明日香 稲渕へ行こうとしていた時のことです。石舞台古墳を右手に見てカーブに差し掛かった時、左手の丘の上に黄色に塗りつぶされたような場面が目に入りましたので、駐車できるところまで行って広場に車を置いて、石舞台古墳の見えるところまで戻ってきました。
目当てが棚田だったものですから、紅花のことは頭になっかったので、菜の花畑のような色合いが近づくにつれ、紅花だと確認できましたから、嬉しくて丘に登っていきました。
黄色い花ばかりに見えたのですが、朱色の花も交じって咲いています。朱色と黄色があるのではなくて、咲き始めは黄色、しだいに赤っぽく変わります。
花は紅色の色素を含み、染料や薬用として使われます。 紅花の名前もここからきています。
今のこの畑の状態だと、黄色の方が多くみられますので、ごく最初の咲き始めの頃と思われます。
以前にも書いたと思うのですが、花の真ん中の方から朱色になってきますので、別名は「末摘花」と呼ばれています。 茎の末の方から咲き始める花を摘み取ることからそう呼ばれるのですが、源氏物語に登場する女性で末摘花(常陸宮姫)という人がいます。 その姫は鼻が赤いことから 「紅鼻」とも呼ばれ、同じ読みの「紅花」にちなんでこの花の別名として「末摘花」の名前がつけられた気の毒なお姫様だと、思はずにはいられません。
この写真を撮ったのは、25日でした。その日まで降りそうで降らない鬱陶しい日だったのですが、「ご先祖様のお引越し」というような仏事などあって人の出入も多く暫く更新を休んでいた頃、やっと時間ができ大急ぎで明日香村へ車を走らせた日でした。
空いっぱいがみんなこんなに青くなくて、山際から白い雲が次第に湧いてくる空を見上げながら、青空に紅花がうまく入るように写す場所を変えたり、しゃがんだりしていたい膝をだましだまし撮った紅花でした。
紅花は推古天皇の時代から、紅色の染料をとるための植物として利用したそうです。 6世紀の藤ノ木古墳から紅花の花粉が検出されているそうで、明日香の石舞台古墳の見える小高い丘に、この花が咲いているのも、古代を偲ぶ花と言えるでしょうね。