カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

紫陽花のランチサロン

2014年06月25日 | ★食の楽しみ

しばらくお休みしていました。

久しぶりの更新です。

6月20日に登録有形文化財「藤岡家住宅」うちのの館での「紫陽花のランチサロン」という素敵なネーミングの、お食事会に参加しました。

お食事の後は「尾上ツヤ子先生と歩く吉野七曲りのアジサイの道と金峯山寺付近 」のわくわくするような楽しい計画がありました。

 藤岡家のお庭もすっかり初夏の色に模様替えしたような、美しい緑に覆われていました。

庭の奥の方に、季節の花柏葉紫陽花の、見事な白い花房を付けた一角があります。

 

  

シャボンを手の中にいっぱい作ったような、輝くように白い花房です。そろそろ終わりに近づいているようなほかの花房と比べたら、これこそ柏葉紫陽花の名残の美しいおもてなしのような気がしました。

 

 

食事をする大広間に、縁側の大きな硝子戸を通して、緑のあるお庭の風景が目に入ってきます。

 

 

椅子席と座席に昼食の準備がしてあります。床の間の壺のお花は花菖蒲と、先程お庭から伐って見せてくださった、柏葉紫陽花が紫陽花のランチサロンを演出されています。

 

 

 

箸置きはアジサイの一枝です。私が写真を撮っていますと、お隣の席の人が「赤い花も添えてやって。」と横に並べておいてくれました。全く初めて出会った人ですが、これをきっかけにお食事の間中話題が尽きませんでした。

ランチョンマットの「舌の先 旬を転ばせて 夏座敷」 俳句の心得の無い私ですが、この日の紫陽花のランチサロンに、食の楽しみを増すいい句を選んでいらっしゃるなあと、句を味あわせてもらいました。

 

 

蒸し野菜の横に・紅おとめにぎりと中華ちまきです。

 

  

焼きキャベツのスープです。ばあく特製ソーセージ

  

、紫陽花色のパンナコッタと、紫蘇ソーダーは爽やかなデザートでした。

 

 

美味しいランチの時間は同じテーブルの方々と、語り合っていい時間を過ごすことができました。私は一人参加でしたが、同じ目的を持つ人の「集いは楽し」といった感じでした。

そのあとこのバスに乗って、吉野山へと向かいました。

吉野山七曲りの紫陽花は、次回にします。

                                 6月20日 5735歩 6月22日 7341歩 6月24日 6201歩 今日 7746歩

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪北浜界隈 その4 神農さん

2014年06月20日 | ちょっとおでかけ

 

 

薬関係のビルの看板が目につくここは「道修町」です。「どしょうまち」とタイピングしても、変換しますとちゃんと「道修町」とでます。

 

 

ビルとビルの谷間のようなところに、神農さんの鳥居があります。神社への入口の通りに面したところに、大きな張子の虎さんがでんと構えています。正式には「少彦名神社」と石標には書いてありますが、一般的には、「神農さん」で薬関係の人ばかりでなく、近隣の多くの人の信仰を集めているようでした。

小説の中に出てきたりして、神社の名前だけは知っていましたが、ここにお参りしたのは初めてです。

 

 

 

路地の奥に神殿が見えます。大阪南の法善寺横丁も、このような路地の向こうにお不動様がお祀りしてあるのとよく似た感じです。

 

手水舎で、手と口を清めてからお参りしました。この夏を元気に過ごさせていただけますようにと、心からのお願いです。

 

狭い境内を覆うような大木のご神木があります。上を見上げても樹木の末まではカメラに入れることができなかった木でした。

 

谷崎潤一郎の「春琴抄」の碑がありました。父の本棚の明治大正昭和文学全集を片っ端から読んだのは、中・高校生くらいだったかと記憶していますが、映画での山口百恵の春琴抄が一番心に焼き付いています。この辺りが春琴抄や、細雪の舞台背景となったところなのかと、感動するものがありました。

 

神農さんのユルキャラでしょうね。神農さまは薬の神様ですと愛嬌よくPRしていました。

半日歩いた北浜辺りの歴史のある建物散策は、楽しいものでした。日ごろこの辺りを日常的に歩いている人にとっては、あるのが普通の建物でも、こうして目的を持って訪ねれば、新発見のように楽しいものとなりました。 北浜界隈散策の記はお終いとします。

                                                              7953 歩

                                            

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪北浜界隈 その3 大阪市立愛朱幼稚園

2014年06月19日 | ちょっとおでかけ

 

 

木造の頑丈そうな塀が延々と続いてこの部分だけを見ますと、今大阪の北浜を歩いていることを忘れてしまいそうです。

 

扉の木材にしても柱にしても、塀の板などすべてのものが、どっしりとして長い年月を経てきているのが一目でわかります。日常的にこの建物を見ている人にとっては、ここにこうしてあるのが当然で、そう関心も無く行き過ぎてていくようです。立ち止り立ち止まり、カメラを覗いている私の方が不思議な存在なのでしょうね。

 

「大阪市立愛朱幼稚園」の園名の文字も、その時は気が付かなかったのですが、写真で見ますと彫ってあるのではないかと思います。ここでも柱の立派さと施された細工や屋根の組み物の一部をこうして見ながら、「何もかも素晴らしいなぁ!」と驚いています。

 

「日本で1番古い幼稚園」そう言って案内してくれたはずで、明治34年に竣工した、日本に現存する最古の幼稚園で、重要文化財に指定されていますが、今も幼稚園として園児が通園しこの中で、園児教育がなされている、現役の建物です。 

 

園の門の傍に、「銅座の跡」と書いた石標がありました。

1701年(元禄14年 ) 幕府は 大阪に銅座を開設しました。  ここは 江戸時代 銅座があった所であるそうです。このことについて調べてみるのも、興味深いところです。

大阪大空襲の戦火をにあわないで、創設当時のままで今日長い年月を経て、今に至ってきたことはなんと幸甚なことなのでしょう。

 

鴻池本宅跡と書いた石造というか、石標を歩いている時に見つけました。

 

鴻池財閥の本宅跡ですから、もし建物が残っていたならば、驚くほど大きなお屋敷だったのではないでしょうか。現在は大阪美術クラブという建物になっていました。何かほかの建築物と変わった風情があるのです。

 

突然周囲と違和感のある建物が現れたので驚きました。この1画だけが赤い「アチャコ」のビルでした。

あの漫才コンビ「えんたつ・あちゃこ」のアチャコの店なのです。テレビの無い時代、ラジオから流れるアチャコの「もう・むちゃくちゃでございますわ。」こんな言葉が今も耳の奥の方にあるような気がします。

 

レトロなビルデング「生駒時計店」

生駒時計店のビルとして1930年に竣工した、大阪建築界の重鎮・宗兵蔵の事務所による設計で、スクラッチタイル張りのアール・デコスタイル。

 東面の時計台の下の出窓と丸窓は振り子を模したものだそうです。、重厚な趣きでそびえる生駒時計店の本社ビルを、この位置から見ますと、ベルンの街角に立っているような視覚なのです。色調からくる視覚です。

私が生まれる前にもう建てられていたのだと、変な所で感心しています。

昭和初期の雰囲気そのままのイメージを残したお店の丸福珈琲店です。甲子園の蔦におおわれたような緑のビルディングです。この間倉敷に旅行した時の、アイビースクエアーの煉瓦と蔦を思い出していました。

                                                6395

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪北浜界隈 その2 緒方洪庵邸・適塾

2014年06月18日 | ちょっとおでかけ

 

 

板張りと白漆喰の純然とした日本建築の塀を背にして読書する緒方洪庵の銅像に出会いました。

 

信号待ちの前の建物も1、2階部分が由緒ある建物です。特に2階の窓の装飾が面白くゆっくり見たかったのですが、信号が変わってビルの名前も聞いたのに記憶しないまま行き過ぎてしまいました。

 

塀の美しさに惹かれてはいっていきました。横から見た銅像が、正面に回ると上の画像の緒方洪庵です。

洪庵(1810~1863)は岡山の人で17歳で来阪、中天游に学びました。

天保9年(1838)洋学を志す者のために、自宅に塾を開きました。1階の奥が洪庵の家族の住居で、2階は塾生が起居していたそうです。そのなかから、大村益次郎・橋本左内・福沢諭吉・長与専斎らを輩出しています。、また洪庵は、大坂で最初の種痘を実施するなど医学者としても活躍しました。日本史で学んだり、読書をした時の頭に片隅にあった、偉大な人の起居した建物が今目の前にあることも感動です。

      

  

 

 

稲葉医院 船場の商家のたたずまいを残す建物で診療を続けています。この稲葉医院もこの近くで見かけた建物でした。

 

歩道に埋め込まれた通りと筋の案内板です。明日はこの幼稚園についての記事にします。

                                                       4986

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪北浜界隈 その1 五感

2014年06月17日 | ちょっとおでかけ

 

 

いつの頃だったか北浜の五感でお茶をしたことがありました。外形はもとより内装にも歴史を感じさせてくれる空間でした。それ以来北浜に行くこともなく今日に至っていました。

今日は大阪歴史の道散歩という歩道の埋め込みタイルに惹かれて、お茶の目的でなく、北浜界隈をあるきました。

 

 

帰ってからこの建物の歴史について調べてみました。

新井ビル(旧報徳銀行大阪支店)
1922年(大正11年)
設計:河合浩蔵(皇居二重橋、奈良ホテルなどの設計で有名)
1927年(昭和2年)・金融恐慌で報徳銀行倒産
1932年(昭和7年)・現オーナー新井真一氏の先々代がビルを買い取り、先代が新井証券として利用
1997年(平成9年)・登録有形文化財に指定
2005年(平成17年)・五感北浜本館オープン
1階は石貼、2階以上はタイル貼りで、左右に入口があり、左側が五感の入口で右側が3,4階への階段室の入口となっております。戦前は、階段室の中心にエレベーターがあったそうですが、戦時中の金属供出のため撤去され残念ながら現在は吹き抜けになっています。

 

 

 

写真には撮らなかったのですが、周りに新しい高層ビルの建つ中に、登録有形文化財に指定されているのが、十分理解することができました。

私の北浜界隈歴史散歩は、今日半日の歩きでしたが、思いがけなく古き良き浪速の街が、今も大切にされていることに少なからず感動を覚えました。

                                          9506

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする