蜻蛉の滝で涼んだあと、もう少し奥のほうまで行って食事をすることにした。
2011年9月の台風12号の豪雨災害の時、川上村迫地区の山の斜面の深層崩壊後、この地区へ来た時に食事をした喫茶店を思い出して、そこに入った。前もそうだったが、今回もこんな山奥のお店なのに殆ど満席になるほどの人が入っていた。 ダム関係の人か、災害復旧工事関係の人なのだろうかと想像する。
窓から綺麗なダム湖が見えたので、外に出て写した。 あの時はこんなに水がなかったように思う。
それもそのはず、この大滝ダムの竣工式は、2013年3月23日だった。
平成15年4月、試験湛水中のダム周辺の白屋地区で地面に亀裂が発生しているのが見つかり、試験湛水を中断。結局地区住民は移転し、本格的対策工事を実施。ダムの完成は大きく遅れることになったことは、当時マスコミでも大きく取り上げられたしニュースになったので、記憶のどこかにあるダムだと思う。
行ってみると広い駐車場があり、見学ができるようになっていた。
内部の見学もできるようだったが、今回は外形部分だけでも、かなり興味深いことがあったので、それに留めておいた。
国道169号線に沿った谷間に、満々と水をたたえたダム湖は、両側の山の木々を映して緑に輝いている。
国道から下りて来て、向こうにある車止めの左側が駐車場である。この横のアーチふうな要壁にはダムについての説明などイラストを交えて大きく描いてある。
川上村マップ
大滝ダム・おおたき龍神湖(公募によって、ダム湖の名前が付けられた)
(興味のおありの方は、クリックして大きい画像でご覧ください)
大滝ダムの歩み・吉野熊野へ続く祈りの地・ダムの役割・大滝ダムの楽しみ方歩き方・奈良和歌山を守る大滝ダム
計画の初めは昭和34年の伊勢湾台風の大災害を再び起こすことのない様にとの、願いからの計画であること。それから半世紀以上も経ってからやっと完成したことの厳しい歩みであったのだ。
ダムの中道左岸側
突き当りの赤いケーブルクレーンは、黒部ダムのケーブルクレーンで、昭和33年に製作、それを大滝ダム用に改造したのは昭和45年であったとのことである。黒部ダムの完成後、建設省は、昭和45年に1台を入手し、大滝ダム建設に転用したという。
大滝ダムのダムの中道のの突き当たりの図に「クロベノエキ」という表記があるので、黒部と大滝とどんな繫がりがあるのかと調べていると、このケーブルクレーンのことが見つかった。大滝ダムのケーブルクレーンは、黒部・大滝という大きなダムのために2度働いた偉大なるクレーンなのだ。
ダムの中道右岸側
ダムの中道から川下のほうを望む
ダム湖に続く広場は公園のように整備されている。
学校や保育所の子供たちの当時の作品だろうか、陶板画が、メモリーとして湖畔を飾っている。
私はこういう公共工事はあったほうがいいと思っています、工事が始まって何十年も反対運動をするというのはとてもおかしいです、感じのいい喫茶店、見学設備が出来ていい方向に行っていますね、
コメントありがとうございます。
完成までの過程の途上では、ずいぶん問題もあったのでしょうが、完成した今の状態と、日本のエネルギー資源として自然を利用した水力発電は、安全でしょうね。
昭和34年の伊勢湾台風で、ひどい水害に見舞われた経験があるだけに、発想には十分納得できる今です。