カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

ご先祖様のお引越し

2014年06月06日 | 我が町

 

 

栄山寺橋を渡って帰りましたが、春・秋のお彼岸・お盆・年末のご先祖様のお墓詣りは、五條・野原の町中を通らなくていいので、いつもこの橋を渡って智辨学園の東上の高台にある、最初坊という墓地へのお参りをしていました。 

 

  

金剛山を向かいに見て、五條・野原の町を眼下にする景色のよいところに、ご先祖様は眠っていらっしゃいました。山全体で墓地を作り上げているような地形の、かなり上の方に昔の親族縁者の墓石がかたまった位置にありました。その中に義父の両親と義父の妹の墓石があり、そこに私が嫁いで以来ずっとお参りしていました。

 

  

西吉野から五條に居を移したとき、市営の墓地の売り出しがあると聞いて、義父はその土地を見て、ここからは山のお寺も見えるし最初坊の墓地も見えるから、場所がいいのでと言って2区画の購入をすぐしてくれました。歩いてでも行ける距離だから、お参りしやすいだろうとの思いや、年の順からいえば義父が最初の住人になることも考えてのことだと、後々この義父の英断には事あるごとに感謝したものでした。

しかしここ最初坊のお墓のご先祖様の墓石を移すことについては、みんなで随分考えて、長年同じ集落で過ごしてきた人たちと一緒に、このまま浄土でも過ごしてもらった方が、亡くなった人たちも賑やかでよいだろうという結論になって、義父の両親と妹は、新しい墓地には移さないで、お参りの時期にはいつも家族でお参りしていました。

 

   

  栄山寺橋この下を流れるのは吉野川です。長年通ったお墓参りの時の橋も、この日が最後になることになりました。いいつもお墓の清掃や草引きをしてくれていた、親戚の方から山の上から平坦な所に墓地を移すことになったとのことを、聴いていましたのでこれをきっかけに新しい今の我が家の墓地に、ご先祖様の引き越しをすることになりました。

お寺さんと石材屋さんと何度も打ち合わせをしながら、慌てずゆっくりと話を進めていきました。前もって石材屋さんと息子が場所や石碑に刻まれた戒名などを確かめに行ってくれました。その時たくさんの石碑にお供えする花をたくさん持って行ってお供えしておいてくれました。

 

栄山寺下の音無川です。表面は静かなこの川は、かなり深くて底の方に流れがあるのです。中学生の頃水泳部の合宿をここでして、それが事実であることを確かめたことがあります。

話は横にそれそうです。元に戻します。3日に菩提寺のお寺さんと最初坊に行って、精霊(おしょうね)を抜く法事をしきたりに従って執り行ってくださいました。今までたくさんの石碑が立っていたので横に彫られた、亡くなった時の年齢も分かりました。義父の両親は30歳代でなくなっていました。だから義父は幼くして両親を亡くし親戚の方にお世話になって育ったという寂しい境遇の幼児期を過ごしたと考えられます。

小僧さんの頃から唐招提寺に預けられたという義父の生前の話に合点がいきました。僧侶としての修行を積んでいた頃の義父を、唐招提寺にお参りした時には、お寺のどの場所であってもふと義父を思い出すのです。

 

  

義父の買ってくれたあたらしい墓地には、もうすでに義父母、夫、息子の妻が浄土へ旅立って、石碑の墓碑銘に戒名が記されています。

石材屋さんの工事が終わったら、長らく別だったご先祖様もここにお休みになります。その時にはお寺さんの精霊(おしょうね)入れの法事をしていただきます。

その時こそ、ご先祖様との水入らずのお墓の下での家族となって、様々な語らいがあることでしょう。死はすべての終わりでなく生きているものの推し量れない縁の世界があるように思います。

ご先祖様のお引っ越しの法事がすべてが終わるのはお盆までのことでしょう。一つづつことが進んでいくのは、息子が中心になって事を運んでくれるのでありがたいと思います。きっと亡くなったみんなが応援してくれていることに違いありません。

 

 

定家蔓・栄山寺橋と書いてある橋のたもとの、深い谷の離れた向こうに、白い花の集まって見えるのがあったので、望遠にしてみました。多分スクリューのような花弁なので、いつか見たことのある定家蔓だと思いました。

定家蔓について、「一途な恋」の「怖ろしいような」命名のお話があります。

 ★宝生流謡曲の「定家」に由来する名前。京都を旅していた僧侶が夕立にあい、雨宿りで駆け込んだところが、歌人の「藤原定     家が昔建てた家だった。

どこからか現れた女性が、その僧侶を、葛(つる)のからんだ「式子内親王(平安時代の、後白河第三皇女)」の墓に案内し、こう語った。

 ”藤原定家は式子内親王を慕い続けていたが、内親王は49歳で亡くなってしまい、定家が式子内親王を想う執心が葛   となって、内親王の墓にからみついてしまった。内親王の霊は葛が墓石にからんで苦しがっているらしい”

 僧侶はそれを聞き、内親王の成仏を願って墓の前で読経した。

 じつは、先ほどの女性は、式子内親王本人の「霊」で、僧侶が読経してくれたことで成仏できて喜んだ。
 そして、この、からみついた「葛」に後年、「定家葛」の名前がつけられた。

和名の花の名前にはその名の由来に興味を持つような名前があるので、つい調べてみたくなりますし、浮かび上がってくる物語も古代のものになるほど、創造性豊かなものに巡り合えます。だから今学問上一般化している、カタカナ表記の植物名はどうも好きになれないのです。

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