読売新聞の「よみほっと日曜版」の「南国土佐を 後にして 都へ来てから 幾歳ぞ」を読みました。(2013年4月14日付)
『南国土佐を後にして』が、「高知県出身者を軸に編成された歩兵連隊(鯨部隊と呼ばれた)で歌われた望郷歌を基に、戦後、高知在住の作曲家・武政永策が完成させた」ものであったとは知りませんでした。
戦地・中国で兵隊たちの間で歌われていた歌詞は、「都へ来てから」ではなく、「中支(華中)へ来てから」だったとのこと。
「YOMIURI ONRINE」のこの記事の記者動画を見ました。
http://www.yomiuri.co.jp/stream/press/movie.htm?id=46482&feed=46482&cx_thumbnail=05&from=yolsp
高知で過ごした日々をあれこれ思い出しながら拝見しました。
唯一つ気になったのが、動画の一番最後のところ。
山頂にある展望台から一望できるのは「土佐市内」」ではなく、「高知市内」ではないでしょうか。
『南国土佐を後にして』が、「高知県出身者を軸に編成された歩兵連隊(鯨部隊と呼ばれた)で歌われた望郷歌を基に、戦後、高知在住の作曲家・武政永策が完成させた」ものであったとは知りませんでした。
戦地・中国で兵隊たちの間で歌われていた歌詞は、「都へ来てから」ではなく、「中支(華中)へ来てから」だったとのこと。
「YOMIURI ONRINE」のこの記事の記者動画を見ました。
http://www.yomiuri.co.jp/stream/press/movie.htm?id=46482&feed=46482&cx_thumbnail=05&from=yolsp
高知で過ごした日々をあれこれ思い出しながら拝見しました。
唯一つ気になったのが、動画の一番最後のところ。
山頂にある展望台から一望できるのは「土佐市内」」ではなく、「高知市内」ではないでしょうか。