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熊野への旅 #5 2019年07月15日 補陀洛山寺(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜ノ宮)

2019年08月07日 | 
2019年07月15日(月)

8時過ぎにチェックアウトして、コンビニエンスストアに立ち寄り、自宅宛に宅急便を送りました。
たった1500円で、身軽な旅ができるのはありがたいことです。



補陀洛山寺へはJRに乗って行きました。


08時43分 紀伊勝浦駅発  

             

08時47分 那智駅着  
 
丹敷の湯           

丹敷(にしき)の読みを知りました。
那智湾のことを丹敷浦(にしきのうら)とも呼ぶようですね。



浜の宮王子社跡には熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわしゃ)が建っています。

浜の宮王子   

鳥居右の木は大楠(推定樹齢800年)。

この神社は、熊野詣が盛んだった頃には、浜の宮王子とも渚宮王子、錦浦王子とも呼ばれていました。
熊野九十九王子のひとつ。
中辺路・大辺路・伊勢路の分岐点となっていました。
那智山参拝前にはこの王子で潮垢離を行って、身を清めたといわれています。

かつては鳥居から20メートル先が海岸線だったそうな。

                    

                                 


熊野三所大神社には、『日本書紀』の神武東征の折の記述に登場する熊野の土豪の女酋長・丹敷戸畔(にしきとべ)が祀られているそうな。

                                     

熊野三所大神社に隣接する補陀洛山寺  

〒649-5314 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜ノ宮348

  ・山号:熊野山
  ・宗派:天台宗
  ・本尊:三貌十一面千手千眼観音

今回の旅で、補陀洛山寺が熊野三社とともに世界遺産登録されていることを初めて知りました。

  
                            
            

補陀洛山寺が補陀落浄土への出発点だと初めて知りました。

   

曼荼羅  

曼荼羅を見て、観音菩薩の住まう補陀落浄土へ行こうとする補陀落渡海の光景が想像できました。なぜだか、旅から帰っても、それが心から離れません。

補陀落渡海船  



    

生きながらにして観音浄土を目指して航海に出た船です。
境内で展示されている「補陀落渡海船」の全長は、6メートルほど。
甲板の小さな船室の四方は鳥居で囲まれています。
外から釘を打ちつけられたとのこと。
船形のお棺です。
死に直結する究極の苦行。
観音浄土を目指す思いのほかに何を考えながら船出したのでしょう。何も思い残すことはなかったのでしょうか。
かつての補陀洛山寺からは、波間に消えて行く渡海船が眺められたのだろうなぁと思うと、心が苦しくなりました。


                      

補陀落渡海記念碑  

868年~1722年。二十数名の名前が刻まれています。

寿永3年(1184年)平維盛の名もあります。
維盛は平治元年(1159年)生まれですから、25歳という若さでの死です。

「春の花の 色によそへし おもかげの むなしき波の したにくちぬる」
「かなしくも かゝるうきめを み熊野の 浦わの波に 身しづめける」 —建礼門院右京大夫集

悲しい入水自殺です。



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https://www.nachikan.jp/kumano/fudarakausan-ji/より引用

補陀洛山寺

世界遺産にも登録。南方に補陀洛浄土を目指し渡海する上人達の出発点。

補陀洛渡海とは、平安時代から江戸時代にかけて、小さな船に閉じこもり30日分の脂と食糧をたずさえて、生きながらにして南海の彼方にあると信じられていた観音浄土を目指すというもので、補陀洛山寺は補陀洛渡海の出発点として知られる寺です。

2004年7月、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録され、ご本尊の千手観音は苦悩する人々を救うと言われ、重要文化財に指定されています。

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