吉野山旧跡・金峯山寺国宝・蔵王堂について、桜の頃や7月7日の蛙飛びについての多くの記事できっと目に触れていることが多いでしょうが、今日の講師先生からお聞きしたことや、頂いた資料で、印象的だったことや、次回に山に行ったら人の多い桜の頃でないときに、ゆっくり思い出しながら吉野山を愛でたいと思ったことなど、かいておきます。
蔵王堂の創建は不明だが奈良時代から平安時代の初期と言われています。何度かの消失で現在の建物は1592年に竣工されているとのことです。興味を持ちましたのは、本堂の柱が68本で、杉・桧・欅・松・梨・躑躅など白木のまま用いられているとのことです。
登ってきた黒門(黒塗りの門) 写真には撮ってこなかったのですが、その黒門が金峯山寺の総門で、大名や公家たちは馬や駕籠から降りて腰の刀、槍なども伏せて通行した敬虔の意を表す神聖な門であったそうです。
この石段を上ると、金峯山寺蔵王堂で、黒門の方角に対して背を向けた形で建っています。ふつう社寺では、門を入ると前方に本堂があります。
ご本尊の蔵王権現は秘仏です。中央は釈迦如来権現。 過去を救済してくださる権現様です。右は千手観音菩薩権現。 現在を救済してくださる権現様です。左は弥勒菩薩権現で未来を救済してくださる権現様だと、資料で教えて頂きました。
「秘仏で今日は拝顔できませんので、…」と先生がおっしゃってご本尊様の写真を拝見することができました。
鳥居に背を向けて建っている蔵王堂の前方には、はるか山並み続きの、大峰山山上ヶ岳からの巡礼を迎えるためとも言われています。
蔵王堂の軒下の仏様の彫の、精密で美しいのに惹かれて撮ってきました。今度はもっと望遠を効かせて撮れたらと思いました。
吉野山桜の名所由来について資料より転載させてもらいました。
1・役行者が山上が岳で蔵王権現を感得し桜の木に刻んだ修験者の守本尊。ご神木として大切に育成され一枝伐れば仏罰とされた。
2・鳥が桜果を食し、その種を撒き散らす。「権現さんの使い」と毎年末に餅撒きをして鳥供養をする行事が行われていた。
3・太閤秀吉の花見が1594年2月24日~3月1日に大名一行5000人の花見が行われた。(旧暦かな?)
4・大阪 平野の豪商末吉勘兵衛が10000本寄進。
この由来については初めて知ったことです。多くの人の桜を愛でる気持ちの繋がりが、古来から現在に至っていること、これからも山を愛し花を大切にしていくことの大切なことを学びました。
電車で帰った方が便利な人や、大阪方面の人は、吉野駅でこの吉野山のラッピング電車に乗車するので駅で別れました。
五條方面へ帰る人は、貸し切り状態のマイクロバスで、山を後にしました。
明日明後日とイベントの参加で山は賑わうことでしょう。お天気が少しでもいい方になって紫陽花散策を楽しめるといいなあと他人事ながら祈りたい気持ちです。
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