の冒頭に上げた「田道間守」の歌に歌われている橘の実について、日本書紀の1文が、貰った説明文にあったので、幼い頃に歌った悲しい歌の出典と、橘寺の名の由来を、抜粋して記しておこう。
日本書紀によると、十一代垂仁天皇の時、勅命を受けてトコヨの国(中国雲南省か)へ不老長寿の薬を求めに行った田道間守が、10年の長い間苦労してようやく秘薬を捜し求めて持ち帰ったところ、天皇はすでにお亡くなりになっていた。
このとき彼が持ち帰ったものを「トキジクノカグノコノミ」といい、この実を当地に蒔くとやがて芽を出したのが橘(みかんの原種)で、それからこの地を橘と呼ぶようになったと伝えられている。
万葉集にたった一首だけある、橘寺の和歌
往生院阿弥陀三尊像の両脇を護るような円空仏
往生院にお参りすると、格天井に描かれた四季折々の花を見上げる時間が楽しみである。
今朝の日の出
今年も七草粥を、小蕪の3杯酢であっさりと食す
いーまかーえるたじまもり、
国民学校で歌ったのでしょうか、でも私は1年しか行っていないので、母から習ったのかもしれません、
現代に史跡が残っているのは素晴らしいです、
三つ葉、にんじん等で雑煮を食べました
コメントありがとうございました。
この懐かしい歌を悲しい歌と胸のきゅんと来るのは、田道間守のお話を知っていることになるのですね。
修身か、国語か、講談社の絵本か、とにかく読んだ覚えがあるのです。
いろんなことをすぐ忘れてしまいますのに、昔々の感動が今も蘇ってくるものなのですね。
コメントありがとうございました。
正月の7日に、七草粥を食べる日本のしきたりは、平安時代からあったそうですね。
お正月のご馳走の後の、お腹休め。合理的ないい習慣ですね。
戦後の昭和21年に一年生になったので、教えてもらえませんでした。残念。
当時は教科書を黒い墨で塗らされていました。
この歌も同じ扱いになったかもしれません。
日本人の精神を育ててきたであろう諸々のものが完全否定された時代でした。
少しずつでも取り戻していきたいものです。
コメントありがとうございました。
教科書が真っ黒になるほど墨で塗りつぶしたのは、なぜそうするのかという説明もなしに、先生の読み上げる所を全て塗りつぶしたように思います。
当時の先生もいろんな点で辛い思いをしながらこんな作業を指示したのでしょうね。
元先生でしたか・・長~い間、お疲れ様でした
先生の顔が見れないのは残念でしたが・・
橘寺は桜も見事ですよ・・また一度寄ってくださいね。?
コメントありがとうございます。
桜の頃、芙蓉の頃橘寺には度々お参りします。
いいですね。
明日香は大好きです。
思い立ったら目的もなしに出かけることも多いです。
連休明けまで、家の事情で、更新できませんし、お訪ねもできないと思います。